第9話:頼れる仲間との飲み会で、サレ夫の心の傷も癒やされます〜可愛い未亡人さんへ、甘いお菓子のプレゼント〜
この作品は「零戦」さまの「戦国日本軍リメイク」および「戦国日本軍」の一部設定をお借りして執筆されています。
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戦国日本軍リメイク https://ncode.syosetu.com/n7441hl/
永禄三年(一五六〇年)六月上旬。
遠江国相良の、泥と油の匂いがこびりついた衛戍地の片隅。薄暗い輜重中隊の天幕の中に、ひどく間の抜けた算盤の音が響いていた。
「…五進二退、三進五退…いや、違う。塩一斤に対する玄米の交換比率が…」
松平蔵人佐元康。
誇り高き髷を無惨に切り落とされ、いがぐり頭となった彼は、身丈に合わない帝国陸軍の古着(作業袴)を着せられ、ひたすら帳簿と格闘していた。彼の隣では、同じくザンバラ髪に作業着姿の腹心・石川数正が、山積みになった麻袋の数を数えながら顔を真っ青にしている。
「おい、新入り! 計算が遅えぞ!」
天幕の奥から、輜重中隊長の間宮俊太郎大尉が、ふかし芋を齧りながら怒鳴りつけた。
「今日中に周辺の五つの村の庄屋どもと、塩と米の交換比率を確定させなきゃならんのだ! お前ら、元は国主さまなんだろ? 領地の米の計算くらい手際よくやれ!」
「は、ははっ! ただいま!」
かつて数千の軍勢を率いた三河の主は、額に脂汗を滲ませながら、与えられた五つ玉の古い算盤を弾き直した。
降伏した元康に対し、櫻井大佐が与えたのは「切腹」でも「幽閉」でもなかった。周辺の土着民の気質と相場に詳しい彼らを、補給部門の現地採用職員、すなわち「下働き」として雇用するという、武士の矜持を完全に粉砕する屈辱的な命令であった。
最初は死を覚悟した元康たちだったが、数日もしないうちに、彼らは白刃を突きつけられるのとは全く別の絶望を味わうことになった。
それは、相良守備隊という組織が持つ、圧倒的な経済と物流の暴力である。
相良のコンビナートでは、軍事用の燃料や火薬だけでなく、海水をボイラーの熱で煮詰めた高純度の「精製塩」や、トウゴマや化学プラントの副産物を応用した物資が、この時代の常識で言えば、大量に生産されていた。間宮大尉は、この純白の塩や備蓄品の白砂糖を強力な武器として、周辺の農村や商人たちを文字通り「支配」し始めていたのだ。
武力で脅して米を奪うのではない。中世の人間が見たこともないような純白の塩を無造作にチラつかせ、圧倒的に有利な交換比率で、彼ら自身の足で米や労働力を相良に運ばせる。もちろんその背景には、強力な暴力がある事は言うまでもないが。
関所を通さない自由交易。度量衡の強制的な統一。
農民たちは、これまで重税を課していた武士の領主たちをあっさりと見限り、我先にと相良の荷駄運びを志願し群がった。
(…恐ろしい。これこそが、真の国盗りだ)
元康は、算盤の玉を弾きながら内心で深く戦慄していた。
刀で首を刎ねるより遥かに冷酷に、そして確実に、武士という階級は、彼らが言うところの「経済」によって根元から枯らされようとしている。「経世済民」この理を完全に理解し、回す側の歯車にならなければ、自分は本当に歴史の塵として掃き捨てられるだけだ。
元康の天才的な頭脳は、屈辱をどす黒い燃料に変換しながら、近代の経済の基本と兵站という悪魔の学問を猛烈な勢いで吸収し始めていた。
一方、その日の夜。
元康が天幕で算盤と格闘している頃、相良衛戍地の兵舎の裏手では、昭和の兵隊たちによる「図太い日常」が繰り広げられていた。
「よしよし、いい匂いがしてきたぞ」
歩兵大隊の星勘太曹長が、ドラム缶を半分に切って作った即席の鍋の蓋を開けた。
中には、訓練と称して山林で撃ち殺してきた丸々太った猪の肉と、現地の農民から塩と交換でせしめた大根や牛蒡と山菜が、味噌仕立ての汁の中で乱暴に煮込まれている。
「曹長殿、こっちの『特殊爆薬』も仕上がりましたぜ」
古参の上等兵が、一斗缶を大事そうに抱えてきた。
中身は無論、爆薬などではない。配給の麦飯と、農村からくすねてきた麹をこっそりと発酵させた、強烈なアルコール臭を放つ「密造どぶろく」であった。
「でかした。…あの未来の歴史を知ってから、どうにもシラフじゃ寝付きが悪くてな。今日くらいは、地獄の釜の底で宴会と行こうや」
兵士たちが飯盒の蓋を器代わりに、どぶろくを注ぎ合おうとしたその時だった。
「…貴様ら。就寝時間を過ぎて、火気厳禁の兵舎裏で何をしておる」
暗闇から、冷徹な連隊副官・乾中尉が、憲兵のような鋭い眼光を光らせて現れた。
兵士たちは一斉に直立不動となり、顔から血の気を引かせた。軍紀違反。密造酒。最悪の場合は営倉行きである。
「ち、中尉殿! これは、その…!」
星が必死に言い訳を探して冷や汗を流す中、乾中尉はツカツカとドラム缶の鍋に歩み寄り、中身を無表情に覗き込んだ。
「…なるほど。夜間演習中に、我が軍の兵士を襲撃しようとした凶暴な野生の猪を討伐し、その死骸を衛生的に処分している最中というわけだな」
「は、はっ! 仰る通りにあります!」
「して、その一斗缶は…」
乾中尉は、どぶろくの匂いを嗅ぎ、鼻腔をピクリと動かした。
「新型の液体爆薬の燃焼実験か。…どれ、私が自ら、その威力(アルコール度数)を検分してやろう」
乾中尉は、懐から自前の携帯天幕用コップを取り出し、星曹長に差し出した。
星曹長は安堵にニヤリと笑い、なみなみとどぶろくを注いだ。乾中尉はそれを一気に飲み干し、喉を鳴らす。
「…うむ。なかなかの破壊力だ。引き続き、周囲の警戒を怠らずに処分を継続せよ」
「はっ! ありがたくあります。中尉殿!」
乾中尉が背を向けて闇に消えると、兵士たちは声を殺して笑い合った。
彼らは知っているのだ。将校たちもまた、重すぎる重圧の中で息を抜く場所を探していることを。決められたルールの枠組みの中で、ギリギリの言い訳を錬成して逞しく生き抜く。それこそが、理不尽な昭和の軍隊が培ってきた泥臭い生存本能であった。
しかし、兵士たちがそうして息を抜いている間にも、連隊長である私(櫻井)の精神は、限界まで張り詰め、目に見えない軋みを上げていた。
同じ夜も更けてから。
将校集会所では、輜重の間宮大尉が手配した新鮮な鶏肉や川魚を使った、豪勢な宴会が開かれていた。歩兵の武田少佐、戦車の二階堂少佐、野砲の郷田少佐、重砲の堤大尉、海軍の海堂中尉といった幕僚たちが、顔を赤くして車座になっている。
私は、卓の隅で一人、煙草を吹かしながら手元の図面と報告書を睨み続けていた。
「…大佐殿。引馬城の次は、掛川の朝比奈です。彼らは恭順の使者を送ってきましたが、城を明け渡す気はないと。いかがなさいますか」
黒田参謀の言葉に、私は図面から目を離さず、氷のように冷たい声で答えた。
「燃やせ。掛川城は交通の要衝だ。あそこに武士という特権階級の拠点を残すわけにはいかん。恭順を装いながら既得権益を守ろうとする輩は、引馬城以上に悪質だ。…明日、歩兵第二中隊と重砲大隊の一中隊を前進させろ。徹底的に、街区画ごと更地にするのだ」
私がそう言い放った瞬間、卓の空気がピタリと止まった。
図面から顔を上げると、周囲の将校たちが、どぶろくの入った湯飲みを持ったまま、得体の知れないものでも見るような目で私を見つめていた。
「…なんだ。作戦に不服か」
私が眉をひそめると、海軍の海堂中尉が、大げさなため息をつきながら立ち上がった。
「不服じゃありませんよ。大佐殿の命令なら、我々は神様でも仏様でも、喜んで更地にします。…ただね」
海堂は、私の手元にあった図面を、乱暴に奪い取った。
「貴様、何を…!」
「最近のあんた、顔が怖すぎますよ。まるで、地獄の帳簿をつけてる閻魔大王だ」
海堂は、私の前に、なみなみと酒の注がれた軍用どんぶりをドンと置いた。
「引馬城を焼くのも、掛川を焼くのも、新しい国を創るための仕事だからいいんです。でもね、大佐が四六時中そんな『人間じゃない顔』をしてたら、俺たちまで息が詰まって、ただの殺戮機械になっちまう」
「ふざけるな。我々はすでに、神の理を超えた大虐殺者だ。今更、人間らしい感傷など―」
「大佐殿」
歩兵大隊の武田少佐が、巨体を揺らして私の隣に座り、私の肩をガシリと掴んだ。
「海堂の言う通りです。我々は、あの恐ろしい未来の歴史を知ってしまった。武士を殺し尽くしてでも、この国を根底から作り変えなきゃならん。…だが、それを指揮するあんたが『機械』になっちまったら、俺たちは何のために血を流してるのかわからなくなる。俺たちは、人間のあんたに付いてきたんです」
「武田…」
「飲んでください、大佐殿」
戦車の二階堂少佐が、優雅に、しかし強い意志を持って酒を勧めた。
「これは、幕僚全員の総意に基づく『反乱』です。今夜は、軍事の話は一切禁止。あんたが酔い潰れるまで、我々はここから一歩も動かしませんよ」
海堂中尉が目が笑っていない笑顔で言う。
黒田や、いつもは冷静な乾すらも、無言で深く頷いている。
彼らは結託していたのだ。私が非情な破壊の権化という冷酷なペルソナに喰われかけ、人間性を失っていくのを、心底心配してくれていたのである。
私は、部下たちの真っ直ぐな視線に、わずかに肩の力を抜いた。
「…軍紀違反も甚だしいぞ、貴様ら。明日、全員営倉に叩き込んでやる」
私は悪態をつきながら、どんぶりの酒を一気に煽った。
密造のどぶろくは、内臓を焼き切るように熱く、そして強烈に私の脳髄を揺らした。
「おおっ! さすが大佐殿! 飲みっぷりがいい!」
「さあさあ、次は俺の注いだ酒を!」
そこからは、際限がなかった。
将校たちは、私に考える隙を与えないように、次々と酒を注ぎ、下品な軍歌を歌い、満州での失敗談や、残してきた家族の愚痴をこぼし始めた。
アルコールが血中を駆け巡り、私の頭の中でガチガチに固まっていた「冷徹な指揮官」の氷の鎧が、音を立てて溶け出していくのを感じた。
夜が深まるにつれ、私の意識は泥のように濁り、そして、心の奥底に厳重に封じ込めていた「最も触れてはならない記憶」が、アルコールの熱と共に堰を切って溢れ出した。
「…あいつは」
気がつけば、私はどんぶりを握りしめたまま、うわ言のように呟いていた。
周囲の将校たちが、ハッとして静まり返る。
「…あいつは、たったの十九歳だった」
私の声は、ひどく掠れ、小刻みに震えていた様な気がする。
「去年の十一月だ。…比島の空で、爆弾を抱えたまま、敵の空母に突っ込んでいった。…私の息子だ」
宴会の席に、重く、痛切な沈黙が落ちた。
私が妻に裏切られ離縁状を叩きつけたことは軍内でも知られていたが、私に息子がおり、それが特別攻撃隊で散華していたことは、誰も知らなかったはずだ。
「…私は、軍人として、あいつの背中を押した」
私の目から、止めどなく大粒の涙が溢れ出し、泥のように濁った酒の中にポタポタと落ちた。
「『お国のために、天皇陛下のために、立派に死んでこい』と、笑って送り出したんだ!」
私は、ドンッ! と拳で机を叩き割らんばかりに殴りつけた。
「なのに、なんだあの神様が見せた未来の歴史は! 我々の国は負けて、陛下はただの人間になって、挙句の果てに最後は世界中ピカドンで燃え尽きるだと? ふざけるな!」
私は、将校たちの前で、子供のように声を上げて泣き叫んだ。
「あいつは何のために死んだんだ! 何のために、あんな冷たい海に沈まなきゃならなかったんだ! 武士道だの、国体だの、そんなくだらない幻想を維持するためだけに、私の…私のたった一人の息子は…ッ!」
息が詰まり、嗚咽が漏れる。
私がこの戦国時代において、なぜあれほどまでに冷酷に「武士」という特権階級を憎み、抹殺しようとしているのか。
それは、後世の歴史を救うためなどという高尚なものではない。権威を利用し、純真な国民を無為な死地へ追いやる「狂ったシステム」そのものに対する、ひとりの父親としての、血を吐くような復讐だったのだ。
誰も、口を挟まなかった。
武田少佐も、海堂中尉も、皆、静かに目を伏せ、あるいは天井を見上げて、必死に涙をこらえていた。彼らもまた、多くの部下を、友を、無意味な死地に送り出してきたのだ。
「…大佐殿」
不意に、武田が私の背中にそっと手を置いた。
「泣いてください。今夜は、枯れるまで泣いてください。…我々は、貴方と共に、この狂った世界を更地にします。二度と、我々のような惨めな親父を作らないために」
その言葉に、私は声の限りに号泣した。
帝国陸軍の大佐としての威厳も何もない。ただの、息子を失った一人の哀れな中年男として、部下たちの前で涙と鼻水を流し、酒に溺れた。
だが、将校たちは、そんな私を見て、軽蔑するどころか、心の底から安堵していた。
「…よかった」
海堂中尉が、ポツリと漏らした。
「大佐が、まだ血の通った人間で…本当に、よかった」
彼らは、私が壊れてしまう前に、無理やりにでも私の内にある「膿」を吐き出させてくれたのだ。私は、本当に部下に恵まれた、果報者の指揮官だった。
翌朝。
私は、頭蓋骨を直接ハンマーで殴られ続けているような、凄まじい二日酔いの頭痛で目を覚ました。
「…ううっ…」
寝台から起き上がると、枕元の水差しと、一枚のメモが置かれていた。
『大佐殿。本日の午前中の予定はすべて取り消しておきました。しっかりと水分を摂り、たまには危険棟の後家さんのところにでも顔を出してきてはいかがですか。 乾』
「…あの野郎、書き置きまで憲兵みたいな字をしやがって」
私は苦笑しながら水を一気に飲み干し、ズキズキと痛む頭を抱えながら、執務室を出た。
朝の眩しい日差しの中、私はふと思い立ち、輜重中隊の倉庫を訪れた。そこで、天幕の隅で死にそうな顔で算盤を弾いている松平元康を尻目に、間宮大尉に「貴重品」を一つ要求した。
それは、空輸用の補給物資の中に紛れ込んでいた、落下傘部隊用の「氷砂糖」の缶詰だった。
私はその小さな缶詰を軍服のポケットにねじ込み、谷の最深部にある、土塁に囲まれた「危険棟」へと向かった。
入り口で草履に履き替え、湿った空気の漂う工房の中へ入る。
今日も、神崎玲子は、静謐な横顔で雷酸水銀の充填作業を行っていた。
私が近づく気配に気づき、彼女は作業を止めて振り返った。
「大佐殿。…お顔の色が、ひどく悪いですが」
「…ああ。部下たちの反乱に遭ってな。しこたま毒薬を飲まされた」
私が照れ隠しに頭を掻くと、玲子はクスリと小さく笑った。
「軍人さんたちも、大変なのですね」
「ああ。…その、なんだ。いつも火薬を詰めてばかりでは、気が滅入るだろう。輜重の倉庫から、これをくすねてきた」
私は、ポケットから氷砂糖の缶詰を取り出し、不器用に彼女の作業台の端に置いた。
「甘いものだ。休憩の時にでも、かじってくれ。…頭の疲れが取れる」
玲子は、缶詰と、私の顔を交互に見つめ、やがて、その大理石のような白い頬を、微かに、本当に微かに桜色に染めた。
「…ありがとうございます、大佐殿。大切に、いただきます」
その微笑みは、昨夜の私の心に空いた大穴を、そっと塞いでくれるような、ひどく暖かく優しいものだった。
「じゃ、じゃあな! 私は忙しいのだ!」
私は、柄にもなく顔が熱くなるのを感じ、逃げるように危険棟を後にした。二日酔いの頭痛が、なぜか少しだけ和らいでいる気がした。
その光景を工房から少し離れた場所で、軍の払い下げの荷車を押しながら、石川数正と共に肥料を運んでいた松平元康が、じっと息を殺して観察していた。
「殿…あの大佐、あの女と何を話していたのでしょうな。また恐ろしい虐殺の企みでしょうか」
数正が、恐れおののくように囁いた。
だが、元康の天才的な観察眼は、二人の間に流れていた「不器用な男女の空気」を正確に読み取っていた。
「…いや、違う」
元康は、荷車の持ち手を握る手に、じわりと汗を滲ませた。
「悪鬼羅刹の集団かと思えば…なんのことはない。奴らも酒を飲んで二日酔いになり、女に甘い菓子を貢いで照れる、ただの血の通った人間ではないか」
元康は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「だが…だからこそ、恐ろしいのだ。数正」
「人間だから、恐ろしい…とは?」
「ああ。奴らは、血も涙もない悪魔だから我々を殺すのではない。人を愛し、悲しみを知る人だからこそ、己の信じる法と合理性のために、一切の容赦なく我々武士を消し去るのだ」
元康は、遠ざかる櫻井大佐の、少し猫背になった背中をじっと見つめた。
「神や悪魔の怒りなら、祈れば鎮まる。だが、人間の冷酷な計算は、誰にも止められん。…我々は、とんでもない連中の国造りに巻き込まれてしまったようだぞ」
元康は、這い上がるような恐怖と、そして底知れぬ興奮がないまぜになった武者震いを感じながら、再び荷車を押し始めた。
泥と油に塗れた新しい日常が、彼ら全員を呑み込みながら、着実に歴史の歯車を回し始めていた。
第9話了
大人だって泣くんです。でも、泣いたら翌朝には美人に癒されるとか、大佐はきっと前世で功徳を積んでたんでしょうね。




