20ー① 別れ
何事もなく穏やかに日常が過ぎていた。
ミュゲが王宮に着てから3年が経ち、
二人は14歳になり、ミュゲは王太子妃教育もしっかり学び、洗練された令嬢になっていた。
「ごきげんよう、アスラン殿下」
上品にホホホと口許を隠して笑うミュゲに、アスランはニヤリと悪戯っ子の顔を向ける。
「ミュー、もう誰もいないよ」
その言葉で、ミュゲが回りを注意深く見回す。
「ああ・・やっと一息つける・・」
肩が凝ったのか、ミュゲは細い首をくるくると回した。
「今日は父上の調子が良いらしいから、昼食後に会えるんだ。だから、一緒に行こう」
ミュゲは目を瞪り喜びを顔に出した。
ミュゲにとってパルスランは、国王というよりも優しいお義父さんなのだ。
たまにしか会えないが、いつもミュゲを気遣い労ってくれる。
パルスランは言葉の端々から優しさが溢れていて、穏やかな性格が窺えた。
会うと、ミュゲは心の中まで洗われたような気持ちになるのだ。
ミュゲは、国王の病気が一日も早く治るように、毎日神様にお祈りをしている。
しかし、病状は一進一退で完治することはない。
「陛下にお会いする前に、サランカを摘んでご覧いただく事はできるでしょうか?」
ミュゲが言ったサランカは小さなピンクの小花がびっしりと枝についた可愛い花で、陛下が好きな花だ。
「ああ、きっとお喜びになる」
アスランが頷いた。
だが、その花をミュゲが陛下に見せることはなかった。
なぜなら、その日の昼食前に陛下の容態が悪化したのだ。
◇□ ◇□
少し前、ザラは再び青の騎士団の制服を着た男を呼ぶ。
「今度は失敗はせぬようにな」
男はザラに媚びるような笑みを向ける。
「勿論です。陛下のベッドの傍にアスラン殿下を引き付けておけば良いのですね」
「そうじゃ、見舞いに来たアスランも一緒にあの世に送ってやろう。親子共々のう」
笑うザラ。
「それとのう、山猿は鼻が利くゆえ気を付けなさい」
ミュゲを揶揄して、再び扇で口許を隠す。
「山猿の対策は万全です。なんなら、一緒にベッドの傍にいて殺して見せましょう」
ザラに跪いた騎士。
ザラは返事はせず、妖艶に微笑み扇子で扉を指す。
男はそのまま、すぐに立ち上がり出ていった。
アスランの部屋に、青の騎士団員のカールアが慌てた様子で入ってきた。
いつものふわふわとした表情は、焦りのためか、泣き出しそうになっている。
「大変です!! 陛下のご容態が急変、すぐに来てください」
そのとき一緒にいたミュゲは、走り出したアスランの後を追う。
そして、共にパルスランの部屋に入った。
アスランはすぐに、父が寝かされているベッドの傍までくると、その真っ青な顔と病状を見て取り乱す。
「父上? どうされたのです? なぜだ?!!」
一国の国王の病状が悪化したにも拘わらず、医師が呼ばれてもいない状況は、あまりにも不自然。
「医師はどうした?」
アスランがその場に居た者へ問うが、侍女一人は入り口近くで側に近寄りもせず、答えもしない。
これでは何が起こったのか分からないではないか。
ミュゲとアスランが駆けつけたときには、国王の意識は既に無く、重体であったというのに・・。
「父上!! 父上!!」
ベッドに崩れるように叫ぶアスラン。
悲しみと父が逝く恐怖で取り乱すアスランに、声をかける事もできずに、寄り添うだけのミュゲ。
暫くすると宰相のチャーリーとドルクも呼ばれ入室する。
そのときにドルクだけがその部屋に漂う、何かが燻されたような匂いがあるのを感じた。
「お前ら、すぐにこの部屋から出ろ!!」
ドルクが叫び、ミュゲとアスランを掴み、怪力で二人を部屋の外に放り出す。
そして意識のないパルスランを抱きかかえ、部屋の外に出した。
チャーリーも、何がなんだか分からないまま、ドルクと一緒に部屋の外に出た。
急ぎ別の部屋を用意させて、パルスランを寝かせたが、意識は戻ってはいない。
すぐにドルクが懐に持っていた瓢箪の水筒を取り出し、パルスランに飲ませた。
だが、どうしたことか、その最中にアスランも倒れてしまう。
「アスラン様!! どうしたの? 起きて!!」
ミュゲの叫び声に、すぐにドルクがパルスランに飲ませていた残りの水を、今度はアスランの口に流した。
アスランの喉が水を飲み込んだのを確認し、ほっとするがこれで完治した訳ではない。
ベッドに寝かされたアスランもまた、危険な状態のままである。
まだまだ、水は必要だがこれ以上はないのだ。
「くそ、もっと持ってきといたら良かった!! 『大地の源泉』が足らん!!」
悔しそうに喚くドルクに、何が起きているのか全く把握できないチャーリーは、ドルクに詰めよる。
「いったい、何が起きた?!!なんで、二人が倒れた?!」
チャーリーが叫ぶ。
「落ち着け、チャーリー」
そう言ったまま、ドルクは険しい顔で腕を組んだまま動かない。
一方チャーリーは怒りのせいで、じっとしている事ができずにいた。
部屋をうろうろする、チャーリーに「ピアゾマーニだ」とドルクが言う。
「ピアゾマーニとは?」
漸く足を止めたチャーリー。
「ピアゾマーニという魔獣の角は、燃やすと体の神経と筋肉の両方に作用し麻痺を引き起こす。厄介な毒だが、その魔獣は絶滅したはずだ。それがなぜ使われたのだ?」
ドルクがその説明をじっと聞いている娘のミュゲの方を見た。
「厄介な事に、燃やしても煙もでないし、匂いも僅かにする程度。だが、ダンメルス領に住む者なら、この異様な匂いを嗅ぎ取れないはずがないのだが? 分からなかったのか?」
ドルクが険しい顔で、ミュゲを振り返る。
言われたミュゲは驚き、呆然としていたが、すぐに首を横に振った。
ダンメルス領地に住む者ならば、この異様な匂いが危険だと判断できるはず。
それなのに、ミュゲは危険な匂いが充満している部屋の中に、アスランと一緒に居続けた。
父が自分に困惑の目を向けていることに、戸惑うミュゲ。
「・・匂いには・・気が付かなかったの・・」
本当に匂いなど全く分からなかったのだ。
もし、自分がその匂いに気が付いていたなら、アスランまで倒れる事態を防げたはず・・。
あれ?・・・確かに、陛下の部屋に入った時、呼びに来てくれた青の騎士団のカールアはぴったりと近くにいた。
ミュゲは騎士の不自然な行動を思い出す。
部屋に入れば、騎士は部屋の外か、入り口に待機するはず。しかし、彼は陛下のベッド脇まで付いてきた。
初めはそのカールアが、アスランを気遣い寄り添って居てくれたのだと思っていたがそうではない。
しかも涙を拭うふりをして、不自然に口と鼻をハンカチで覆っていたのではないか?
しかもその騎士の香水を今もなお、思い出せるほどに、彼の体から匂っていた。
「私のそばに居た青の騎士の香水のせいで、私は匂いが分からなかったの」
不自然な行動には裏があると、いつもロスベータ侍女長に言われていたのに、なぜ気が付かなかったのか?
ロスベータ侍女長・・・。
そう言えばロスベータ侍女長が階段から落とされた時に見たのは、何だと言っていた?
確か・・青の騎士団に支給された靴と言っていたのでは?
そうだ・・、カールアのことはいつもミュゲの心のどこかに引っ掛かっていた。そして、警戒しなければならないと思っていたのに・・。
ずっと以前に、訓練所から帰る時、アスランが刺客に襲われた事件では、カールアはアスランを先に行かせ、まるで襲撃者に『アスラン殿下!! この先にある倉庫に入りましょう』と大声で叫び、アスランがそこにいくのを誘導しているかのようだったのだ。
あの時から、ミュゲの中でカールアに対して嫌な気持ちが心の奥底で燻り続けていたはずだった・・。
だが、その後、彼の癒される容姿と人懐っこい態度と笑顔で見逃してしまっていたのだ。
もし、カールアの正体に気付けていれば、アスランは元気だったのに・・。
ミュゲが悔しげに声を絞り出すように犯人を父に伝える。
「お父さん、青の騎士団のカールアよ。あいつ、香水の匂いで私の鼻をダメにしてたんだわ。それに証拠はないけどロスベータ侍女長を階段から落としたのも、たぶんカールアだと思う」
「そんな・・・カールアといえば、青の騎士団の中でも有望株だったのに?」
チャーリーが絶句し、拳を握る。
「お父さん、もう一回さっきの水を出して欲しい」
手を合わせて頼むミュゲ。
可愛い娘の頼みなら、なんでもしたい。だが、ドルクがどんなに振り絞っても一滴も出ないのだ。
この瓢箪から出る水は、貴重な万能薬であるが、長い年月をかけて一滴一滴涌き出るもので、すぐに溜まるものではない。
「ミュゲ、もうなくなったんや・・」
その言葉を聞いた瞬間、ミュゲは項垂れた。
そこに、残された3人の気持ちを逆撫でするような高らかな声が響く。
パーティーのような派手な格好をしたザラが、微笑みながら入ってきたのだ。




