24:四日目/男島03
――楽しい時間だった。
殴り、殴り返される。
殴られ、殴り返す。
滝川ツルギの工夫を天性の肉体で受け止め、大鳳示炎は拳で返す。
肉体を突き抜けていくのはわずかな衝撃。
しかし痛覚のない示炎にとって、それが唯一と言っていい戦いの実感だった。
「やはり、強い――」
滝川ツルギは強い。
思っていた通りに強い。
肉体の研鑽、技術の巧緻、そして次々に繰り出される試行錯誤。
強さとはこういうものだ。
自分が勝つのは、相手より強いから。
自分が負けるのは、相手より弱いから。
いつだって、それがすべてだ。
皆が言う心がどうとか、信念がどうとか、そういうものは関係ない。
本当に心が勝敗を左右するなら、自分がこんなに常勝でいられるはずがない。
「――心こそ、心惑わす心なれ。心に心、心許すな――」
念仏のように示炎は唱える。
くだらない拘泥を洗い流して、迷いを払ってくれる言葉だ。
そうして示炎の集中力は研ぎ澄まされ、あたかも自動迎撃装置のようにカウンターを繰り出す。
拳から感じる衝撃で、ツルギが打ちどころをずらしているのはわかっていた。
ほんのわずかな動きでダメージを大幅に抑えている。
その技術に感心する。
するが、それは示炎には必要のない技術であり、努力だった。
――少し哀れに思う。
示炎ができて当然のことが、他の人間にはできない。
スタート地点が最初から違う。
もしもこの体質がなければ、もっと戦いを楽しめていたのかもしれない。
そう。
示炎は別に最強を目指しているわけではない。
楽しく戦えればいいのだ。
もしも自分が弱くなった結果対等な人間が増えるというなら、それも是だ。
自ら努力して強くなろうなどと思ったことは一度もない。
「――『是空』」
示炎の放ったカウンターを、ツルギは左腕を盾にして防御した。
そこへ追撃の拳を見舞う。
「うおっ――!?」
「油断ですね。拙は何も後出しでしか攻撃できないわけではありませんよ」
いかなる武術にも、いかなる武術家にも懸と待はある。
ただその比率が違うだけで。
「なるほど、そりゃそうだ――!」
ツルギが低い姿勢から拳を繰り出してくる。
できる限り反撃の的を小さくしようとしているのだろうが、まったく問題ない。
殴られることに躊躇がなく、殴られても防御反応の起きないため、示炎の肉体制御は戦闘中の他の人間よりもずっと正確なのだ。
その小さな拳に狙いをつけて、自身も拳を繰り出す。
――激突。
およそ肉体の衝突らしからぬ音が響き、弾かれた空気が木々の枝を揺らす。
互いの踏み込んだ足が地面に深くめり込み、突き抜けた衝撃がなでつけた髪を散らす。
両者体勢は変わらない。
威力は互角。
だが、一拍おいて、包帯に包まれたツルギの拳から血が吹き出した。
一方の示炎に傷はない。
肉体性能の差だ。
ツルギの拳も十二分に硬かったが、示炎のそれには及ばなかった。
「――強い、な」
「ええ。ツルギ殿も」
相手の瞳に揺らがぬ闘志を見て、示炎は静かに喜んだ。
まだ続けてくれるらしい。
もっと楽しめる。
互いのすべてを出し切るまで、泥沼のその果てまで。
滝川ツルギは小さく息を吐いた。
正直なところ、少しくらいは弱っているかと思った。
精神状態は拳に必ず現れる。
だが、示炎の拳に迷いはない。
その拳から感じるのは、欲望、喜び、そして強烈な我。
彼自身そのものを煮詰めたような、純粋な拳。
「――強い、な」
「ええ。ツルギ殿も」
そう返されてツルギはふと思った。
大鳳示炎には、自分の拳はどう映っているのだろう。
この拳から何を感じているのだろう。
だがそこで思索を打ち切り、頭を振る。
そしてまっすぐに示炎を見る。
――最初は、示炎のためだった。
組手を申し込んだのは、気落ちする今の彼にはそれが必要だと思ったからだ。
気を紛らわせるため、あるいは気分を変えてもらうため。
彼の抱える悩みの解決の糸口になってくれればなおいい。
そんな風に思った。思っていた。
今は違う。
拳を交え、お互いの強さを理解した。
それでツルギも気が変わった。
この男を超えたい――ただ純粋に、そう思ってしまった。
ゆえにもうこの拳は示炎のためではなく、己のために振るっている。
遥かな高みを羽ばたく男に。
自分の積み重ねが届くことを証明したい。
ただそれだけの、己の欲望のために、ツルギは戦っている。
――激突。
幾度のぶつかり合いで両の拳はとうに砕け、古傷から血が滲んでいる。
その血を吸った赤い包帯を振り回しながら、それでもツルギは己から懸かる。
ダメージ量の差は甚大だ。
全力で動き回った結果、体力も残り少ない。
――だが、試していないことが、まだ一つある。
カウンター技というのは相手の一撃が重いほど、相手の技のタイミングが計りやすいほどに強力になる。
であるならば――
「――行くぞ」
「いつでも」
ツルギは左腕を顔の前に、右の拳を腰に構え、正面から突進する。
無影血刀流最大威力の攻撃、『紅獅子懸』――では駄目だ。
あらゆる力の原理を集約して爆発させるあの型ならば示炎の不死身の鎧だって貫通できるだろうが、溜めが長すぎてカウンターの的になってしまう。
「『力の統率』」
だから出すのは全身の筋力を編み上げて拳を打ち出す基礎の技。
その右拳は寸分のずれもなく示炎の胸を打つ。
衝撃の浸透。
しかし示炎はわずかに揺らぐのみで、表情も変わらない。
「『是空』」
そして受けたタイミングで、示炎は必殺のカウンターを放つ。
自動迎撃装置と化したかのような、これ以上ないほど完璧なタイミング。
だからこそ。
(ここだ――!)
ツルギは繰り出される砲撃のような拳を、顔の前で待機させていた左手の手刀で擦りつけるようにずらす。
柳生新陰流で言えば合撃打ち。
小野派一刀流で言えば切り落とし。
相手の斬撃を、後から出して撃ち落とす後の先の極意。
そしてその手刀を掌底に変えて、そのまま胸を打つ。
ツルギが狙っていたのはまさにこれだ。
すなわち――カウンターに対するカウンター。
「がはッ――」
「おおおぉぉぉおおおっ!」
左肩が入ったことで残身していた右拳が下がる。
そうしてわずかに距離が離れた右拳を再び突く。
寸勁と同じ理屈で接触面から力を押し込む。
三度重なる衝撃の浸透。
「ッッ――!!」
一瞬の絶息。
示炎の体が硬直する。
肉体そのものへのダメージではなく、呼吸器官への連続攻撃。
圧搾された肺が空気を吐き出し、示炎の体がよろける。
わずかな隙間をこじ開けてたどり着いた好機。
ツルギは体勢を整えて再び力を編み上げる。
「はあぁぁぁぁぁ――っ!」
「っ――くっ!」
ツルギが決定打を打ち込む瞬間。
示炎は地面をしかと踏みしめて姿勢を立て直す。
そして彼は笑みと共に拳を繰り出す。
(な――!? しまった――!)
先程までの『是空』という完璧なカウンターとは違う。
体勢も完全ではないし、威力タイミングともに理合としては成立してない。
このままではお互いの拳が同時に刺さるだけの相打ちになる。
しかし、示炎にとっては相打ちでいいのだ。
お互いの拳が同じように刺さったのなら、耐久力の差で示炎が勝つのだから。
だが、もはや動きは止められない。
ツルギは覚悟を決めて拳を振るう。
――拳が交差した。




