017.脅威
改札に消えていく佐倉に手を振る。
姿が見えなくなると、駅を後にした。
空を見上げると、夜闇が更に深くなった気がする。
しかし今夜、佐倉に会えたのは良かった。
ここ数日のせいで、夜は殺伐としたものになっていた。
暗闇に自然と身構えて、心構える癖が付いていた。
その緊張が解れ、他愛の無い話を、油断したままに安心してできた。油断がこんなにも心地の良いものだとは。
「さっきのは佐倉さんよね?」
振り返ると、三上がいた。
「出たな」
「随分な言い草。連日せっせと会いに来てくれる女の子にもっと敬意を表して欲しいものだわ。それとも釣った魚には餌をやらないタイプ?駄目よ、釣った魚をさらに大きくするくらいの甲斐性は見せなきゃね」
「日を追うごとに態度は大きくなってるけどな。確実に」
「じゃあ和泉の育て方がいいのね。誇っていいのよ、唯一の取り柄だもの」
「僕の取り柄が僕にとってデメリットすぎるだろ!いらねえよそんな呪い!」
いつの間に会話が終わっていたのか、最後まで僕の言葉を聞いたのか怪しいタイミングで、三上は歩き出してしまう。
慌ててその後を追う。まぁいつもの事だ。
三上は僕のアルバイト先だった店の前で、店だった建物の前で足を止めた。
店長の姿はすでに無かった。
「ひどい有様‥‥」
「全くだよ。おそらくそうだろうとは思っていたけども、三上が来たって事はこれってやっぱりー‥‥」
「そうね、想像の通り」
オーバーの仕業か。なんだってこんな事を。
人間に、店長に何の恨みがあるっていうんだ。
「あいつらって夜じゃ無くても動いてるんだな」
「それはそうよ。何度も言うけど魑魅魍魎の類じゃ無いの。私達とほとんど変わらない生活をするはず。でも私が見てきた中で、ここまで攻撃的で挑戦的なやつは見た事が無い」
「攻撃的は見た通りだから分かるけど、挑戦的なのかこれ?」
「この街で起きたオーバー関連の件で、初めての怪我人無し」
「良い事じゃ?」
「そうね。でもこれをやったやつは何を壊したくて、何の衝動があってこれを?無機物で満足できるなら、普段からそうすればいいじゃないの。わざわざこんな人目の多い時間に、意味のない破壊行為は何のために?」
言われてみるとそうだ。三上に聞いた、オーバーの犯行動機は『人間という種に対する破壊衝動と優越感』
この居酒屋を、大して有名でも大きくもないこの店を、陽の高いうちから粉々にして何の欲求が満たされたというのだろうか。
「そう考えると不気味だな」
「こちらの行動が、私達の存在が露見したと思った方が良い。ここが和泉のアルバイト先だと分かってやったと」
「挑戦的ってそういうことか!?僕達のやっている事を分かった上でこんな!?」
「証拠は無いけど、確信も無いけど。でもそう考えると辻褄が合うでしょう。ということはきっと正解なのよ」
これをやったオーバーは何てやつだ。
挑戦的なんてもんじゃ無い。これは歴とした挑戦状なのだ。
まだ見ぬ敵の存在に、ゾワリと首筋を冷たいものが走る。
「というかそうか、僕のせいでこんな‥‥」
店長に申し訳なく思う。彼に同情できる立場では無かったのだ。
店長にとって広義では、僕だって加害者だ。
何と説明したら、何と謝ったら良いだろうか。
しかしその思考は、三上によって妨げられる。
「勘違いしないで」
「えっ?」
「悪いのは絶対にオーバー。和泉、あなたじゃない」
「‥‥よく僕の考えている事が分かったな」
「分かりやすいのよ」
そう言うと微かに微笑んだ。
珍しい物を見たせいだろうか、少しは気が紛れて頭がクリアになってきた気さえする。
僕もつられて笑った。何が面白かったのかは自分でも分からない。
「でもこれで、僕のオトリとしての有用さは証明されたな」
「そうね。明らかに和泉を意識してる。こうしている間にも、あなたの落ち込む顔を見て喜んでいるかも」
急いで周りを見回すが、この時間ではまだ人通りが多く、あの女がいたとしても気付きようが無い。
「冗談よ。でもそれくらい常に周りに気を配った方が良い事は確か。これは本格的にまずいかも知れない」
「なにがだ?」
「人類の上位存在だと言いながら、衝動的で、野生的で、理性を失った獣がオーバーなの。基本は」
「今回は違うって事だよな」
「ええ。本能でしか動かないはずのあいつらが、こんな回りくどい事をするなんて。私がやり合ってきたオーバーの印象では、力と頭の悪さは反比例すると思っていたのに」
「頭が悪いほどパワーがあるのか?」
「そう。理性のタガが外れるというのかしらね。頭が悪く、自分の欲求に正直なやつほど、より人間離れした凶悪な力だった」
そう聞いて改めて目の前の惨状を見る。
僕がこれと同じ事をするなら、重機だとか、ダイナマイトだとかが欲しいレベルだ。一生かけて毎日毎分毎秒筋トレしたとして、こんなマネができる力が付くとは到底思えない。
それに先日捕えたあの女にだって、できるイメージが湧かない。
「それならこれをやったやつは‥」
「力と、それなりの頭を兼ね備えているでしょうね」
「やばいじゃん」
「そうね。イメージ的には単純な獣狩りだったものが、人間の知能を持った嗜虐的なゴリラ‥‥いやそれ以上の怪物退治になった感じね」
真面目なのか冗談なのか分からない例えに、彼女の表情から真意を読み取ろうと見たが、どうやら冗談では無さそうだ。
いっそ冗談であって欲しい話だった。
「はぁー。これはいよいよ命懸けだな。今までのような単純なオトリが通用しなさそうな相手って事だ。三上、その嗜虐ゴリラに対抗できる手段を、早く止める手段を教えてくれ」
「それは和泉も考えて。運動能力も無ければ頭も大して良くないのは知っているけれど」
「ひどい言い方する」
「かと言って、あなたが諦める事は許さない。自分で選んで関わったのだから、あなたも人間としての責務を果たしなさい」
三上は怒るでもなく、呆れるでもなく真っすぐに僕を見ている。
期待ではないだろう。それが嬉しかった。
彼女は僕が役立つという少ない可能性に賭けている訳では無いのだ。
能力が自分に劣っている事を理解していながらも、僕を対等な人間として、やるべきことをやれと言っている。
当然の事を、何の疑問も無く言っているつもりなのだ。
ある意味では、期待されるよりも重い。




