16:三日目/男島02
川辺で魚影を見つけた咲也が食事の提案をしたとき、ツルギはノータイムで同意し、示炎もまた少し考えてからうなずいた。
咲也とツルギは石を積んで魚を追い込み、一方で示炎は火の準備を任された。
四苦八苦しながらも火を起こす。
その火に枝を焚べていき、大きく育ってきた頃、背後から声がかけられる。
「見てくれ、けっこう獲れたぞ」
「それは重畳。ご苦労さまです、ツルギ殿」
そうして食事の準備に移る。
二尾の魚と串用の枝を渡された示炎は、黙考の後一尾を返した。
咲也は不思議そうに首を傾げる。
「一人二尾ですよ?」
「あまり満腹になりたくないのです」
「こういう状況なんだし、食えるうちに食っておくべきだと思うが」
「こればかりは拙の習慣でして」
別に仏門にいるから生臭が食べれない、というわけではない。
ただ、満たされたくないのだ。
精神的に飢えているときほど戦いの喜びも大きくなる。
けれど欲望には代替という機能がある。
いかに戦いに飢えていても、食欲や睡眠欲が満たされれば飢餓感は失われる。
だから示炎は常日頃より欲求を満たしすぎないようにしているのだ。
そうしておけば、小規模な戦闘でも、弱敵との戦いでも、それなりに満たされる。
そのために、食事も睡眠も必要以上に取らない。
「そういうことなら無理強いはしませんけど……」
「じゃあ、そいつはオレと咲也で分けるか」
「そうしますか」
串打ちをしながら会話を続ける。
「あ、今回は僕が用意しましたが、串に使う枝には注意してくださいね」
「ささくれとか、虫とかか?」
「いえ。一番気をつけるべきは木の種類です」
「種類……?」
「はい。毒の危険もありますから。かのアレキサンダー大王の軍は夾竹桃を串に使ってしまい、その毒で部隊が一つ全滅したそうです」
「へえ。キョウチクトウってなんか聞いたことあるな」
「日本ではありふれた植物ですからね。道路沿いなんかによく植えられています」
語られる薀蓄を横目に、示炎は塩を振るう。
塩加減は個人の裁量。
表面が白くなるほど振りかける。
そうして串打ちした魚を焚き火のそばに突き立て、遠火で焼いていく。
ぐう、と誰かの腹の虫が鳴いた。
「……待ってる間生殺しだな」
「お腹空きますよね。焼き魚もいいですけど、煮魚とか食べたくなります」
「ああ、わかる。今食べられないものが無性に食いたい。弁当とかさ」
「あるあるですね。この実習が終わったらまずハンバーガーが食べたいです。大鳳さんは?」
「いえ……拙はあまり食べ物に執着がありませんので」
「そうなのか。悟ってるな、その歳で」
「まさか。悟りは遠いですよ」
仏に逢うては仏を殺し、聖者に逢うては聖者を殺せ。
親に逢うては親を殺し、親眷に逢うては親眷も殺せ。
そうして初めて解脱は得られる。
父も口にしていた臨済録の言葉。
その領域は未だ遥かに遠い。
すべてを疑い、全てを殺し、すべてから解き放たれた状態。それを悟りと呼ぶのなら、それはきっと尋常の精神ではない。
戦いを好み、そこを至上命題とする自分の精神性が尋常だとも思っていないが、だからと言って悟りに近いかといえば、それはきっと逆だろう。
自分の有り様は御仏の道から遠く離れている。
――と、ガサガサと、近くの草むらが揺れた。
反射的に一同の目はそちらに集中する。
しかし、草をかき分けて姿を現したのは一匹のネズミだった。
「なんだ、ネズミか」
「アカネズミ――いや、ヒメネズミですかね?」
「知りませんが、どっちでもいいではないですか」
茶褐色の小さなネズミは首を振って周囲を見回す。
と、すぐにこちらに気づいた様子で、猛烈な勢いで駆け出す。
その動きは頭の中で想定していたより三倍は速かった。
示炎は思わず瞠目する。
いやいや、これは大したものだと思って見ていると――
――そこに黒い影が飛来した。
「あっ――」
一瞬だった。
瞬きする間もなく、ネズミは大きな猛禽に掴まれて、そのままどこかへ運び去られてしまった。
「弱肉強食ですね……」
「ちょっとかわいそうだな……」
少しだけ気落ちした二人の声。
そこに示炎は声を重ねる。
「ツルギ殿」
「ん?」
「天分――というものをどう思いますか?」
猛禽の飛び去った方向をじっと見つめ、示炎はツルギに問う。
「才能ってことか? そりゃ大きいだろうけど、努力次第でなんとかなるとも思ってるぞ」
「そうですか」
予想通りの答え。
武術を使うものはみなそう言う。
努力で才能は覆せる。
人は違うものになれると。
だが、示炎の考えは違った。
「拙の場合はここからここまで」
頭の先から足元までを指し示す。
「全部、天賦のものです。努力など爪の先ほどもしたことがない。なのに、ほとんどの武系生徒は拙より弱いのです。そんな理不尽が許されると思いますか? ――許されてしまうのですよ」
努力で人が変われるのなら、なぜ自分のようなものが他の武系生徒より強いのか。
生まれの影響が、努力よりもずっと大きいからだ。
「どんなに努力しようがネズミは鷹には勝てない。それが分です」
人は違うものにはなれない。
強いものと弱いものは、はなから別の生き物だ。
「どう思いますか、ツルギ殿。それと――咲也殿」
ずっとそう思ってきたのに――それが少しだけ、今揺らいでいる。
どう見たって強そうには見えない男。
恵まれない体型、争いを好まない性格、それらすべてが示炎から見れば『弱い』のに――とっさの判断と決断で示炎の拳を受け止めた男。
サバイバル実習の中で、さらに困難な道に進もうとする男。
彼の存在が示炎を揺さぶる。
だから――答えが欲しかった。
簡潔で安易な答えを得て、安堵したかった。
「大鳳さん――」
「いや、それは――」
どちらでもいい。
答えてください。
示炎がそう願ったとき、滝川ツルギが急に体をこわばらせた。
「――待て」
彼の口から出たのは答えではなく簡潔な指示。
その視線を追う。
再び、草むらが揺れる。
ただし先程とは規模が大きく違った。
草が踏み倒され、枝が踏み砕かれる音。
ほのかに漂ってくる血の匂い。
そして――獣の呼吸音。
――手負いの大猪が、そこに姿を現した。




