010.衝撃
「ごめん、待たせたか?」
アルバイト先から目と鼻の先にある駅前に僕が着くと、三上はすでにベンチに腰掛けて待っていた。
「連絡すると言っておいたはずだけど、返事に随分とかかるタイプなのね」
「う、悪い。たまたま佐倉から電話が来てて」
電話では淡々と待ち合わせ場所だけを伝え、感情が読めなかったが、メッセージをしばらく無視された事に思うところはあったらしい。
目を細め、刺すような視線が痛い。
「佐倉さんね‥‥」
「知り合いなんだろ?」
「まぁ、そうね。数少ない知り合い。あの人は勘が鋭くて接し方が難しい。そんなことより、その格好‥‥」
そう言われて初めて、自分の格好を客観的に見直した。
命を守るために出来る限りの備えをした。見るからに臨戦態勢だ。
まずい。間違えた。
こんな『いつでもかかってこい』と言わんばかりの格好では、こちらの意図が透けて見えるというものだ。今日ばかりは、もっと油断すべきだったのだ。
自分の浅慮さに、呆れを通り越して驚いてしまった。
僕は勝手に降参し、三上からのお叱りを素直に受け入れる覚悟を決めた。
幸い膝にサポーターを装着済みだ。駅前の硬いコンクリートの地面でだって土下座して見せる。
「いいわね。その警戒心剥き出しの服装」
「‥‥ごめ、え?」
「いかにも人間らしくて良い。その程度の備えじゃ、あれに敵わないのは明白なのに、あえてその装備。それが逆にあいつの油断を誘うってわけね」
「あ、ああ‥‥?」
「その格好を見たら、まさか私が待ち構えてるなんて思わないでしょうね。力の無い人間が、浅はかに精一杯の対策をしたようにしか見えないもの。怖いけど仕方なく外に出てきた感じがよく出てる。きっと嬉々として襲いかかってくるわ」
「そ、そうだろ‥‥?」
思いがけない高評価に、面を食らってしまった。
しかしそこで一瞬の間。
「そう、ただただ浅はかだったの‥‥」
「うっ」
「一瞬とはいえ、あなたの知能を高く見積もってしまった自分に絶望。一生のトラウマになりそう」
「そこまで言わなくてもいいだろ!結果的に効果的なんだろこれが!?」
「それもそうね。結果さえあればいい」
そう言うと三上は立ち上がり、先に歩き出してしまう。
なんて切り替えの早い女だ。僕はいまだに顔が少し熱いっていうのに。
明かりが多く、まだちらほらと活動する人間が見える駅前をある程度離れる。
静けさは増し、因縁の暗い路地へと足を踏み入れると、三上は闇に溶けるように黙って僕から離れた。
そのままなるべく自然体を装い、それでいて周囲の気配を逃すまいと感覚を集中させる。
しかしあの女どころか、三上の気配すら感じ取れない。
いくら集中したところで、プロには敵わないということなのだろうか。
まさか本当にいないわけじゃないよな?
不安はあるが、三上の姿を探すわけにはいかない。
とにかく顔を前に向け、足を踏み出し続ける。
オトリとしての役割を果たしたい。こんな夜を終わりにしたいと思う反面、どうしても「現れるな」とも思ってしまう。仕方がないよな。
三上は自信ありげだったが、その自信は信用するとしても、僕の身の安全が完璧に保証されたわけではない。
三上は『守る』とは一言も言っていないのだ。
『オトリ』と言った。はっきりと。
人気の少なそうな方を選び、何度かめの十字路に差し掛かった瞬間、突然けたたましく鳴る電子音。
心臓が大きく跳ね上がる。
スマホの着信音だ。心臓が止まるかと思うくらい驚いた。しかも表示名は『非通知』
迷惑極まりない。
「くそっ、音切っておけば良かった」
思わず無機物相手に悪態をついてしまった。
最近はAIだなんだと、人間の相棒のような存在になりつつあるが、僕はまだ受け入れられていない。毅然とした態度で、どちらが主人か分からせてやるのだ。
感情のままに痛めつけてやりたい所ではあるが、僕の持ち物の中で一番の高級品のこれを、地面に叩きつける勇気と経済力は無い。
せっかくしていた集中も切れた。だが過剰にしていた緊張も、いくらかマシになった気がする。
スマホをマナーモードに設定して歩き続ける。
しかしこのままでは、普通に自宅アパートに着いてしまう。
まぁ初日から上手く行くなんて考えは甘いか。でもそうすると、あれと相見えるまで毎晩のようにこの奇行を繰り返さなければいけないのだろうか。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
「ーぁ」
驚き。そして思わず間抜けな声が漏れてしまった恥ずかしさ。さらに恐怖。そして恐怖を打ち消すように自身を奮い立たせて鉄の棒を構える。
目の前に現れた細長い女の姿に、感情が目まぐるしく動いた。
手に思わず無駄な力が入る。鉄製のそれは、僕の力程度では微塵も形を変える事なく、頼もしい限りである。
しかし、いざこうして対峙すると、もう少し長さが欲しい。結構近付かないことには相手に届きそうにない。
女は動かない。
「‥‥少し話せないか?」
「‥‥‥」
女は黙って地面に青白い顔を向けている。
三上の話では普通に知性はあるとのことだったが、こうしているとやはり話し合える相手には見えない。
現に勇気を出して話しかけたのに、言葉は返ってこない。
ナンパだと思われていなければいいが。僕だってこんな真夜中に徘徊しては、人を襲うサディスティックな女の子はごめんだ。
「話せないのか?」
「‥‥‥」
「なんで僕を襲う?」
三上は現れない。成り行きを見守っているのか、近くにいないのか。近くにいないのだけは勘弁してくれ。
先程までの熱は消え、冷静になってきた。
落ち着いて見ると、今のこの状況はなんなんだ。こんな鉄の棒ひとつで、人間を丸ごと投げるような奴に勝てるのか。
冷静どころか体が冷えてきた。手足が冷たい。
すぐに走り出すのは無理そうだ。確実に足がもつれる。
次の行動を考えていると、女の体がゆっくり動いた。ついでに口も。
「別に誰でも良かった」
「なんだ、話せるじゃないか」
「当たり前じゃない。貴方達のようなモノに見下されると頭に血が上る」
貴方、達?誰の事だろうか。
三上の存在がバレている?
「おま‥‥っ!」
僕の言葉は最後まで続かなかった。
女は横薙ぎに僕を殴りつける。
一瞬の浮遊感の後に、コンクリートの塀へと叩きつけられた。
突然の衝撃に息が止まる。身体にかかった負荷に耐えられず、肺の中の空気が全て体外へ放出された。
空気だけではない。胃からせり上がってくる物を、留めておくことができずに路上へとぶちまける。
「おぇっ‥‥がはっ」
「ひひひ。無様だわね」
女はすぐそばに立ち、僕を見下ろしている。
四つん這いのまま、朦朧とした意識で、何とか女の顔を見上げる。下卑た笑みを浮かべ、どこか満足そうだ。
どうやら予想に違わずにサディストらしい。
「がはっ!」
2度目の衝撃。四つん這いになった僕の無防備な横腹は、容赦なく蹴り上げられた。
僕は頭を抱えて丸くなり、防御の姿勢を取る。
本当に情けない格好だが、今はこうするしかない。
熊に襲われた時にはこうするとテレビで観た事がある。人型相手でどこまで通用するかは分からない。
三上は本当に大丈夫なのだろうか。
僕の持っていた鉄の棒は、何の役割も果たす事なくどこかへ行ってしまったが、彼女の警棒ならこの状況を覆せるのだろうか。
サディストの女は、僕の背を踏んだ足に少しずつ力を込めるというサディスティックな戯れに興じている。
子供の頃、踏み潰して硬い殻から実をはみ出させたドングリが脳裏をよぎる。
冗談じゃない。このままでは僕の身はそう長くは保たない。
「くっ‥‥三上っ」




