23:二人の支えと、一人の宿敵と
――しょっぱくて、少しだけ甘い。
最初に感じたのはそれだった。
そして鼻の奥が痛むような苦さ。錆のような血の味が口の中に広がっている。
滝川ツルギは目を覚ます。
「あ、起きましたか」
ツルギの頭を膝に乗せて、口の中に指を入れている三つ編みの少女。
「麻矢……?」
「解毒がうまくいったみたいです。動けますか?」
指を引き抜き、顔をのぞきこんでくる麻矢。
「……大丈夫?」
その隣に眉をゆがめた塔子の姿。
塔子は既に助け出されて、ツルギの体の傷には応急処置が施されている。
すべて麻矢がやったようだ。
「大丈夫だ、ありがとう。それでオレは、どのくらい気を失ってた?」
「五分くらいですかね。今、終了二十分前です」
「それなら、まだ間にあうかもしれないな」
ツルギは起き上がった。
右手で拳を作ってみる。
麻矢の処置のおかげか、傷の具合も痛みも、戦えないほどではない。
「ちょっと行ってくる。もう一人、待たせてるヤツがいるから」
その言葉に麻矢は眉根をよせた。怒っているようだ。
「どうしてもですか?」
「どうしてもだ」
「わたしとしては絶対に止めたいんですけど」
「その場合は振り切ってでも行く」
頑なな即答に、麻矢はそれでも何か言おうとして、結局飲みこんだ。
「じゃあ、せめて無事に帰ってきてくださいね」
「わかった」
「できるだけ怪我をせずに」
「努力する」
「安全第一マンになるくらいのつもりで」
「安全第一マンに――いや、それはどうだかわからないけど、やるだけやってみよう」
ツルギはそう答えて、それから胸の記章を外す。
「――塔子」
呼んで顔を向けると視線が交差した。
塔子の瞳の中にはボロボロの自分が映っている。
そして自分の瞳の中には、彼女の姿が映っていることだろう。
おそらくは罪悪感を感じて、悲しげな表情をする塔子が。
瞳は鏡。
彼女の言葉がなければ、ゆらに勝つことはできなかった。
「お前がいなければオレは負けていた。だからこれはお前の好きにしてほしい」
「……わかった。もらっておくわ」
おずおずと記章を受け取り、大切そうに胸元に抱きしめる塔子に、ツルギはうなずいた。
「残り時間は少ないし、ゆらの人払いもあるから大丈夫だとは思うが、二人も安全第一でな」
「……ツルギも気をつけて」
「ああ。それじゃあ――行ってくる」
二人に告げて、ツルギは教室から駆け出した。
倉本臣は大きく息を吐いた。
いつもなら相手に呼吸を読ませることなど決してない。だが今は、息を殺すことさえ難しいほど体力を消耗してしまっている。
戦いながら場所を移動し、今いるのは東棟の教室の中だった。並べられた机が相手の行動を阻害し、受け手を有利にしてくれる。多数の敵を相手するには地の利を用いるのが常道だ。
しかし、それも限界に近い。
受けに回りながら隙を見ては相手を倒し、気づけば残っているのは武系生徒ばかり。それが救いと言えば救いだ。武系生徒は我が強い。同時にかかることはあっても、協力することはほとんどない。その意味では床に転がっている忍術同好会の双子こそが最大の難敵だった。常山の蛇のような連携だった。一般生徒ながらに自分の防御を抜けて攻撃を当ててきた彼らには、賞賛を送るに吝かでない。
――さて、次は誰が来る?
周囲をにらむように見晴らす。十名を超える対手の一挙一動に注視する。右手にいるボクシングスタイルの男に攻撃の予兆が見えた。拳に巻いたテーピングがツルギの包帯を思い起こさせ、臣は眉をよせる。と言っても似ているのはそこだけだ。実力はツルギほどではない。本来なら多少の苦戦こそすれ、負けることはありえない。
だが、そう素直には運ぶまい。
左手にて戦意をたぎらせる薙刀の女。彼女の拍子が期せずしてボクシングの男と同調している。このまま待てば、二人の懸かりのタイミングが重なって対処を難しくするだろう。
であれば、こちらから動かざるを得ない。例え動くことで防御に隙が生まれるとしても、動かないよりは勝機が残る。
そう決めて、ボクシングの男に懸かった。
突如攻勢に転じた臣に彼の対処は遅れる。フットワークを使って回避するも、精彩を欠いたその動きでは隙を残すのは自明。だから回避動作の終わり際、臣は彼の右足の後ろに足を差し入れ、拳に手を添える。そしてそのまま柔らかく押す。ただそれだけでボクシングの男は体勢を崩され、無数の机を巻きこんで倒れ伏した。
次いで薙刀の女に向き直ろうとして、臣は動きを止める。
教室の扉の前で機をうかがっていた赤い鉢巻の男が動いた。構えを取る。気づけばボクシングの男によって机が動いて臣への道ができてしまっている。
同時に薙刀の女にも動く気配が見えた。
――万事窮す、か。
それでも勝機を探す。到達は鉢巻の男の方が早いが実力は薙刀の女の方が上だ。だから意識の六割を薙刀の女へと割きながら鉢巻の男の攻撃に備える。
そのとき、教室の扉が弾け飛んだ。
鉢巻の男は背後からの攻撃に為すすべなく潰される。彼を潰した扉の上。そこに膝をついているのは。
他の誰が見間違ったとしても、自分が見間違えるはずがない。
――滝川ツルギだ。
教室内の武系生徒たちがざわめく。
ツルギは教室内を見回して、それから荒い息をする臣の姿に目を向けた。
「悪い、臣。待たせたな」
「戯け。遅すぎだ」
嫌味ったらしくそう言ってやる。
「それで、もういいのか」
「ああ。なんとか終わったよ」
そう言ったツルギの表情に、臣は奥歯を噛みしめる。
ツルギだ。自分のよく知っている滝川ツルギだ。
「そうか。ならあれをやるか、久しぶりに」
「あれか、久しぶりだな、本当に」
それだけのやり取りで、お互いの意図を理解した。
背を預けあって構えを取る。
二人に気圧されていた武系生徒たちが、やがて意を決したように挑みかかってきた。
それをツルギと臣が迎撃する。
ただ互いの背中を守るのではない。
ツルギの暴力的な攻撃を、そこから生じる衝撃を、臣は任意の方向に捌いて武器にする。
かと思えば臣の体をツルギは軽々持ち上げ、その立ち位置を常に戦いやすく入れ替える。
学園最強のツルギの膂力を、技に優れた臣が使う。
さながら暴風だ。すべてを飲みこみ、弾き返す武の暴風。
けれどもそんな理不尽なまでの力を前にして、逃げる生徒は一人もいなかった。武系生徒の誰もが、心の底から愉快そうにその暴風に飛びこんで行った。
一人また一人と暴風の前に敗れていく。
だが、その顔はどれも満ち足りていた。
挑んだものが強くて嬉しいと、それが我がことのように誇らしいのだと。そう告げるかのように。
やがて暴風が終息する。
ツルギと臣は空中で同時に蹴りを繰り出す。
そうして互いの靴裏を蹴って反動をつけ、それぞれが反動で正反対に飛ぶ。放たれた蹴撃によって最後の二人が倒れる。
ツルギと臣は静かに着地して、それから向き直る。
ツルギはふらつきながら、臣はまっすぐに、お互い近づいていき――ツルギが倒れた。
「あれ、なんか力が入らないや」
「ふん。嘆かわしい」
そう強がった臣も、遅れて床に倒れる。
「なんだ、臣だって限界だったんじゃないか」
「……言うな。今、言い訳を考えている」
なんだそれ、とツルギは笑った。
「臣、記章はまだ持ってるか?」
「ああ」
「それならここからが秋の続きか」
指相撲くらいならまだできるぞ、というツルギに、臣は嘆息を返してやる。
「戯け。今回も持ち越しだ。だから約束しろ、次の争奪戦で戦うと」
「約束が終わらないな」
そう言ってツルギは天井を見上げ、目を閉じる。
見えずとも隣に臣の存在を感じる。
才能というのは歩幅の違いだ。才覚が違いすぎるものは並んで歩くことはできない。
――けれど才能のない者がその分走れば、横に立ち続けることはできるだろう。
「臣」
「なんだ」
「大好きだ。オレはいつまでも、お前が誇れるライバルでありたい」
恥ずかしげもなく告げられたその言葉に、臣も静かに目を閉じた。
「戯け。そんなこと、言われるまでもなく知っている」
大鳳示炎はそんな二人の様子を、羨ましそうに教室の外から眺めいた。
「――終わったようだな」
示炎の隣でそう発したのはセミロングの白髪の武系女子、第四席の水無月玲子だった。
数分前。近くの参加者をおおよそ相手し終わった示炎は『決戦場』に向かっていた。そのときにゆらの妨害要員を蹴散らしながら、同じように北棟を目指している玲子と遭遇した。そして間をおかず、近くで激しい戦闘音を聞き、この教室の前にたどり着いたのだ。
「ツルギ殿がここにいるということは、ゆら殿との決着はついたのでしょうか」
「だろうな。でなければあんな表情はしないはずだ」
「拙としてはその戦いにも参加したかったですね。実に残念です」
「で、この戦いはどうする、大鳳示炎。二人とも動けないようだが」
「次の機会を待ちますよ。あんな状態の二人では、戦っても楽しくありませんので」
その言葉に玲子は鋭い目を向ける。
「それはそうなんだが――ああ、お前はいいだろうさ。実技で当たる可能性もゼロじゃないからな。女のあたしはゼロなんだぞ。争奪戦は貴重なチャンスだったのに」
不満を口にする玲子。
武系実技は男女で分かれているので、普段は戦うことができない。
ゆえに争奪戦は武系女子が男子と戦える貴重な機会なのだ。
「ならば拙とはどうです、玲子さん。学園最速の妙技、味わってみたいものです」
逆に言えば武系男子にとっても、女子と拳を交える貴重な機会だ。
「まあ、うちの宿敵が迷惑をかけたみたいだしな。お前の技にも興味があるし、応じてもいいんだが――」
しかし、そこで終了のチャイムが鳴り渡る。
「時間切れだな」
「の、ようですね」
「お前風に言えば、縁がなかったってことだろう」
そう言って玲子は踵を返す。
終了後に集まるべきグラウンドではなく、逆の方向へ。
「おや、どちらへ?」
「野暮用だ」
示炎に背を向けておざなりに手を振るう玲子。
そうして歩き出す方向は『決戦場』のあった北棟だ。
「――ああ、なるほど」
玲子の行き先を察して示炎は笑った。
「ゆら殿――と言いましたか。彼女も果報者ですね」
示炎にはいない。
ツルギにとっての臣が、ゆらにとっての玲子が。
己のすべてをぶつけられる、そしてぶつけてくれる相手が。
道を照らして導き、あるいは必ずついてきてくれるものが。
「ああまったく羨ましい。妬けてしまいます。どうか願わくば、拙にもよい宿敵を――」
そう言って示炎は天を仰ぐのだった。




