03:やってきた少女と、そこにいた少女と
ホームルームが終わり、教室内の人口密度が下がり始める。
まだ時計は正午あたりを指しているが、ツルギは委員会にも部活動にも所属していないので、校舎に残る理由はない。ホームルームで配られた荷物を軽く確認しながらカバンにつめこむ。
白嶺学園は全寮制だ。このまま寮の自室に帰ってもいいし、敷地内にある黒丸マーケットに寄って日用品を買い足してもいい。それから食事だ。学食は部活組で混むことになるので寮の食堂で摂ることにする。
荷物がまとめ終わったところで、箱に入れられていた記章を取り出し、去年のものと交換して胸元につけた。
代わりに机の上に残ったのは、少し色のくすんだ去年の記章。
しばらくそれを見つめてから、古い記章を新しいケースに収め、カバンにしまう。
「――それじゃあ、臣。また後で」
「ああ」
カバンを肩にかけ、短い挨拶だけ交わして、ツルギは教室の出入り口に向かった。
と、そこに立っていた佐伯初斗が呼び止めるように軽く手をあげる。
「ちょい待ち、ツルギ。お客さんだ」
「オレに?」
見ると息を切らしている女子生徒が一人、入口に立っていた。
苦しそうに顔を伏せ、体力の回復に努めている。
大きな呼吸にあわせて長い髪が揺れる。柔らかそうな三つ編みが二本胸の前で跳ね、一本が背中で踊る。その黒髪は光の加減で深い緑色にも見えて美しい。
少女は肩で息をしながら、とぎれとぎれになんとかしゃべる。
「たっ……滝川、ツルギくん……っ!」
「ああ」
ツルギが答えると同時に、少女は顔をあげる。
顔は赤く、表情も苦しげだ。
それでも彼女は言葉を続けた。
「少し……お話……いい、ですか……っ!」
「構わないが」
そもそも彼女は誰だったか。
そう思い至って彼女の容姿を観察する。
顔立ちはやや幼く、左目の下には泣きぼくろがある。体格はクラスの女子の平均よりやや小柄だろうか。腰には三つのポーチをつけている。姿勢はいいが正中線が整うほどではないし、服の上から見る限りでも肉質が武系女子のそれではない。一般コースの生徒だろう。
一般コースの、それも女子とはあまり接点がないはずだ。いったいどこで知り合った。
ツルギは首をかしげ、頭の中を探る。
三つ編み三本という特徴的な髪型には、確かに覚えがあるような――
「――そうか、あのときの」
先月起きたスフィアデパート爆発事故。
その渦中で出会った少女の一人だった。ほとんど言葉を交わすこともなかったので、とっさに記憶から出てこなかった。
「覚えてて……くれたんですね」
「ああ。それで話って――いや、待った。場所を変えよう」
好奇の混じったクラスメイトの視線が突き刺さってくる。この場で落ち着いて話はできそうにない。
少女も遅れて周囲の状況に気づいたのか、「はい」とうなずく。
揃って廊下に出て、人気を避けて移動する。帰るならば降りるべき階段を上り、最上階の踊り場へと向かった。
埃をかぶった無数の荷物が積まれていて狭苦しいが、人の来ない場所だ。
「ここなら大丈夫そうだな」
「そうですね」
ついてきた少女は一度大きく深呼吸して、姿勢を正した。
「すみません。急に押しかけて」
「いや。しかし、あのときは違う制服を着ていた気がするんだが」
ツルギは記憶を探りながら目の前の少女と重ねてみる。
確かあのときは緑がかったブレザーの制服を着ていたはずだ。
「はい。この学校の生徒になったのは今日からです」
と、いうことは。
年度が変わるのと同時に転校してきたようだ。
「何かあったのか。いや、無理に聞こうってわけじゃないが」
「ツルギくんに会うためです」
はっきりと彼女は言った。
「会って恩返しをしたくて、ここに来ました」
「いや、それは……そんなに大したことをしたわけじゃないのに」
「私を助けてくれたじゃないですか。命を助けるって、十分大したことですよ」
「む――そうだな、すまない。大したことだった」
彼女の命を軽んじてしまったことを謝罪する。
「しかし、本当によかったのか? 転校までするなんて」
「よかったのです。ツルギくんは、わたしにとってヒーローですから」
「――ヒーロー」
懐かしい言葉だ。
最後に耳にしたのはいつだったろうか。それに憧れていたのは、それよりもさらに前だろう。もはや遠い昔のことのように思える。
「ヒーロー、か……」
なんだろう。胸の奥が熱い。とても嬉しい言葉をもらった気がする。改めて少女と視線を交差させる。
思えば彼女は自分の名前を知っているのに、こちらは知らない。
「いまさらだけど、名前を聞いてもいいか?」
「あ、そうでした。わたしったら名前も言わず」
言って彼女は姿勢を正し、胸に手を当てて名乗る。
「一般コース二年B組、八嶋麻矢です。よろしくお願いします」
「オレは武系二年の滝川ツルギ……って、もう知ってたな」
「新聞にも載ってましたし、友達がここの生徒なので話だけは前から聞いてました。去年の活躍も――」
話しながら、麻矢はふと視線を動かす。
視線の先はツルギの手の辺り。乱雑に巻かれた包帯の先が学生服の袖から垂れていた。
「……まだ、治ってないんですか?」
「ああ、いや。気にしないでくれ。これはオレの不徳の結果だ」
麻矢は少し考えこむ。
それから一人うなずいてツルギの右腕を掴んだ。
「ちょっとごめんなさい」
そのまま包帯に包まれた手に顔を近づけ、くん、と一度鼻を鳴らした。
「ふむふむ、なるほど……少しは力になれるかもしれません」
「……どういうことだ?」
「それはまあ、話すと長くなるんですが……えっと、ちなみに、困ってることとかしてほしいこと、他にはないですか?」
そう言って、後ろ手にうかがうようにツルギを見る。
「た、たとえば、火傷のせいで着替えができないとか、着替えができないとか、着替えができないとか、お風呂で体が洗えないとか」
「いや、別に」
なぜそんなに着替えを強調するのだろうか。
「必要なら、その、わたしがお手伝いしたいなーって、思うんですけど」
「気持ちは嬉しいけど、そこまでひどくはないな」
「そ、そうですか……」
麻矢は残念そうに息を吐く。
それから背を預けていた壁から階段下を見下ろす。
「もしかして、けっこう話しこんじゃいました?」
言われてツルギも、下の階から聞こえていた喧騒がすっかり遠くなっていることに気づく。
「そうだな。そろそろ寮に帰るか」
と言ってから、ツルギは麻矢の素性を思い出す。
「麻矢は転校生なんだよな。よければ少し敷地内の案内をしようか?」
「そうですね。ツルギくんさえよければ、お願いします」
「おう、任せてくれ」
「あっちに見える白い建物が体育館で、横の黒い建物が武芸館だ。原則として一般コースの体育の授業で使うのが体育館、武系コースの授業で使うのが武芸館だな」
「じゃあ奥の大きなのは?」
麻矢が視線を向けているのは半透明な天井に覆われた大きな施設だった。
「あれはプールだ。一年を通して使うために温水設備と冷暖房を完備してる」
「温水プール!? 学校にですか!?」
「生徒なら休日は無料で使えるぞ。平日は水泳部や水球部が使ってるが」
「はえー……」
「まあ、中の案内はまた今度な。次に行こう」
口を開けて施設を見上げる麻矢に告げて、ツルギは反対方向に歩き出す。
「こっちが学園病院だ。手前が診察や薬の処方のための建物で、奥のは手術や入院のためのやつだ」
「ひえー……」
「あっちが通称黒丸マーケット。一階に食品、二階に日用品が置いてある。校舎の購買で揃わないものはここで買うといい」
「ふえー……」
ツルギは歩きながら説明を続ける。
麻矢はなかば放心状態で話を聞いていた。無理もないとツルギは思う。去年入学した当初の自分もそうだった。自分の知っている学校との差がありすぎて現実味がないのだ。
「最後に、ここが学生寮だ」
「へほえー……」
もはやなんだかよくわからない声をあげて寮を見上げる麻矢。
白嶺学園の学生寮はとてつもなく大きい。高級ホテルと見紛わんばかりの瀟洒な白亜館だ。形としてはちょうどコの字状で、正面つきあたりにある入口は共通だが左手が男子寮、右手が女子寮になっている。
「部屋はもう決まっているんだよな?」
「あ、はい。入寮自体は数日前に済ませているので……それにしても、改めて見るとやっぱり大きいですよね。漫画みたいです」
「そうだな」
この辺は学園の経営母体である黒楼院グループの資産力に由来するのだろう。日本最大のコンツェルンである黒楼院グループが、人材育成の名目で設置しているのがこの白嶺学園なのだ。
二人はそろって寮の入口をくぐった。
エントランスには二つの窓口が並んでいる。そこに座っているのがそれぞれ男子寮と女子寮の管理人だ。
「じゃあ、何かあったら声をかけてくれ」
「はい。ツルギくんもわたしでよければ遠慮なく」
「ああ」
うなずいて、男子寮の窓口に向かう。
男子寮の管理人である黒崎ミナトは理事長代理の遠縁にあたる人物らしい。だとしたらこの強すぎる自己主張も血によるものかもしれない。
切りそろえられた黒髪とそこに乗ったヘッドドレス。
ゴテゴテとした衣装はゴシックロリィタとか呼ばれるものらしいがツルギにはよくわからない。
よくわからないと言えばそもそもなぜ女装しているのかが一番よくわからない。
いや、似合ってはいるのだけれども。
男子寮の生徒にしても当人から言われるまで気づかないのが常であり、入寮してすぐ彼に告白する一年生が毎年数名は出るらしい。
この調子では、おそらく今年も犠牲者が出ることだろう。
無垢な新入生が特殊な性癖に目覚めないことをツルギは祈った。
「やあツルギくん。お帰り」
「ミナトさんもお疲れ様です」
なんだか妙に楽しそうなミナトに軽く会釈して、自分の部屋へと向かう。
幸いにしてツルギの自室は一階で階段もエレベーターも使う必要がない。ほどなくして最奥にある自室の前にたどりつく。
だがある違和感に気づいて動きを止めた。
反射的にネームプレートを確認するが、そこはやはりツルギの部屋だ。うっかり施錠を忘れたのだろうか。否。だとしても、それだけでは理由がつかない。
――中から、人の気配がする。
深呼吸をしてからノブをひねる。
やはりロックはかかっておらず、小さく音を立てて扉が開いた。分厚いカーテン越しのわずかな陽光しかない、薄暗い室内がツルギを迎える。
「――誰だ?」
返事はない。
一拍おいてから電灯を点け、部屋に踏み入る。
気配は動かない。変わらずそこにいる。だが、敵意も戦意も感じられないのでツルギは警戒を解いて無造作に近づいていく。
ベッドの上の盛り上がった掛布団。わずかに漏れてくる寝息でだいたいの事情を察した。
「新入生が部屋を間違えたのか……おい、部屋番号は」
布団をめくって聞こうとした質問は、しかし口から出ることはなかった。
シーツの上に広がる長い黒髪、黒い制服、長くすらりとした脚部を包むこれまた黒いストッキング。
――ツルギのベッドで寝ていたのは美しい女子生徒だった。




