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白嶺学園風雲録(無人島サバイバル実習編連載中)  作者: 有坂紅
サバイバル実習編~鳥に当たらぬ道理はない~
41/59

17:三日目/男島03









 ――ぶるる、と巨大なイノシシが鼻を鳴らした。



 それだけで一同に緊張が走る。

 その大きさと、放たれる殺気に気圧された。

 イノシシの右目には竹製の小刀が深々と刺さっており、あるいはそれが殺気の原因かもしれないとツルギは思った。

 つまり、既に人間と一戦交えた後だということだ。


 ツルギはできる限り静かに息を吐きながら、周囲の状況を確認する。

 場所がよくない。

 もっと率直に言えば悪すぎる。

 背後には深い川、足場は石がゴロゴロする河原。

 これでは背水の陣だ。

 逃げるにも戦うにも大幅な不利を背負うことになる。

 ツルギは顔をしかめたが、彼とは逆に笑った者もいた。

 大鳳示炎だ。


「――これはもう、しょうがないですよね?」

「何がだ?」

「この状況で『無駄な戦闘はサバイバルに反する』とは言わないでしょう」

「待ってください、大鳳さん。イノシシは危険です。牙で足の動脈をやられて失血死するケースも――」

「危険だから、降りかかる火の粉を払うな、と? それでは本末転倒ですよ」

「そ、それは――」

「お二人は存分に安全を確保されるがよろしいかと。拙は拙で、身を守りますので」


 示炎はそう言って、イノシシに向かって構えもせずに踏み出した。

 それを挑発と受け取ったのか、イノシシが目の色を変えて地面を蹴る。

 河原の石を跳ね上げながらの突進。

 示炎は身を捩って回避し、すれ違いざまにイノシシの背中辺りを殴りつける。


(――巧い。きっちり潰された右目の死角を使っている。示炎は冷静だな)


 ただ、殴った瞬間目を見開いたので、あまり手応えがよくなかったらしい。

 塗り重ねた泥、分厚い毛皮、固く変化した脂肪層を三重の鎧とするイノシシ相手だ。ダメージは通りづらいだろう。


「示炎、オレも手伝おう」

「いえいえ。拙にお任せください。ようやく拙好みの展開になったのですから。これ以上楽しみを奪われてはたまりませんよ」

「そ、そうか……」


 協力を拒絶されてしまったので、ツルギは咲也の近くで待機することにした。

 万が一こちらにすり抜けてきたときの護衛として。

 それに標的が増えてイノシシの狙いが分散してしまう方が、考えようによっては危険かもしれない。


「大鳳さんは大丈夫でしょうか」

「わからん。だが、思ったよりは冷静そうだぞ」


 そう伝えても、咲也の表情は硬い。この一行の中でイノシシの恐ろしさに一番詳しいのは彼だろうから、それも無理なからぬ話か。

 一見して、示炎は見事にイノシシを翻弄している。

 さながら闘牛士のように。

 しかし、なにがしかのイレギュラーがあれば、この状況は変わりうる。

 今のツルギにできるのは、その瞬間に備えることだけだ。



 そして――その瞬間は訪れた。



 示炎にミスはなかった。

 この足を取られやすい石だらけの河原でよくやっていた。

 ミスをしたのは、石に足を取られたのは、だからイノシシの方だった。

 足を滑らせたイノシシは反射的に暴れ、予期しない方向に動き――大きく成長した牙が陽の光を反射して、その殺傷力を誇示する。


 まずい、危ない――ツルギの思考はそこに至っていたが、咲也を守ることを意識しすぎていた。意識の切り替えが必要だった。咲也を守るのではなく示炎を助けるというスイッチの切り替えが瞬きほどの時間を消費した。




 ――その一瞬で、イノシシは頭を大きく左右に振るい。




 ――その一瞬に、佐々木咲也は割り込んだ。




 それは見覚えのある光景だった。

 示炎の拳の前に身を投げ出した、あのときと同じ。


 ただ、違ったのは――

 イノシシは示炎と違って攻撃を途中で止めたりしなかったことと、

 盾となるリュックが彼の手元から離れていたこと。






 その違いは明確な結果となって現れた。





 太腿を深く切り裂かれた咲也が弾き飛ばれて転がり、その咲也に突き飛ばされた示炎はその場に座り込む。


「咲也ッ!」

「だいじょうぶ、です……」


 弱々しい声が返ってくる。

 太腿の傷は深く、体も強く打っている。

 大丈夫なわけがない。



 追い打ちをかけるように、イノシシが鼻息を荒くする。



「血の匂いに興奮したのか?」

「……イノシシは雑食で、肉を食べることも……ままあるんですよね……」

「それはあまり聞きたくなかった情報だな……」


 つまり今の咲也はヤツに餌として見られているかもしれない、ということだ。

 状況は逼迫している。


「示炎、立てるか? できれば――示炎?」


 反応がない。

 呆然としている。

 目の前で知り合いの肉が切り裂かれるのは、彼にしてもショックだったのか。

 だがそんな場合ではない。

 イノシシが突進してくる――!


「ぐおっ――!!」


 ツルギはそれを正面から受け止めた。

 自分の体重の三倍近い重量だ。その衝撃は凄まじかった。

 足元の石が弾かれ、土煙が上がる。

 それでもツルギは二本の牙をしっかりと掴んだ。

 腰を低くし、顔を近づけてイノシシと向かい合う。


「示炎ッ!」


 再び声をかける。

 反応はない。

 構わず続けた。


「咲也の傷の止血を頼む! 大腿部の血管を押さえるんだ!」


 はっとした気配があって、示炎は起き上がり、咲也に駆け寄る。

 そして指示通り足のつけ根の血管を押さえた。


「それと、もう片方の手でリタイアボタンを押してくれ! 学園が救援をよこしてくれるはずだ!」

「し、しかし、拙のものは――」


 そうだ。

 示炎は自前のリタイアボタンを投げ捨ててしまっていた。

 それを思い出して告げる。


「オレのでも、咲也のでもいい! 荷物の中にあるはずだ!」


 示炎はそう言われて初めて気がついた様子で、手近にあった咲也のリュックを漁る。

 その間もイノシシとの力比べは続いていた。

 牙を掴んだ両の掌は切れ、血が流れ出す。

 生暖かい鼻息が傷口を撫で、ドクンドクンと痛みが脈動する。

 それでも緩めることはできない。


 ズズズとそのまま二人の方へ押し込まれるように後退していく。

 だからこそ、緩めることはできない。


 ツルギは先程見たネズミと猛禽を思い出しす。

 ――弱肉強食。

 それが自然の理だとするなら、咲也を食われないためには、こちらのほうが強いことを証明しなくてはならない。


(やれるか?)


 体重差は三倍、相手は肉を切り裂くのに十分な二本の刃物を備えている。

 加えて手加減や良識など一切持たない野生の獣。

 対してこちらの手には武器はない。


(――いや)


 武器は、ある。

 武術という武器が。

 やれるはずだ。

 無影血刀流はもともと、人でないものと戦う流派。


 それゆえに関節技はない。

 受けも徹底して切り落としと払いしかない。

 人間を相手にするには過剰な攻撃力もそうだ。

 すべては――人ではない、もっと強大な何かと戦うためにある。

 で、あるならば。


「無影血刀流を使ってイノシシに負けてちゃ、師匠にあわせる顔がない……!」


 全身を流れる力の動きを感じ取る。

 それを連動させる。足元から背骨を通して腕の先に。

 それこそツルギの膂力の極意、『力の統率』だ。

 相手の重量はせいぜいが二百キロ。

 だが、全身を連動させた人間の力は、二トンを軽く凌駕する。


「おぉ、ぉぉぉおお――ッ!」


 ツルギの細腕に筋肉が浮かび上がり、血流が増して肌が赤く染まり――彼の腕はイノシシを宙に半回転させた。


「プギュッ――」


 天地が逆さまになった状態で、石だらけの河原に思い切り脳天をぶつけるイノシシ。

 そのまま残身を取るツルギ。

 たっぷり三拍は置いて、ゆっくりと手を離す。


 イノシシは泡を吹いて白目をむいていた。

 生きているのか死んでいるのかすら定かでないが、少なくとも当面の危機は去った。


 安堵して後ろを振り返る。

 そこには咲也の傷口を縛り、指で血管を押さえて止血する示炎。

 彼の左手には見覚えのある機械――リタイアボタンが握られていて。

 その成果を確認する必要は、もうなかった。




 ――ほとんど間を置かず、上空に学園のロゴの入ったヘリが飛んできたのだから。





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