022.一撃
少し息を弾ませ、夜の街を走る。
周りから見れば、ジョギングに精を出す実直な青年に見えるだろう。
ところがその中身は、明かりを求めて自ら火に飛び込もうとしている虫のようなものだ。
生に向かっているのではない。死に向かっている。
でも足を止められない。いよいよ僕は虫にでもなってしまったらしい。
周りから見ればと言ったが、終電も無いこの時間。今の所誰ともすれ違ってはいない。
僕が初めてオーバーと邂逅し、身を隠した橋に来ると、思わぬ人物と遭遇した。月でも太陽でも無い。
「よぉガキ。何してんだよ」
レイと名乗った男が、影からぬるりと僕の前へ姿を現した。
「‥‥夜のジョギングが日課なんですよ」
「嘘つけ。どうせミカミだろお目当ては。惚れたのか何かしらないが、一般人が首を突っ込むんじゃねえよ」
初めから好印象なんて持ったつもりは無かったが、それでもやけに鼻につく態度だ。今日は三上がいないからだろうか、こちらへの敵意を隠そうともしていない。
「確かに僕は何の役にも立たない一般人です。でも、もうとっくにこの件には首を突っ込んでしまっているんですよ」
「ハッ!突っ込んだ首をもがれる前に帰って寝ろよ」
「三上は?」
「あん?別行動に決まってんだろ。仲良しこよししてんじゃないんだよ俺らは。あいつはこの近くにはいねえよ。ほら用は済んだろ。帰れ。そして2度と関わるな」
レイは虫を追い払うが如く、手で空を仰ぐ。
僕自身、自分を虫のようだとは思ってはいたが、この男にやられると腹が立つ。
「僕を餌にした方が見つけやすいかも知れませんよ、あの嗜虐的なゴリラは」
「俺をナメんなよ。報告書は読んだし、三上から話は聞いている。その可能性を織り込んだ上で動いてんだよこっちは。で、やっぱりお前は必要無い。ミカミもなんでお前みたいなヤツと手を組んだんだか。お前も役立たずだが、ミカミも無能だ」
「なんだって!?」
「怒んなよ、めんどくさ。この程度のオーバーを自力でなんとかできないなんてよ。ミカミはこの件が終わったらそれなりの処分が必要だな。なんせわざわざ俺まで引っ張り出されたんだ」
「なっ!?だってそれは、オーバーが予想より厄介だからって」
「厄介かもな?だが、この程度の被害しか出せねえオーバーのために、俺を動かす罪は重い。ちゃちゃっとオーバーぶちのめして、本部には『標的が強いのでは無くミカミが無能でした』って報告しなきゃな」
「お前‥‥!」
もうこいつへの敵意を隠す意味は無い。
僕への明らかな敵視。それだけならまだしも、三上の事まで蔑むのは許せない。
三上は責任感の強いやつだ。きっと最後まで1人でやり遂げたかったに違いない。
それでも自分のプライドよりも、僕の、僕らの安全を優先して増援を頼んだはずだ。それなのにこの男はーー‥‥!
「ハッ!イライラすんなよ。俺とやり合ってもメリットは無いぞ?俺がやられたら、誰がオーバーを倒すんだ?そもそも、お前に俺が倒せるわけねえけどよ」
「それでも僕は、お前の事を一発くらい殴らないと気が済まない」
「めんどくさ。いいぜ、なら来いよ。ハンデくらいはやるよ。俺は左手一本で相手してやるよ。あ、実は左手が利き手でしたなんてオチはねえから安心しろや」
レイが言い終わるや否や、僕は無言で高い位置にある気に食わない顔に拳を振るう。
人を殴るなんて初めての経験だが、迷いは無かった。
レイは口の端を上げて嫌な笑みを浮かべたまま、難なく僕の拳を交わす。
「くっそ‥‥!」
二度、三度と拳を振るうが結果は変わらなかった。
このニヤケ面を歪めてやりたいのに、掠りもしないうえ、まだまだ余裕がありそうだ。
なんせ一歩もその場を動いていない。本当に動かすのは腕一本のつもりらしい。
「なんだよ、使えるとは思ってなかったけどマジの素人か。基礎どころか喧嘩もした事ねえだろ」
「今日華々しくデビュー戦を飾るんだよ!」
レイは僕を完全に侮っている。ムカついてはいるが、以外に僕の頭はクールだ。
顔めがけて、怒りに身を任せて拳を奮っているようにみえているだろう。
ムカつく相手の顔をなんとしても歪ませたい。僕がそう思っていると踏んでいるだろう。
だが生憎と、僕は自分がそんな贅沢を言える立場では無い事を弁えている。
一発は一発だ、場所は問わない。
自分の強さを誇示するために、僕に力量を解らせるために、自分に縛りを設けたのがお前の敗因だ。
その場を一歩も動かずに、最低限の顔の動きと、身を捩らせる事により僕の拳を躱しているレイ。
足を動かさない以上。移動はできない。
地面に張り付くようにしている足を動かさない限り避けようの無い腹部を目がけ、力一杯の拳を突き出す。
勝手に作ったルール。小狡いやり方かも知れない。
だけども当たっても、避けられても、僕の勝ちだ。
僕の会心の一撃は、吸い込まれるように狙い通り腹に突き出される。
「ハッ。だからナメんなって」
だが僕の拳は『ペチッ』と情けない音を立て、レイの左手に包み込まれていた。
目一杯の力を込めたはずの僕の武器は、いとも簡単に包み込まれて力を失い、ついにはその胴体に届く事は無かった。
レイが軽く腕を振るうと、僕の視界が歪む。
視界が正常に戻ると、見下ろすレイの顔と、街灯の明かり、そして真っ暗な夜空が見えた。
ああ情けない。僕はひっくり返っているのか。
状況を自覚すると、じわじわと背中に痛みも広がってきた。呼吸も浅く、苦しい。
「ザコはザコだな。力が無いと満足に自分の願いも叶えられなくて不憫だ」
そう見下ろすレイの顔は、もう笑ってもいなかった。
もはや僕に興味すら無くなったという事が伝わってくる無表情。
先程までの蔑むような笑顔も腹が立つが、この顔はそれよりも腹が立つ。
そして何より自分に対して腹が立つ。
「もう二度と会う事はねえな。俺とも、ミカミとも」
それだけ言うと、僕の言葉を待つ事もなくレイは闇夜に戻って行った。
僕にはもう追う力も無かった。
無力だ、本当に。




