16:洗濯した布と、洗濯されてない布と
「うわぁ……」
女子寮のランドリールームで、八嶋麻矢は山盛りの洗濯物を前に思わずつぶやいた。
彼女がずぼらだとかそういうわけではない。
積んである洗濯物は二人分。しかも大きな山の方は麻矢のものではないのだ。
持ち主は麻矢の隣にいる。
その犯人――塔子の表情はわかりにくいが、微妙に眉が下がっているように見えた。申し訳ない、と思っているのかもしれない。
まあ、しょうがない。
塔子はとんでもないお嬢さまだ。自分で洗濯する機会はなかっただろう。その上、人の集まるところが苦手なのだから、ランドリールームに来ることさえ躊躇していたのだと思う。
ただ、それならそれで、もっと早く相談しに来てほしかったと思う。
そうすれば、入寮以来溜まりに溜まった洗濯物の山と格闘するなんてことは避けられたのに。
「いちおう聞きますけど、これで全部ですよね……?」
「……ええ」
ひとまず肩をなでおろし、麻矢は積まれた山の対処に取りかかった。
「まずは下着とストッキングをこの辺に出してください。それ以外は横に」
「……わかったわ」
さすがに一人ではつらそうなので、塔子の山の分別に協力する。
塔子は慣れない手つきで、麻矢は手早く容赦なく、山を仕分けていく。
白く大きな長机の上で、そびえ立っていた山が解体されていく。
「うーん……どうしようかな」
手を止めて、麻矢が広げたのは塔子の黒いショーツだった。
手触りからして高そうだ。自分のだけならネットに入れて洗ってしまうのだが、これは手洗いすべきだろうか。だけど丁寧に手洗いするには少しばかり量が多いかも。
なんて考えていると、塔子が視線を向けてくる。
「……欲しいならあげるけれど」
「ぶふっ!?」
思わず吹き出した。
それから否定するために激しく首を振る。
「そっ、そんなシュミはありませんっ!」
「……そう」
塔子はなぜか残念そうな声を出す。
「と、とにかく、この量を手洗いすると大変なので、今回はそのまま洗っちゃいますよ」
「……任せるわ」
そうこうしているうちに分別が完了した。
塔子のストッキングをネットに入れ、同じく下着を別のネットに入れ、自分の下着をさらに別のネットに入れる。残ったのはジャージ、シャツ、靴下、タオル、ハンカチなどの山だ。特に塔子の山はジャージが目立つ。毎日のように変えていたのだろうか。いったい何枚持っているのか――は、返ってくる答えがコワイので聞かない。
「準備完了ですね」
そこで一度周囲を見回す。
今のところ室内に他の生徒の姿はない。塔子のためにそういう時間帯を狙ったのだから当然だが、それでも手早く進めるに越したことはない。
使う洗濯機は三つだ。自分の分、塔子の分、そして二人の下着とストッキングの分。衣類やタオルは一気に乾燥までやってしまう。けれどストッキングや下着はそうはいかない。もう一台を使って洗いのみを選択する。
三つ並んだ洗濯機が音を立てて駆動する。
「さて、終わるまで結構かかりますけど、何しましょうか」
「……それなら、私の部屋に来ない?」
「塔子さんの部屋ですか」
洗濯物を放置していくのはどうかとも思ったが、ランドリールームの洗濯機の数はかなり多めだし、ほとんどの生徒は土日に洗濯を済ませていて、月曜日にはあまり来ないはずだ。少しくらい置いておいてもいいだろう。
「行きますか。ここにいてもしょうがないですし」
「……よかった」
そうして二人は連れ立って部屋に向かった。ランドリールームは三階で、彼女の部屋は一階なのでエレベーターを利用する。
到着。塔子がカードキーでロックを開けて部屋に入り、麻矢はそれに続く。
「お邪魔します……」
おそるおそる入っていく。部屋一面にツルギの写真が貼ってあったらどうしよう、なんて考えたりもしたが、意外に普通の部屋だった。
お嬢さまの部屋の割には物が少ない。むしろ質素にすら感じる。ただ、片づいているとは言い難い。使ったら使いっぱなしが基本のようで、電気はつけっぱなし、ノートは開きっぱなし、ゴミ箱なんて溢れてしまっている。遠目に見えたが歯ブラシなんか使い古したものが三本も立ててある。
「これは、早急に掃除が必要ですね……」
「……いいえ。そんなことよりも、優先すべきことがあるわ」
「なんですか?」
「……ツルギよ」
「ですよね! 知ってました!」
彼女はブレない。
一にツルギ、二にツルギ、三四にツルギで、五にツルギだ。
「……今日の彼、なんだか元気がなかったでしょう?」
「ああ、言われてみればそうかもです」
お昼のときのことを思い返す。
確かにどことなく表情に陰があった気がする。
「……だから、麻矢と元気づけに行こうと思って」
そう言って塔子は床の取っ手を引っ張った。
床の一部が引き上げられて、大きく口を開ける。
「――え?」
あまりに自然に開けたので反応が遅れたが、そんなもの寮の部屋にはないはずだ。
おっかなびっくりとのぞいてみる。地下通路だ。塔子の言い方からして、この先はツルギの部屋とつながっているのだろう。
こともなげにそこに降りた塔子は、スイッチを押して通路の電灯をつける。
「……業者に頼んで、土日で作っておいたのよ」
「は、はあ……それはその、なんというか、用意周到ですね」
「……そうでしょう? これで、誰にも見られずに会いに行けるわ」
「いや、でも、これはさすがに……」
躊躇のない性格だとは思っていたが、ここまでとは。
しかも悪びれるどころか自慢げに胸を張っている。
ちょっとかわいい。
じゃなかった。さすがにやりすぎだろう。ここは一つ、自分が言い含めてやらねば。
「あの、塔子さん」
「……さあ、行きましょう」
言い含めてやらねば、と思ったのに。
表情を緩めてこちらに手を伸ばす塔子を見ていると、強く言えない。
人間嫌いな塔子の、数少ない例外である自分。まるで雛鳥が全幅の信頼をよせてついてくるようで、どうにも甘くなってしまう。
「次やるときは、相手の同意を得てからしてくださいね……」
塔子に手を引かれて地下通路を進みながら、麻矢はそれだけ言うにとどめた。
すると塔子は、そうね、と理解した顔をして。
「……じゃあ、麻矢。いい?」
「それは少し考えさせてください……っ!」
なんてやりとりをしているうちに、終点についた。
階段に近い段差がついていて、上部にはうっすらと切れこみが走っている。段差に登ってそこを押し上げると、薄暗い部屋に出た。
塔子は躊躇なく壁際に進んで部屋の電気をつける。
明るくなるとはっきりわかる。ツルギの部屋だ。
持ち上がった床板は、切れ目がわかりにくいような加工をしてある。ツルギはまだ気づいていないかもしれない。
「……ツルギはいないみたいね」
ふらふらと部屋の中を歩き、興味深そうに観察している。
「塔子さんってほんとバイタリティのお化けですよね……」
麻矢も地下通路から這い上がって部屋に出る。
しかし改めて見ると、なんだか寂しい部屋だ。
私物はある。武術の本が本棚とその上を占領している。大きな救急箱や買い置きされたスポーツドリンクのペットボトルがいくつも床に鎮座しているし、目覚まし時計やカレンダーもある。
だが、娯楽の類が一切ない。
漫画はない。雑誌も小説もない。ゲーム機もない。CDもDVDもない。
実用的な最低限だけが満たされていて、遊びがないのだ。
どことなく塔子の部屋に似ている。
と、歩きまわっていた塔子が何かを見つけて座りこんだ。
既視感が麻矢を貫く。
塔子の前にあったのは、洗濯物の山だった。ただ、塔子のものほど多くはない。ジャージと肌着とタオルと下着。おそらくは一週間分の洗濯物だ。土日に部屋を開けたのでそのままになっていたのだろう。
塔子はシャツをつまみ上げると、鼻先に持っていき、くん、と鼻を動かした。
「……ツルギのニオイがするわ」
本当に塔子は自由だ。
羨ましくなるほどに。普通の人なら思っても実行できないことを、何の躊躇もなく実行してしまう。
「……麻矢も嗅ぐ?」
そんな自由な悪魔の誘惑が麻矢を襲う。
思わずごくりとつばを飲む。
「い、いえ、そんなこと……いやでも、体調を把握するためにも、一度嗅いでおこうかな……ツルギくんのためにも必要かも……」
ふらふらと吸いよせられるように、一枚のシャツを手に取る。
これも嗅診のためと自分に言い聞かせ、ゆっくり顔を近づける。
接触。
「ふぁ……っ!」
思わず甘い声が出た。
ツルギ本人を嗅いだときよりも濃厚な、ツルギの気配。尋常ならざる嗅覚を持つ麻矢は、それゆえにニオイに対して過敏に反応してしまう。
「……麻矢、鼻血が出てるわ」
「あっいやこれはその、興奮したとかではなくて――」
弁明しながら塔子の方を向いて、硬直する。
塔子は小さな布を持っていた。全体で見れば四角い、もう少し細かく見れば長方形と長方形をつないだような形の布。
ツルギのぱんつ。
より正確を期すなら青いトランクスだ。
それをためらいなく顔に近づける塔子。
「いっ、いけません塔子さん! 女の子としてそれだけはダメです……っ!」
守るべき一線を主張する麻矢に、塔子の手が止まる。
「……なぜ?」
「な、なぜって……だって変態的すぎますし、ちょっと汚いですし、いろんなニオイがしそうですし……」
言ってるうちに鼻の奥が痛くなってくる。
そうだ、きっといろんなニオイがする。それはもう、女の子の口からは言えない、きっと麻矢も嗅いだことのないニオイが。
「……誰も見ていないわ」
「見てなくても、一度嗅いじゃったら、もう嗅ぐ前には戻れないんですよ……!」
精神的にも肉体的にも戻れなくなる。
しかもある種の臭さというのはヘンに常習性がある。もしも嗅いでみて、それがクセになってしまったりしたらどうするのだ。
「……そんなこと言わずに、麻矢も一緒に嗅ぎましょう」
だっていうのに、底抜けに自由な悪魔は、特大の誘惑を麻矢にぶつけてくるのだった。




