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白嶺学園風雲録(無人島サバイバル実習編連載中)  作者: 有坂紅
サバイバル実習編~鳥に当たらぬ道理はない~
37/59

13:二日目/女島01









 春眠暁を覚えず。

 五月上旬――いかに暦の上で夏が立てども体感としては未だ春。

 睡魔がもっとも強力な時期である。


 その日の八嶋麻矢もまた、絡みつく眠気に捕らわれていた。

 麻矢は寝起きがいい方だ。こんなことは珍しい。

 いつもならすぱっと覚醒する意識がもたついた理由は――心地よさだった。


 あたたかい。

 そしてやわらかい。


 そういった原始的な快楽に抗うためには強力な目的意識が必要だ。

 平日であれば学校へ行くとか、休日であれば買い物に行くとか。

 そのいずれの予定もないとあっては睡魔に抗うのは難しい。

 しかも普段の布団よりよほど気持ちいいのだ。頭も体も起きることを拒んで、結果彼女にしてはずいぶんと寝過ごしていた。


 それでも陽が昇り、鳥のさえずりもまばらになり、十分な睡眠を取ったと体が満足すれば、次第に睡魔の束縛も弱まってくる。


「んん……ふぁぁぁっ……」


 ゆっくりと目を開く。

 しょぼしょぼした視界いっぱいに、美しい少女の顔が映された。


(うわー……キレイ……顔がいい……朝からいいものを見てしまいました……)


 閉じられた目を覆う長いまつげ。

 やや紫がかった小さな唇。

 雪のように白い肌。

 そして、キューティクル輝く黒髪。

 化粧など一切していなくても完璧な造形美。

 ナチュラルボーンキラーならぬナチュラルボーンキレイだ。

 それで先程から感じていた暖かさと柔らかさが彼女に由来するものだと気づく。


(ははあ……これはキモチイイはずです……)


 絶世の美女と同衾しているのだ。

 そりゃあ体も目覚めを拒む。

 その幸福をもっと甘受しようと手を伸ばす。

 伸ばそうとした。


(あれ、なんかキツい……)


 思うように体が動かない。

 その疑問について考えを巡らせるうち、少しずつ頭にめぐる血液の量が増えてくる。

 頭の働きが徐々に活性化し、麻矢は現状を理解し始めた。


 そうだ。

 ここはテントの中で。

 というか寝袋の中で。

 なぜか塔子と一緒に入っていて。

 狭い寝袋の中で密着して眠っている。


「……えっと?」


 いや、確かに昨日『一緒に寝よう』とは言った。

 それで同じテントの中に寝袋を敷いて並んで寝た。

 そうだ、その時点ではこうじゃなかった。

 たぶん寝ているうちに寝ぼけた塔子が入ってきたのだろう。


「塔子さんなら、寝ぼけてなくてもやるかもしれませんけど……」


 そのくらいに懐かれているし、それを許すくらいに普段から甘やかしている。

 とはいえだ。

 柔らかな双丘が押しつけられ、素足が擦れあって気持ちいいこの状況は早めに脱出したほうがいいだろう。

 友情がなにか別のもの(愛情と性欲)に変わってしまう前に。


「はい。というわけで、起きましょう」


 寝袋を開き、美しい肉布団から脱出する。

 すやすやと天使のような寝顔を見せている塔子は未だ起きない。

 麻矢は改めてテントの中を見回した。


 水筒を見つけ、軽く口を湿らせる。

 人間は寝ている間に呼気と汗でかなり水分を失う。それを補うための水分補給は健康のために不可欠だ。


「ぷはぁ……さてと、今日は何をしましょうかね」


 と言っても、やることはさほど多くない。

 水源は確保している。

 メタルマッチで火もすぐ用意できる。

 食料も支給品のお米を含めてそれなりにある。

 テントも今の位置で特に問題なさそうだ。


 ――となると、今すぐ急いでやる作業はない。

 麻矢は寝袋に入ったままの塔子を見やる。

 いい夢を見ているのか、彼女はふにゃっと笑った。

 つられて麻矢も笑う。


「早起きは三文の損でしたかね……もう少し一緒に寝ててもよかったかな」


 などとつぶやいていると、外からなにやら声がした。

 うめき声のような苦悶の混じったか細い声だ。

 テントのジッパーを開け、頭だけ出して様子をうかがう。

 すぐに声の主は見つかった。


「う、うぅ……いたたた……」


 少し離れたところでお腹を抑える女子生徒。

 麻矢はすぐさまテントを抜けて彼女に駆け寄る。


「大丈夫ですか?」

「だだ、大丈夫……あう、いたた……やっぱりだいじょばないかもぉ……」


 くんくん、と鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。

 麻矢の鼻は特別製で、体調の変化を嗅ぎ取ることができる。


「なるほど。ひとまずうちのテントで横になってください。すぐに薬湯(やくとう)を作ります」

「あ、ありがとうございますぅ……」


 初日に集めておいた薬草が役に立ちそうだ。

 それくらいの軽い気持ちで行った処置だったのだが――






「はいどうぞ。これを飲んでください。貴方はこっちです。はい、噛んで。五十回くらい噛んだらぺってしてくださいね。そちらはどうですか? もし本当につらいならリタイアボタン押してくださいね。ああはい。待ってください、今行きます」


 そこに広がる光景は朝から一変していた。

 テントがいくつも立ち並び、五つの焚き火で湯が沸かされ、あれやこれやと不調を述べる女子生徒が列をなしている。

 まるで野戦病院だ。


「うーん、まさかこんなことになるなんて……」


 最初に助けた一人が海岸に戻ったときに麻矢のことを話したらしい。

 そして海岸には一般コースの生徒が大勢留まっている。結果話が広がり、怪我をした生徒や体調を崩した生徒がやってきた。その処置をしたところ、さらに評判が評判を呼び、大盛況の今に至る――というわけだ。


 それでも麻矢は弱音も吐かずに診察と処置を続ける。

 生来のヒーラー気質が彼女を突き動かしていた。


「すっごく楽になったよ。ありがとね」

「助かりました。これ、もしよければ」


 治療のお礼として食べ物を置いていってくれる子もいた。

 おかげで他の作業ができなくても食いっぱぐれる心配はない。

 強いて問題を挙げるとすれば――少し離れたところで熊のようにうろうろし、時折こちらを覗く塔子のことだ。

 彼女の顔色は悪く、そして機嫌も悪そうだった。

 実際、人間嫌いで人酔いが激しい彼女にとっては地獄のような状況だろう。

 そう思って何度か近づいていって話をしようとしたが、そのたびに新しい生徒が現れてなかなか思うようにコミュニケーションが取れない。

 もっと塔子に構ってあげたい麻矢にとっては歯がゆいところだった。



 ――結局、一段落したのは陽が傾き始めたころだった。



 時間的には昼と夕方の間くらい。おそらく五時間くらいはぶっ通しで働いていただろう。

 対面に座っているのは最後の患者となる白髪の少女。

 額の真ん中で分けられたワンレングスが首のあたりでキレイに切り揃えられている。目つきは鋭く、所作がどこか男っぽい。

 女子高なら王子様として担ぎ上げられるタイプだ。


「できました」

「いただこう」 


 白髪の少女に薬湯を渡す。

 彼女はあぐらをかいたまま飯盒を傾け、薬湯を飲み干した。

 眉間にしわがよったのは苦みのせいだろう。

 しかしこればかりは我慢してもらう他ない。良薬は口に苦いものだ。


「気休め――とまでは言いませんが、本当の薬ほど効果はないですからね」

「いや、十分だ。気持ち楽になった気がする。いや、さすがにこれはプラシーボかな?」

「そうですね。実際に効果が出るまではしばらくかかるかと」

「だよな。でもまあ、気分的には間違いなく楽になったよ」


 少女はそう言って笑った。

 麻矢は「何よりです」と安堵の息を吐く。


 それから軽く首を回して周囲を見渡した。

 目に映る範囲に次のお客さんはいない。これで終わりだ。

 麻矢はジャージの袖で額の汗を拭った。

 けれども、そのジャージ自身がすでに汗をたくさん吸っていたのであまり効果がない。


「悪いな、何か渡そうにも今は大したものを持ってなくて」

「いえいえ。困ったときはお互い様ですよ」

「いや、待てよ。そうか、それなら――」


 彼女は少し考えるそぶりをしてから言った。


「ペンはあるか? 確か一般コースの持ち物にあったと思うけど」

「え、ああ、はい」


 麻矢はリュックを探り、ボールペンを出す。

 それを渡すと、白髪の少女はジャージのポケットからよれよれになった『サバイバルのしおり』を取り出す。

 ページをめくり、白紙のページに地図らしきものを描いた。

 それを破って渡してくる。


「その松の木を見つけたら、そこからは幹に掘られた矢印を頼りに進めばいい。矢印とは逆の方向に二十歩だ。そしたら次の矢印があるはずだから、あとはその繰り返し」

「えっと、あの」


 その先に何があるのか。

 尋ねようとしたときには彼女は立ち上がっていた。

 ぱんぱんと汚れた尻を払う。


「もし何か言われたらあたしの名前を出せばいい。誰にも文句は言わせない。発見者としてな」

「貴方の名前――ですか?」

「ああ。『水無月玲子の紹介だ』と言ってくれ」


 水無月玲子。

 武系第四席。

 女子唯一の記章持ち。

 そんな肩書を持つ白髪の少女は、それだけを告げて去っていったのだった。







 でこぼこした山道を登るのは大変だ。

 恵まれた体躯を誇る友人の背を押しながら、となると輪をかけて。


「……ごめんなさい、麻矢……はぁ……ふぅ……」

「いえいえっ! ふんっ! よいしょっ! ふぁいとーっ!」

「……いっぱーつ……くはぁっ……」


 大きな枝を杖代わりによろめきながら進む塔子。

 その背中を両手で押しながら山道を登る麻矢。


 二人は水無月玲子に教えられた場所に向かっていた。

 だが、本物のお嬢様であり運動のニガテな塔子は早々に体力を切らし、見かねた麻矢がサポートして今に至る。


「よっ! たぶん美味しいものとかあるんじゃないかと思うんですよねっ! とうっ!」

「……私としては、麻矢が作ったものなら何でも美味しいけれど……はぁ……」

「ありがとうございますっ! ふんぬーっ!」


 実際麻矢は期待していた。

 あの状況で教えてくれたこと。

 矢印の逆に進むという、わざわざ隠してあるポイントだということ。

 そして相手はサバイバル実習をすでに経験している武系生徒であること。

 であれば、つまらない場所であるはずがない。


「あ、湯気が見えてきましたよ! もしやすでに調理中、いや、この匂いは――」

「……どうしたの、麻矢?」

「あっ、いえ! ひとまず行ってみましょう!」


 そう言いながら、麻矢は湯気の方を見る。

 料理ではない。

 どころか、火の匂いもしない。

 ではあの湯気は。

 そしてかすかに香るこの匂いは。


「もしかしたら食べ物よりいいものかもしれませんよっ! とりゃー!」

「……いいものって?」

「ついてのお楽しみですっ! てややーっ!」







 空が赤くなり始めてきたころ、二人は目的地に到着した。


「やっぱりでしたか。嬉しい誤算ですね」

「……これは、予想外」


 そこにあったのは大きな温泉だった。

 もうもうと湯気が立ち上り視界を覆わんばかりだ。

 縁にはいびつに石が積まれた場所と、明らかに掘って整えた感じの場所が散見される。急ごしらえというか素人作業っぽい。


 湯気越しに先客のシルエットがいくつか見える。

 人数は多くはなさそうだった。

 知っている人間がそれほどに少ないのか。


 いや、時間的な問題かもしれない。

 電気のないこの島では、暗くなってから温泉に入るのは危険だ。科学の恩恵に与っている現代っ子の感覚では信じられないことだが、昼間の入浴が基本なのだろう。

 だから夕方になりそうな今は、逆に人が少なくなっているわけだ。


 周囲を見渡しながら温泉に近づいていく。

 思い思いのところに脱ぎ散らかされたジャージや下着が転がっている。さすがに脱衣所のようなものはないらしい。


「っとと、これは――」

「……ジャージのあぶり?」


 火を焚いてジャージを炙っている。

 いや違う。

 そんなわけはない。

 洗濯して乾かしているのだ。


「そっか。換えがないから洗うとしたら入浴のタイミングなんですね」

「……言われてみれば、洗っている間は裸で過ごすことになるわね」

「暖かいって言っても、さすがに裸じゃ風邪引いちゃいますから、これは真似しましょう」


 温泉に近づくにつれてシルエットしか見えなかった周囲の人の様子が見えてくる。

 男の子向けの漫画にありそうな光景だな、なんて麻矢は思った。

 体を洗っている者。縁の石に座る者。肩までつかる者。

 そして二人の美人に挟まれてマッサージを受けながら入浴する者。


「あっ――」


 その王様のような待遇を受けている女子生徒の顔に見覚えがあった。

 そして湯気が薄くなって顔が見えるようになったということは、当然向こうからも見えるということであり――


「んん? 予想外の客が来たな。黒瀬塔子と八嶋麻矢か」


 その声を聞いたのは麻矢は初めてだった。

 だが、すでに聞いたことのある塔子は猫のように俊敏に麻矢の後ろに隠れた。

 そして威嚇するようににらむ。


「おいおい。そんな顔をするな。綺麗な顔が台無しだぞ、黒瀬塔子」

「……よくも、そんなことを言えたわね」

「その節は世話になったな」


 麻矢は彼女のことをあまり知らない。

 事態は知らないところで進行し、ツルギが解決していたからだ。

 ゆえに遅れて到着した麻矢は、彼女の倒れていた姿しか知らない。

 だが、やったことは聞いている。


 記章争奪戦において暗躍した女。

 塔子を人質に取り、毒を使ってツルギを苦しめた女。

 知略と兵を以って巣を作る蜘蛛のような軍師。




 ――綴喜ゆらがそこにいた。






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