008.人間
大学に到着してすぐに、三上円の姿を探す。
昨夜は三上の得体の知れない気迫のこもった言葉に、僕は何も言い返せなかった。そしてすぐに彼女は帰ってしまった。
しかし我ながら、挙動不審に顔と目を左右に動かしながら歩くばかりで、目的の人物の姿は全然見えてこない。
さっきから目が合う人々には目を逸らされ続けている。
やはり今の僕は挙動不審らしい。
変質者のレッテルも甘んじて受け入れる覚悟で歩き続けていると、見知った顔を見つけた。
向こうも僕に気付いたようだ。友達の輪から抜け出して、小走りに近寄って来てくれる。
今日も笑顔が眩しい。
「おはよう佐倉。三上知らないか?」
「おはよう。今日は見てないよー」
「そうか。ありがとうな。じゃあまた」
「ちょいちょい、早いって」
佐倉に背を向けるが、袖を掴まれて止められた。
佐倉のファンであれば悶絶する程のシチュエーションであろうが、僕は慎ましく卒業を迎えたい身の程を知る男。
せいぜい鼻の下を伸ばすくらいで、変な勘違いなんかしてやらないんだからね。
「一緒に探すよ」
「いやいいって。授業始まるぞ」
「でもまた顔色悪いし、なんか心配だよ」
今日はそこまで気分も体調も悪いわけでは無かったが、寝不足なのは間違いないのでそのせいだろう。
こんなモブの顔色まで気にしてくれるとは、大したものである。
「ちょっと待ってて」
佐倉は友達の元へと戻ると、三上の居場所に心当たりが無いか聞いてくれた。
しかし『三上さん?』『ごめん誰だっけ?』と、聞こえる声は居場所どころか存在そのものを認知していない。
「誰も知らなかった〜。私も連絡先までは知らないんだよね、ごめんね」
「いやいいよ。ありがとうな。僕じゃ人に聞くなんてできないから、助かったよ」
首を傾げる佐倉。
言葉にしなくても分かる。『人に聞くのが一番いいよ?』という事だろう。
僕は太陽のごとき陽キャの佐倉とは違うのだ。知らない人に話しかけるなんて、最後の最後の手段だ。ましてやあんなキラキラした女子のグループに突撃するなんて、命がけだ。
僕の陽への苦手意識。もしかして前世がイカロスなのかも知れない。
「つむぎー!先行くよー!」
陽の友達が佐倉を呼ぶ。
佐倉は友人に返事を返すが、僕の目の前から動く様子は無い。
これ以上引き留めるのは本当に申し訳ない。
まだまだ距離はあるが、気まずさで溶けてしまいたくなる。
「じゃあ佐倉、僕はこれで」
「え。あ、じゃあせめてこれ。困ったら連絡して」
僕は呆然と佐倉の背中を見送る。
ついさっきの数秒間の記憶が無い。
ごめんそれは嘘だ。
嘘のような出来事に、記憶が曖昧になっている。
佐倉はQRコードが表示された、自身のスマホを差し出してきた。
いくら友達が少ない僕でもその意味は分かる。
僕はうまく喋る事ができていただろうか。
ほぼ本能的に、反射的に手を動かし、その画面を出された人間がするべき事をしただけだ。
そうして僕のスマホには、佐倉の連絡先が残った。
登録名『さくらつむぎ』メッセージアプリのアイコンは、佐倉を含む数名の女子の集合写真。
これを得るためなら、万札を何枚か出す男もいるであろう。
それを、この僕が。それも無料で。
言葉にならない感動を廊下の真ん中で噛み締める。
「全く動かないから趣味の悪いマネキンかと思ったけど、やっぱり和泉なのね」
「ひどい言い草だな」
突然声をかけられて驚いたが、平静を装って、すぐに返事ができたと思う。
この数日の出来事が僕を強くしているのかも知れない。
「探したぞ三上」
「探してるのは知ってたわ。でもあんな不審者と話したら私まで目立っちゃうじゃない」
使われていない部屋へと場所を移す。
スチールラックに本が詰め込まれている狭い部屋だ。何の用途があるかは分からない。
僕としては食堂や、外のベンチでも良かったのだが、どうやら三上は人の多いところを嫌うらしい。そういえば昨夜もあんな時間で、すでに人の姿の無い路上だったのに、外で話す事を避けているようだった。
「わざわざこんな所に2人きりなんて。悪いが告白なら受けられないぜ?」
「殺すわよ」
目が座っている。まだ知り合ったばかりのはずだが、三上が言うと、本当にやりそうな気がして怖い。
「で、私に何の用なの?あんな感じで聞き回られたんじゃ、せっかく印象を薄くしてるのに、意味がなくなっちゃうじゃない。少しなら話をしてあげるから2度とやらないで」
「印象を‥‥?」
「それについては答えない」
あまりに早すぎる前言撤回だった。
何の気なしに、大した話でもなく聞いたつもりだったが、どうやら早速『少し』の部分に含まれない話題らしい。
「じゃあ僕達の話題といったらあれしかないだろう。あの女の話だ」
「知ったらロクな人生にはならないと伝えたつもりだったけど」
「うん。ありがとう三上。その言葉が本当に僕のために言っていることは理解できたんだ。でもな、僕はもう2回あれに襲われているし、昨日なんかは僕のアパートの近くにいた。僕を待っているかのように。自覚が無かっただけで、きっとすでに戻れないんだよ」
「‥‥‥‥」
三上は何も答えなかった。しかし視線だけは真っ直ぐに僕に向けていて、心の底を覗かれているような気分になる。
いくらでも覗けばいい。好奇心だけで、軽い気持ちで言っている訳じゃ無い。
僕は必死に目線を逸らさないように努める。
「少なくとも昨日の女の事は知っておきたい。本当にあんなものが人間か?お祓いが必要なら行くし、引っ越しが必要ならする。とにかくあれが何なのか知らない事には、避けようも無いじゃ無いか」
「はぁ‥‥分かったわよ。何も知らずにあれの餌になってくれた方が、私が動きやすいんだけど」
「おい。それが本音か?」
「和泉のためでもあるんの。私ならあれを仕留められる。うまく仕留められたら平和が戻ってくるし、失敗しても、何も知らなければ恐怖を感じずに楽に逝ける」
「楽に逝ける段階はとうに通り過ぎちゃってるだろ。今更忘れられるかよ」
それでも三上は深い溜息を吐いた。
もしかして説明する事が面倒臭いだけなんじゃないかと疑いたくなる。明らかに呆れている顔だ。
「話してくれよ」
なるべく本気が伝わるように、言葉に力を込めた。
「昨日も言ったけど人間よ。嘘はついていない。今後もそう呼んで良い生き物なのかは分からないけど、少なくとも今はそう定義付けられている」
「今?定義?」
「そう、正直に言うと『まだ正確には分かっていない』ってこと。でも、生物である事は確か。和泉が言うような、祓ってどうにかするような魑魅魍魎の類では無い。今もなお調査中だけど、少なくとも体は人間そのもの」
「調査って――‥‥」
「そこまでは話せない」
三上は素早い言葉で、僕の言葉を遮る。
僕が次に何を話すか分かっているのだろうか。
「知性はあるって事だよな」
「あるにはある」
「じゃあ僕を狙っている可能性もー」
「もちろんある」
なんだ。じゃあやっぱり、どうしたって僕はもうとっくに巻き込まれているじゃないか。
あれが人間だと言うのなら、目撃者はそりゃ消したいだろう。
「和泉。この件を忘れて今までの日常に戻るつもりが無いなら、私に協力して」




