31 恨み
残酷な描写が多数あります。
苦手な方はお避けください。
カールアとサルートは、この危険な山を、一番分かりやすい下山ルートを走っていた。
日が落ちて足元は暗がりで見えない。山道には不馴れだったが、麓からゼルニケが敷いた、赤い絨毯を辿れば道に迷うことはないはずだった。
だが魔獣や逃げ惑う人々に、目印だった絨毯は引きちぎられ、途中ですっかり迷っていた。
「おいカールア、絶対に私から離れるなよ。それと、でかい昆虫が襲って来たなら、すぐにおまえが対処しろ」
サルートが何度も執拗に繰り返す。
「もちろんです。私はサルート様をお守りするために、ここにいるのですから」
カールアは、口先だけは相変わらずで、心と全く別の言葉を、さらりと言える自分に笑ってしまう。
(あんなバケモノの昆虫が出てきたら、とろい王を置いて逃げれば、少しでも時間稼ぎが出きるってものだ。王宮に帰れば、『王を必死に守ろうとしていたが、途中で見失ってしまった!』とかなんとか言えば、ザラ様もまた許してくださるだろう)
カールアがそんな事を考えていると、草むらからガサガサと音がする。
何が出てくるのか、二人は戦々恐々として揺れる草むらを凝視していたが、出てきたのは、今までと違ってサイズが小さい蟻だった。
普段見慣れている蟻は数ミリで、現れた蟻は50センチほどもある。
だが、化け物級の昆虫を見てきたせいで、感覚が麻痺していたのか、小さく感じこの水蟻の恐ろしさも知らず侮ってしまう。
「サルート様、この程度の虫ごとき軽く追っ払えますよ」
最初の数匹まではカールアも勢いよく斬っていったが、際限なく押し寄せる水蟻に、だんだんと恐怖を感じ始める。
(はーはー・・この蟻のような虫は私が動けなくなるのを待っているのか? それなら、コイツらにエサを与えて逃げればいいのでは? 今、チャンスを掴まなければ、やられてしまう)
カールアの考えたエサとは、自分が必死で戦っているにも拘わらず、安全な後方で『早くやっつけろ』とヤジだけ飛ばす足手まといな王だ。
体力がまだあるうちに・・。
カールアは真後ろにいたサルートの首根っこを掴み、蟻の群れに投げ込んだ。
「何を・・ぐわー!!裏切ったなカールア!!」
一瞬蟻達の動きが鈍ったその隙に、カールアは後ろの川を渡り始める。
蟻は陸を行くのは常識で、水の中まで追ってこれまい。
と、川に入って数歩歩いたところで、足が何かに引っ掛かった。
いや、引っ掛かったのではない。
川の中に潜んでいた水蟻によって足を掴まれていたのだ。
カールアは自ら水蟻のテリトリーに足を踏み入れた結果、それを見た水蟻はサルートを放り出して、ぞろぞろと川の中に・・。
そして、身動きがとれないカールアにのし掛かっていき、カールアの姿は見えなくなった。
その後、すぐに川の水が真っ赤に染まる。
「王である自分を裏切った報いだな」サルートは自分の護衛騎士の憐れな最後を鼻で嗤ったが、自分の危険も迫っていた。
疲れ弱っているサルートの背後に、カマドロケスト(バッタ種魔虫)が忍び寄り、ゆっくりと前肢を伸ばす。
だが、後僅かというところで、その足をアスランが切り落とした。
「そこにいると危ないぞ。死にたくなければその岩場を登り、東に向かって逃げろ!」
そう言われても、王宮で食べて寝るだけのサルートに、岩場を上がれるだけの筋力は持ち合わせていない。
丁度そこにバル爺に守られながら、逃げてきたトリーガー王とその従者が走ってきた。
「アスラン様、この坊っちゃんを助けるんですか?」
バル爺は、面倒臭そうに尋ねる。
「私の弟だ。引き上げてやってくれ」
アスランの言葉にバル爺は、嫌々ながら手を伸ばした。
しかし、助けてもらう立場のサルートの態度が悪い。
「早くしろ!」と怒鳴るのだ。
助けたくないとばかりに、バル爺がうへぇーと嫌な顔をアスランに向けると、「頼む!」と言うアスラン。
仕方なくバル爺は岩場に引き上げた。
その間、岩場の下では、サルート達を逃がすために、アスランが魔虫を蹴散らしている。
それを見たサルートは、感謝するどころか、恐ろしいことをトリーガー王に頼んだ。
「トリーガー王は、ダンメルス領の攻撃と前王太子の暗殺とを条件に、銀の交換を約束したはずだ。契約はまだだが、今がチャンスだぞ。私たちが殺してほしいと頼んでいた男が真下にいるんだ。ダンメルス領の事は後回しで、今はあいつをヤってくれ!!」
たった今自分は助けられたというのに、その恩人を殺してほしいと頼むサルート。
バル爺のいる前で・・。
ここに来ても状況が掴めず、何も変わることがないサルートに、バル爺も呆れ顔だ。
トリーガーも、ため息混じりで言葉を吐き出す。
「よその国の事に口出しをするのは、自分の信条に反するが・・、一つ言わせてもらおう。おまえはこの国の王の器ではない。まあ、今までも王と名ばかりで傀儡の王だったがな」
侮辱の言葉など生まれてこのかた、一度もかけられた事がないサルートは、怒りでプルプルと震えている。
「よくも私を侮辱したな。あいつの母は底辺貴族の女だ。それに引き替え私は、侯爵の母を持つエリートだ! 私ほど王に相応しい人間はいない!!」
そう言いきり胸を張るサルートに、トリーガー王はしらけきっていた。
その従者は顔を逸らして笑いを堪えている。
バル爺が鼻をすんすんと言わせ何かを嗅ぐ様な真似をし、「あー臭いわー。何か腐った匂いがするのう」と言い出す。
トリーガーはバル爺の言いたいことが分かったらしい。
「そうだな、確かにするな。剣も持てないほど腕力もなく、政治は祖父に丸投げで、脳みそも空っぽの傀儡王。優秀な兄弟がいるのに、それも見えていない。目玉が腐っているのだな」
トリーガーの従者も笑いながら「本当です。目が腐っているとしか考えられないですよ。しかも助けてもらっているのに、感謝もしないって心も腐ってます!」と言った後、ぶーふふと盛大に吹き出した。
コケにされたサルートが真っ赤な顔で睨み、一番弱そうだと思ったのかバル爺に向かって剣を向け、斬りかかる。
バル爺が避けるまでもなく、体を僅かにずらしただけでサルートはよろけ、窪地に足を取られてしまう始末。
「くそ、避けるな!!」
その窪地から出ようとするが、サルートの体はどんどんと下に落ちていく。
もがけばもがくほど、下に下にと・・。
「どうなっている? そこのじじい、助けにこい!!」
じじいと言われたバル爺は難しい顔で、こめかみを掻いている。
「いんやー、助けろって言うても、これ・・魔虫の罠やし。もう、無理やな」
この窪地の下に、主に通りかかった水蟻を捕食しようと待ち構えている魔虫の棲みかだ。
「助けたいのは山々やけど、ロープがないと無理なんよ。諦めてな」
バル爺が悲しげな顔を作って見せたが目は冷ややかだ。踵を返すと、そこから離れた。
アスランには悪いが、この者は改心することはない。バル爺はそう思い、見限ったのだ。
ガチガチガチと牙をならして喜ぶ魔虫。そこから逃げようともがくサルート。必死で上に行こうとするが、サルートの足に何かがまとわりつく。
それはサルートによって無実の罪で亡くなった人々の数多くの手である。
「おまえたちは誰だ? おい! 離せ!!」
その手がサルートを掴み、下へ下へと引きずり下ろしていく。
「うわあああ!!」
サルートの最後をトリーガー王と従者が真っ青な顔で見ていた。
「今、東のルートが一番安全ですねん。間違えんように、わしに付いてきてくだされ」
バル爺の言葉に、頷くことしか出来ない二人だった。
その頃、ゼルニケは数人の騎士らに囲まれ、易々と銀山の山道を下っていた。
多くの貴族は魔虫に襲われているが、作業員や坑夫は誰一人襲われていないことに、ゼルニケは気がついた。
逃げる坑夫を騎士に捕えさせ、その秘密を白状させる。
「おい、おまえ達は何故魔虫に襲われないのだ!!」
しかし、誰もが口を噤む。
「口止めされているのか? じゃあ、二度と口を利けぬようにしてやろうか? おい、そこの坑夫を斬れ!」
騎士の一人に、他の坑夫を斬るように命令した。
驚いた坑夫は慌てて、自分が襲われない理由を言い始める。
「私達は魔虫が嫌がる粉を持っています。それを水で溶かした物を衣服に塗っているんです!! 言ったので許してください!!」
「そうか、分かった。だが、最初におまえは私に刃向かった。おい、こいつを斬れ!!」
この無情な決定に、騎士の一人がこれに異を唱えた。
「この者を殺すと匂いで、魔虫が寄ってくる可能性があります」
「それもそうだな、ではその者の服を脱がせ。それを私が着て逃げるのが一番良い使い方だろう。私が生き残るのがこの国のためだ」
騎士は自分の提案が受け入れられて安堵したが、ゼルニケの無慈悲すぎる言動に、嫌気が差していた。
自分を守っていた騎士たちの気持ちも知らず、ゼルニケは坑夫の服を、奪い取ると大慌てで服を着た。
その服の効果は抜群だった。
横から小さな魔虫が襲って来たが、ゼルニケには寄って来なかったのだ。
気を大きくしたゼルニケは、その魔虫と戦っている騎士達をおいて、下山する。
もう魔虫が襲って来ないとなると、逆に騎士を目当てに、魔虫が襲ってくる可能性がある。では、いない方が良いのでは?と思ったのだが、正解だった。
一匹の魔虫も姿を見せない。
意気揚々と一人で下山するゼルニケ。
孫の事を気にすることなく、既に存在すら忘れているようで、魔虫が寄ってこなくなる粉を買い占めた後、もう一度銀山の採掘をしなければと、そのことばかり考えていた。
この粉が採掘と割に合わない高価なものだと知らないゼルニケは、アルガス山脈を堀つくせば、一体いくらになるのだろうかと頭の中はそれで一杯である。
ガサッ
草むらからある人物が出てきたが、全く気付きもしないほど、金の計算をしていた。
「おい。久しぶりだな!」
急に馴れ馴れしく声を掛けられ、ゼルニケは声のした方へ顔を向けた。
だが、その顔に全くと言っていいほど思い当たらない。
ゼルニケが首を傾げたのを見て、声の主は笑い出す。
「あはは、そりゃ、罠に嵌めて葬った男の顔なんて覚えている訳がないよな?」
ニヤリと笑うその男の腕は、左腕がなかった。
「おまえは・・ボニファーチョか?」
そう、男はいかさま賭博で借金を背負い、人生転落していった元近衛騎士だ。
「俺は騙されて全てを失った。友の妻を犠牲にしてしまった。それに、裏切ってまで守りたかった俺の妻や子供を、お前は借金のカタに売りやがった。お前だけは許さない!!」
「まま待て、何かの勘違いだ。私はお前の家族の事なんて知らないぞ!!」
見苦しいまでに言い訳をするが、ボニファーチョは調べ上げていた。
「悪いが、お前にはここで死んでもらう。都合良くここでは後始末も要らないようだしな」
ボニファーチョが周りを見渡す。
確かにここには、骨まで片付けをしてくれる魔虫がいる。
ゼルニケは格好など気にしているられないと、地面に額を擦りつけるように土下座をした。
「助けてくれ!!金ならいくらでも出す!!」
少し驚いたボニファーチョに、油断したと勘違いしたゼルニケは、いきなり低い姿勢から短剣で斬りかかった。が、なんなく躱され、そのままボニファーチョの剣にゼルニケの体は貫かれていた。
「ぐぅぅぅ・・。これからだと言う時に・・」
ゼルニケの体から、ボタボタと血が流れる。
その匂いに誘われて多くの魔虫が集まって来た。
「お前の孫も食われてたぞ。すぐに一緒のところに行ってやれるな」
ボニファーチョはその場から離れた。
「こんなところで死ぬ訳にはいかない。それに私の服は魔虫が寄り付かない匂いが掛けられている。奴が知らなかったのは助かった。後からくる騎士達に医師のところまで運んでもらえば、助かるかもしれない」
ゼルニケは坑夫から奪い取った服で、魔虫からは逃れられると思っていたようだが、実際にはゼルニケの大量の血の匂いで千菊草の香りは上書きされている。
そして、弱った獲物を好物とするカマドロケストと血の香りで脳蚊が飛んできた。
草むらからガサガサと這い出てくるカマドロケスト。
ブオーンと大きな耳障りする羽音を響かせて脳蚊が。
「くるな!! 誰か私を助けろ!! 誰かああああああー・・・」




