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白嶺学園風雲録(無人島サバイバル実習編連載中)  作者: 有坂紅
サバイバル実習編~鳥に当たらぬ道理はない~
49/59

25:四日目/男島04









 拳が交差していく。




 相打ちになると、互いにそう思った。

 だが、どちらも引き下がらない。

 拳を引くことができる段階は疾うに過ぎた。

 もはや慣性を殺せる段階にない。

 人事は尽くした。あとは互いに天命けっかを待つだけだ。

 示炎はプレゼントを開封する子供のように無邪気に笑う。




 拳がすれ違う。




 拳を出したのはツルギが先だった。

 一方で腕の長さは示炎の方が上だ。

 その結果として、着弾がほとんど同時になるわけだ。

 二人ともそう思っていた。



 ――だが。



 ほんのわずかに、示炎の拳の方が先に届く。

 示炎とツルギ――二人は同時にそのことに気づいた。

 示炎は少しだけ悲しくなった。

 この状況で示炎の拳が当たれば、ダメージの積み重なったツルギはもう立てまい。

 勝敗は決した。

 楽しかった時間が終わる。

 またしても武術の積み重ねを、己の天性が破ってしまった。

 そんな感傷と共に突き出した拳が、ツルギの頬に当たる。






 ――ぺちん。






「は――――?」


 あまりにも頼りない音に、誰よりも示炎自身が驚いた。

 これでは虫一匹殺せそうにない。


(――何故?)


 稲妻の速度で脳裏に疑問が駆け抜ける中、示炎の鳩尾をツルギの拳が捉えた。

 奇しくもそれは示炎の行ってきたカウンターのタイミング。

 相手が攻撃を終えた最も無防備な瞬間に、相手の打撃力を加えて返す技。

 御仏の教えにおいて根幹をなす概念を冠する技。


 それは滅することなく。

 それは生ずることなく。

 それは断ずることなく。

 それは永遠でなく。

 それは同一でなく。

 それは別異でなく。

 それは来ることなく。

 また、行くこともなきもの。




 ――『是空』。




「ごっ、がああああぁぁぁああああぁぁぁぁ――――!」


 何度も打ち据えられた筋肉の鎧を貫通し、衝撃が全身に広がっていく。

 踏みしめていた足が大地から離れ、世界から切り離される。

 そして世界が凄まじい速さで流れてゆく。

 高速道路の風景よりもなお速い、引き伸ばされた線の世界。


「げはぁっ――!」


 杉の木に背中から衝突した。

 それをへし折ってさらに飛ばされる。


「ぐわぁっ――!」


 檜の木に背中から衝突した。

 それをへし折ってさらに飛ばされる。


「ぐううううう――がはっ!」


 椎の大木に背中から衝突した。

 衝撃で幹が割れ、枝と木の葉が周囲に飛び散った。


「く、うう、あ――――」


 ぐわんぐわんと視界が揺れる。

 全身がしびれている。

 網目のように体内を走る神経全部が強い痺れを以って存在を主張している。自分に通っているとは思えなかった神経の存在を、示炎は生まれて初めて意識した。

 痺れと虚脱、そして吐き気。

 未だかつて受けたことのないダメージ。

 そこに近づいてくる足音。


「ツルギ、どの――?」

「正直、こんな結末は予想してなかった。納得がいかない。お前もそうだろう?」

「けほっ……ええ……」


 示炎は樹に背中を預けたまま、ツルギの不満そうな顔を見上げる。

 その示炎もまた、表情に不満を浮かばせずにはいられなかった。


「……そうです……本来ならあの拳で、少なくとも相打ちになっていたはず……」

「だな。オレもそう思う」


 だが、そうはならなかった。

 いったい何故。

 ダメージのせいではない。

 己の肉体を限界まで痛めつけてきた示炎だから言える。

 あんな弱々しい打撃になるほどのダメージは受けていない。


「あれは、いったい何故――」

「たぶんだけど、ハンガーノックじゃないか?」

「え――」


 ハンガーノック。

 体内に蓄えたエネルギーを急激に消耗することにより起きる、肉体の燃料切れ。

 少ない食事で負荷の大きい運動を続けた結果、急激な虚脱に襲われて動けなくなったりする症状のことだ。


「昔はひだる神に遭うって言ったらしいな。対処法は何でもいいからものを食べること――」


 ツルギは飯盒から赤い実をざらざらと取り出す。

 そして掌に乗ったそれを差し出してきた。

 半信半疑のままに、示炎は赤い実を受け取って口にする。


「っ――」


 口の中に爆発的に広がる強烈な酸味。

 レモンの果肉をかじったような酸っぱさの後、かすかな甘味と独特の風味がやってくる。

 それを飲み下す。

 じんわりと何かが広がっていく感覚。


「今回は引き分けってことにしておこう。それで、お互いベストのときにまた手合わせをしよう」

「――いえ」


 徐々に吐き気や倦怠感が軽くなってきた。

 腕にも少しずつ力が入るようになってくる。


「結果は結果、貴方の勝ちです。いえ、サバイバルを軽視していた拙の負け――と、言うべきでしょうか」


 そう、自分は負けた。

 己の欲望のために、取れる食事を自ら拒否して、その結果敗北したのだ。

 示炎の脳裏に一人の男の姿がよぎる。

 それをツルギは察したらしく、言葉をかけてくる。


「まだ気にしてるのか、咲也のこと」

「いえ。おそらくツルギ殿は誤解をしておられる」


 ツルギは、示炎が咲也の怪我のことを気にしていると思っている。

 だが、あいにくと自分はそこまで優しくも、また独善でもない。

 人が勇気を振り絞って取った行動に、勝手に責任を感じるなど無礼千万。

 その責任も結果も称賛も、飽くまでも彼のものだ。


「あのことに関して責任を感じたりはしていません。これは本音です。ただ――」


 示炎は続ける。


「ただ、あの男が不可解なのです。拙の感覚によれば、あの男はとてつもなく弱い。雑兵にすら及ばない。有象無象の中でも下でしょう。なのに、あの男は、弱い人間が持っているはずのない決断力と行動力を、二度も示してきました」


 一度目は示炎の拳の前に。

 二度目は大猪の牙の前に。

 それも、かけらの逡巡もなく。

 それは示炎の信じていた、強いものと弱いものははなから違う生き物であるという考えを大きく揺るがした。


「拙の中で積み上げられてきた常識を、彼はたった一人で壊してしまった――その困惑がすべてです」

「――示炎、お前は強さの基準をどこに置いている?」


 突然、ツルギはそんなことを聞いてきた。


「力の強さか? 動きの速さか? 技の豊富さか? 反射神経か? 感覚か? ひらめきか? ――そんなものだけで強さは測れない。強さに絶対の目盛りなんてないんだ。それをオレは綴喜ゆらに教わった」

「ゆら殿に? しかし彼女は強いというより小賢しいだけでは?」

「それもまた強さだ」


 正直なところ示炎は綴喜ゆらの戦闘スタイルを評価していない。

 戦っても楽しくないし、策だの謀だのは弱い人間が使うものだ。

 けれど、ツルギはそれを強さだと言った。

 言い切った。


「咲也だってそうだ。だって、アイツは白嶺祭で、オレに一人で真っ向勝負を挑んできた男だからな」

「――――え」


 示炎は、驚きのあまりツルギの顔を二度見した。

 それから吹き飛ばされた自分の体が貫いてきた木々の太さを見て。

 三度みたび、ツルギの顔を見る。


「――――ツルギ殿に?」

「ああ」

「――――真っ向から?」

「ああ」

「――――たった一人で?」

「ああ」

「は――」


 示炎は大きく息を吸う。

 痛めつけられた腹部に手を置く。

 それから空を見上げて。


「あっはははははははははははははははははは――!」


 示炎は笑い転げた。


「いやあ――バカですねえ、あの男は!」

「愚直と言ってもいいかもしれないな。だが、それもまた強さだ」


 なんだ、そうか。そういうヤツなのだ。

 そういうヤツもいるのだ。

 そういう強さもあるのだ。


 ただ、それだけのことだったのだ。


 それが無性におかしくて。

 笑いすぎて涙がにじんできた。


「さて、示炎。それだけ笑ってられるならもう大丈夫だろう。そろそろ行くぞ」

「っくふふふ――ん、行く? 一体どこへです?」


 にじんだ涙を拭いながら、示炎は尋ねる。


「決まってるだろう。冒険の続きだ。オレたちはまだ中心にたどり着いてない」

「本気で言っているのですか? もうあの男もいないのに?」

「師匠の教えなんだ。『知らない場所には知らないものがある。それと出会うことで、人は成長できる』ってさ。オレはそれを最近実感してるところでな」

「成長――ですか」

「化学反応みたいなものだ。ほんの少しの変化で、まったく違うものになる」


 今のオレたちみたいにな、とツルギは言った。


私事ながら、拙作『世界平和のために魔王を誘拐します』が講談社ラノベ文庫新人賞にて優秀賞を頂きました。併せて改稿作業などありますので、今後の更新は今以上に不定期になるかと思います。

わがままを言えば、それでも付き合っていただけたら嬉しいです。

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