第23話:女の子がいっぱいの新しい街!〜ピカピカの学校と夜のお勉強会で、みんなで楽しく『あいうえお』!その1
この作品は「零戦」さまの「戦国日本軍リメイク」および「戦国日本軍」の一部設定をお借りして執筆されています。
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戦国日本軍リメイク https://ncode.syosetu.com/n7441hl/
戦国日本軍 https://ncode.syosetu.com/n2674cj/
永禄四年(一五六一年)三月二十一日。
相良衛戍地の北にそびえる崖上に立つと、春の気配を含んだ微風が軍衣の襟を揺らした。足元に広がる光景は、もはや単なる「守備隊の仮宿」ではない。それは、中世の闇を物理的に切り裂き、不自然なほど整然と産み落とされた「新相良」という名の都市そのものだった。
私は煙草に火をつけた。紫煙が風に攫われ、港のクレーンや工場群が吐き出す重苦しい煙と混じり合っていく。
一月からの二ヶ月半。私たちは狂気じみた速度で「準備」という名の段取りを進めてきた。
眼下に見える「新相良」の街路には、蟻の列のように人々が蠢いている。だが、そこに住まうのは、私たちが昭和の空から連れてきた家族ではない。あの時、衛戍地の柵の内側にいた五〇〇〇余名の軍人と軍属。それが、私たちが持っていた全てだった。
では、あの街を埋め尽くしている「市民」たちは一体何者なのか。
答えは、私たちがこの戦国という理不尽な盤上で、最も残酷な形で獲得した資源、すなわち「生き残った敗者」たちである。
昨年の桶狭間や引馬での作業、そして今川領内における少し頑張りすぎた後片付けの結果、私たちはこの近辺の四万人近い男性労働人口を地上から消し去った。今川領、約四〇万人の人口のうち、働き盛りの男の実に四割を、近代兵器という理不尽を以て肉切れに変えたのだ。
その結果、領内に溢れかえったのは、夫を、父を、息子を失った膨大な数の女性たちだった。
民政部は、この凄惨な現実に直面し、冷徹なまでの「選別」を行った。
先に入ってきたのは慰安所の女性たちだった。その後、下働きや下女、しばらくして工場の労働者として、その後は商店や飲食店の店主や従業員、現地編成の兵士の家族、などなど。
相良への居住を許されるのは、まず伝染病の有無と健康状態、単に栄養状態が悪いだけのものは可として。次に「相良への明確な敵意」のなさ、困窮の具合、そして最後は「近代的な職分に適応し得るか」という点である。美醜は問わない…問わなかった筈ではあるが。
男たちを殺した憎き相良の街に、彼女たちはなぜ住まうのか。それは、ここにある「相良の掟」が、神仏の慈悲よりも確実に明日の米を保証するからだ。
彼女たちは今、赤煉瓦の工場で軽作業に従事し、国民学校の寄宿舎で洗濯や炊事を担い、葦簀張の店で団子や煮物や焼串を売っている。春をひさぐ者もいる。あるいは新設された縫製工場で、私たちの国民軍が着る軍服を縫っている。
街の人口の六割を女性が占めるという、歪んだ、しかし極めて生産的な都市構造。
私は、その不均衡な街並みを眺めながら、自嘲気味に息を吐いた。
かつての私は、理性にのみ頼る軍事官僚であった。
転移直後、私は「相良圓」という不換紙幣さえあれば、すべてが解決すると信じていた。私たちの持つ圧倒的な技術力と、それによって産み出される工業製品。それが紙切れに価値を与えるのだと。
確かに、占領地の内側ではそれは機能した。だが、堺や近江の商人、そして西国の大名たちを相手に、その理屈は通用しなかった。
「大佐殿、彼らは理屈を信じません。指で触れ、重みを感じ、噛んで確かめられる金と銀の輝きだけを信じるのです」
民政部長の桂木がかつて述べた進言が、今は骨身に染みる。
相良の「信用」を担保に不換紙幣を動かすのは、あくまで内政の手段に過ぎない。外部との交易においては、やはり金銀という「中世の真実」が必要不可欠だった。
私の「理屈倒れ」の経済学は、冷酷な商使たちの視線を前に、一度は完膚なきまでに叩き潰されたのだ。
外部との交易は、今や相良としても無視できない内容となりつつある。
堺の豪商、茶屋四郎次郎や津田宗及といった連中は、当初は私たちの武器を求めてきたが、私はそれをお断りした。代わりに売ったのは、生活の質を劇的に変える「文明の欠片」だ。
製油所から産み出される、黒煙の出ない「灯油」と、それを燃やすための「相良式ランプ」
工廠で加工された様々な「鉄製品」
従来より数倍純度を高めた真っ白な「相良の塩」
甜菜から抽出される、やはり真っ白で途轍もなく甘い「相良の砂糖」
機械式の織り機から生まれる、滑らかで均一な品質な「反物」
そして、病院地下で密かに量産が始まっている「碧素」――ペニシリンだ。
これらに対する対価として、私たちは金銀の正貨、そして「米」を要求した。
特に、兵糧としての米の蓄積は、来るべき大規模な軍事行動を支えるための絶対的な重しとなる。不換紙幣は、その大量の米と、工場の煙と、そして何より「金銀」の備蓄という、泥臭い担保の上に乗って初めて、その翼を広げることができたのだ。
一月の月頭、連隊本部の作戦会議室で下した「近隣資源の徹底開発」という決断は、三月半ばの現時点において、冷徹な数字の積み上げとなって私の手元に届けられていた。
中世の山師が一生をかけて探す鉱脈を、私たちは昭和の地質資料というカンニングを以て、最初からピンポイントで把握していた。あとは掘るだけである。近代的な重機は城ヶ島や港湾建設に回しているため、採掘現場は文字通りの人海戦術――相良の支配下に入った周辺の民草千数百名を動員した、前近代的な力押しである。
天神山から切り出される「石灰石」の量は、今や日産五十トンに達している。
これは新相良の建築ラッシュを支えるコンクリートの主原料となるだけでなく、粉砕され、佐々木軍曹率いる農業指導員の手によって「農地改良剤」として近隣の村々へばら撒かれている。酸性土壌に苦しんでいた戦国の田畑は、この白い粉によって劇的な増収を約束され、農民たちはそれを「相良の奇跡」と呼び、不換紙幣である相良圓でこぞって買い求めている。
三河と美濃の境界付近、かつての小規模な露天掘り跡周辺では、さらに露骨な開発が進んでいる。
私たちは工兵隊の測量に基づき、有望な「銅」と「鉄」の脈を強引に抉り出した。現場のすぐ近くには、平賀工場長が設計した簡易的な反射炉と精錬設備を設置している。泥まみれの労働者たちが掘り出した粗悪な鉱石は、その場で不純物を落とされ、運びやすいインゴットへと姿を変えて相良の工廠へと運び込まれる。
三月半ばまでに確保された銅は約二トン、鉄は五トン。
さらに、古文書と近代地図から割り出した古い金銀の廃坑も、昭和の爆薬と削岩機を用いて強引に再開発した。暗い坑道に響くダイナマイトの爆音は、数百年眠っていた山々を無理やり叩き起こし、僅かではあるが金二キロ、銀五十キロという、外部交易に欠かせない「正貨」を吐き出させた。
平賀の工廠が熱望していたマンガンや亜鉛の端鉱も、人海戦術によって必要最低限の量は確保された。これにより、特殊鋼の試作という道筋はようやく繋がったと言える。
これら近隣鉱山の開発により、相良の内側で「自給」を完結させるための最低限の土台は整った。だが、報告書の数字を見つめる私の目は冷めたままだ。
千人単位の人間を泥にまみれさせ、力技でかき集めたこの程度の量では、相良を真の重工業化へと導くための「質と量」には到底届かない。私たちが真に必要としているのは、戦国の停滞を物理的に粉砕し、国家としての寿命を数百年分引き延ばすための、桁違いの資源である。
だからこそ、私たちは海へ出る。
近隣の山々で得た僅かな果実は、あくまでそのための「繋ぎ」に過ぎないのだ。
街の西側に位置する「相良紡績第一工場」は、今や新相良の経済的な自立を象徴する巨大な赤煉瓦の要塞と化していた。
当初は、将兵の軍服を補修し、国民軍(保安隊)の制服を整えるための小規模な工房に過ぎなかった。
だが、今やここには十基以上の小型焼玉機関を動力源とした、複製の紡績機がギュイィィンという金属音を上げながら回っている。
原材料の調達は、戦国という時代の不確実性を逆手に取ったものだ。
周辺の村々に対して、私たちは硫安(肥料)を対価として、桑の栽培と「繭」の優先納入を強制している。
本来ならば京都や堺へ流れるはずの上質な絹糸が、相良の徴発網によってこの工場へと集約される。
さらに、堺の商人たちを通じて、西国から大量の綿花と麻を買い付けている。その対価は、製油所から出る「灯油」と、工廠が造る「ランプ」や「ガラス器」や「包丁」といった、圧倒的な品質を誇る工業製品だ。
この工場で生産される布地は、まず国民軍の軍装や、将兵の消耗品の補充という「自家消費」に充てられる。
だが、その生産余力は、今や強力な「交易品」へと姿を変えつつあった。
相良の機械によって、均一な太さで紡がれ、均一な密度で織られた布地は、この時代の歪な手織り布とは比較にならない美しさと強度を誇る。
特に、化学・精製部が産み出した副産物を用いた「合成染料」で鮮やかに染め抜かれた布は、堺の市場で金銀と同等の、いやそれ以上の価値を持って取引されている。
「大佐殿、この布一反で、九州の米が十石買えますぞ」
物流を統括する番野助六が、算盤を弾きながら私に報告してきたことがある。
不換紙幣「相良圓」は、この街の内側では絶対的な法だ。
だが、外部の商人たちは、依然として金と銀の物理的な重みしか信じない。
だからこそ、私たちは「布」を売り、「塩」を売り、「碧素」を売って、中世の真実である金銀を、貪欲にかき集め続けている。相良圓に金銀を飲み込ませる準備のために。
相良圓の価値を支えているのは、我々のこの時代において圧倒的な軍事力だけではない。
この赤煉瓦の工場たちから吐き出される、他では真似のできない「質」と「量」、どんどん積み上がる金銀の備蓄、そしてこの地域全体の物と銭の回り様である。
理屈倒れの理想主義から脱し、私たちは中世のルールを近代の効率で浸食し始めたのだ。
私の、昭和の軍事官僚としての「わがまま」は、この戦国の土壌に足をつけることで、ようやく現実的な「国家」の形へと昇華されつつあった。
街の北側に新設された「相良国民学校」の校舎からは、春の柔らかな日差しを浴びて、子供たちが一斉に教科書を唱復する高い声が聞こえてきた。
「サイタ、サイタ、サクラガ サイタ」
その響きは、この戦国の静寂を切り裂く、異質なほどに整った調律であった。
この学校に通うのは、親を亡くした孤児や、相良の法度に従属することを誓った職人や労働者の子供たち、およそ六〇〇名である。
彼らが手にしているのは、連隊のガリ版刷りで作られた粗末な教科書だが、そこに記されているのは、この時代に広く流布している「いろは」や「往来物」ではない。
文字は全て、一点一画を揺るがせにしない「楷書」である。漢字・平かな・カタカナが混じり合った、昭和一桁のあの厳格な日本語教育だ。
私たちは、彼らに「言葉の統制」から教えている。
感情的な戦国の語彙を排し、論理と機能、そして命令を正確に理解するための「理性の言語」を。
さらに、四則演算と理科の基礎が叩き込まれる。
「一+一が二になるのは、神仏の加護ではなく、世界の法則である」
「水が沸騰するのは、火の神が怒っているからではなく、熱というエネルギーの作用である」
かつての女学校教師であった神崎玲子らが監修したそのカリキュラムは、子供たちの脳内にある「迷信の領土」を、じわじわと「科学の領土」へと塗り替えていく。
教育は子供たちだけに留まらない。
夕刻、工場が交代時間を迎えると、今度は成人教育――すなわち、街に溢れる女性たちも含めた「実務教育」が始まる。
彼女たちの多くは、私たちが戦場で男たちを薙ぎ払った後に残された、今川領の未亡人たちだ。
新相良の人口は、今や一万五〇〇〇人を数えるまでに膨れ上がっていた。
その内訳は、五〇〇〇名の将兵・軍属に対し、一万名近い「選別」された現地民である。
この一万名は、民政部の厳しい審査――病の有無、技能の適性、そして何より「復讐心より生存を選ぶ」という冷徹な決断を下した者たちだ。実に九〇〇〇人が女性だ。
彼女たちは夜の教室で、工場のマニュアルを読み、検品の帳簿をつけるための算術を学んでいる。
読み書きができるようになれば、賃金が上がり、相良の序列が上がる。その単純な生存のインセンティブが、彼女たちを「戦国の寡婦」から「相良の技能工」へと変質させる、何よりの触媒となっていた。
この項つづく
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