030.大学
そういうわけで僕と三上は大学にいる。真っ暗闇の。
講義室の中央に陣取り、前の扉からやつが現れれば後ろの扉から出るし、後ろから現れればその反対だ。心構えはできている。
「しかし佐倉もそうだけど、警備員に見つかりそうで怖いな」
「それでも外で会うよりはいくらかマシのはずよ」
三上が言うには、昨日のような開けた場所で真っ正面からやり合うよりは、屋内の方が良いらしい。
佐倉のパワーは相当なものだが、脚の速さは人並みくらいだからということらしい。
『らしい』ばかりになってしまうのは、僕にはその実感が無いからだ。
三上を殴りつけた時の佐倉の速さは人並み外れていたように見えたものだが。
「佐倉さんのあれは踏み込みが速いだけよ。超短距離。走る速さなら始めに捕まえたあの女の方が速いくらい。逃げるための通路は入り組んでいた方がいい。市街地もそれなりには入り組んでいるけど、彼女は塀をひとっ飛びできるだろうけど、和泉には無理でしょ。だからここなの」
それを聞いて納得はしたが、三上が言う通り『マシ』程度のものだろう。どちらか選べと言われれば、強いて言えば、比較的こちらが少しだけ有利という程度の差だ。
ついでに隠れられる場所も多いし。
「外よりマシなのは理解したけど、朝までここで鬼ごっこってのは現実的じゃないよな‥‥」
「そうね。だから『助かる』とは言えない。でも今夜だけなら、私が引き付けてる間に外に出て隠れてしまえば1日くらい寿命が伸びるわよ。きっと」
「三上の残りの寿命を犠牲に、1日だけ生き延びてもなぁ‥‥その1日で自責の念に耐えられず自死を選んでしまいそうだよ」
「はぁ、やっぱり今日も逃げる気は無いの」
「あるって。むしろ逃げるしかないだろ。でも三上も一緒じゃなきゃ駄目だ」
「あなた私の事好きすぎない?無事に帰ったら海の見えるチャペルで式でも挙げましょうか」
「やめろやめろ、雑にそんな死亡フラグを立てるな!」
真顔でなんて冗談を言うのだ。
命懸けのこの局面でも僕達は軽口を叩き合っている。
そこだけは、似たもの同士で気が合うのかも知れない。
かといって、チャペルを真剣に検討する程では無いのだが。
「なぁ三上。このまま朝になるってことはないかな」
「佐倉さんが来ずにね。それは和泉の方が分かってるんじゃないの」
さすが三上だ、こんな場面でも気休めすら無い。
それが心地良かった。根拠の無い楽観は事態を悪くするばかりで、何の役にも立たない。
昨夜の佐倉の様子を見るに、あいつは必ず僕を殺しに来る。
さすがに日中は大学に来ていなかった。
もう2度と来るつもりも無いだろう。
でも夜になると僕の所へ来る。ほぼ確実に。
大学での佐倉を思い返す。数日前までは高嶺の花である大学のアイドルと、こんなにも深く関わる事になるなんて想像できなかった。
まさか命を狙われる関係になるなんて、ある意味恋愛関係よりも深い関係では無いだろうか。
毛先ほども嬉しく無いが。
あいつはいつもニコニコしていた。
昨日の涙を思い出す。自分をコントロールできずに慟哭していた。
あれだけの強い衝動を持ったまま、よくも友人達と笑い合っていたものだ。
「ん?」
「なに?急に静かになったと思ったら」
「あ、ごめん。考え事してただけ」
佐倉に同情している自分に気付いて、思わず声が出てしまった。
生物として平等でいたいとは思っている。
だが佐倉が人間として振る舞っていた生活にまで思いを馳せてしまうとは、無理をさせてしまっていたなんて考えてしまうのは、我ながらお人好しが過ぎる。佐倉が知ったら激昂するだろう。
お人好しではなく、佐倉が好きなのか?
いや、それはやっぱり無いな。今だってこんなに会いたくない。
「しかしもう何時間かこうしているけれど、警備員の気配すら無いわね」
「確かに。夜の学校になんて忍び込んだことは無いけれど、こんなもんなのかな」
「もう殺されているのかも」
「!」
その可能性は考えていなかった。
やはり僕はまだまだ世間知らずの能天気野郎だ。
言われてみれば当然だ。大学は広い。そして昨日のように第三者に邪魔されたくはない佐倉がどうするかなんて分かる事じゃないか。
「ーくそ!」
後悔の念が押し寄せる。
僕のせいで、犠牲になる人がいる。
僕が能天気で、周りの迷惑も考えずに我が身可愛さでこんな所に来てしまったから。
というか、そもそもー‥‥
「お前、気付いてたなら言えよ!」
「時間が足りなかったの。根回しする時間も、警備体制がどうなっているかも分からない。全てを救う力なんて、私には無い」
「あ‥‥」
気付く。
頭に上った血が、急激に下がっていき頭が冷えるような感覚。
三上は無表情だが、その瞳はいつもより一層暗く見えた。
僕はなんてことを。
三上は選ぶしかなかったのだ。
警備員か、僕か。
警備員を守るとして、なんて説得する?
どう見ても若輩の女の子が、大人をどう納得させる?
話せる情報は限られている。それどころか何も話せないに等しい。
なら警備員に張り付いて守るか?いや、何人いるかも、何時に動くかも分からない。
分かったとして、僕を連れたまま警備員を守る?
佐倉の狙いは僕だ。僕が近くにいる方が危ない。
結局僕か、それ以外かを選ぶしか無かったのだ。
僕が無力で頭が悪いせいで、三上になんて残酷な選択をさせてしまった。
「三上、本当にごめん。僕はなんて事を」
「‥‥‥」
自然と深く深く頭が下がった。
しかし三上の表情は変わらず、言葉は返ってこない。
僕は最低だ。誰よりも僕を優先してくれている人を感情任せに責めた。しかも直前には敵に同情までしていた。
自分の愚かさに本当に死にたくなる。
誰も悪く無いんだ。
僕だけが、悪い。
「謝る事ではないの。この場を選んだのは私」
「でもそれは、どこを選んでも似たり寄ったりの事になっただろう!?僕のせいで‥‥!」
「思い上がらないで。私が決めた事よ。あなたは巻き込まれただけで、元々私の仕事なんだから」
「勘違いしないで、あなたのためなんかじゃ無いんだからっ!って言うんだよ円ちゃん。こういう時はね」
突然部屋の前方から聞こえた、三上ではない女性の声。
僕と三上は勢いよくそちらに顔を向ける。
闇の中から、窓から差し込むかすかな光の下へと、佐倉が姿を現した。




