02:記章と、未来と
――走れ、と誰かに急かされている。
そういう感覚が、いつも胸の中にあった。
追い立てられるようにこの身を鍛えて、師匠に出会って、臣に出会って。
それが結果として、才覚に乏しい自分をここまで連れて来てくれた。
その間、その先にあるものも、後ろにおいてきたものも、気にすることはなかった。
がむしゃらに走ってきて壁にぶつかったのは、だから必然だったのだろう。
そんなことを考えながら、滝川ツルギは天井を見上げた。
広大な敷地の中に巨大な施設を持つ白嶺学園にふさわしく、この体育館もまた広く大きい。天井も高い。この学園の懐の広さをそのままに可視化したようだ。
見上げている内に首が痛くなり、ツルギは視線を正面に戻した。
壇上にはまだ誰もいない。
もうすぐ一学期の始業式が始まる。式の中には新入生の入学式も含まれているので、他校より長引くのが常だった。
とはいえ、式の開始まではまだ若干の猶予がある。
そのわずかな時間を使って周囲の生徒たちは楽しげに話をしていた。
『――この間スフィアデパート見てきたんだけどさ、すごかったよ』
ふと、そんな会話がツルギの耳に届いた。
『見てきたんだ。どうだった?』
『もうさ、すっごいボロボロよ。怪獣でも暴れたのかってくらい』
『あたしもニュースで見たけどさ、何があったんだろうね。原因不明なんでしょ?』
『ガス爆発じゃないか、とは言われてるけどねぇ』
『それでさ、あの事件と言えばさ、ツルギさまよ』
うっ、とツルギは声を漏らしそうになった。
『爆炎の中に飛びこんで女の子二人を救助したのよね』
『何でも別の階から音だけで探し出したらしいわよ』
『えっ、あたしは匂いって聞いたよ』
こみあげる頭痛にツルギはこめかみを抑えた。
知らないところで自分がどんどん超人化している。
いっそ割って入って否定したい。しかし式はもうすぐ始まるはずだし、女子の会話に平然と割って入れるほどに面の皮も厚くない。
(……そんな嗅覚や聴覚はオレにはないぞ。あれは単に気配を感じただけで……)
胸中で弁明しているうちに、壇上に人影が姿を見せた。
自然とざわめきは小さくなり、多くの視線がそこに集中する。
女子生徒だった。
いや、厳密に言えば女子生徒でもある、という方が正しい。彼女は生徒であると同時にこの学園の理事長代理でもあるからだ。
「皆さん、準備はよろしいですか?」
彼女は壇上から粛々と告げた。
マイクによって増幅された声が瞬く間に静寂をもたらす。それを嬉しそうに眺めて、彼女――黒楼院白夜は話を続けた。
「それでは始業式を始めましょうか」
新入生の入場、代表者挨拶、来賓祝辞と式はつつがなく進む。
そして、式も終わりに近づくころ、再び白夜が登壇した。
「さて、新入生にはなじみがないかもしれませんが、この白嶺学園には『記章持ち』と呼ばれる生徒がいます。前学期の武系コース上位五名――これからその名前の発表と、記章の授与を行います」
武系コースの実技授業で上位五人に名を連ねたものは、学期ごとに学園から特別な記章が授与される。
そのため彼らを記章持ち、あるいはその順位で呼ぶ慣習が白嶺学園にはあった。
「まずは第五席、大鳳示炎」
名を呼ばれたのはツルギと同じ二年の武系男子だった。
とは言っても去年の三学期からの編入生で、ツルギはまだ会話を交わしたことがない。遠目に見た限りでは、中肉中背で金髪の男子生徒だったと記憶している。
(すごいな。編入早々に記章持ちか)
ところが彼は一向に返事をせず、見回してみても姿が見えない。
「大鳳示炎」
もう一度白夜が呼びかける。
けれど結果は同じだった。
「……いないようですね。まあいいでしょう」
白夜は少し眉根をよせて、再びマイクに向き直る。
「飛ばします。次。第四席、水無月玲子」
「はい」
凛とした声が体育館を貫く。
立ち上がったのは二年の女子生徒だった。
真っ白な髪と黒い制服のコントラスト。目が吊りあがり、口元はきりりと結ばれた凛々しい顔立ち。絞りこまれ、機能美すら感じさせる細い体躯。
その実力と容姿から同性に圧倒的な人気を誇っている武系女子だった。
案の定、拍手と共に女子生徒の声があちこちからこぼれる。
そんな熱い視線と吐息を向けられながら彼女は登壇し、白夜から銀の記章が入ったケースを受け取ると、静かに壇上の左端に移動した。
「続いて第三席、滝川ツルギ」
「はい」
返事をして、ツルギも立ち上がった。
再び拍手が巻き起こる。
人前に出るのは苦手だ。だが嬉しくないわけじゃない。それが組み合わせに恵まれた結果でも、好不調によるものでも、嬉しくて誇らしいという感情は偽れない。
高揚と緊張の板挟みになりながら登壇し、白夜から記章ケースを渡された。
受け取って、玲子の隣に立つ。
必然的に、全校生徒と対面することになる。
普段より自分に視線が集中しているように感じるのは、先のスフィアデパートの一件と無関係ではないだろう。
……どうにも気まずい。
「次です。第二席、倉本臣」
「はっ」
短く答えて席から立ち上がったのは、ツルギもよく知る男だった。
迫力のある長身。刃物のように鋭い目と整った鼻梁。肩まで髪を伸ばしているせいか、どこか中性的で男なのに美人という形容が似あう。
そしてその容姿よりも目を引くのが彼の服装、白い学生服だ。風紀委員にのみ支給される特別な制服で、通常の黒い制服のただなかにあると非常に目立つ。
彼も記章ケースを受け取り、ツルギの隣に立つと小声でつぶやく。
「ツルギ。また右腕の包帯がほどけている」
「……うわ、本当だ」
舞台の上で包帯を巻き直すわけにもいかず、ツルギは垂れた包帯の先を指に絡める。
「まったく――いつもいつも、貴様という男は」
嘆息する臣。
きつい言葉遣いだが悪意があるわけではない。むしろ貴様という呼び方は彼なりの敬意の表現だ。彼は自分が認めた相手だけを貴様と呼ぶ。
小さな声でやりとりする二人の横で、白夜がマイクに向かった。
「そして最後に。前学期にもっとも優秀な成績を修めた武系首席、白鷺秋――なのですが、残念ながら彼からは欠席の知らせを貰っています」
ツルギは前の方にあった空席に目を向ける。
今年で三年になる白鷺秋は武系屈指の実力者だ。しかし体が弱く、一週間から一ヶ月ほど姿を見せないことも珍しくない。今回も例にもれず、学園敷地内の病棟に入院しているのだろう。
「以上五名が今学期の記章持ちです。武系コースの生徒は彼らを模範、目標に励んでください。それ以外の者も、彼らには敬意を払って覚えておくといいでしょう」
含みのある物言いに、ツルギは近くある行事のことを思い出した。
「そうか――もうすぐ白嶺祭か」
春と秋に開催される特殊な催し。
『白嶺祭』と『記章持ち』は切っても切れない関係にある。
ツルギは指先で包帯を弄びながら、左右に並んだ男女の顔を見上げ――それから、この場にいない二人の男のことを考えた。




