14:庭園と、浴場と
今日は麻矢のたっての希望で別荘の庭を見ることになった。
背の高い植物に囲まれながら、手入れの行き届いた道を三人で進む。
昨日は反対側から入ったので気づかなかったが、まるで植物園のような見事な庭園だった。
肌が弱いという塔子は黒い日傘を差し、ツルギはその隣に立ち、麻矢は先頭になって鼻歌を歌いながら植物を見て回っている。
「こっちは夾竹桃とイチイ、ですか……なるほど」
一人うなずいている麻矢。
ツルギもそれらの植物に見覚えはあったが、名前を聞いてもピンと来ない。まして麻矢が何に納得しているかは見当もつかない。
不勉強なツルギにわかるのはせいぜい薔薇ぐらいだ。
そうして道を進んでいるうちに植物の背丈が低くなり、視界が開ける。
そこには白い四阿が建てられていた。その側面には蔦が伸びていて、絵本にでも出てきそうな雰囲気だった。
「うわあ、素敵です!」
「ああ。確かに雰囲気あるな」
誰が言い出したわけでもなく、一同は四阿に腰を下ろす。
そうして座った三人が目にしたのは、一面に広がる花畑だった。
春を濃縮して整えたような美しい風景だ。
「あー、ここはわかりやすいですね」
「何がだ?」
「配置です。薬草と毒草が絵を描くみたいに配置されてます」
そう言われて見直すが、ごく普通の花畑にしか見えない。
「全然わからん……」
「えー、こんなにはっきりくっきり分けてあるのに」
どうやら麻矢は薬草と毒草を見ただけで区別できるようだ。
だから彼女にはそれらが色分けされたように見えているのだろう。
ツルギも視界に入った人間の戦闘力をざっと試算して、強い人間に注目してしまう。それと似たような感覚なんだろうと推測した。
「それが麻矢の見ている世界か」
同じ景色でも人によって違って見える。
言葉としてはありきたりだが、その意味をツルギは今初めて実感した。
そして思っていた以上に、その差異は大きいのかもしれない。
――瞳は鏡。
それは以前塔子が口にした言葉だ。
人がそれぞれに自分特有の見方でものを見ているのなら、それは自分自身を見ていることにならないだろうか。
世界を見ているつもりで、鏡となった瞳に映る己を見ていると。
そこでふと気になった。
「ちなみに塔子にはどういう風に見えてる?」
「……くらやみよ」
「くらやみ?」
「……言われれば花畑があるって意識するけれど、興味がなければないのと同じ。だからくらやみ……私の世界は、いつだって一面のくらやみなのよ」
言われてツルギは考える。
そこにあるとわかっていても、心が動かなければないのと同じ。徹底した無関心ゆえに世界が暗く見えている――ということだろうか。
しかし、視界内のほとんどに注意を払わず、それが真っ黒に見えてるのだとしたら。
それはもうツルギには想像すらできない世界だ。
「……だから、貴方たちに出逢えてよかったわ……ツルギと麻矢は、私のくらやみを照らしてくれる明かりなのよ」
なんだろう。
正直、彼女の感じていることの半分も理解できてはいないと思う。
ただ、知らない熱が胸の中に渦巻いていた。彼女を甘やかしてやりたい。暖かい場所で温かいものを飲ませて、それから優しく語りかけてやりたい。
顔を見る限り、麻矢も同じような感慨を抱いているようだった。
「塔子さん、してほしいことあったら何でも言ってくださいね。わたし、がんばります」
「オレもだ。できる限り善処する」
「……嬉しいわ。それじゃあ」
塔子は言った。
「……三人でお風呂に入りましょう」
深い黒を映す塔子の瞳が、心なしか輝いて見える。
そんな塔子をなだめて説得するのは、二人がかりでも大変だった。
「あー……気持ちいい……」
ツルギはひとりつぶやいた。
広い湯船に肩まで浸かり、四肢を弛緩させると骨の芯から悪いものが抜けていく心地がする。
豪勢な作りの風呂場だった。
天井が高く空調が働き、壁沿いには洗い場が五つ並んでいる。
湯船の他にサウナと水風呂もついている。と言うと銭湯のようだが、花を模した壁のレリーフや、滑りにくい石を切り出して並べた床は高級感が漂い、どちらかと言えば大きなホテルの浴場を連想させた。
湯に浮かんでいる己の腕を眺める。
傷と火傷痕だらけの腕。開いた傷口を覆った完全防水の絆創膏は、今のところその役目を十全に果たしている。
ふと思い立ち、湯に浮かぶ腕を引き上げ、手を握ったり開いたりしてみる。
「問題ない、よな」
少しだけ不安になってしまった。
もうすぐ白嶺祭だと言うのに古傷を開いて、自分は何をやっているのだろう。
「ああ、いや、違う」
そもそも不調を乗り越えるヒントを探しに来たんだ。
そのことさえ忘れてしまっていた。それほどにこの二日は濃密で、今までにない体験の連続だった。
そんなことを考えていたとき、不意に浴室の扉が開いた。
「……残念。洗ってあげようと思ったのに、出遅れたようね」
「なんでもするとは言いましたけど、塔子さんは暴走機関車すぎますっ!」
現れたのは水着姿の塔子と麻矢だった。
水着と言っても学校指定の水着だ。腕と脚をのぞいて肌の見える面積はほとんどない。
ツルギは少し安心して、湯に浸かったまま頭の上のタオルを腰に巻いた。
「なんとなく話は見えたが、一応聞いておこう。どうしたんだ?」
「塔子さんがツルギくんの背中を流してあげようって……いえまあ、わたしもイヤではないんですけど、塔子さんって躊躇が全然ないから心の準備が……」
「なるほど。塔子、気持ちは嬉しいけど今日はもう洗い終わったから、また今度頼む」
「……そのようね」
相変わらず表情は変わらないが、いくぶんか残念そうな声を出す塔子。
しかし脱衣所の方へは戻らず、ツルギの入っている浴槽までやってきて腰をかけた。少し恥ずかしそうに麻矢もそれに続く。
風呂に入るためにか三つ編みをほどいて髪をまとめている麻矢の姿は新鮮だった。
塔子はいつものままなのが二人の性格を表しているようでおもしろい、なんて見ていると麻矢と目があった。
「えっと、けっこう筋肉あるんですね」
「まあ、必要な分は。流派の教えであまり本格的にはやってないけど」
「十分素敵です――ってあれ?」
麻矢はツルギの胸元を見ていた。
厳密に言えば、そこに刻まれた傷を。
そこには獣の爪にえぐられたような傷痕が四つ並んでいた。
「古い傷みたいですけど……どうしたんですか、それ?」
「ああ、これは《悪魔》にやられた傷だ」
「……悪魔?」
「いや、オレが勝手にそう呼んでるだけなんだけどな。ものすごく強い女の子だった」
小学生のときに遭遇した、異常な強さの女の子。
幼い自尊心を砕き、傷を刻んだ小さな少女のことを、ツルギは悪魔と呼んでいた。
彼女に敗北してから強くなりたくて山ごもりなんてものをして、そこで師匠と出会ったのだ。
いわば彼女への敗北が、ツルギを武に向かわせた出発点だった。
そして――
『あなたの始まりを、教えてください』
とある少女に訊かれて自覚した。
その始まりとはつまり、恐怖ではなかったか、と。
――走れ、と何かに急かされている。
絶えず感じていたあの感覚は、悪魔を恐れているから生じていたのではないか。
勝つためではなく、負けないために。
もう傷つけられないように強くなりたかったんじゃないのか。
だとすれば、そんなどうしようもない場所から自分が始まったとすれば。
そこから積み上げてきた今の自分の武は。
ツルギは胸を押さえる。とっくの昔にふさがったはずの傷口がズキズキと痛む。
「……ツルギ?」
「おわっ!?」
気がつくと、塔子の顔が目前にあった。
「……どうかしたの?」
「いや、考えごとをしてただけだ。それで、塔子、ちょっと近い」
「……ダメかしら?」
「刺激が強すぎるから、オレの心臓のためにもう少し離れてくれ」
自分を人質に取ったのがよかったのか、塔子は素直に下がって、そのまま湯に浸かった。
と、それを見ていた麻矢が、二人の真ん中くらいに飛びこむ。
ざばーんと湯が波打ち、ツルギと塔子の頭を飲みこむ。
「わたしのこと、忘れないでください」
不満そうな麻矢もまた、髪の毛が湯が滴っている。
肌を流れ落ちる水滴とともに、胸を覆った冷たい感覚が融け出していく。
二人といると、胸の中に詰まったものが軽くなる。
「ところで、なんか脱衣所の方から気配を感じるんだが」
「……サラが様子を見に来たのかも」
「よし、出よう」
さらに混沌とした事態になる前に、ツルギは状況の収拾を図ることにした。




