22:激突と、決着と
綴喜ゆらにはライバルがいた。
お互いを認め、お互いを目標にして、ずっと競い合っていけると信じていた。
けれどあるとき、彼女は壁の向こうに行ってしまった。
その壁を破るためにゆらは努力した。血を吐くまで鍛錬し、目につく武術を片っ端からかじって勉強した。それでも届かなかった。隔絶があった。
もしも才能が落ちているなら拾うだろうし、売っているなら買うだろう。隠されているなら地の果てまでも探しに行く。だがそうではない。それは己の内側にしかない。
だとしたら。
掘り返した先にそれが埋まっていなかった者はどうしたらいいのだろう。
ガラクタしか手に入らなかった者は、どうしたらいいのだろう。
ゆらは彼女から遠ざかった。己の非才を知られたくなかった。
会うことがなくなり、言葉を交わすこともなくなり、ゆらは遠くから彼女を見るばかりになった。
やがて、かつてライバルだった少女は記章持ちになった。
やはりと思った。
ものが違ったのだ。実際に記章持ちはみな、一種異様な風格を持っている。近づけば肌で感じるほどにそれは違う。
――滝川ツルギをのぞいては。
忌々しい男。
彼女から好意を向けられているという男。
こちら側の人間のはずなのに、なぜかバケモノたちと一緒にいる男。
憎らしい。妬ましい。血を吐くほどに羨ましい。
だから勝たなければならない。
勝って証明するのだ。自分でもそこにいけるのだと。再び彼女と並べるのだと。
ここに来て滝川ツルギの動きが変わった。膂力がさらに増している。動きも歯車が噛みあったみたいに自然になっている。
だがそれは蝋燭が消える前の一瞬の輝きだ。
ツルギ自身が言うように、脳内麻薬で限界が解かれて、一時的なブーストを受けているだけだろう。
時間が経てば経つほど、出血と毒でこちらが有利になるのは変わらない。
懸かってくるツルギを誘導し、再び塔子を視界に掠めさせる。
ほら、やはり何も変わっていない。
彼はゆらを見失っている。
ゆらの瞳にツルギが映るが、ツルギの瞳にゆらはいない。
ツルギの瞳にゆらはいない。
だが、ツルギに動揺はなかった。
気づいてしまえば単純なことだ。
勝機はちゃんと初めからあったのだ。
自分の視野が狭くてそれが見えなかっただけで。
塔子はずっとここにいたのだから。
彼女はずっと前から、それを教えてくれていたのだから。
――瞳は鏡。
塔子の瞳には確かに映っていた。自分の死角に回るゆらの姿が。
油の滑りを利用してツルギは瞬時に向き直る。
そして拳を振りかぶった。
弓を引くように構える。
《獅子懸》――ゆらの捌きを超越して勝利できるとしたらこれしかない。
大きな溜めの間に彼女がどう動くかはわからない。分のいい賭けではない。しかし自分の状態から考えて、勝機はもうこの一瞬にしかない。
ならばこれが最善手。
多少の攻撃は甘んじて受け、多少の防御なら食い破り、多少の回避ならそれを追う。
もしも自分の想定以上をゆらが繰り出してきたなら、そのときは彼女を讃えよう。
負荷に骨格が軋みをあげる。
膨張する内圧に皮膚が破れる。
傷口から血が流れ出す。
圧縮された肺から狼の唸り声のような音が漏れる。
眼と眼があう。
ゆらの瞳の中には、確かに譲れないものが映っている気がした。
少しだけ、ゆらのことが理解できた気がした。
――ならば、綴喜ゆら。
お前はお前の譲れないもののために、オレの拳を越えていけ。
オレはオレの譲れないもののために、お前の拳を越えていく。
構えたツルギから放たれた焼けつくような気配が、ゆらの全身を透過する。
それは、間違えようもなく記章持ちの放つ圧力だ。
綴喜ゆらは歯噛みする。
本当に成ったのか。この場で至ったというのか。
それは才能の壁ではなかったのか。
どうやって超えた。知りたい。
――おれだってそちらに行きたいのに。愛すべきバケモノがいる、その場所に。
引き伸ばされた時間感覚の中で、ゆらはツルギをにらみつける。
感情がツルギを否定しろと言っている。倒せ、痛めつけろ、攻撃しろと。
だが理性は警鐘を鳴らす。
戦術と戦略を携えて造りあげた綴喜ゆらというシステムが告げる。あの攻撃は受けきれない、逃げろと言っている。
だがその瞬間、一人の少女の姿が脳裏をよぎった。
かつて宿敵だった相手。
今はもう届かない相手。
「――ああ、くそ。わかったよ。だから、そんな顔をするな」
ゆらは逃げなかった。
心のどこかに残っていたプライドが、理性に勝った。
ここで逃げたら何かを失ってしまう気がした。
だから逃げるのではなく向かっていった。
心の中に、瞳の中に、そして今確かにそこにいる少女に向けて告げる。
「だから、そんな目でおれを見るな――わかったから、だから、だから――っ!」
お前が望む通りに、いつか必ずそこに往く。
だから待っていてくれ、たった一人の我が宿敵。
「レェェェェェェェイィィィィィコォォォォォォォォォォォォォ――――!」
自分の中にあったガラクタをかき集めて、ひとつの塊としてぶつけるために。
ゆらは真っ向から拳を繰り出した。
そして――二人の拳は衝突した。
弾かれた空気が周囲を揺さぶる。
ゆらの足元の床から壁へ向けてたわみが生じ、遅れてひびが走り出す。それはゆらが受けた衝撃のほとんどを床へと捌いた証拠だった。
教室の窓ガラスが破裂するように砕け、廊下からも連鎖的にガラスの割れていく音がする。校舎そのものさえ、わずかに揺れた。
学園で初めて使う《紅獅子懸》。
その代償にツルギの体から血が噴き出す。両腕の包帯が真っ赤に染まる。
よろけるツルギ。
ゆらは動かない。
「――見事だ、綴喜ゆら」
九割方は捌かれてしまった。通ったダメージは一割に満たないだろう。
だが、それでも。
「それでも今回はオレの勝ちだ。塔子は連れて帰らせてもらう」
ゆらが静かに床に倒れる。
ツルギは泣きそうな顔をする塔子の元へ進む。
視界が霞む。
出血のせいか、痛みのせいか、あるいは毒のせいなのか。
塔子の前まで来る。
だが、それで限界だった。
意識が白に溶けていく。
そうして倒れかけたツルギの体を、誰かが支えた。




