012.技術
簡素で使い慣れたシングルベッドに横になり、視界には天井が広がっている。
外に出て、視界を青空いっぱいにできたらさぞかし気分も良いのだろうけども、雨なのだから仕方がない。
雨音を聞きながらぼんやりとするのも悪くはない。
しかしミニマリストを気取るつもりは無いのだが、ほとんど不必要なものを排除したシンプル極まりない部屋は、いささか風情に欠ける。
ほとんど眠るためだけに借りているような部屋だし、こんなものだろうとは思う。
けれども、今みたいに部屋でゆっくりと休養し、英気を養うのであれば、もう少し僕という人間の感情に刺さるものがあってもいい気がしてきた。これでは体は休まるものの、気分が晴れない。
せめてスマホで音楽でも楽しもうかと思った瞬間、インターホンが鳴った。
実家から何か送られて来ただろうか。もしくは何かの勧誘か。
なんにしても、僕の部屋を訪ねてくる人物としては、そこらへんが妥当だろう。この部屋に来てからというもの、その程度の人付き合いしかして来なかったのだ。名の知った人物がこの部屋に来る事は無い。
2回目のインターホンが鳴ると同時に、ドアを開いてやる。
「いるならもっと早く出てよ」
前言撤回である。僕の目の前の人物の名前は知っている。こいつの名は三上円だ。
そういえばこいつには部屋が知られているのだった。
だが前言は撤回させてもらうにしても、少なくとも気軽に僕の部屋を訪ねる人物の1人としてカウントしていいかというと、そんな事は絶対に無い。
現にインターホンが鳴ってから、今の今まで三上の事なんて頭をよぎらなかったし、開けた瞬間も目の前の人間を瞬時に認識出来なかった。それくらい大穴が出た。
「いらっしゃい‥‥?」
僕の疑問形な語尾に疑問さえ持たずに、当然の如く我が家に足を踏み入れる三上。
手に持ったコンビニの袋から僕にペットボトルを渡すと、勝手にベッドに腰を下ろした。
渡されたペットボトルを見ると、どこにでも売っている、知らない人はいないくらいの炭酸飲料。手土産のつもりなのだろうか。
ベッドは三上に奪われたので、僕は何も敷いていない板の間に腰を下ろした。
「急にどうしたんだよ。来る前に連絡くらいくれ。僕以外に誰かいたらどうするんだ」
「配達の人とか?どうせ誰も訪ねて来ないでしょう。せっかく私が、一夜明けて夢だったんじゃ無いかって考えているあなたに、現実を運んできてあげたというのに」
「おい、僕くらいの年頃の男にはまず『彼女?』もしくは最低でも『友達?』って聞くのが礼儀だろ」
見透かされている。
現実離れした昨夜の出来事は、夢だったのではと何度も考えた。でも、その度に体の痛みが現実を叩きつけて来た。
三上はコンビニの袋からもう一本同じ物を取り出して、口にした。
「ふう。さて、何から聞きたいの?」
「突然すぎるって。その質問に、どんな質問で返すのが正解なのか分からないよ」
「意外と肝が据わっているのね。もしくは頭が悪すぎて疑問にすら思わないの?あんな目に遭っていたのに聞きたい事も無いなんて」
「何を聞いても答えてくれないじゃ無いか。僕だって学習したんだよ。それに、仮にも命の恩人である三上に失礼を働きたく無い。僕の三上への恩義は、好奇心より優先されるんだ」
「ふーん、意外と礼儀があるの。でも今だけは許すわ。巻き込んだ以上は、これからも巻き込む以上は、ある程度の事情は話して来いって言われたから」
なるほど、三上はどうやら誰かの指示でここに来ているらしい。そして説明責任を果たすように言われたのだ。
そのせいか今日はすらすらと良く喋る。
何を、何から聞こうか考えていたが、しかし今の三上の言葉で優先順位が変わってしまった。後方から追い上げで、気になるランキングトップの質問が来てしまった。
「これからも巻き込むって言った?」
「言った。またオトリを頼むわね」
「なんでだよ。昨日の奴に逃げられたのか!?」
「違う。あの女はあれで終わり。お恥ずかしながら、あの女は私が初めに追っていたやつじゃなかったって話なの。和泉が初めて会った女でも無い。よく思い出して」
思い出せだと?あんなものを人違いしたと?
そんな話があってたまるか。
あんなに特徴的な、まるで怪物のようなヤツがうようよとそこら辺にいてたまるか。
あんな――‥‥‥
「‥‥‥あれ?」
「分かったの?」
思い出した。というよりは、フラッシュバックだ。
あのトラウマが甦る。
穴のような目をして倒れていた男。
それを投げつけて来た女。
コンクリートに空いた黒い穴。
それを作ったとは思えない華奢な女。
「髪が、長さが違う。そしてよく思い出せば、昨日の女の方が背が高い‥‥?」
「背格好もそうだけど、初めに遭ったヤツに殴られてたら、無事だったと思うの?」
その通りだ。駐車場にいたあの女の力なら、僕の頭蓋骨は粉々に砕けていたに違いない。手加減とかでは無かったと思う。
終わったと思っていたのに、背筋に冷たい物が走る。
「人違い、なんて」
「あながち完全な間違いでも無いけど。狙いとは違ったけど、昨日のやつも遅かれ早かれ拘束する必要があるやつだし」
「あんなもんが、まだたくさんいるのか?」
「たくさん‥‥いや、そこまでうじゃうじゃいない。こんな短期間に2回も遭遇するなんて、聞いたことが無い。モテ期じゃないの?」
「冗談じゃ無い。僕の命を狙う女からモテてどうする。これがラブコメなら、抵抗する力の無い僕が主人公なんかじゃ1話で終わるぞ。そんな物語があってたまるか」
「あるんじゃないの?割と何でもありでしょうラノベなんて。ヤンデレとか、死に戻りとか、転生したら人外だったとか、使われてない設定なんて思いつかないくらいだもの」
読むのか?なんか意外だな。澄ました顔で洋書とか読んでそうなのに。
「試した事は無いけど、僕は人生をループする能力も無ければ、神的な存在に選ばれた覚えも無い。殺されたらゲームオーバー。そこで完結だ。次回作にご期待くださいなんて根拠の無い編集後記も無い」
「よく喋るね和泉は。まだ余裕があるのね」
「余裕なのはお前だよ!僕としては三上がこんなによく喋る事の方が意外だけどなぁ!?しかも毒舌!」
「私は言葉とか文字とか普通に好きな方よ。今まで喋らなかったのは、認識されないようにするため。今はその必要も無くなったから」
「あ、それだ。次の質問いいか?前に言ってた印象を薄くとか、今の認識されないようにとか、それ何?」
以前は答えてもらえなかった質問。危うきに近付かないようにと、僕が諦めた質問だ。
どうせもう虎穴に入っているのなら、せっかくなら虎子は得たい。
「私達が使う技術のひとつね。特に技の名前は無かったと思うけど‥‥なんか人に覚えられなくなる技術よ」
「ごめん、あまりに漠然としてる」
「なんだっけか、色々あるんだけど。意識を逸らして、相手の興味をコントロールするの。初めは私の顔すら覚えられなかったでしょう?相手が集中できていない状態を狙ったり、そんな状況にしてから話したりするの。顔に注目されそうになったら、耳につく音を出して注意を逸らしたり」
「ミスディレクションとかそういうやつ?」
「ああ、それそれ。和泉は特にやりやすい」
「その割には初めにしっかり名乗ってたな」
「どうせ覚えられないと思って。それに名乗りもしない女が、無言で自分の時計を渡してくる方が違和感強いでしょ。和泉ならそれくらい気にしないと思ってたけど、意外と記憶する脳があったのね」
まるで褒め言葉のように馬鹿にされたわけだが、つい最近までこんなにキャラの濃い女を認識できていなかったのだから、その技術は本物なのだろう。
「協力関係になるって決めてからはやってない。面倒くさいし」
「みたいだな。僕はある時から急に三上の顔がちゃんと思い出せるようになった。他のやつらに聞いても分からないわけだ」
「私も未熟だから、気をつけていたつもりでも稀に認識される事もあるけどね」
佐倉の事が脳裏に浮かぶ。彼女は正確に三上円を認識していた。他人への興味の差だろうか。はたまた佐倉も何かしらの特殊な能力を持っていて、正体を隠して学徒に紛れているのかも知れない。
と、くだらない妄想はここまでにしておこう。
2度ある事は3度あると言うが、これ以上僕の周りに人間離れした人間がいて欲しく無い。嫌な想像は現実になりそうだし、思考をストップさせた。




