04:そこにいた少女と、やってきた宿敵と
「……部屋を間違えるどころじゃない。寮を間違えている」
そんなことがあるわけがない――と言いたいのだが、実際に目の前に寝ている女子生徒がいるわけで。
前代未聞の大問題だ。
布団を掴み上げたツルギが困り顔で見下ろす中、女子生徒が寝苦しそうに体を動かし、伏せられていた顔があらわになる。
白い肌の中に浮かぶ深い隈。
整った顔立ちの中で妙に存在感を放つそれには、覚えがあった。
あの日、燃え盛るデパートの中で出会ったもう一人の少女だ。
ツルギが記憶している限り、彼女も違う学校の制服を着ていたはずだ。転校してきたのだろうか。そうだとしてもなぜ自分の部屋にいるのか。
わからない。
布団を持ち上げたまま考えていると、そのせいで体が冷えたのか身を震わせ、少女は寝ぼけ眼をこすった。
「……ふぅ……んっ」
ゆっくり起き上がりはしたものの、寝起きで頭の働きが鈍いのだろう。
少女はぼーっとツルギの方を眺めている。
一方のツルギの方もなんて声をかけていいかわからず、二人はしばし無言で見つめ合う。
「……滝川、ツルギ」
「ああ」
「……なんで貴方がいるのかしら?」
「そりゃあ、オレの部屋だからな」
言われて彼女は部屋の中をゆっくりと見回し、得心したようにうなずいた。
「……ああ、そうだったわね」
ようやく頭が回り出したようだ。
血の気の薄い肌の色通りに低血圧なのかもしれない。
「いったいどうしたんだ。君はあの事件のときの女の子だよな?」
「……ええ、そう……黒瀬塔子よ」
そう名乗った少女はツルギの瞳を見つめている。
困惑するツルギ。
対して塔子は小さく笑った。
「……やっぱり。貴方の瞳は綺麗……とてもまっすぐだわ」
「まっすぐ?」
「……瞳は鏡だから……歪んだ鏡は、映す像も歪むもの……けれど貴方の瞳は、私を映しても歪まない……澄み切った水鏡のようだわ……」
よくわからないことを言いながら、塔子は立ち上がった。
ベッドの高さを差し引いても、彼女はかなりの長身だ。
短身痩躯のツルギにしてみれば羨ましい限りだ。
骨格から出るフレームの力。
そこにつけられる筋肉の量。
あるいは重心移動による打撃力。
体の大きさはそれだけで戦闘力となる。大きさは強さなのだ。彼女の肉質は服の上から見る限りでも筋肉に乏しく細身だが、鍛錬を積めば花開く可能性は十二分にある。
「……滝川ツルギ」
ベッドの上から見下ろしながらツルギの名を呼ぶ塔子。
彼女はどうにも表情の変化に乏しく、意図がつかめない。
だから尋ねた。
「なんだ?」
「……結婚しましょう」
「無理だ」
塔子は首をかしげた。
「……なぜ?」
「オレはまだ十七歳だ。法律的に結婚できない」
「……なるほど。法律……考えたこともなかったわ」
思案する様子の塔子。
どこまで本気なのか、その無表情からは読み取れない。
「だいたい結婚はお互いをよく知ってからするべきだ。軽率にすると後悔するって上の母が言っていた」
「……じゃあ、まずは貴方のすべてを知らないといけないのね」
「オレもお前のことを知らなきゃならない。あ、いや、待て。結婚する前提のまま話を進めていいのかこれ」
「……いいんじゃないかしら……私はそのためにこの学校に来たのだから」
自分と結婚するために転校してきた、と告げる少女。
いくらなんでも話の展開が速すぎる。
「と、言われても……オレはそれこそ結婚なんて考えたこともなかったからな……いや、もちろん気持ちは嬉しいんだが」
塔子はツルギをまっすぐだと評したが、ツルギ自身もまっすぐな人間が好きだ。正々堂々の直球勝負はツルギの最も好むところ。
だからそれだけで彼女のことを評価したい気持ちになっている。
「……それなら、まずは貴方を知るために、近くにいることにするわ」
いわゆるお友達から始めましょうというヤツだろうか。
その辺がいい落とし所かもしれない。
「そういうことなら、オレに否やはない。転校したてで困ることもあるだろう。そのときはオレを頼ってくれ」
「……嬉しい。頼らせてもらうわ」
塔子はそう言ってわずかに表情を和らげた。
「じゃあ、改めて自己紹介しておこうか。オレは武系二年の滝川ツルギだ」
「……一般コース二年、黒瀬塔子……好きな色は黒で、好きなものは滝川ツルギ……嫌いなものは人間よ……」
「ずいぶん個性的な自己紹介だな……」
握手を交わす。
武系女子とは違う柔らかい手に軽く衝撃を受けながら、ツルギはずっと抱えていた疑問を投げかける。
「で、塔子はなんでオレの部屋で寝てたんだ?」
「……最近あまり寝てなくて……枕に顔を埋めていたら、うっかり寝てしまったわ」
くっ、とあくびを噛み殺す塔子。
「いやそうじゃなくて、そもそもなんで男子寮に――」
訊ねようとした矢先、コンコンとドアをノックする音が響いた。
「――ツルギ。いるか」
その声はツルギの親友にして好敵手、倉本臣のものだった。
まずい。臣にこの状況を見られたら何を言われるかわからない。
彼は風紀委員で、自分に厳しく、同じくらい他人にも厳しい男だ。
「塔子。悪いんだが、ベッドの陰に隠れててくれないか」
「……いいけれど」
素直にうなずく塔子。
彼女が姿を隠すのを確認してから、ツルギはドアを開ける。
「いたか。今日は早く帰れたのでな。昼食を摂ってなければ、一緒にどうだ」
「お、おう。準備するから少し待ってくれ」
「なんだ貴様。まだ制服のままだったのか」
訝しげに眉をひそめる臣。
「まあいい。あまり待たせてくれるなよ」
「ああ、すぐに着替えるよ」
ドアを閉めると、顔を出しかけていた塔子に小声で告げる。
「食堂に行ってくる。塔子も早めに行った方がいいぞ。女子寮の食堂はこっちよりも混むらしいから」
声をかけながら制服を脱いでジャージに着替える。女子の前で下着姿を晒す事態になってしまったが、仕方ない。臣に覗きこまれたら万事が窮すのだ。
塔子の返事を待たずに急いで部屋を出る。
「待たせたな。行こう、臣」
「どうした、そんなに腹が減っているのか?」
「いや、まあ、うん。そんなところだ」
そうして部屋の中を気にしながら、ツルギは臣と連れ立って食堂に向かった。
全寮制のこの学園では朝食と夕食は寮の食堂で摂り、昼食は校舎にある学食で摂るのが一般的なスタイルだ。
しかし、今日のように学校が午前中で終わるような日は食堂も稼働しているので、どちらを利用するか生徒自身が選べるようになっている。
ちなみに寮の食堂はバイキング方式でいくら食べても無料だが、このシステムはうっかり食べすぎてしまうと女子には大変不評だった。
二人は並んで食堂に入り、トレイを取ると慣れた手つきで次々に料理を小皿に乗せていく。臣は野菜を中心にした料理を取っているが、一方のツルギは取る品に法則性がない。料理に関しては好き嫌いがないので、だいたいその日の気分で選んでいる。幸いにして食堂の料理は総じてレベルが高く、どれを取ってもハズレはない。
「そうして栄養管理をしないから背が伸びんのだ、貴様は」
「そいつはもう聞き飽きたよ」
師の教えでカルシウムだけは意識して摂っているが、それ以外には頓着がない。
ツルギとしても本当に臣くらい背が伸びるなら吝かでもないのだが、一時期試してみたのに全然効果がなかったので、今では半ば諦めているのだ。
山盛りのトレイを持って適当な座席に移動し、二人は向かい合って席につく。
自然と同時に手をあわせ、そろって食事を始めた。
「――それで、どうなんだ。調子の方は」
サラダを食べ終えた臣が口を開く。
「大丈夫だよ。表面の傷が開かないように包帯してるだけで、骨や筋肉は治ってるし」
箸を止め、自分の手に巻かれている包帯をツルギは見つめる。
それは先のスフィアデパート爆発炎上事件のときに負った怪我の名残だった。
裂傷に火傷に亀裂骨折に筋肉断裂となかなかにハードな状態だったが、白嶺学園には優秀な医療スタッフが数多く在籍している。その治療の甲斐もあって既にほとんど治っている。
というか、安静にしていれば完治していたところなのだが、こっそりやった鍛錬で裂傷が開いてしまい、医師に怒られながら未だに薬を塗って包帯を巻いているのだ。
麻矢に告げた『自分の不徳の結果』というのは彼女を思いやってのものではなく、徹頭徹尾事実なのだった。
「いや、それもあるが――貴様、その少し前くらいから調子を崩していただろう?」
「ああ、そっちか」
フラッシュバックする記憶。
脳裏に響く少女の声。
『あなたの始まりを、教えてください』
自分の出発点。
それを自覚してしまったあの日から、ズレ続けている歯車。
「そっちもなんとかする。方法は……目下模索中だけど」
臣は納得していない様子だったが、それでもそこで矛先を収めた。
「なら、もうひとつ。先程教室に来ていた女子だが、知り合いか? 見覚えのない顔だったが」
「麻矢のことか。例の事件のときの女の子だよ。転校してきたんだって」
「そういえば今年は編入生が二人いたな。貴様のことを追ってきたというわけか」
二人。
おそらくは麻矢と塔子だ。
それぞれにツルギのことを考えて学園に来たらしい二人。縁がなければまったく別の高校でお互いを知らずに一生を終えたかもしれない相手。
そう考えると、なんだか不思議な気分になる。
「まあ、いい機会かもしれんな」
「何がさ」
「俺と貴様は似すぎているから、新しいことを教えてやれん。あるいはそいつとの交流が調子を取り戻すきっかけになるかもしれんぞ」
「そんなことはないだろう。オレは臣からいつもたくさんのことを教わっている」
「すべて武術に関することだろう」
ムキになって否定するツルギに、淡々と返す臣。
「それは、もちろんそうだけど」
「……貴様は一度武から離れてみるのもいいかもしれんぞ。どうにも視野が狭すぎる」
「オレから武術を取ったら何も残らないぞ」
「だからこそだ。骨組みの問題だ」
「よくわからないな……」
難しい話は苦手だ。
ツルギは頭のいい方ではない。
「まあ、考えてみるよ。その、交流ってやつ」
「――念のために言っておくが、学生としての節度は守れよ。少なくとも、俺の目の届く範囲ではな」
ツルギをじろりと一瞥する臣。
「お、おう。わかってるわかってる」
部屋にいた塔子のことを思い出し、冷や汗が出る。
彼女は無事に女子寮に戻っただろうか。その様子を目撃されていないだろうか。状況次第ではあとで臣から怒りの説教を食らう可能性もある。
どうかなにごともありませんように、とツルギは天井を仰いだ。




