005.食事
「ずみくん‥和泉くん」
遠くから誰かに呼ばれたような気がして、目を開く。
目に飛び込んできた空は赤みを帯びていた。
「え、夕方?嘘だろ。夢?」
「現実だよ。おはよう。いつから寝てたの?」
いつの間にか隣には佐倉が座っていた。
状況的に僕はあのまま眠ってしまっていたのだろう。
いくら寝不足で疲れていたとはいえ、あの時間から夕方まで?大学の敷地内のベンチで?座ったまま?いったい何人、いや何十人に寝顔を披露してしまったのだろう。
「穴があったら入りたい‥‥!そしてそのまま埋めて欲しい‥‥!きっと綺麗な花を咲かせるからっ!」
「あはは、何その綺麗なネガティブ思考」
「あ、佐倉はなんでここに?起こしてくれたのはありがたいけども」
「私は今帰りだよー。帰ったと思ってた和泉くんが、こんなところで寝てるんだもん驚いたよ」
「いやちょっと、あまりに眠くて休んでたらさ、いつの間にか寝てた」
「本当に寝不足だったんだ。ずいぶん顔色も良くなった気がするよ」
「マジか。言われてみれば少し体が軽くなってるかも」
そう言った瞬間、腹がけたたましく鳴った。
あまりの音と腹の奥から響く振動に、自分の身から出たものとは思えず、終末のラッパかと思い、空を見た。
「なんでお腹が鳴ってるのに空を見上げたの?」
「‥‥いや、別に。この世界のどこかで起きている悲劇を嘆いた神の声が聞こえた気がして」
「ヴァル腹ってこと?」
「佐倉、お前なかなか話せるやつだったんだな」
佐倉が笑う。鈴を転がすような笑い声とはこの事を言うのか。そりゃ人気もあるわけだ。
「ねえ和泉くん。よかったらご飯行かない?」
「え、俺と?」
「ちゃんと和泉くんって名指ししたし、この距離だよ。他に誰がいるのかな」
お腹空いてるんでしょ?と腹を指差された。
結論から言うと、僕は折れた。
今日もお近付きになってたまるかと心に決めていたばかりなのに、なんと弱い意志だろうか。
そもそも断れるものではない。相手は多くのファンを抱えるあの佐倉つむぎなのだ。
誘いを受けても嫉妬の炎に焼かれるが、断ったらそれはそれで炎上ものなのだ。
多くのファンを抱える彼女の誘いを、女王たる彼女の命令を、無下にする下民の存在なんて許されるはずもない。
断れば佐倉含め全員に嫌われる事になるが、誘いを受ければ少なくとも佐倉本人に嫌われる事は無い。
簡単なトロッコ問題だ。どちらに行っても僕だけは傷付く事だけは確定しているのだが。
二人連れ立って駅前のバーガーショップに入った。
道中で僕を誘う理由を無数に考えた。その一つに高級店で奢らせるとか、実はキャバクラに勤めていて同伴にされるとか、僕の財布に指がかけられる覚悟もしたものだが、金銭的な目的では無いらしい。会計もしっかり別だった。
「でかいな、それ」
「あは、いいでしょー。この限定のやつ食べたかったんだよねー。でも一人でこんな大きいの頼むのも、女友達誘うのも、なんか恥ずかしくてさ」
「なるほど、そういう」
僕も早速なんとかバーガーにかぶりつく。
食欲なんて無いと思っていたが、いざ食べ物の匂いに包まれると、体はあっという間に空腹感に支配された。
空腹に濃い味が染みるようだ。体が歓喜の声をあげる。
「うめぇ〜!久々のシャバのメシだ」
「寝不足のうえにごはんも食べてなかったの?」
「色々あって食べ損ねた。昨日の夜のまかないぶり」
「ええ!?それはお腹も鳴るよね」
それに加えて胃の中を、それはそれはきれいさっぱり放出したので文字通り胃は空っぽなのだ。
さすがにそれは食事中にする話では無いので自重した。
佐倉は機嫌良く口いっぱいにハンバーガーを頬張っている。これはこれで幸せそうではあるのだが、何か話題は提示しておきたい。このままでは本当に、食事を摂取するだけの時間になりかねない。
共通の話題といえばやはり大学の事なのだろうけども、今日は睡眠を貪り、そして今はハンバーガーを貪っているだけだから。話のネタが無い。
いや、ひとつだけあるか。
「佐倉は三上円って知ってるか?」
ゴクリと佐倉の喉が鳴る。口いっぱいに物を詰め込んだ状態のやつに、話しかけるのはタイミングが悪かったか。
しかし今、あのパンパンに膨らんだ頬の内容物を全て一飲みした?マジで?
「円ちゃんね。知ってるよ」
「マジか。聞いといて何だけど、まさか知り合いだったとは」
「意外なのはこっちだよ。円ちゃんと和泉くんに接点があるなんてなんか意外ー!」
「と、言うと?」
「怒らないで欲しいんだけど、二人とも他人に壁を作りがちっていうかー。人を寄せ付けないオーラあるもん」
「そんなやつメシに誘ったのか」
「昔の話だよ!二人共話すと楽しいのはもう知ってるもん」
そう言うほど佐倉と会話した事があっただろうか?
確かにグループディスカッションの時はまだ、佐倉つむぎという人物を知らず、何も考えずにほとんど自然体で接していた。それは確かに覚えがある。
だが結構早い段階で、皆んなから、特に男から一目置かれる存在であると知り、早々に適度な距離を取るようにしたはずだ。
「で、円ちゃんがどうしたの?可愛いというか綺麗だよね、気になっちゃった?」
「おいおい、なんでも色恋に結びつけるのは関心しないな」
できる限り冗談っぽく答え、その隙に記憶を探る。
綺麗?あの冷たく刺すような目と声は印象深いが、それ以外の容姿はいまいち思い出せない。去り際に揺れた黒髪は綺麗だったような気もするが。
「恋までは言わないけどさ、和泉くん的にどう見えたの?」
「えー、黒い?」
「色みで答えるんだ‥」
「それと冷たい」
「今度は温度」
「それと、澄んだ音」
「スピーカーとかイヤホンの話してる?」
そう言われてもそれ以外の印象が本当に無い。思いがけない形で戻ってきたスマートウォッチで頭がいっぱいだったのだ。
「逆に聞くけど佐倉は三上と仲が良いのか?」
「うーん‥‥どう、かなぁ?仲良いよって胸を張って言える程では無いかも。私も少し前に知り合ったんだよね。顔を合わせれば話すけど、遊びに行ったりした事は無いんだよね」
「ふふん、じゃあ現時点で佐倉との親密度は、三上よりは僕の方がリードしているわけだな」
「あは、確かにそうだね。円ちゃんも、和泉くんも、私に気を使わないでくれるから、話しててすごい楽だよ〜」
「そりゃ光栄」
深くは突っ込まない事にした。アイドルの闇を垣間見たようだ。いつも人の笑顔に囲まれている佐倉に比べれば、僕なんて疑うまでもなく日陰者なのだ。三上円もそうなのかも知れない。
いつもいつでも光を浴びて、光になる事を期待されているのはそりゃまぁ疲れるだろう。
太陽がいくら尊くても、ずっとその光に触れていれば日焼けする。過ぎれば火傷にだってなりかねない。それは日陰にも入りたくなるというものだ。
「ね、またこうやってごはん食べに行こうよ」
「タイミングが合ったらな、夜はバイトがあるんだ」
「つれないねぇ〜、そこが良い所ではあるんだけどさ。ところでバイトってなんの?」
「居酒屋だよ、普通に。青峰駅前にある小さい木造でさ、のれんかかってるとこ」
「へぇー、和食系かな?今度遊びに行くね」
「やめろやめろ。未成年に酒を提供したら店が潰れる。僕をバイトテロリストにする気か」
「ふふーん。私はね、来月にはもう堂々とアルコールを浴びて良い年齢なのですよ」
「浴びるような遊びを覚えるには早すぎないか!?ウチはコールとかタワーとかやってないからな!?」
「じゃあプロ野球で優勝するよ」
「1ヶ月で!?」
佐倉という人間を誤解していたようだ。もしくはよく知りもしないのに、勝手に決めつけてしまっていたのかも知れない。アイドルというよりは芸人のようなノリで、十分に僕に楽しい時間を提供してくれた。
食事を終えて、店から出る。
佐倉は小さく手を振りながら人混みの中へその姿を消してしまった。楽しい時間の余韻を残して。




