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白嶺学園風雲録(無人島サバイバル実習編連載中)  作者: 有坂紅
記章争奪戦~オレの拳を越えていけ~
21/59

21:胡乱と、覚醒と







 どうやら変装はうまく行っているようだ。

 すれ違ってもみな呆然と見送るばかりで、追ってくる者はいない。

 そのことにツルギは安堵し、それから気を引き締めて先を急ぐ。


 ふと視界の先に黄色い何かが見えた。

 目を凝らすと作業中を示す立て看板だった。さらに先には進入禁止の看板もあり、周囲には工具も散らばっている。なぜこんなところに、と不審に思いながらも走り続けて飛び越える。


 そのまま進んでいくと、今度は机と椅子でできたバリケードがツルギを出迎えた。行く手を塞ぐように組まれたそれを蹴りで打ち崩す。


 さらに進む。

 今度は廊下に赤いペンキがぶちまけられている。端から端まで、飛び越えられそうにないほど先までだ。


 それでようやく気づいた。人払いだ。意識的に、あるいは無意識に、人がよりつかないような工作が十重二十重に用意されているのだ。呼び出しの主はよほど周到な人物なのだろう。ぺたんぺたんと靴裏のペンキと床が音を立てる。それでも構わず走り抜けた。


 ――ついに、第三視聴覚室の前にたどりついた。


 荒れた呼吸もそのままに、ツルギは扉を開ける。

 最初に目に入ったのは教室を飾る無数の風船だった。床には大きな鉄板が何枚も散らばり、怪しげな液体も広がっている。


 その部屋の奥。

 椅子にガムテープで縛りつけられている塔子と、その後ろに立つ赤毛の武系女子。


「待ちかねたぞ、滝川ツル――」


 彼女はそこで言葉を切った。怪訝と疑問符に満ちた顔をしている。

 ツルギは仮面を外して腰につけ、続きを引き継ぐ。


「――滝川ツルギだ」


 赤毛の少女はなおも怪訝そうに仮面を見ていたが、すぐに思考を切り替えたようでツルギに視線を移す。

 そして名乗り返した。


「綴喜ゆらだ。見知りおけ」

「ゆら、記章ならやる。塔子を放せ」


 室内に踏みこんでそう告げると、ゆらは笑い出す。


「記章だと? 誰がそんなものを欲しいと言った」


 彼女は嘲るような目でツルギを見る。


「おれの目的は貴様と戦うこと。貴様に勝って、おれはおれの価値を確認し、証明する。そのために人払いをし、人質を取り、この状況を作ったのだ」


 その言葉で気づく。

 すべての戦闘音が遠い。局地的に発生した闘争の空白地帯。それがたった一人の少女によって作り出されたのだとしたら。百名を優に超える参加者を思う通りに動かしているのだとすれば。本来戦うはずだった者、本来戦わないはずだった者、それらの運命を塗り替えて思うように導いたのだとすれば。


 それは――いったいどれほどの深謀遠慮か。


「勘違いしないようあらかじめ言っておくぞ。おれは女を傷つけないし、盾に取ったりもしない。貴様が勝てばこの女は放してやる。だから安心して全力で来るがいい。その貴様の全力を――おれが破ってこそ、おれの目的は達成される」


 目つきが変わった。

 姿勢を低くし、突進するように向かってくる。

 ツルギはそれに対して身構え――次の瞬間、視界を塞がれた。


「――っ!」


 鉄板だ。床に散らばる鉄板を目の前で起き上がらせたのだ。

 視界を確保するために後方へ下がろうとする。

 だが足場の液体がツルギの靴底を滑らせる。

 まずい。これは油だ。

 崩れる姿勢。

 死角から迫るゆら。


「シィッ――!」


 彼女はすれ違いざまに腕を薙ぐように振るった。

 ツルギのジャージが裂け、その脇腹に傷を刻む。

 一瞬の思考。刃物か。いや違う。何も持ってはいない。その手。紫に塗られた爪。よく見れば先端が刃物のように砥いである。

 交差が終わり、二人の距離が離れる。

 傷口に焼けるような激痛が走った。

 明らかに傷の度合いと不釣り合いな痛み。そしてそこから広がるしびれ。


 ――何か、塗ってあるな。


 薬品か、毒物か、そういったものが塗られているのだろう。

 床に散らばる鉄板。

 床に広がる油。

 そして鋭く砥がれた爪。

 意識し、警戒すべきものが多い。

 ツルギとて武系生徒だ。油があるとわかればそうそう滑りはしない。だが大きな力をかける踏みこみや飛び退きは難しい。


 腹の奥深くに息を沈めて痛みを和らげ、次の攻撃に備える。

 再びゆらが動く。どうやっているのか油の撒かれた床を自在に疾走する。そして近づくと鉄板を叩き起こして視覚を封じる。ツルギは即座に鉄板を叩く。既にその裏にゆらはいない。死角からの襲撃。背中に痛み。

 反撃の蹴りは空を切る。

 ゆらは既に十分な距離を取っている。

 ツルギは痛みを噛み殺しながら、ゆらと対峙する。


 静かに息を吸う。


 まず、最優先で対処すべきは鉄板だ。視界を塞いで目を切る戦術は非常にやっかいだし、さらなる意図が隠されているかもしれない。

 油はどうだ。もう少し体を慣らせばある程度普段通りに動けそうだが、単純な突きや蹴りはこちらが滑ってしまって威力が伝わりきらない。攻撃にも工夫が必要だ。

 爪への対処は。真正面からなら見切るなり鉄板を逆利用して防ぐなりできるが、死角から振るわれるのではどうしようもない。

 結論。やはり鉄板を使えないようにするのが最優先だ。


 静かに息を吐く。


 そして今度はツルギから攻勢に出る。

 油を利用して滑りながら前進し、拳を放つ。ゆらは立ち位置を微妙にずらして鉄板を起こし、盾にする。その鉄板を今度は思い切り殴り、壁際まで飛ばす。打撃の反動で少し下がりながら、奇襲を警戒して周囲を薙ぐように蹴る。


 蹴撃は別の鉄板を叩いた。

 とっさに盾にしたようだ。ならばそこにゆらはいる。向き直った瞬間、連続して何枚も鉄板が起き上がる。すべてを目で追ってしまい、視線が定まらない。


 左側から破裂音。

 反射的にそちらを見る。

 白い粉末が舞い散るように広がっている。よく見れば壁にボールペンが刺さり、その根本には小さくしぼんだ風船がある。


「ッ――囮か!」

「ご名答」


 背後からゆらは脇腹の傷口に爪をつっこみ、深々とえぐるように指を動かす。

 あまりの激痛に体が硬直する。そこにあごを撃ち抜くゆらの掌底。

 意識が遠のく。

 それでも、踏みとどまった。

 ゆらは油断なく距離を取る。


 荒れた息を整えながら、ツルギは己の状態を確認する。

 掌底で唇を切ってしまったが大したことはない。背中の傷も痛むが程度は軽い。問題は脇腹の傷だ。力任せにえぐられた傷口は深く、下手をすれば内臓をかすめているかもしれない。


 ――内臓か。そんな深いところ、臣にだって許したことがないのに。


 状態は芳しくない。

 厳しい戦いになりそうだ。

 地の利は完全に彼女にある。この部屋の中にある意思無きものはすべてゆらの味方だ。いわば教室という巨大な生き物を敵にしているに等しい。この中でゆらの味方でないのは、ツルギ自身と塔子だけだ。

 しかし動けない塔子の存在が、戦場を変えることも許さない。

 ならばここで戦うしかない。


 拳に力をこめて意識を保つ。

 しかし――こんな強さもあるのか。

 力でも技でも速さでもない。反射神経でも感覚でもひらめきでもない。

 ツルギにとっては未知の強さだった。

 武系は広い。戦いは深い。


 ――それでも自分らしく戦うだけだ。


 ゆらに向かって突き進む。ゆらは鉄板を立ち上げた。その起き上がった鉄板に背を向ける。右か左か上か。その先は直感だ。

 体をひねりながら左側へ右腕を突き出す。

 鉄板の裏から出てきた瞬間突きを食らって、ゆらは大きく吹き飛んだ。

 その隙に、鉄板の一枚を反対方向に蹴り飛ばす。その鉄板が別の鉄板にぶつかり、連鎖的に壁際に流れていく。

 ……だが拳の手応えが妙だった。


 ゆらの方を見る。

 彼女は空中でマリオネットのように不自然に体をねじり、何事もなかったのように着地した。


 ――そんなことができるのか。


 ゆらがやったのはツルギの逆だ。

 ツルギの膂力は全身を連動させて力を束ねることで生まれている。

 ゆらは受けた衝撃を捌き、複雑な運動と柔らかな体躯で全身から外に逃している。


「思ったよりも早く処理されてしまったな」


 ゆらは首を軽く回しながら言った。


「貴様の強さが『膂力』と『目の良さ』にあることは承知している。ゆえにそれを封じるための油と鉄板だったのだが――もう油の方も、ほとんど効果がないか。大した適応能力だ」


 言葉とは裏腹に、ゆらに焦りは見られない。


「しかしな、軍讖に曰く柔能く剛を制し、弱能く強を制す。使い方次第で柔や弱が勝つことは決して珍しくはない」

「剛よく柔を断つ、じゃないのか?」

「そんな日本人が付け足した妙なバランス発言を信じているのか。三略を読め」


 そう言ってゆらはこちらに向かってくる。

 ツルギもまたゆらに向かって走った。

 両者同時に右腕を突き出し、お互いの腹部に命中する。

 ゆらの手はツルギの腹の傷口をえぐり、ツルギの拳はゆらの腹部を叩く。


 ツルギはうめき、ゆらは小さく息を吐く。

 感触が硬い。何か巻いているようだ。腹部なら衝撃を捌いても内臓にダメージが行くと思ったのだが、嫌になるほど徹底している。


 両者は向かいあい、拳の交換が始まる。

 相変わらずゆらの体はほとんどのダメージを殺している。

 凄まじい技量によって凄まじい速度で行われる衝撃捌き。

 そのミスを誘発するためには、力ではなく速さを以って対峙するしかない。

 ――速さと数を使って処理能力を飽和させるのだ。

 拳の回転を上げていくと、徐々にゆらの顔に焦りが浮かんでいく。

 血だらけの手を防御に回し、大きく後方へと下がるゆら。それに追いすがるツルギ。


 だがそこで、ゆらは笑った。

 そしてわずかに横にずれる。

 その後方には椅子に拘束された塔子の姿。

 攻防の届く距離ではないのに、一瞬そちらに視線と意識をやってしまった。


 たかが一瞬。されど一瞬。

 視界から姿を消したゆらがツルギの背の傷をえぐった。

 反撃の裏拳はやはり空を切る。

 ゆらは既に射程範囲から逃れていた。


「――やはり、目がいいな」


 手を振って指から血を払うゆら。


「あの一瞬であの娘を認識する瞬間視、大したものだ。だが長所は時に弱点ともなりうる」

「まったく、厳しいことばかりしてくれるな……」

「人の嫌がることは進んでやるものだろう?」

「それはそういう意味じゃないぞ……!」


 ツルギは諦めることなくゆらを追う。

 ゆらはツルギの方を向きながら下がる。

 そうしてまた絶妙に誘導され、視界に塔子を収めてしまう。収めてしまえば意識がそちらに向くのは避けられない。

 ゆらを見失い、攻撃を受ける。

 それが何度も繰り返される。


 思考が空回りし、鈍り、愚直な突進が増えてくる。

 血が流れて、痛みが全身を焼き、意識が混濁してくる。

 そうしてついに足が止まる。


「毒もまわってきたようだな」


 ゆらの声が遠い。

 頭痛とも眠気ともつかない重さが意識を闇に沈めていく。

 目は確かに開いているのに、何を見ているのか判別できなくなってくる。

 それでも体は反応し、ゆらの攻撃を防ごうとする。

 腕を盾にし、身を捩って打点をずらす。


 そんな攻防のさなか、腰に衝撃があって何かが落ちた。

 何だ。何が落ちた。それは何だ。

 ぼんやりとした頭で床に落ちたものを見る。


 それはヒーローの仮面だった。


 役目を終えたと言わんばかりに割れてしまった仮面。

 自分を守ってくれた。ミリオンレッド。ヒーロー。思考がまとまらない。ヒーローに憧れていた自分。悪魔に出会う前の自分。自分のまんなかにあったもの。記憶が混濁する。ヒーローになりたかった。悪魔と出会って。自分は弱くて。怖くて強くなりたくて。そんな自分をヒーローだと言ってくれた少女。ヒーロー。ミリオンレッド。ヒーローとは。




 ――ヒーローとは、逃げずに立ち向かっていく者のことだ。




 浮かび上がってきた言葉に思わず目を見開く。

 溶けかかっていた意識が急速に焦点を結ぶ。

 おかげで目前に迫っていたゆらの掌底を紙一重で避けられた。

 彼女は驚き、警戒して距離を取る。


「ああ……なんだ、そうか……オレは」


 悪魔が怖くて武を始めた。

 その出発点を恥ずかしく思っていた。

 そこから始まる自分という男は臆病で矮小なのだと思っていた。そこに積み重ねられたものも誇れるものじゃないと思っていた。


 でも、違う。

 逃げたんじゃない。立ち向かおうとしたんだ。向かっていく力を求めたんだ。

 自分の歩いてきた道は、きっと間違ってはいなかったのだ。

 がちりと、ツルギの中で歯車が噛みあう音がした。


「なんだ、貴様――なぜ意識が戻った?」

「……さあ。痛みのせいで脳内麻薬が出すぎたのかもな」


 あるいは子供のころのヒーローが助けてくれたのか。

 自分にもわからない。

 ただ、まだ動ける。

 ――ありがたい。

 動けるのなら、戦おう。巻きこんでしまった塔子を助け出すために。


「今度はこちらから行くぞ、綴喜ゆら」


 そう告げて、正面から懸かった。

 踏みこみ。爆音。砕ける床。

 一瞬で距離を詰め、ゆらに対して拳を突き出す。

 全身の歯車が正しく噛みあっていく感覚。


 打撃。


 砕けた床が足を固定し、威力をゆらの体へと伝える。

 先ほどまでとは違う感触。

 後方に吹き飛び、柔らかな体躯を震わせながら壁に着地するゆら。

 その壁にひびが入る。受けた衝撃をそこに逃したのだ。

 そのまま壁を蹴ってゆらが向かってくる。風になびく赤毛。構えるツルギ。

 交差。ツルギの頬は切り裂かれ、ツルギはゆらを殴り飛ばす。だがそれもやはり見事に捌かれて、ゆらは床に着地する。


 これでもダメか――そう思った瞬間、ゆらの吐く息にわずかに苦痛が交じる。

 交わる視線。

 ツルギの瞳にゆらが映り、ゆらの瞳にはツルギの姿が映っている。




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