19:数え切れないほどの敵と、ただ一人の宿敵と
――気がついたときには、見知らぬ教室にいた。
壁際には色とりどりの風船が飾られ、床には薄くて大きな鉄板と、ぬめる液体が撒き散らされている。
そんな教室の一角で、黒瀬塔子は椅子に拘束されていた。
最初に思ったのは、待ち合わせの場所に行かなければ、ということだった。
けれどそれで自分の身に起きたことを思い出す。
ツルギからの呼び出しの手紙が届いていて、だから書かれていた場所に向かって、そこから先の記憶がない。
「――目が覚めたようだな」
声の方を向く。
一人の女子生徒が立っていた。
額が露出する特徴的な髪型をしている。
誰だと聞こうとして、口にもガムテープが貼られていることにづく。
「結局調べていてもよくわからなかったが、お前と滝川ツルギはどういう関係なんだろうな。恋人か、パトロンか――ヤツの性格を考えるとどうにもしっくり来ない。ヤツはどこまでも武術に執心した生徒で、言わば人の形をした武系だ。そんなヤツが、武術に関わりないものを重宝するとは思えない」
塔子に聞いているのではなく、自分の考えを確認しようとしているようだった。
彼女は一人でしゃべり続ける。
「しゃくな話だが、水無月玲子ならわかる。アイツの強さはおれが一番よく知っている。玲子となら、互いに得るものもあるだろう。お前はどうなのだ? 滝川ツルギに何かを与えたか? 強くなることに貢献できたのか? ヤツは何を思って、お前と共にいたのだろうな――」
そこまで言って、彼女は口をつぐむ。
「――そんな顔をするな。つまらんことを訊いた。戦いに影響しない、どうでもいいことだったな。忘れてくれ」
そう言って、彼女は扉の方を見た。
誰かが来るのを待つように。
大鳳示炎は、眉をひそめた。
「――人質を取って、ツルギ殿を?」
彼の周りには無数の矢が散らばり、数名の武系女子がうずくまって咳こんでいる。その中で隊長格と思しき眼帯の少女が示炎をにらんだ。
「けはっ……呼び出すのに使うだけだ! あの方は女性に怪我をさせたりはしない!」
「ふむ」
示炎は思案する。
いったいどう動くべきか。
そもそものきっかけは、争奪戦で奇妙な動きをする女子たちに気づいたことだった。
示炎を囲み、攻撃を仕掛けながら明らかにどこかに誘導しようとする。試しに記章を無防備に晒してみても取りに来ない。
その目的が気になったので、彼女らを全員打ちのめした。
そして偉そうな女子の前で一番弱かった女子の襟首を掴み上げると、その目的を話してくれた。
武系生徒の上位陣を誘導し、『決戦場』へ向かわせないこと。
それが彼女たちの目的らしかった。
「なんとも迂遠なことですね。そこまでして何がしたいのか。記章が目的ではないのでしょう?」
記章だけが目的なら、全員で誰か一人にかかった方が確実だ。
「……知らない。ただあの方がそう望んだから遂行しただけだ」
「獅子吼するつもりはありませんが、目的がなんであれ人質はよくありませんよ。これは学生のお祭りなのですからね」
そう言って片手でつるしていた女子生徒を下ろした。
お前が言うなとでもいいたげな視線がいくつも示炎に突き刺さる。
心外だ。示炎は人質を取ったつもりはない。
そういう風に見せただけで、痛めつけるつもりは毛頭なかった。
戦いに容赦はしないが、抵抗できない者を攻撃したりはしない。
だからこそ策略を弄してツルギと対面しようする者が気にかかった。人質を救出して、ついでにそいつと戦ってみるのも面白いだろうか。
そんな風に思案しているうちに、無数の人影が集まってくる。
「いたぞ! 大鳳示炎だ!」
「囲め! 絶対に逃がすな!」
群がってくる参加者たち。
武系生徒も、そうでない者もいる。
「おやおや、拙も有名になったものです」
記章に対する視線から鑑みて、先の武系女子たちとは無関係であるらしい。
それと明らかに遣える者も混じっている。
思わず口元がつり上がった。
武系生徒には二種類の人間がいる。
己を鍛えることに喜びを見出す武人タイプと、戦闘そのものを楽しむ戦闘狂タイプ。
無論のこと自分は後者だ。
一対多というのもいい。楽しそうだ。たまらない。
予定変更。
人質の救出も、ツルギの敵対者との戦闘も、すべて後回しだ。
目元を覆っていた前髪をなでつけて後ろに流す。
「生来我慢弱い男なのです。ツルギ殿、目先の欲に溺れる拙をお許しください」
敵の数があまりに多かった。
襲い来る生徒を幾度も撃退し、幾人も昏倒させていたが、その間にも戦闘音を聞きつけた生徒が集まってきて、その数は減るどころか増え続けた。
とてもではないが力押しで全滅させられる人数ではない。かと言って、ただ突破したのでは追跡を許してしまう。矢文の主は一人で来いと言ったのだ。誰も連れていくわけにはいかない。
後方はまだ塞がれていない。だが背を向けようものならその瞬間を狙い撃たれる。しかも全員を振り切れなければ逃走する意味は無いのだ。
体が震えるのを、滝川ツルギは自覚した。
軽率な者は既にみな倒れ、残った者は迂闊に攻めて来ない。だがその膠着が逆にツルギの焦燥に火をつけている。拳に力がこめられていく。
「……退いてくれ」
ツルギは告げる。
今の自分を御し切れる自信がない。怪我をさせてしまうかもしれない。
その圧力を受けて多くの生徒が後ずさる。だが何人かは踏みとどまる。自然に生じた、戦いを知るものと知らぬものを隔てる境界線。
その線を越えて前に出てくる者たちは、だから武系の猛者に違いなかった。
「さすがの実力、恐れ入る」
「私にも一手ご教授願います」
一対の男女が立ちはだかる。
「……もう知らないぞ。押し通るからな」
仕方ない。
退けず進めず、戦うしか道がないなら――もはや是非もない。
自分も相手もどうなるかわからないが、一人残らず倒して先に行く。
獣のような呼吸音と共に構えを取ったツルギに、二人の武系男女が同時にかかる。
――否。かかろうとして、見当違いの方向へ飛ばされた。
「なあっ――!?」
「うそっ――!?」
ツルギではない。
それをした男は彼らの後方にいた。
彼から距離を取るように集団が割れる。
その中から、かつんかつんと靴音を鳴らして誰よりも前に歩み出る。
「――ふん。貴様の言った通り、ずいぶんと人気のようだな」
見上げるほどの長身。肩にかかる長髪。不機嫌そうな鋭い目。
誰が間違えてもツルギが彼を見間違えるはずがない。
武系第二席、倉本臣。
ツルギの好敵手たる男がその場に姿を現した。
「貴様の調子を見てやろうと来てみれば、なんだそのザマは」
倉本臣は吐き捨てた。
彼の目から見れば、ツルギの不調は明らかであった。
筋肉は不要な力みによって固くなり、関節は自由を大きく失っている。蒼白な表情には冷や汗が浮かび、目には焦燥の色が濃く映る。
実に無様だ。
彼の知る滝川ツルギは、もっと自由で柔らかい男だったはずだ。
「何をそんなに焦っている」
「……大事な用があるんだ」
その声色で重みを察する。
だが、思わずこう返した。
「――それは、俺との約束よりもか」
中学のときの出会い以来、臣とツルギは機会があれば戦った。
切磋琢磨し、一緒に歩いてきた。
去年の春の記章争奪戦。
まだお互いにただの武系生徒だったころ。記章持ちそっちのけで戦って、そのまま起き上がれなくなった。
だから約束した。『次の争奪戦で決着をつけよう』と。
去年の秋の記章争奪戦。
臣が記章持ちになり、ツルギはただの武系生徒だったころ。臣はツルギの到着を待ったが、その前に敗北し、動けなくなって記章を奪われた。
そして約束した。『次の争奪戦で決着をつけよう』と。
そして今。
臣もツルギも記章持ちとなり、もう争奪戦で戦うことはないと思っていた。
けれど示炎が言っていたように、記章持ち同士で戦うことは禁止されていない。
それならば、と思ったのだろうか。
気がつけばツルギの気配を探してここにいた。
ツルギは覚えていないかもしれない。幾度となく争奪戦の話をしても約束の話は出てこなかった。それでも来てしまった。まったく合理的ではない。
だと言うのに、ツルギの答えに迷いはなかった。
「大事なんだ――だから今はお前と戦えない」
その返事でわかったことは二つ。
ツルギが約束を覚えていたこと。
そしてその上で、それよりも大事な用だと言い切ったこと。
とても業腹ではある。相手は誰だと問い詰めたくなる。だが、ツルギが約束を軽視していないのは目を見ればわかる。
ならば逆説的に、余程のことなのだろう。
こちらの用件は次の機会に回すしかない。
「――まったく貴様にはいつも待たされてばかりだ。うんざりする」
初めて会ったあのときから、ずっとそうだ。
いつもいつも、人を待たせる男なのだ。
「臣、オレは――」
「いいから行け。さっさとその用を済ませてこい」
「――すまない」
そう言ってツルギが背を向ける。
その瞬間投擲された槍を、臣は手刀で打ち落とした。
武系生徒には二種類の人間がいる。
攻めに重きを置くタイプと、守りに重きを置くタイプ。自分は後者だ。生来の気質が守ることに向いている。
鉄壁とまで称されるその本領を見せてやろう。
「そういきり立つな。お前たちは残らず俺が相手をしてやる」
驕るでもなく誇るでもなく、ただ淡々と十数人からなる集団にたった一人で布告する。
それは己の強さに自負を持つ者たちのプライドを逆撫でした。
「倉本臣!」
「第二席!」
「臣さま!」
思い思いの感情がこめられた大呼が臣を貫き。
怒りと敬意が入り混じった視線が臣を刺す。
「第二席の貴様ならば相手にとって不足はない! いざ!」
そんな口上とともにかかってきた男を、腕一本で投げ飛ばす。
「不足はないだと? 戯け――」
視界に入ったすべての敵にその鋭い目を向ける。
「俺にとっては――お前らごときでは不足すぎるわ!」
臣は一喝した。
押しよせる武系生徒の攻撃を振り払うように、力強く。




