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白嶺学園風雲録(無人島サバイバル実習編連載中)  作者: 有坂紅
サバイバル実習編~鳥に当たらぬ道理はない~
58/59

34:四日目/女島09






 綴喜ゆらは確信する。

 今の自分は強い。これまでで一番高くまで登ってこられた。

 ――だからこそ、あとはもう落ちる一方だということも、もちろんわかっている。


「ふぅっ――!」


 玲子の切り返しに追いつくべく、全身の連動を以って地面を蹴る。

 ただの一歩で爆発的に加速。

 だが、その代償にすさまじい負荷が足首にかかる。


「んぎ――ぃっ!」


 常日頃から力の統率を使っている滝川ツルギとは違う。

 そんな大きな力を使うことに体が慣れていない。そういう鍛え方をしていない。負荷を受け止めるだけの下地がない。

 速度についてもそうだ。ここはゆらが本来入ってくることのない速度帯。普段とは違う情報処理が必要で、頭も重くなってきている。

 遠からず肉体は限界を迎え、玲子のいるこの世界から弾き出されるだろう。

 それはもはや避けられようのない決定事項だ。



 ――なぜ人は、先のことを考えてしまうのだろう。



 カエルは湿度の変化を感じ取って雨を予測する。

 リスは冬に備えて木の実を地面に埋める。

 だがそれはあくまで本能がさせる習性にすぎない。人のように明確な未来を思い描いているわけではない。人間だけが、先のことを考え、そこにある苦痛までも受け取ってしまう。人間だけがまだこの世に存在しないものを感じ取る。

 果てには自分の死すらも、若いうちから想像できてしまう。


「レ――――」


 できない方が幸せだろう。

 獣のようにただ一瞬一瞬を噛み締めて生きていれば、今の苦痛も苦悩も万分の一になるはずだ。

 だがそれが、それこそが――人の武器なのだ。

 先に待つ苦痛の正体がわかれば、覚悟ができる。

 先に待つ困難の正体がわかれば、備えができる。

 そして、そこに待つ苦しみに対して、逃げる以外の選択肢が生み出せる。


「イ――――」


 例えば今の自分が動物ならば、逃げ出していただろう。

 どうやっても勝つ目のない戦いだ。相手は強大な壁だ。そこに全力でぶつかって砕け散ることを、野生は決して選ばないだろう。

 けれども自分は人間で、考える頭があるからこそ、ここで逃げずに負けを選ぶことができる。

 そうすることで得られるものが視えているから。その先に自分の成長を信じられるから。まだそこにないものに価値を見い出せるから。

 だから戦える。


「コォォォ――――――ッ!」


 放つ拳。下がる玲子。

 追いすがる拳は空を切る。

 だがわずかに触れた皮膚が、彼女の体温をほのかに伝える。

 届かない。だが、ここまでは来れた。


 ――悪くない。


 その勢いのままに走り抜け、先に立っている樹木の幹に衝突。半分ほど衝撃を逃して半分ほどは骨身に食らい、それでもなんとか振り返る。


「……どうもコンディションがよくなさそうだな、ゆら。ほんのちょっとだが動きに違和感があるぞ。今日のところはこの辺でやめておかないか?」


 それは滝川ツルギにやられた傷か。

 それとも風々院の女に食らった毒か。

 今の自分に不満を持たれたのは忸怩たる思いだが、そこまでの些細な変化に気づかれることには嬉しさもある。


「止めるなよ、玲子。今いいところなんだ。ぶっ倒れるまで続けたい」

「……言い出したら聞かないよな、お前。しょうがないか。じゃあ――ぶっ倒すぞ」

「は。それでこそ――」



「おー、やっぱやってんじゃん!」



 不意にかけられた声にゆらと玲子は揃ってそっちを見る。

 そこにいたのは三名の武系女子。


 ベリーショートの浅黒い女。

 カチューシャをつけたお嬢様然とした女。

 そして大柄な下着姿の女。


「戦闘音したから、絶対誰かやってると思ったんだよね。ゆらと玲子様かぁ」

「頃合いでしたからね。しびれを切らした誰かが戦い始めるとは思っておりました」

「かか。武系女子のサガじゃな。飯食って寝るだけでは生きておれん。というわけで――ワシらも混ぜてもらえんかの」


「………………」


 ゆらはちらっと蓼科冥を見る。

 脇の方に座り込み、すっかり我関せずの見学モードに入っていた彼女だが、目があった瞬間ぶんぶんと首を振る。迫真の表情だ。これは彼女の仕込みでもないらしい。

 無言で眉根をよせる。

 と、そんなゆらの心情を慮ってか、下着姿の女が告げた。


「いやいや、おヌシに無理は言わんよ、ゆら。見たところ玲子様に指南してもらっておったのじゃろ。ワシらの希望もそれじゃ」

「ええ~、絶対みんなでやった方が楽しいよ? わちゃわちゃしようよ~」

「集団戦の楽しさは否定しませんけれど、記章持ちに対する敬意は必要ですわ」

「ま、つまりはおヌシの次に列に並びたいという話じゃ。それくらいはええじゃろ?」


 高揚していた感情が冷めていく。

 代わりに生じたのは、怒りだ。


「――ダメだ。ここは譲れない。貴様らなんぞに玲子の相手をさせてたまるか」

「言うじゃん、ゆら。そういうことならアンタが先ね」

「ふん。いいだろう。おれに勝ったなら好きにしろ」

「そういうのいいね。大好き」


 ベリーショートの女がぺろりと唇を舐め、構える。

 前に出した右腕に力の充溢。攻撃よりは防御の気配。腕を盾と見立て、あらかじめこちらの攻撃軌道を潰し、先の先でも後の先でも有利を取る構え。

 それは『拳をさえぎる道』を意味する武術――截拳道のものだ。


 対してゆらは構えない。

 構えないままふらっと揺れて――突っ込んだ。


「――っ!?」


 前に置いた利き腕は相手の拳を払う役目を持つ。

 だからこそ、腕を振ってこない攻撃に対してわずかに出遅れた。

 しかしそれも本当にわずかな逡巡。

 すぐさま間合いに入ったゆらの頭に拳を放つべく肘を引く。


 ――その瞬間、ゆらは足元に向けて力の統率を使った。


 爆発的加速。

 引いた拳が打ち出されるよりも早くその軌道を通過し、肉薄する。


「ほう」

「あら」


 外野二人の感嘆。

 口からこぼれたその音が耳に届くか届かないか、そのくらい刹那のとき。

 ゆらは両腕をまっすぐに突き出す。

 肘は引かない。引いて突き出す動きをするほどの時間はない。まっすぐに構えた棒にして、ベリーショートの女の両脇腹を痛打する。


「ぎゃうっ――!!」


 全身を連動させたすべてのエネルギーをそこに置いてくるつもりで撃った。

 反動でゆらの体は静止し、ベリーショートの女の体は吹っ飛んだ。

 そのままに地面を転がり続け、落ち葉を体中につけ、そして――そのままビクビクと震え続ける。


「――次はどっちだ?」

「かか。強いな。いや、強くなったのか。おもしろい。ワシが行かせてもらおう」

「……どうでもいいが、なんで下着なんだ。ジャージはどうした?」

「温泉で洗って干しておる。この恵体を拝めて眼福じゃろ?」

「そそられんな。おれは身長160くらいの女が好みだ」

「ずいぶん具体的――じゃな!」


 下着姿の女が走り出す。

 流派は未だ不明。筋肉のつき方から利き腕は左、利き足は右。体重差と腹筋の厚みからして先程のような攻撃では倒せまい。

 それにそもそも――もう力の統率は使えない。

 全身の関節を痛めつけすぎた。特に足がダメだ。

 無理に使おうとしても痛みで肉体が正しく連動しないので無意味だ。

 残りのカードで勝負するしかない。


「ふんっ――!」


 長身から振り下ろされる左の手刀。それは大丈夫だ。放たれる前からわかっている。

 わかっているのに、足首の痛みから反応がわずかに遅れた。


「っ!」


 それでも動き出しが早かったこともあり、かろうじて避けられた。

 そのまま滑るように距離を取る。

 今の手刀――腰を沈めて連動させ、箱を潰すような動き――使うのは剣術か、そこから生じた柔術の可能性が高い。

 自身の体重を載せながら、下半身も沈むことで攻撃の到達が早くなる。

 正しく、美しい、基礎のできた動きだった。

 ゆえに隙がない。


「ほうほうふむ――今の反応、反射神経ではなく先読みじゃな」

「……だったらどうした?」

「であれば話は簡単じゃ。こうする」


 再びの懸かり。上段から切り下ろす手刀の構え。

 ゆらは痛めた右足をかばいながら、極力負担を全身に分散して回避動作に入る。

 ――大丈夫だ、避けられる。それから後の先を取れば――

 そう思った次の瞬間。

 手刀の軌道がわずかに曲がり、ゆらの動きを追ってきた。


「な――」


 なに、と口にする時間すらもなく、大きな手刀が首に打ち込まれる。

 直後に全身を脱力しつつ首をひねってクリーンヒットを避け、衝撃に逆らわずに空中で回転して運動エネルギーを空費する。

 着地。

 ふらつき。

 そして咳き込む。


「ほう――あれを食らって倒れもしないとはの。大したものじゃ」


 感心したようなその声はゆらの耳を素通りする。

 痛めた喉からにじんだ血を吐き出し、そして考える。


 相手の動きに不自然な兆しはなかった。

 ではどうやって慣性を殺した?

 理屈的には腰や肩を回せば手刀の軌道を後から曲げることはできるだろう。だが、どちらにもほとんど動きはなかった。

 変化自体はそれほど大きくないとはいえ、回避というのはできる限り紙一重で行うもの。武術に浸っている者ほどそれを徹底しているから、その紙一重を追ってくるあの技は十分な見切り破りになる。


「――手助けは要るか?」

「ふざけろ、玲子。貴様は黙って見てればいいんだ」


 対策は容易で、大きくセーフティリードを取って避ければいい。

 だがそうすると今度は反撃が難しくなる。そして満身創痍の現状、そんな状態が続けば遠からずこちらが潰れる。

 ゆらの中の冷静な自分は計算する。幾通りにも演算する。

 最大で十七手――今自分の持っている手札を全部使って粘ってもそこで詰みになる。

 勝ち筋はない。


「かは――」


 痛めた喉から乾いた笑いが漏れる。

 本当に、どうして人間は先のことを考えてしまうのだろう。

 そんな風に思ったゆらの前に――


「んむ? なんじゃ、どういうつもりじゃ?」

「貴様――」

「――見てられませんね、綴喜ゆら」


 蓼科冥が割って入ってきた。

 それはゆらが無数に考えた未来の、そのどれにもなかった展開。

 手札の外から、それはやってきた。


「勘違いしないでください。貴方が倒されたら、貴方に完膚なきまでに敗北した私たちの株まで下がってしまうからです。それが嫌なだけです」


 冥は視線を下着姿の女に向けたまま、ゆらに対して告げた。


「さっき手合わせした私が断言します。この程度の相手、万全の貴方なら苦もなく返り討ちにしていたでしょう。だから、私がその足しになります」

「かか。よかろう。二人がかりでもワシは構わんぞ」

「いえ、お待ちなさい。相手が二人で来るなら、わたくしも混ざります」


 先程から肩を震わせうずうずしていたカチューシャの女がそう告げると、


「まま、待った……! あ、あたしもまだやれるしっ!」


 枯れ葉を全身につけたベリーショートの女が腹を押さえながら起き上がってきて、


「であればワタシも加勢せざるを得ませんか」


 風々院風雅が立ち上がり、


「貴様ら――」


 まるで想像もしていなかった展開に思わず呆然とつぶやくゆらに、


「ああ、こら。お前ら、そうして騒ぐと――」


 しかめっ面の玲子がそう言うと同時に、


「いた! いたよ!」

「やっぱりね、こっちから戦意がむんむんしてたもんさぁ」

「音と声ね。戦意とか非科学的すぎ」

「我ら武系女子ゆえ仕方なし」

「玲子様までいるじゃん。ウソ、もしかして手合わせしてもらうチャンス?」


 少し離れた藪の中から、またぞろぞろと武系女子たちが現れる。

 ほとんどは温泉で見た顔ぶれであり、「すぐに終わるだろうから」とそこからほど近い場所を戦場に選んでしまったゆらの、これは明確なミスだった。


「ううむ。ちと予定が狂ったの。どうする、ゆらよ」

「どうすると言われてもな……」


 向こうはやる気満々だ。

 それこそ相手を問わないレベルで闘志を発している。

 満足な食事を取れず、質のいい睡眠を望むべくもなく、相当にストレスが溜まっているのだろう。欲求が満たされないと代わりに他の欲求も強くなる――欲望の代替だ。


 と、さらに頭上の木の枝から二人の人間がゆらの前に降りてくる。


「ゆら様。これはどういう状況でしょうか」

「……申し訳ございません、遅参いたしました」


 ゆらの配下の女子生徒だった。

 温泉での休養を命じていた二人だが、人の流れに気づいてやってきたらしい。


「高良とクルミか。いや、いい。どういう状況かというと、なんとも説明しづらいが――」


 というか事態がもう完全にゆらの想定を超えてしまっている。

 どうすれば収まるのか。自分はどうしたいのか。誰を使って誰を倒すべきか。誰が味方で誰が敵で、誰が敵でも味方でもないのか。ぐるぐると情報が脳内を駆け抜けて頭痛がする。いまさらになって風々院の毒が効いてきたような気さえする。


「ねえねえ、何やってるの? チーム戦?」

「どうやって分かれる?」

「はいはい! あたし玲子様と逆チームで!」

「そもそも本当にチーム戦なん? バトロワかもよ?」


 好き勝手に話す女子生徒たちの声が左耳から入って右耳から抜ける。

 ……なんなのだこれは。どうすればよいのだ。

 全員倒せばいいのか。しかし戦力的に厳しくはないか。冥と風々院は味方としてカウントしていいのか。下着姿の女はどっちだ。玲子の指南を巡る優先権を主張して奴らに敵対するかもしれないが、逆に一緒にこちらを潰しにかかってきてもおかしくはない。

 他に、何かこの混沌とした状況を打開する術はないのか。

 そう思い悩むゆらのそばで、不意に風々院風雅が鼻を鳴らした。


「――ほむん、この匂いは?」


 匂い。

 言われてゆらも気づく。

 鼻先をかすめる美味そうな匂いがどこからか流れてくる。

 見れば他の者も、誰もが不思議そうに鼻を鳴らして周囲を見回している。


 ぐう、と誰かの腹の虫が鳴いた。

 その音は連鎖するように広がる。

 そしてその音をかき消すように、鍋を叩く金属音があたりに響いた。


「はいはーい、そこまでですよ。みなさん一旦落ち着いてください」


 鍋の側面に蓋を叩きつけて音を鳴らしているのは――ゆらが食事係を命じた女、八嶋麻矢だった。

 そして彼女の持つ鍋からは芳しい料理の匂いがする。

 ここ数日忘れていた、ちゃんとした料理の匂いだ。

 気づけばみんな、その鍋に視線を吸い寄せられていた。


 風々院風雅も、ベリーショートの女も、カチューシャの女も、下着姿の女も、後から現れた武系女子の集団も、クルミも、高良も、ついでに水無月玲子も。

 鍋の持ち主の方を注視しているのは、もはやゆらと冥だけだった。


「マヤ――」

「――八嶋麻矢」

「はい。料理番、八嶋麻矢、ご飯を持って参上です」


 彼女はいたずらっぽく笑う。

 そして周囲を見渡し、臆することなく声をかけた。


「炊き込みご飯もお吸い物もたくさん作りましたけど、冷めちゃったら美味しくないのでみんなで一緒にご飯にしましょう。あっちに行けば用意してますからね」

「マジで!?」

「炊き込みご飯!?」

「お吸い物!?」

「デザートもありますよ」

「甘いものまで!?」

「神か!?」

「じゃあみなさん一度整列してください。行儀悪い子にはあげませんよ」

『はーい!』


 子供のように大人しくなった武系女子たちをあやしながら、麻矢はゆらを見た。


「というわけで、材料、いっぱい使わせてもらっちゃいました」

「それは構わんが……最初からこれを想定していたのか?」

「まあ規模はさておき、ケンカが起こることはわかってましたからね。言わば、これがわたしの戦い方です」

「戦い方――」


 これもまた戦いだと。そして、これもまた強さだと。

 であるならば、彼女はゆらよりも遥かに強いということになってしまう。

 ゆらが対応に苦慮した集団を、鶴の一声で治めてしまったのだから。


「ゆらさん。私はね、料理の力を信じているんです。美味しいものには、人を健康にして幸せにする力があるんですよ」



 自信に満ち溢れた表情で、麻矢はゆらにそう告げた。



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