05:まだいた少女と、連れ出す少女と
どうかなにごともありませんように。
果たして、そう願った人間の何割がそれを叶えられるのだろうか。
確実に半分は切っているだろう。
滝川ツルギはそう思っている。
なぜなら、なにごともありませんようにと願う人間は、その時点で異常に気づいているからだ。だからこそ平穏を願い、だからこそ叶えがたい。
では、今回はどっちを引いたのか。
その答えは自室の前に来たことで明瞭になった。
――室内から塔子の気配がする。
周囲を見渡し、人目がないことを確認して部屋へと入る。
室内の照明はついたままだ。
そして案の定、ベッドには枕を抱いて眠る塔子の姿があった。
「……ううむ」
懸案事項、解決せず。
どうやら眠気に負けて女子寮へ戻らずに二度寝を始めてしまったようだ。
ひどく気持ちよさそうに眠る塔子の姿を見ると、なんだか起こすに起こせない。
「あまり寝てないって言ってたしな……」
だからと言ってこのまま寝かせておくわけにもいかない。
食事も入浴もなしで翌日の登校を迎えるのは塔子だって避けたいはずだ。
――さて、どうやって起こそうか。
ツルギは思案する。
そのいち。
先程のように掛け布団を引き剥がし、温度の差によって覚醒を促す。
これは確実性に欠けるし、少しかわいそうな気もする。
そのに。
肩を揺さぶる。
確実性は高いだろうが寝ている女の子に勝手に触れるのは気が引ける。
そのさん。
近くで声をかけて起こす。
「これだな、一番問題がなさそうなのは」
ツルギはベッドに近づくと、塔子の耳元に口を近づける。
「塔子、起きてくれ」
言ってから、自分の声の小ささに驚いた。
無意識に気を使ってしまって、起こさない程度の声になってしまった。
少し気合を入れてもう一度声をかける。
「とーこー、朝……じゃないな、昼だぞー」
「……んんっ……うう……」
反応があった。
が、起きたわけではなかった。寝返りをうっただけ。
そして寝返りの結果、ツルギの顔の真下に塔子の顔が来ていた。
顔と顔がひどく近い。
なぜだろう。
体に余計な力が入り、硬直して動けない。
塔子の小さく開いた唇から吐息が漏れてくる。
体温が上昇し、思考が空回りする。
――このままではいけない。冷静になれ、滝川ツルギ。
そう自分に言い聞かせて、見えない力場を跳ね返して顔を離す。
はあ、と熱のこもった息が漏れる。
恐ろしい力を感じた。苦しい戦いだった。しかも、それはまだ終わっていない。
己一人では勝てそうにない。誰かの手助けが必要だ。かと言って状況的に臣を頼るわけにはいかない。
そのとき脳裏に浮かんだのはもう一人の少女、八嶋麻矢だった。
「麻矢に助けを乞うか……」
彼女は困ったことがあったら頼れと言ってくれた。きっと今がそのときだ。
一人納得してうなずく。
そっと部屋を出ると寮のロビーまで戻り、ミナトをスルーして右手側にある女子寮の受付に声をかけた。
「すみません」
「おや、滝川くん。珍しいですね。こちらに何かご用ですか?」
髪をきっちりと切り揃えた、いかにも事務員という感じのスーツ姿の女性が顔を上げて答える。
彼女が女子寮管理人の黒崎カナエだ。男子寮管理人のミナトの妹だという話だが、顔はともかく性格の方は全然似ていない。
「ええ。八嶋麻矢を呼んでほしいんですが」
「ヤシママヤさん、ですね」
彼女はカタカタとキーボードをタイプする。
部屋の内線番号を検索しているのだろう。
「該当一件。少々お待ちください」
受話器を取って番号をプッシュし、連絡を取りつけてくれた。
「すぐにこちらに来るそうです」
「助かりました」
「いえ。それでは」
軽く頭を下げて、彼女は作業に戻った。詮索など一切してこない。彼女の職業意識なのだろうか。ミナトにも見習ってほしいところだ。
ほどなくして麻矢が姿を現す。
学校指定の赤いジャージ姿だった。手がほとんどジャージの袖に隠れているせいか、制服姿のときよりも幼い印象を受ける。
「どうしたんですか、ツルギくん」
「いや、実は麻矢に頼みがあって。とりあえずこっちに」
最初はそのまま自室へ案内する気だった。
だが、すぐに立ち止まる。ニヤニヤとこちらをうかがう黒崎ミナトの視線に気づいたのだ。できるなら彼の前は通りたくない。そんなことをすれば後で何を言われるか。
(――外からまわるか)
少し遠回りになるが背に腹は代えられない。ツルギは進路を変える。
「ついて来てくれ、麻矢」
「言われなくても、どこまでもついていく覚悟です」
ぐっと両腕を立ててみせる麻矢。
大仰だな、とツルギは笑った。
二人は連れ立って寮を出てコの字の上へ回りこむように歩く。
寮の周りには高い塀が張り巡らされている。この向こうには黒丸マーケットがあるはずだが、今は塀に阻まれて見えない。逆に言えば向こうからの視線も届かない。
だから見られるとすれば寮の窓からということになるが、どの部屋も備え付けの厚手のカーテンがかかったままで、今のところは視線を感じない。
人気も人目もなく、薄暗い。
麻矢の顔に困惑が浮かんだ。
「あの、これは……どこで何をする感じなんでしょうか……?」
「それは着いてから説明する」
「いえ、その、心の準備が……」
ごにょごにょ言いながら両手の人差し指を向い合せてくるくる回す麻矢。
「そこの一番手前がオレの部屋だから」
「そ、そうなんですか。部屋までは行くんですね。よかったです」
そわそわと周囲を見回しながら、うわずった声で返答をする麻矢。
「ここだ」
ツルギは周囲を確認した後、部屋の窓を指で叩く。
力を加えられた窓が小刻みに振動し、かちゃんと言う音と共に内鍵が開いた。
「えっ、なんですかその技術!?」
「ちょっとした裏技だ」
答えながら窓を開ける。
大きい窓なので、出入りにもそこまで難儀しない。
「不便をかけるが、ここから入ってくれ」
「あ、はい。それじゃあ、お邪魔します」
おずおずと麻矢は部屋に入る。
それに続いてツルギも窓から室内へと入った。
「ここがツルギくんの部屋ですか……」
部屋の中を見回す麻矢に話を切り出す。
「実はさ」
「は、はいっ!」
うわずった声をあげる麻矢に、ベッドに眠る塔子を示した。
「彼女のことなんだが、麻矢の手を借りたくて……」
麻矢は硬直した。
一拍遅れてずささっと後ずさる。
「し、しちゃったんですかツルギくん!? これから三人でするんですか!?」
「待て。落ち着くんだ。順を追って話す」
よくわからない勘違いをしているようなので、ここまでのなりゆきを大雑把に説明する。
学校から部屋に戻ったときに、彼女がいたこと。
彼女も麻矢と同じくあの事件後、ツルギに会うために転校してきたらしいこと。
結婚のくだりは省略したが、流れは理解してくれたようで、麻矢は安堵の吐息をもらした。
「そういうことですか……積極的というか過激というか」
そんなことをつぶやきながら、麻矢は塔子を見る。
「友達だったりするのか? あのときも一緒だったし」
「いえ、あれはその……助けようとして二重遭難した感じで」
ごにょごにょと恥ずかしそうに麻矢は否定した。
「あれから会うこともなかったんですよね。大きな怪我はなかったってニュースで聞いたくらいで。ひとまず、元気そうでよかったです」
「確かに。改めて現場を見たときは寒気がしたからな」
「すっごい状態でしたもんね……」
こうして三人が大した後遺症もなく集まれているだけでも不幸中の幸い、といったところだろう。指に垂れた包帯の先を絡めながら口元を緩める。
そのとき、塔子が小さな吐息を漏らし、寝返りを打った。
二人の視線が塔子に集まり、当初の問題を思い出す。
「それで麻矢。これ、どうしたらいいと思う?」
「そうですね。とりあえず起こしましょうか」
女のわたしならセクハラにはなりませんし、と麻矢は塔子の肩に触れる。
「わ、ふにっとする。気持ちいい。それに寝顔が天使すぎます」
ぶるるっと麻矢は体を震わせる。
「どうしようツルギくん。わたし、変な気持ちになってきました」
「麻矢でもか……」
先刻自分も味わった、抗いがたい引力を思い出す。
やはり塔子の体は、何か魔性のエネルギーでも放っているのだろうか。
おそろしい。
「もう一度行きます」
呼吸を整え、覚悟を決めた顔で、再び麻矢は塔子を揺さぶった。
「黒瀬さん、起きてください。男子寮で寝るのは色々まずいですよ」
ゆさゆさと揺らしていると、やがて塔子がうっすらと目を開く。
「あ、起きましたか」
「……誰?」
目をこすりながら身を起こし、半目のまま麻矢の顔をのぞきこむ塔子。
そうして得心したようにつぶやく。
「……ああ、あのときの、三つ編み」
「その三つ編みです。お久しぶりです」
「……なんで、貴方がここにいるの?」
そんな塔子の質問にツルギが答える。
「オレが呼んだんだ。いつまでもオレの部屋に寝かせておくわけにもいかないし」
それを聞いた塔子は不思議そうな顔をする。
「……さっき、近くにいていいと、言ったわ」
「言ったけど」
「……一緒に暮らしていいって」
「そんなこと言ったんですか!?」
「いや、それは言ってない」
手を振って塔子と麻矢の言葉を否定する。
というか、そういう意味で言っていたとは思わなかった。
てっきり友人として付きあおうという程度の話だと、ツルギは思っていたのだが。
「男子寮に女子を泊めるのは規則違反だし、さすがに無理だぞ」
「……そう。残念だわ」
塔子はまったく残念そうに見えない無表情でそう漏らす。
「……でも、泊まらなければいいのよね……?」
「まあ、規則上は問題ないけど」
「――あの、お話に割りこむのも申し訳ないんですけど」
おずおずと、麻矢が手をあげる。
「黒瀬さん、お昼まだなんですよね?」
「……ええ」
答えながら、塔子はなんだか不思議な生き物を見るような目で麻矢を眺める。
「食堂が二時に終わっちゃうので、急いだ方がいいかもしれません」
麻矢の言葉に、ツルギと塔子はそろって壁の時計を見る。
現在時刻は一時半近くになっている。
「……別に一食くらい、食べなくても」
「それはダメです!」
麻矢は人差し指を立て、身を乗り出すように強弁した。
「いいですか黒瀬さん。食事を抜くのは健康と美容の大敵なんです。ご飯のリズムが不規則だと脂肪がつきやすくなりますし、内臓にも負担がかかります」
「……そう」
「あっ、今すごく興味なさそうな顔しましたね!」
むっとした麻矢は塔子の首筋に顔を近づけて、くん、と鼻を鳴らした。
「やっぱり。冷え性に低血圧、それから胃腸がちょっと弱ってます」
「……わかるの?」
無表情なりの驚きを示す塔子。
ツルギも似たようなことをされたのを思い出す。
「そうか、匂いか」
「はい。わたしの家系の、ちょっとした特技です」
聞いたことがある。
血液の流れや内臓の働きが悪くなると、代謝が変化して体臭が変わる。一部の病気などは人間でも嗅ぎ分けることができて、医師の診断にも取り入れられているらしい。
優れた嗅覚による体調診断。
それが麻矢の特技のようだった。
「そういうわけで黒瀬さん。まずはご飯に行きましょう。わたしの前で健康をないがしろにする人は許しません」
麻矢に返事をするように、塔子のお腹が「きゅう」と鳴った。
「……仕方ないわね」
「待った」
部屋の入り口から出ていこうとする塔子を呼び止める。
「その、なんだ。人に見られたら誤解を受けるかもしれないから、できれば窓から……いや、待て。そもそも塔子はどこから入ったんだ?」
「……黒崎ミナトに頼んだ」
塔子がスカートのポケットから取り出したのは、一枚の黒いカードキー。
それは寮の管理人が持っているはずのマスターキーだった。
ミナトに声をかけ、カードキーを借り、正面から堂々と入ってきたわけだ。
この部屋に入るところを、果たして何人の生徒に見られたのだろう。
うち何人が誤解しているだろう。
ミナトの意地悪い笑顔が思い浮かぶ。
あれはそういう意味だったのか。
「そうか……いや、いいんだ。何でもない。気をつけて帰ってくれ」
力ない笑顔で塔子と麻矢を見送り、残されたツルギはベッドに腰掛けて室内を見回す。
それから大きく息を吐く。
「終わったことは仕方ない。誤解なんて解けばいいだけだ」
そう自分に言い聞かせると、気分も落ち着いてきた。
「しかし、急に静かになっちゃったな」
がらんとした自室がいつも以上に広く、寂しく感じられた。
ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
「……楽しかった、のかな」
何年振りだろう。武術以外のところにこんな楽しさを感じたのは。
小さいころのことを不意に思い出し、ツルギは右手で蛍光灯の明かりを遮った。
胸の古傷が痛んだ気がした。




