08:医師と、テレビの中のヒーローと
「――それで、また傷を開いちまったってのか」
「いやでもセンセイ」
「でももヘチマもねーぞ、第三席」
ツルギの反論をはねつけた女医は頭を抱えて息を吐いた。
場所は学園敷地内の病院。その診察室。
今日は傷の具合を確かめるための通院日だった。
しかし本来であればきれいに塞がっているはずのツルギの両腕の傷が、包帯を解いてみれば再び口を開けて血を流していた。
それは怒るだろう。
「いくらアタシがお前のファンだって言っても、愛想をつかすことだってあるんだからな」
その女医は燃えるような赤毛をロールさせたなかなかの美人だった。スタイルもいい。胸と腰の迫力はツルギの知るあらゆる女性の中で飛び抜けている。
「いいか、こうもポンポン傷口開かれちゃ、どんなにいい薬を使ってようが関係ない。いい加減我慢という概念を覚えろ。覚えてくれ、頼むから」
「申し訳ない……」
「申し訳ないで済んだら医者はいらねー」
女医は診察室の中を歩き回った後、ベッドに腰かけた。
「で、精密検査の結果だけど――何の異常もなかった。お前のいう正体不明の不調は、だからアタシにはお手上げだ」
「そうですか……」
「ま、気にすんな。若いんだから、スランプになることもあるだろうよ」
さておき、と女医はツルギに顔を近づける。
「いいか、これから傷口が塞がるまでの二日間はあらゆる自主練を禁止するぞ。運動しないから観戦で勉強ってのもなしだ。お前は試合を見ると戦闘を想定して力が入っちゃうタイプだろ。だからダメだ」
「確かにそうですが……」
なんだか最近、女性に性格を見抜かれすぎている。
「なあにたった二日だ。もちろん守れるよな、第三席」
「……まえむきにぜんしょします」
「そこで棒読みになるな。本当に正直だなオマエは。わかった、薬は余分に出しておく。けど長引いたら困るのはオマエだぞ。もうすぐあれだろ、記章争奪戦」
指でカレンダーを指し示す女医。
「まあ、オマエの体だしオマエの人生だから好きにすればいいけどな。アタシが思うに、オマエは一度武術から離れてみるべきだと思うぜ」
そんな、臣と同じようなことを言って、女医はタバコの箱を手に取り、診察室を出ていった。
自分以外いなくなった診察室で、ツルギは自問する。
「……そんなにオレって武術バカに見えるかな?」
いやまあ、見えるだろう。自分でも自覚がある。
しかしそんなに依存症か何かと同レベルで離れなければいけないほどなのだろうか。
武術から離れる、という言葉で麻矢と塔子のことを思い出す。
「今頃、麻矢と塔子は部活案内の真っ最中かな」
体育館で始まった、部活動案内のオリエンテーション。
八嶋麻矢の目の前では、ごくありふれた野球部や文芸部から、聞いたことのない同好会に至るまで、なかなか個性的な紹介が行われている。
彼女は一番後ろのパイプ椅子に腰かけて、一人それを眺めていた。
集団が苦手で体調を崩してしまう塔子は、昨日の始業式もこの部活案内も、理事長代理の許可のもと欠席しているらしい。
二人で見れたら楽しかったかもしれない、と麻矢は思う。
編入組である塔子と麻矢を除けば、部活動案内に参加しているのは一年生だけだ。だから友人やツルギと見ることは、はなから叶わなかったわけで。
面白いは面白いのだが、一人ではどうにも味気ない。
そんなことを考えていると、特撮同好会のヒーローショーが始まった。なかなか本格的だ。照明やセットを使って壇上で繰り広げられる劇に、ふと昔のことを思い出した。
麻矢は、面倒と責任が嫌いだった。
委員会とか生徒会とか実行委員とか、そういうものを消極的に避けてきた。
誰かのために自分の時間を削って、失敗したら責められるなんて、そんなの得がどこにもない。
そう思っていた。
けれどあるとき、チャンネルを適当に回していたとき、テレビから流れてきた言葉に胸をえぐられた。
「誰かのために費やした時間が、全力を出した瞬間が、人生を振り返ったときに輝きとなるのだ。お前の人生は輝いているか?」
そう言ったのは特撮ヒーローだった。
はっとなった。
まだ何もしていない。
振り返ったって、ただずるずると楽して生きてきた記憶しかない。
そんな麻矢に、ヒーローは続けた。
「たった一度の人生、わずかな青春は燃やしたもの勝ちだぞ」
その言葉はえぐられた胸の奥に深く刺さった。
何かしよう、と思った。何をすればいいだろう。
それから色々と考えるようになった。
いつも気になってしまうのは、周りの人間の健康状態だ。この嗅覚のせいだろう。母も姉も患っている八嶋の血という病だ。
漫画なんかを読んでいると、主人公が弱った状態でボスに挑む話が出てくる。
そういうのが一番嫌いだった。我慢ならない。どうしてそんなことになるのか。なんとか治してあげたい。でないとフェアじゃない。そう思ってしまう。
そんな話をしていたら、友人に「麻矢はヒーラー気質ですね」と言われた。
ヒーラー気質。そうなのかもしれない。
怪我人や病人を放っておけないし、怪我や病気も放っておけない。
そしてそんな己の本質ゆえに、あの日も火の中に取り残された少女を見捨てられず。
そのおかげで出会ったのだ、本物のヒーローと。
たとえば、パンをくわえて登校して、曲がり角で転校生の男の子とぶつかる確率を考えてみよう。どのくらいだろうか、実際に起こり得るだろうか。
麻矢にとって、滝川ツルギとの出会いはそれくらい特別なものだった。
恋なのかもしれないし、恩なのかもしれないし、もっと別の何かかもしれない。
ただ、彼のそばに行きたかった。そしてあらゆる怪我と病気を引き剥がしてあげたかった。たった一度の人生、わずかな青春を燃やし尽くしたかった。
だから両親に無理を言って転校したのだ。
そんな覚悟のようなものを抱いてやってきたのに。
シリアスぶってやってきたのに。
気づけばヒーローショーは終わり、忍術同好会の紹介が始まっている。手裏剣を投げたり奇声を発したり、セットを壊して中から忍び装束で現れたり。
本当に自由で、本当に楽しそうだ。
くす、と笑いが漏れてしまう。
ツルギも、塔子も、他の生徒もキャラが濃い。
中学生のころ「生まれも能力も特別で、わたしってもしかして主人公かも」なんて考えていた自分が弱キャラにしか思えないほどに。
悔しいけど、シリアスな気持ちは全然持たなかった。
漫画みたいな学園で、漫画みたいな人たちに囲まれて。
今ではもう毎日が楽しみで仕方ないのだ。




