10:二日目/男島03
「どうだろうか?」
「ふむふむ」
意見を求めたツルギに、咲也はツルギの作った拠点底部を眺める。
その視線が組まれた四隅へと集中した。
「藤の蔦をそのまま使っているんですね。そうすると太さがあるのでどうしても解けがちになるんですよ。しばらく水につけてから石で叩くと樹皮が薄く剥がれるので、それをヒモにするといいですよ」
そう。それは拠点づくりでツルギが幾度となく遭遇していた問題だった。
蔦の結びが時間とともに外れ、バラバラになってしまう。
結び方の問題かと思い助言を求めたのだが、提案されたのはまったく別の解決法だった。
「詳しいな。こういうことに慣れてるのか?」
「まあ多少は。小さいころから仕込まれてきましたからね。っと、そうだ」
咲也は何かを思い出したようで、リュックを下ろすと中からしおりを取り出した。
ペラペラとページをめくる。
「滝川さんはこの島、どの辺まで行ったことあります?」
「ん?」
興味が湧いたので手元をのぞくと、彼はしおりの自由記入欄をめくっていた。最後の数ページの白紙になっている部分だ。
そこには島の地形が描かれていた。
さらに各部に細かくメモ書きが添えられている。
「これは……?」
「武系のみなさんに協力してもらって事前に作った地図です。見てもらえばわかるんですけど、中央部分がどうなってるのかわからないんですよね」
咲也の言う通り中心部は空白になっている。
それどころか、書き込みがされているのは全体から見れば二割程度でしかない。
ツルギが漠然と想像していたよりずっと未踏領域が広い。
「この地図を埋めるのが、今回の僕の目標なんです」
「……期待に添えなくて悪いが、オレの行動範囲は既に埋まってるな。それより奥には行ったことがない」
「そうですか。わかりました。ありがとうございます」
咲也はぺこりと頭を下げ、しおりをリュックにしまい、背負い直す。
「中央を目指すのか?」
「ええ。行ける範囲でがんばってみようかと」
サバイバル実習はそれだけでも過酷だ。
ただ生活するだけでやることが山積みになる。
だというのに、彼は自分からより困難な道を選ぼうとしている。
「やはりキミは武系に向いているな」
「えー、そうですかねぇ……知っての通り、僕弱いですよ?」
「体と技は鍛えればいい。けど、心を鍛えるのは難しいからな」
「根性的な話ですか?」
「まあ、そんなようなところだ」
「実感ないなぁ……」
咲也はそう言うが、ツルギは彼を改めて評価した。
より困難な方向へと向かう意志。それは今の自分に足りなかったものだ。
ツルギはこの五日間を『やり過ごす』ことだけを考えていた。
だが、それでは駄目なのだ。
より困難な道を選び、より強い相手に挑戦することこそ武系生徒の本懐。
挑戦せずにして何を学び取る気か。先程までの自分をそう叱責したくなった。
「さて。それじゃあ、僕はこの辺で失礼しますね」
「――ちょっと待ってくれ」
呼び止めたツルギを、咲也は意外そうな顔で見た。
「なんでしょうか?」
「オレも、ついて行ってもいいか?」
「いいんですか? ここにシェルターを作っているんじゃ――」
「その方が勉強になりそうだからな」
彼からサバイバルについて学べることも多いだろう。
誰も行ったことがない場所、というのも興味深い。『知らないものを知り、見たことのないものを見よ』というのは師匠がツルギに課した教えの一つでもある。
「もちろんキミの邪魔にならなければ、だが」
「いえ。滝川さんが来てくれるなら僕も心強いです。よければ、ぜひ」
「ありがたい。よろしくな、咲也」
「はい。よろしくお願いします、滝川さん」
そういうことになった。
かくて二人は川の上流へと進む。
川岸はさすがに歩きにくいので、少し離れた森の中を行く。
ざあざあと絶えず水音が響いている。
木の葉の擦れる音もする。
どこかで鳥が鳴いている。
実にのどかだ。
サバイバル中だという現状を忘れそうになる。
力が抜け、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「――おっと、あれは桑の木ですね」
言われて咲也が見ている方向をツルギも見る。
そこには確かに背の低い木が赤色の実をたくさんつけていた。
「時期的には少し早いですが、暖かいからかな。嬉しいですね」
咲也は嬉々として近づき、赤い実を摘む。
そんな彼の様子を横目に見ながら、ツルギもそれに倣った。
そして口に運ぶ。
「む――」
想像の三十倍くらい酸っぱい。
思わず顔をしかめるツルギに、咲也は笑う。
「完熟してないので酸っぱいですよね。でも、これはこれで好きですよ、僕は」
「確かに意識がシャキッとするな」
そう答えながら、ツルギは咲也を見る。
――似ている。
姿かたちではなく、雰囲気が。
あるいは空気が。
ツルギのよく知る女子生徒、八嶋麻矢によく似ているのだ。
きっと彼女も今頃、こんな風に野草や山菜を採取して喜んでいるだろう。そしてそんな麻矢の様子を座ったままの塔子がきっと眺めている。
そんな情景が目に浮かんだ。
たった二日離れているだけなのに、彼女たちのことがひどく懐かしい。
自分はこんなにも人恋しい性分だっただろうか。
そんなことを考えていたら、咲也が話しかけてきた。
「小学生のころ、カイコを飼う授業とかあったじゃないですか」
「ああ、あったな」
「桑を見ているとそれを思い出します。休み時間に校庭の桑を摘みに行ったりして。もりもり食べるから楽しいんですよね」
「なるほど……」
麻矢が弁当を作ってきてくれるのも、ツルギは常々大変だろうにと思っていたのだが、もしかしたら彼女なりにそういう楽しみがあったのかもしれない。
餌づけ的な。
思考が飛躍し、首輪をつけた自分とリードを握る麻矢の姿を幻視する。
その麻矢はいつにも増してキラキラと笑顔を輝かせて――
「――滝川さん? なんか遠い目してませんか?」
「ああ、すまない。少し変な想像をしてしまって」
なんだかよくわからない妄想を振り払う。
「変な?」
「ああいや、こっちの話だ」
「? そうですか。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「そうだな」
摘み取った桑の実を飯盒にしまって、二人は再び歩き出す。
やがて、周囲の雰囲気が変わってきた。
水音が強くなり、川辺に転がるのが小石ではなく岩と石になり、そして――植生が明確に変わった。
「すごい。天然のワサビとウワバミソウですよ。それもこんなに――」
「ワサビって自然に生えているものなのか?」
「あるところにはありますけど……ここまで群生してるのは初めて見ました。時間的にも丁度いいし、今日はこの辺でビバークしましょうか」
「わかった。じゃあオレは火の用意をしてくる」
「助かります」
野草の採取を咲也に任せ、ツルギは乾いた枝を集めるために水場から離れる。
少し離れても変わらずごうごうと水の流れ込む音がする。
近くに滝があるのかもしれない。
「滝か……」
滝といえばツルギが連想するのは滝行だが、あれはどちらかといえば精神修養のための修行であり、ツルギの求めている実のある鍛錬ではない。
それに武術家よりは宗教家のやるものだ。
「まあ、無人島の山中に坊さんも何もないだろうけど――」
そう思いながら歩いていたとき、視界の先に光るものが現れた。
自然にはありえない人工的な金色。
見覚えのある金髪。
それが濡れて輝きを放っていた。
濡れているのは金髪だけではない。
鍛え抜いた鋼のような肉体も、そして黒のトランクスも濡れて雫が滴っている。
さながら滝行を終えたばかりのような様相で、髪の含んだ水気を絞っているその男のことを――自然の中で圧倒的な自己主張を放つその男のことを、ツルギは知っていた。
やがて彼の方もツルギの存在に気がついた。
「おやおや。待てば甘露の日和あり――と言ったところですかね」
目を覆い隠す長い前髪を軽く振って水滴を飛ばし、後ろへ撫でつける。
すると言葉と物腰の柔らかさに反して、鋭く好戦的な目が露出する。
記章持ち。
武系第五席。
戦闘狂。
そして『不死身』の異名を持つ男。
「――――大鳳、示炎」
「いかにも」
偶然の邂逅だった。




