034.結末
「んなっ!?」
佐倉は僕の腕の中で驚愕の声をあげる。
落下の恐怖に僕の体は本能的に粟立ち、全身の筋肉が硬直する。
だが好都合だ、僕は腕の力を緩めない。飛び降りる瞬間に下を見たが、思ったよりも高さがある。
いくら佐倉とて、この高さから落ちたら流石に無事では済まないだろう。
空から三上の声がした。
屋上から半身を乗り出し、必死に僕に手を伸ばしている。
『あいつ、あんな大きな声出す事あるんだ』とか、『手を伸ばしたって手が伸びない限り届くわけないのに』とか、そんなくだらない事を考える。
みるみるその姿は遠ざかる。
佐倉が僕の腕をこじ開ける。
さすがに離してしまった。
最後まで僕は非力で格好が付かないとも思ったが、さすがの佐倉も空は飛べないだろう。思いっきり跳んだおかげで校舎には手が届くような距離でも無い。
終わりだよ。
ごめんな佐倉。
この世では、少なくともこの時代ではお前は幸せになれないだろう。
周りが全員敵なんだろうけども、さらに大嫌いな人間で恐縮なのだけれども、それでも最後まで僕がそばにいてやる。
それで少しは、自分に寄り添ってくれる存在がいる意味を感じて欲しいな。
佐倉の顔が近い。
目が合ったが、僕にその瞳の奥から感情を読み取る余裕は残されていない。
こいつは今、死を前に何を考えているのだろうか。
全身に衝撃を感じて、僕の意識は途切れた。
夜よりも深い、真の暗闇に身を委ねる。
次に目を開けると、広がる闇の中で、視界がチカチカと赤い。
ここが地獄だろうか。
血の池地獄とか、地獄の炎とか、地獄は何かと赤と黒のイメージが強い。
先人の残した絵画のイメージだろうけども、あの人達も実際に見たのかも知れないな。先輩達、確かに地獄は赤黒かったですよ。
しかも周りの喧騒がやかましい。
きっと罪深き罪人達が、文字通り地獄の苦しみを与えられているのだろう。
僕も今からあの声の一つになるのか。
というか僕も罪人だったのか。
まぁそれはそうか、無理心中したんだもんな。しかもあの佐倉つむぎをだ。相当な人数から恨みを買っているに違いない。
「また変な事考えてるでしょ?」
聞き慣れた声がした。
「三上、お前も地獄に落ちたのか」
「勝手に殺さないで、しかも地獄に。体は動く?」
言われて仰向けに倒れた体を起こす。
動くには動くが、激痛が走った。
改めて周囲を確認すると、パトカーや救急車、消防車と緊急車両が勢揃いしている中を、それぞれのコスチュームを着た人々が忙しそうに駆け回っていた。
少し離れたところには規制線が張られている。
どうやら視界にチラついていた赤色の正体は、赤色灯だったらしい。
僕の隣に座り込んだ三上の隣にも、警察姿の男性がいる。
「ミカミさん。そろそろ病院に」
「大丈夫、自分で動けますよ。それよりあっち手伝ってあげてください」
「分かりました!」
短い会話を終えて、男は建物の中へと消えて行く。
状況が掴めない。
だが何よりもまずは
「佐倉っ!?佐倉は!?」
「ほら、あそこ」
指を刺された方を見る。
全身を白い布で巻かれ、その上からさらにいかついベルトを巻かれ、顔の下半分も白い布で巻かれ、髪型で何とか女性と分かるような、もしくは大きなミノムシらしきようなもの。それが護送車に乗せられている所だった。一瞬目線が合った気もするが、その姿はすぐに見えなくなった。
「あれが佐倉‥‥なんか洋画で見たなあんなの。食人趣味のサイコパスがああやって搬送されてさ。本当にあるんだ」
「ハンニバルね。というかこんな時に映画って。いつものことだけど、なんでそんなに余裕あるのよ。だんだん怖くなってきたわ、あなたの事」
「ひどいな。この状況に混乱してるだけだよ。今度こそ間違いなく死んだと思ったのに」
「『死ぬ気だったのに』でしょう?」
「‥‥‥」
何も言えない。
三上の射るような視線が痛い。どうもこの目は慣れない。自分の心の内を見透かされたような気分になる。
「なんで僕は生きてるんだ?」
「私が聞きたい。状況を見るに、佐倉さんが助けたんでしょうけども」
「全く記憶にないけど、それはそうだよな‥‥ってその佐倉はどこに連れて行かれるんだ?」
「もちろんアイギスの施設」
「ってことは、もしかしてこの人達って」
「そう、アイギスの人達。でも全員じゃないわ。中には何も知らない人もいる」
警察、消防、救急、なにやら物々しいマスクをした危険物処理の専門家っぽい人。自分達よりも年上の人々が目の前を行き交う。
「本物の公務員の方々もいるし、本物だけどアイギス所属の人もいるし、アイギス所属だけど格好だけ同じにして紛れている人もいる」
「オーバーの件を揉み消してるのは聞いてたけど、こう実際目の当たりにするとなんかとんでもないな」
「そうね」
「あ、てか三上は大丈夫か!?ボロボロだったろ!特に脚は!?」
「今なの?明らかにボコボコにされていた私より、佐倉さんの心配したわねあなた。まぁいいわ、しばらく治療に時間はかかりそうだけど五体満足よ。あれを相手にしたのに本当に信じられない事だわ」
確かに我ながら失礼だったな。
命を奪おうとしたやつを、命を守ろうとしてくれたやつより心配してしまうなんて。
ここはちゃんとお詫びをと思ったが、その言葉は先に取られてしまう。
「ごめんね」
「えっ、なんでだよ。三上は僕を助けてくれたじゃないか。感謝してもしきれないらくらいなんだ。謝らないでくれよ」
「結局佐倉さんを止めたのは和泉だもの」
「いやいやいや!結果だけ見たらそうかも知れないけども、最後の美味しいところだけを、しかも自爆の反則技だ。この結果は三上のおかげだよ」
そこからは感謝と謝罪の押し付け合いだった。
三上は基本的に上から目線で辛辣ではある。しかし事実を曲げるようなやつではない。本気でこの件を生きて終えられたのは僕の功績だと思っているのだろう。
絶対にそんな事は無いのだが、事実も曲げなければ、もちろん主張も曲げてくれないので、いくら言っても聞いてくれない。
しかも最後の最後で僕に命があるのは、やはり敵である佐倉のおかげなのだから余計に事態がややこしい。
「ミカミさん、そろそろ」
僕達の小競り合いは、警察官兼アイギスらしきその人の一言で止まった。
僕達は別々の救急車に乗せられた。
車は大学から遠ざかる。
そして僕達は、ようやくこの長い夜を終える事ができた。




