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白波 湊

蝉の声が、


朝からうるさい。


「今日もいくぞ」


「う、うん」


僕たちはいつもの林へ向かう。


ハクトは、


少し前を歩いていた。


昨日と、


何も変わらない。


住宅街を抜ける。


細い道へ入る。


蝉の声が、朝からうるさい。


「今日も剣?」


「ああ」


「もう結構出せるよ」


「まだだ」


いつも通りだった。


林へ向かう。


その途中。


ザザッ――


「……!」


ハクトの身体が、


大きく乱れた。


足が止まる。


「ハクト」


「……」


白い身体に、


何度もノイズが走る。


昨日までとは、


明らかに違う。


「大丈夫?」


少しして、


ノイズが止まった。


「ああ」


ハクトが、


また歩き出す。


「……」


僕も歩く。


でも。


ハクトは林へ向かわなかった。


途中の道を、


そのまま真っ直ぐ進んでいく。


「ハクト?」


返事はない。


「そっちじゃないよ」


「ああ」


「……?」


それでも、


ハクトは歩いていく。


見覚えのある道だった。


住宅街を抜ける。


坂道へ入る。


その先に、


古びた階段が見えた。


「……ここ?」


三人で、


昔よく来ていた場所。


この町で一番高い場所。


ハクトは、


階段を上っていく。


僕も、


その後を追った。


一段。


また一段。


最後の一段を上る。


町が見えた。


学校、駅、住宅街。


その向こうに、


海が広がっている。


前に来た時とは違って、


太陽はまだ高かった。


「……」


ハクトは、


柵の前まで歩いていく。


僕も、


隣に立った。


「フリーランドって場所がある」


「……フリーランド?」


「ああ」


ハクトは、


町を見たままだった。


「死んだ人間が行く場所だ」


「……」


「全員じゃない。強い未練を残した奴が、精霊になって辿り着く」


ハクトを見る。


白い身体。


初めて会った時から、


ハクトは自分のことを話さなかった。


「じゃあ、ハクトも……」


「ああ」


少しだけ、


風が強くなった。


――


海の中へ、


身体が沈んでいく。


暗い。


冷たい。


上にあった光が、


少しずつ遠くなる。


手を伸ばしても、


届かなかった。


そして。


何も見えなくなった。


――


目を開ける。


知らない空。


知らない世界。


自分の身体は、


白く変わっていた。


何もする気になれなかった。


歩く理由もなかった。


それでも、


歩いた。


怪物に襲われた。


誰かに助けられた。


また歩いた。


誰かと出会った。


また、


誰かと出会った。


一人だったはずなのに、


いつの間にか、


周りに人がいた。


怪物と戦った。


最初は、


何もできなかった。


何度も傷ついた。


何度も負けた。


それでも、


戦った。


喋る鳥とも出会った。


うるさくて、


面倒なやつだった。


気付けば、


ずっと一緒にいた。


歩いた。


戦った。


また歩いた。


どれだけ時間が経ったのか。


分からなくなった。


それでも、


忘れられないものがあった。


青い空。


蝉の声。


海の匂い。


そして。


三人で過ごした、


あの夏。


――


「ずっと、帰りたかった」


ハクトが言った。


「ここに?」


「ああ」


町を見る。


ハクトも、


同じ景色を見ている。


「フリーランドの一番奥に、王がいる」


「王?」


「ああ」


「そいつのところまで行った」


「……」


「願いを一つ、聞いてもらった」


ハクトが、


海を見る。


「過去に戻してくれって」


風が止んだ。


「……過去?」


「ああ」


「なんで?」


少しだけ、


間があった。


「助けたかった」


「誰を?」


ハクトは、


答えなかった。


でも。


何となく分かった。


「……朝陽と結衣?」


「ああ」


「……」


ハクトを見る。


ずっと、


分からなかった。


どうしてハクトが、


二人を知っているのか。


どうして、


あの二人のことを知っているのか。


「何で……」


ハクトの身体に、


ノイズが走った。


ザッ――


すぐに戻る。


「戻ってきた」


ハクトが続ける。


「二人が生きてた夏にな」


――


夏。


三人がいた。


朝陽がいた。


結衣がいた。


二人が、


笑っていた。


ずっと会いたかった。


何年。


何十年。


どれだけ時間が経ったのかも、


もう分からない。


それでも。


二人の顔だけは、


忘れなかった。


今度こそ。


助ける。


そう思った。


――


事故の日。


止めようとした。


怪物を先に倒した。


三人をあの道へ行かせなかった。


湊を二人から遠ざけた。


何度も。


何度も。


やり直した。


それでも。


2人を救う直前で時間が戻ってしまう。


――


「なんで……」


「俺がいるからだ」


「……?」


「朝陽と結衣が死ななければ、俺はここに来られない」


意味が、


分からなかった。


「二人が助かれば、俺は生まれない」


「……」


「俺が生まれなければ、俺が二人を助けた世界もなくなる」


ハクトは、


柵へ手を置いた。


「何回やっても同じだった」


「……何回?」


「覚えてない」


風が吹く。


「何千回、何万回やっても無駄だった」


ハクトは、


少しだけ俯いた。


「俺には無理だった」


蝉の声が、


遠くから聞こえる。


「でも」


ハクトが、


僕を見る。


「一人だけ、助けられる奴がいた」


「湊、お前だ」


「……僕?」


「ああ」


何を言っているのか、


分からなかった。


「朝陽と結衣が死んだあと」


ハクトが言う。


「あの日、お前はあの海へ行く」


「……」


「そして崖から飛び降りる」


初めて、


ハクトと会った場所。


あの日。


ハクトがいなければ。


僕は――


ハクトの身体に、


ノイズが走る。


ザッ――


腕が乱れる。


すぐには、


戻らなかった


ノイズが、


肩まで広がる。


「ハクト……」


ザザッ――


「朝陽も」


身体が揺れる。


「結衣も」


輪郭が、


何度も崩れる。


「この町も」


それでも、


ハクトは僕を見ていた。


「全部、知ってる」


「……」


今までの言葉が、


頭の中を通り過ぎる。


「……まさか」


ハクトを見る。


ノイズが、


全身へ広がっていく。


「……」


何も、


言えなかった。


目の前にいる、


白い亡霊を見る


「……」


頭が、


追いつかなかった。


でも。


思い当たることばかりだった。


朝陽と結衣を知っていた。


僕の名前を知っていた。


僕が何をするのか、


何度も知っていた。


そして。


事故の日。


道路の向こう側にいた、


人のようで、


人ではない何か。


「……あの日、朝陽と結衣が僕を助けた日」


「ああ、見ていた」


胸の奥が、


強く鳴った。


「……ずっといたの?」


「ああ」


「僕たちが事故に遭った時も?」


「ああ」


「……」


何も言えなかった。


ハクトは、


何度あれを見たんだろう。


朝陽が死ぬところも。


結衣が死ぬところも。


その後の僕も。


何度も。


何度も。


ザザッ――


「……っ」


ハクトの身体が、


大きく乱れた。


「ハクト」


ノイズが、


止まらない。


「これ……」


「湊」


ハクトが、


僕を見る。


「何?」


「お前は、俺とは違った」


「……」


「俺が知ってるお前は、怪物と戦わなかった」


白い腕が、


崩れるように乱れる。


「誰かを守ろうともしなかった」


「……」


「でも、お前は違った」


「だから」


ザザッ――


ハクトの姿が、


大きく揺れた。


「……っ」


白い輪郭が、


崩れる。


ノイズの向こうで、


姿が変わっていく。


白かった髪が、


黒くなる。


顔がはっきりと分かるようになった。


「……」


息が止まった。


そこにいたのは。


僕だった。


少しだけ、


今の僕より大人びた。


そんな姿。


分かる。


白波湊。


目の前の僕が、


少しだけ笑った。


「もう大丈夫だね」


その声は、


ハクトじゃなかった。


僕と同じ、


柔らかい声だった。


「……」


手を伸ばす。


でも。


触れる前に。


黒いノイズが、


その身体を覆った。


「ハクト」


姿が、


崩れていく。


「待って」


手を伸ばす。


「……」


届かなかった。


風が吹いた時、


ハクトの身体も風と共に消えた。


そこには、


もう誰もいなかった。


「……」


手を伸ばしたまま、


動けなかった。


蝉の声が、


聞こえる。


町は、


何も変わっていない。


学校も。


駅も。


線路も。


海も。


いつもと同じだった。


「……」


柵の向こうを見る。


前にここへ来た時は、


隣にハクトがいた。


今は、


僕しかいない。


風が吹く。


「……もう」


言葉が止まった。


しばらく、


何も言えなかった。


それでも。


誰もいなくなった隣を見て、


小さく呟いた。


「……僕は、大丈夫だよ」

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