目覚め
夜の町を、ハクトの後ろについて歩いていた。
「なあ」
「なんだ」
「怪物を見に行くって……どこにいるんだよ」
「もうすぐだ」
ハクトは振り返らない。
「もうすぐって……」
街灯の下を通る。
いつもの道だった。
何度も朝陽と結衣と歩いた道。
コンビニの前で話している学生。
自転車で家へ帰る人。
犬を散歩させているおじさん。
何も変わらない。
昨日まで僕が見ていた町と同じだった。
「本当にいるの?」
「ああ」
「どこに」
「いるさ」
ハクトが足を止めた。
「お前が見てなかっただけでな」
「……」
辺りを見る。
誰も怪物なんて気にしていない。
そもそも、
怪物がいることすら知らない。
僕だって昨日までそうだった。
「……みんなには見えないんだよね」
「ああ」
「じゃあ怪物に襲われたら?」
「何が起きたのか分からないまま死ぬ」
足が止まった。
ハクトはそのまま歩いていく。
「待ってよ」
慌てて追いかける。
「それって……」
あの日の光景が頭をよぎる。
道路。
トラック。
朝陽。
結衣。
「事故とかに見えるってこと?」
ハクトの足が、ほんの少しだけ止まった。
「ああ」
それだけ答えて、また歩き出した。
僕は何も言えなかった。
もしかしたら。
僕が知らないだけで、
この町でもずっと――
「湊」
「え?」
「着いたぞ」
顔を上げる。
町外れにある、小さな公園だった。
昼間なら子供たちが遊んでいる場所。
でも今は、
誰もいない。
街灯が一つ。
古びたブランコ。
滑り台。
風に揺れる木々。
「ここ?」
「ああ」
「何もいないけど」
ハクトは答えない。
公園の奥を見つめていた。
「……あそこだ」
指差した先を見る。
「どこ?」
「滑り台の後ろ」
目を凝らす。
暗い。
何も見えない。
「いないじゃん」
「よく見ろ」
「見てるよ」
「目だけで見るな」
「……何それ」
「感じろ」
「分かんないよ」
「だろうな」
「じゃあ言うなよ!」
ハクトが小さく笑った。
「目を閉じろ」
「え?」
「いいから」
仕方なく目を閉じる。
真っ暗になる。
風の音。
木々が揺れる音。
遠くを走る車の音。
それから――
何か。
「……?」
胸の奥が、
妙にざわついた。
寒いわけじゃない。
でも、
背中を冷たいものが這っていくような感覚。
「……なんだ、これ」
「分かったか」
「何か……いる」
「目を開けろ」
ゆっくりと目を開く。
滑り台の後ろ。
さっきまで何もなかった場所。
そこに、
何かがいた。
「……え」
最初は、
人だと思った。
暗闇の中で、
誰かがしゃがんでいる。
でも。
違う。
腕が、
長すぎる。
地面についた両腕は、
人間のものとは思えないほど細く伸びていた。
背中は大きく曲がり、
首が不自然な方向へ傾いている。
そして、
顔には何もなかった。
目も。
鼻も。
口も。
ただ、
黒い穴のようなものが一つだけ開いていた。
「……っ」
声が出なかった。
身体が動かない。
怪物は、
滑り台の陰でじっとしていた。
「……あれが」
「ああ」
ハクトが静かに言った。
「怪物だ」
心臓がうるさい。
ドクン。
ドクン。
自分の鼓動だけが、
やけに大きく聞こえる。
「……違う」
口から、
勝手に言葉が出た。
「何がだ」
「あの日……」
道路の向こう側。
あの時見たもの。
人のようで。
人ではない何か。
でも。
目の前の怪物とは、
何かが違う。
「……いや」
首を振った。
今は、
そんなことを考えている場合じゃない。
その時だった。
怪物の首が動いた。
ゆっくりと。
こちらを向く。
「……っ!」
一歩、後ろへ下がる。
顔に開いた黒い穴が、
僕を見ている。
目なんてないのに。
分かった。
見られている。
「ハクト……」
返事がない。
「ハクト」
隣を見る。
いない。
「……え?」
辺りを見渡す。
「ハクト?」
どこにもいない。
「嘘だろ……」
怪物が立ち上がる。
想像していたより、
ずっと大きかった。
細長い身体が、
ゆっくりと伸びていく。
一歩。
怪物がこちらへ近づく。
僕は一歩下がる。
「ハクト!」
返事はない。
「ふざけんなよ!」
怪物が、
また一歩近づく。
逃げないと。
そう思うのに、
足が動かなかった。
怖い。
ただ、
怖かった。
怪物が地面を蹴った。
「――っ!」
速い。
考えるより先に、
身体を横へ投げた。
何かが頬を掠める。
そのまま地面に転がった。
「痛っ……!」
顔を上げる。
さっきまで僕が立っていた場所。
街灯が、
大きく傾いていた。
「……嘘だろ」
怪物がこちらを見る。
こんなの。
勝てるわけがない。
「避けろ!」
どこからか、
ハクトの声がした。
「どこにいるんだよ!」
「今は避けることだけを意識しろ!」
「そんなの急に言われても!」
立ち上がる。
怪物が再び動く。
僕は走った。
後ろから、
何かが地面を蹴る音がする。
振り返れない。
ただ走る。
「なんなんだよ!」
息が苦しい。
「こんなの聞いてないって!」
その瞬間。
目の前に白い影が現れた。
「うわっ!」
急停止する。
「ハクト!」
「遅い」
「遅いじゃないよ!」
後ろを指差す。
「あれ! あれどうすんだよ!」
「どうもしない」
「は?」
ハクトは僕の後ろを見る。
怪物が、
ゆっくりと近づいてきていた。
「お前がやる」
「……何を」
ハクトが僕を見る。
「倒すんだ」
「無理だよ!」
即答した。
「僕、戦ったことなんてないし!」
「知ってる」
「じゃあ!」
「だから教える」
怪物が近づいてくる。
ハクトは、
まるで何でもないことのように言った。
「戦い方を」
「今から!?」
「今からだ」
「馬鹿なの!?」
ハクトが笑った。
「安心しろ」
「何を!」
「死にそうになったら助けてやる」
「最初から助けてよ!」
怪物が地面を蹴った。
「来るぞ」
「ちょ、待って!」
「湊」
ハクトの声だけが、
妙にはっきりと聞こえた。
「目を逸らすな」
迫ってくる怪物。
震える足。
逃げたい。
怖い。
それでも。
僕は、
怪物を見た。
思えば僕は、
ずっと誰かに守られてきた。
朝陽にも。
結衣にも。
いつだって僕は、
二人の後ろにいた。
でも。
もう二人はいない。
今度は、
僕が立たなきゃいけない。
震える足に力を入れる。
逃げる以外のことを選んだのは、
たぶん、
これが初めてだった。
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