共鳴
怪物が、
ゆっくりと身体を起こした。
砂の上を這っていた黒い身体が、
人間のように立ち上がっていく。
「……」
僕は、
拳を握った。
胸の奥。
そこが、
強く脈打っている。
ドクン――
「……っ」
胸を押さえる。
その時。
怪物の動きが止まった。
「……?」
黒い顔が、ゆっくりと僕へ向く。
まるであいつも、
僕の中にある何かに気付いたみたいに。
「さっきの力を試したい」
「できるのか?」
「……分かんない」
「そうか」
「じゃあやれ」
「止めないんだ」
「やりたいんだろ?」
「そうだけど……」
怪物へ視線を戻す。
砂浜には、
まだ人がいる。
海で泳いでいる人。
砂浜を歩く人。
誰も、
怪物に気付いていない。
怪物のすぐ近くを、
一人の男が歩いていた。
さっきから、
あいつが後をつけている男だ。
「……あの人を狙ってる?」
「ああ」
「乗り移るつもりかな」
「かもしれない」
怪物が、
男へ近づいていく。
「……っ」
考えてる暇はない。
砂を蹴った。
「おい!」
もちろん、
怪物は答えない。
でも。
僕の声に反応するように、
顔だけがこちらを向いた。
その瞬間。
怪物が消えた。
「え――」
「下だ!」
ハクトの声。
咄嗟に、
後ろへ跳ぶ。
砂が弾けた。
さっきまで立っていた場所から、
黒い腕が飛び出していた。
「うわっ……!」
怪物が、
砂の中から這い出てくる。
「何だよそれ……!」
「ぼーっとするな!」
「分かってる!」
怪物が、
再び地面を蹴る。
速い。
「――っ!」
身体を反らす。
黒い爪が、
制服の胸元を掠める。
一歩下がる。
怪物が、
追ってくる。
腕。
避ける。
もう一つ。
身体を沈める。
「くそっ……!」
拳を振る。
怪物が、
横へ跳んだ。
当たらない。
昨日の怪物より、
明らかに速い。
「ハクト!」
「何だ」
「こいつ強くない!?」
「ああ」
「先に言ってよ!」
「今分かった」
「役に立たないな!」
怪物の腕が伸びる。
横へ跳ぶ。
砂の上を転がった。
「痛っ……」
身体を起こす。
怪物を見る。
まだ、
男の近くにいる。
男は何も知らず、
海を見ながら歩いている。
「……まずい」
怪物が、
再び男へ向かう。
「待て!」
走る。
怪物の前へ回り込む。
「こっちだ!」
黒い顔が、
僕を見る。
口のようなものが、
ゆっくりと開いた。
次の瞬間。
「――っ!」
飛びかかってくる。
避ける。
拳を振る。
また避けられる。
「当たらない……!」
ハクトの声が飛んできた。
「湊!」
「何!」
「さっきのはどうした!」
「さっきの?」
「歪みだ!」
「こんな時に!?」
「こんな時だから使え!」
怪物が迫る。
「無茶言うなよ……!」
拳を避ける。
さっきの感覚。
胸の奥。
手の先。
景色が、
陽炎みたいに揺れた。
でも。
どうやって出した?
「力を使おうとするな!」
「やりたいことを考えろ!」
特訓した時のハクトの言葉を思い出した。
「……っ」
怪物を見る。
こいつを倒したい。
違う。
その先。
男を見る。
何も知らずに歩いている。
あの人を。
「……守る」
ドクン――
胸が鳴った。
「……!」
熱が、
腕へ流れていく。
来た。
右手を伸ばす。
「……っ!」
指先の向こう。
空気が、
揺れた。
怪物が飛び込んでくる。
「湊!」
「分かってる!」
手を怪物へ向ける。
その瞬間。
景色が歪んだ。
「――!」
怪物の身体が、
途中で止まった。
「……え?」
止まっている。
いや。
違う。
怪物の周りだけ、
景色がおかしい。
黒い身体が、
揺れている。
前へ進もうとしているのに、
進めていない。
「何だ……これ」
「湊!」
ハクトの声で、
我に返る。
「今だ!」
「――っ!」
地面を蹴る。
怪物へ近づく。
拳を握る。
そして。
「おらっ!」
思い切り、
腹へ叩き込んだ。
ドン――
怪物の身体が、
砂浜を転がる。
「……当たった」
手を見る。
さっきの歪みは、
もう消えていた。
「今の……」
考える暇もなく、
怪物が立ち上がる。
「まだかよ……!」
黒い身体が、
こちらへ向く。
でも。
さっきまでとは違う。
いける。
怪物が走る。
肩が動く。
身体を沈める。
避ける。
懐へ入る。
「――っ!」
拳を叩き込む。
怪物がよろめく。
もう一発。
そして。
「これで!」
拳を、
怪物の顔へ叩き込んだ。
鈍い音が響く。
黒い身体に、
亀裂が走った。
「……!」
怪物が、
僕へ手を伸ばす。
一本。
二本。
亀裂が、
全身へ広がっていく。
やがて。
身体が崩れた。
黒い塵になって、
夏の風へ消えていく。
「……」
波の音が聞こえる。
海で遊ぶ人たちの声。
何も知らないまま、
さっきの男も歩いていく。
僕は、
その場に座り込んだ。
「……疲れた」
ハクトが、
僕の隣へ歩いてくる。
「できたな」
「一瞬だけね」
「十分だ」
「何だったんだろ、あれ」
「分からん」
「やっぱり?」
「ああ」
ハクトは、
怪物が消えた場所を見る。
「だが、使えることは分かった」
僕も、
自分の手を見る。
確かに。
あの歪みを、
自分で出した。
昨日は、
偶然だった。
今朝は、
ほんの数秒。
そして今。
怪物を止めた。
「……」
少しだけ。
自分の中にあるものへ、
近づけた気がした。
その時。
「湊」
「何?」
ハクトが、
砂浜を見ていた。
「……あ」
怪物が消えた場所。
砂の上に、
小さな黒いものが落ちている。
「欠片」
立ち上がる。
近づく。
黒い石のような、
小さな欠片。
あの時と同じだ。
「今回はあったんだ」
「ああ」
しゃがみ込む。
欠片へ、
手を伸ばす。
指先が触れた。
その瞬間。
ドクン――
「――っ!」
「湊!」
欠片が、
突然砕けた。
「えっ」
黒い粒が、
手のひらへ吸い込まれていく。
「ちょっ……!」
手を振る。
でも、
止まらない。
指先。
手のひら。
腕。
黒い粒が、
次々と身体へ消えていく。
そして。
ドクン――
胸の奥が、
大きく鳴った。
「……っ!」
熱い。
あの時と同じ。
いや。
少し違う。
熱が、
全身を巡る。
肩。
胸。
背中。
そして、
右腕へ。
「なんだよ……これ」
手を見る。
何もない。
なのに。
何かを、
握っているような感覚がある。
「……?」
右手を、
ゆっくり握る。
その瞬間。
黒いものが、
手の中から溢れた。
「え……」
煙でもない。
影でもない。
黒い何かが、
僕の手の中で集まっていく。
細長く。
少しずつ。
形を作っていく。
柄。
鍔。
そして。
刃。
「……」
気付けば。
僕の手には、
一本の剣が握られていた。
「……剣?」
思わず、
声が漏れる。
黒い刃。
光をほとんど反射しない。
見たことのない形。
なのに。
不思議なくらい、
手に馴染んでいた。
「何これ……」
持ち上げる。
重い。
でも、
持てないほどじゃない。
むしろ。
最初から、
僕の手に合わせて作られたみたいだった。
「ハクト」
返事がない。
「ハクト?」
隣を見る。
ハクトは、
僕の手にある剣を見ていた。
「……何?」
少しして。
ハクトが口を開いた。
「……具現化の力か」
「具現化?」
「ああ」
ハクトが、
剣へ近づく。
「形のないものを、形にする」
「じゃあ」
剣を見る。
「これが、この欠片の力?」
「おそらくな」
「おそらく?」
「欠片に何が残っているかは、取り込むまで分からない」
ハクトが、
僕を見る。
「俺も今知った」
「……じゃあ」
もう一度、
剣を見る。
「これから剣を出せるってこと?」
「それはお前次第だ」
「僕次第?」
「ああ」
ハクトは、
黒い刃を見つめる。
「具現化できるのが、その剣だけなのか」
少し間を置く。
「それとも、他のものまで形にできるのか」
「……」
「試してみないと分からない」
嫌な予感がした。
「試すって……」
ハクトが、
僕を見る。
笑っている。
「特訓だな」
「やっぱり!」
「夏休みなんだろ?」
「それ何でも使える言葉じゃないからな!」
剣を持ったまま、
思わず叫ぶ。
その瞬間。
黒い刃が、
砂のように崩れた。
「え?」
粒になって。
消える。
手の中には、
何も残っていない。
「……消えた」
ハクトが笑う。
「まずは出し方からだな」
「……明日?」
「ああ」
「朝?」
「ああ」
「何時?」
「八時」
「今日より早くなってるじゃん!」
ハクトが、
海沿いを歩き出す。
「待ってよ!」
その背中を追いかける。
夏の日差しは、
まだ高い。
蝉の声。
波の音。
潮の匂い。
「……」
自分の右手を見る。
昨日までなら、
考えられなかったことばかりだ。
この夏。
僕の中で、
何かが少しずつ変わり始めていた。




