28 真っ赤なミュゲ
ダンメルスの朝は早い。
アスランは、窓から見えるアルガス山脈を見て、今日の天候が分かるまでになっていた。
アルガスの山が色濃く見える。
外はまだ薄暗く、雲が山に掛かっているが、どの雲も狼煙のように天に向かっている。そして、日が上り始めた途端、どんどんと遥か上空で、雲が霧散していくのだ。
風も吹いているが、爽やかな風だ。
「今日は晴れるな」
ここから見える景色は、毎日変わり、見飽きることがない。
「ここの景色は生きている」
それに比べ・・あの王宮で暮らしていた時に、窓から見えるものは灰色で、死んだような景色だったなと感慨深い。
ずっと雄大な景色を見ていたかったが、ミュゲの「朝御飯ですよ」と呼んでいる声がしたら、アスランは慌てて立ち上がった。
ミュゲの声と同時に、山でアスランのペットとなったルチアドラゴンも鳴いて呼んでいるので、急いで着替えをしなければならない。
大型犬くらいの大きさで、羽毛がふさふさして可愛かった雛鳥は、半年で羽毛が抜け落ち、青銀色の肌が見えてくると、どんどんと大きくなり、今では大人一人を乗せて飛べるまで成長していた。
ミュゲの説明では、このルチアドラゴンは成体になれば、屋敷を踏み潰せるまで大きくなると聞き、このままでいてくれと願うアスランだった。
16歳になったアスランの身長も、のびのび育って、今や180cm。ミュゲは上を向いて話をしなければならないので、首が痛くなると文句を言う。
そういうミュゲも、女性特有の丸みを帯びた曲線美で、アスランは目のやり場に困るくらい、美しくなっていた。
相変わらず、ロスベータ侍女長の厳しい勉強は続いていたが、この間にミュゲもすっかり淑女らしい動きも出きるまでに成長していた。
あの厳しいロスベータ侍女長が、太鼓判を押す程である。
二人は王家には認められていないものの、二人は、どこに行くのも一緒に行動している。
その息ぴったりな連携で、どんな『虫』が来ても最早驚異ではない。
イフサンも益々大きくなり、父と並ぶ背丈になっていた。
そして、妻帯者になり、父の領地経営の仕事を手伝っている。
この2年間は、ザラ達もこのダンメルスには攻めあぐねているようで、こちらは平和な日々を送っていた。
◇□ ◇□
今日アスランは、久しぶりに一人でアルガスの山中で、『虫』駆除に行く予定だったので、ミュゲが弁当を用意していた。
初めて『虫』を見た日には屋敷に帰っても気持ち悪さと怖さで夢で、しばらくは魘されたほどだったが、2年も過ごすと一人で狩りに出掛けられるほどになっていた。
未だに気持ち悪さが、払拭できないものもあるが・・。
なんと言っても、最初の日に見た、大鎌(カマキリ種の魔虫)が、カマドロケスト(バッタ種魔虫)を生きたままバリバリと食う様は恐ろしく、その音が耳について離れないのだ。
この音に慣れる気がしないのだが・・。
当時のことを思い出しながら、アルガスの山を見ていると、アスランは山の異変に気がついた。
「ミュゲ、今日の山は静かじゃないか?」
アスランが逸早くアルガスの異常に気が付く。
「そうね。確かに、いつもと違って小鳥達が自由にしているわ。のびのびって感じね」
山の様子が穏やかで、平和なのだ。
いつもの禍々しい雰囲気はなく、平和で静かだった。
しばらくすると、山に入っていた狩人たちが屋敷に戻ってきて、しきりに首を傾げている。
大きな魔虫の姿を、確認できなかったらしいのだ。しかも、全体的に魔虫の数が少なくて山が静かだったと報告してきた。
真冬でもないこの季節に、魔虫が激減するなんて考えられない。
「たまにはこんなアルガス山もいいけれど、やはり何かおかしい・・」
アスランはミュゲと一緒に、すぐに異変について、領主のドルクに報告した。
だが、肝心のドルクが、「うーん、そろそろかな? いや、もう少しか?」と、要領を得ない返事が続けるばかり。
しかし、最後にアスランを見ながら、はっきりと告げた。
「種を蒔いてたんや。アルガス山脈の西にな。その収穫時期が来たかもしれん」
アルガス山脈の西といえば、ミュゲがゼルニケの孫であるサルートに、剣を向けたとして、慰謝料代わりに渡した銀山がある場所だ。
何が起こっているのか、詳しくは分からないが、おおよその見当をつけた二人は、顔を見合わせドルクの部屋を出た。
『虫』がいないので、アスランは駆除に行かず、ミュゲに作ってもらったお弁当を屋敷で食べることにする。
そして、昼食を終え部屋に戻ると、ミュゲが険しい顔で「うーん」と腕を組んで唸っている。
「ねえ、アスラン様。アルガスの山のこと・・どうなるのかな?」
「・・・」
質問されたアスランだが、返事はない。
アスランには山の事よりも、もっと気になっていることがあった。
アスランはミュゲの前に椅子を持ってきて、真ん前に座ると、ミュゲの髪の毛を一掬いし、その手触りを楽しんでいる。
「ミュゲの赤い髪の毛は、アンガスの夕焼けに染まる赤よりも赤いよね。きれいだ・・」
そう言われたミュゲの顔は、アルガス山の夕焼けよりも赤くなる。
その、呆気に取られたような恥ずかしげな表情は、成長しても可愛くて、アスランはついつい触れたくなるのだ。
赤い髪の毛、赤い頬、赤い耳朶。
もっと赤くなるミュゲの顔から、目が離せない。
アルガス山脈の異変など、すっかり忘れてしまうアスランであった。
「ちょっと待って・・アスラン様。今は山の事をお話しませんか?」
ミュゲの抵抗にがっかりしながらも、アスランはドルクの考えを話すために、きちんと座り直した。
「アルガス山脈の西には、大きな魔虫の餌となる『幼虫』が孵っている頃なんだろう。それを求めて虫が動き出したってところかな? しかもドルクが銀山に入らないように蒔いていた、千菊草の効果も切れ始める頃なんだろうね。でも、その対策として、ちゃんと手は打っていると聞いているよ」
ミュゲは意味が分かったようだったが、それでも、不安は残ったみたいで、浮かない顔をしている。
そして、暗い顔のまま「外に行く」と言い残し、そのまま屋敷を出てしまった。
山の均衡が壊れる不安か?
それとも大好きな山が、政治的に利用された怒りか?
アスランはミュゲの後を追って屋敷を出たが、ミュゲは馬に飛び乗り、既にいなかった。
そこに、バル爺と他の爺たちが入れ替りで屋敷を訪れた。
良いところに来た!とばかりに、アスランが手招きで、バル爺達を屋敷の裏手の草原に連れ出し、そこで相談をし始める。
「バル爺、今日もミュゲの容姿を褒めたのだが、反応が微妙だったぞ。本当にこの作戦はあっているのか?」
「お任せ下さい。恋の狩人として昔は名を馳せたもんです。女を口説く前に、十分に褒めて褒めて褒めごろすのですじゃ」
この相談に他の爺たちも加わる。
「そうじゃ、ワシらこのじじい軍団に任せておきなさい。ミュゲ様の気持ちを王子様に傾けさせる事など、お茶の子さいさい、簡単ですぞ」
爺軍団が、アスランにあの手この手を伝授している。
使える手もあれば、全く役に立たない手もあるのだが、恋に初な王子様は疑うことなく、全てを実践中。
「このやり方であっているのか?」
確かにミュゲの顔は赤くなったりし、手応えを感じることもあるが、彼女の顔が真っ青になって引いていたり、照れて赤いではなくて、額に血管を浮かせる程真っ赤になって、怒っている時もあるのだ。
爺軍団によれば、それも成功らしい。
ーー本当か?
ミュゲとは幼い頃から一緒にいるので、アスランは自分を男としてちゃんとみてくれているのか、不安になった。
ミュゲの行動はいつまで経っても、小さな守るべき王子様として扱われているようで、そこから脱却したいのだが、その方法が分からない。
誰かに相談したいが、彼女の父に、『彼女の落とし方』を訪ねる阿呆はいない。
そして、ついつい、身近な爺軍団に相談してしまったのだが・・。
過激な一人の爺が「ベッドに押し倒してみて、もしミュゲ様が顔を赤くして目を瞑ったなら、それはキスして良いと言うサインで、しっかり男として見てくれておるぞ!」と背中を押され、実行したこともあった。
その結果・・。
押し倒されたミュゲは、確かに顔を真っ赤にした。
ーーおお、いいぞ
と思った瞬間ミュゲは、すぐにアスランの腹に足裏をあてて、スコーンと投げ飛ばしたのだ。
思い返しても、見事なともえ投げだった。
この爺達に本当に相談していても良いのかと迷いだしたところ、頭上からアスランを呼ぶ声がした。
異国から帰ってきたイフサンである。
ああ、なぜイフサンに相談しなかったのだろうかと、遠回りをした自分に反省したアスランであった。




