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第16話:ド派手なプレゼントにお客さんもビックリ!?〜落とし物を拾ったら、今夜は涙を拭いて手を繋ごう〜その2

九月十日。

遠江国、見付宿の南方に広がる平野部。


 秋の乾いた風が吹き抜ける荒野の向こうから、地平線を黒く塗りつぶすほどの土煙が迫っていた。法螺貝の音と、「南無阿弥陀仏」の念仏、そして旧体制の奪還を掲げる国人衆の怒号が、うねる波のように押し寄せてくる。その数、およそ四千。


 しかし、迎え撃つ相良の「前線行政出張所」の陣幕周辺には、武者震いや悲壮感といった戦国時代特有の空気は微塵も漂っていなかった。


「第一分隊、松平殿と地元の見習い役人を中央に集めろ! 周囲に土嚢を積んで掩体えんたいを構築! 絶対に弾除けの壁から頭を出させるな!」


 元康の周囲では、護衛として随伴していた歩兵分隊と、行政官から兵隊に戻った特務小隊の合計二〇名ほどが、泥まみれになりながら無言で、かつ機械的な手際で陣地構築を進めていた。彼らは地響きを立てて迫り来る四千の敵群など一瞥もせず、ただひたすらに「護衛対象」を物理的な壁で覆い隠すことだけを急いでいる。彼らの目には、死を恐れる怯えも、敵の首を取って名を上げようとする闘志もない。ただ「与えられた防衛の任務タスクを遂行する」という冷徹な作業員の顔しかなかった。


「殿! ここは我ら三河衆にお命じくだされ! 相良の兵たちは土の壁に隠れるばかり。ならば大佐殿より、治安維持の特例としてお預かりしたこの武具、今こそ相良のために役立ててご覧に入れまする!」


 元康の傍らで、大槍を握りしめた若武者――本多平八郎忠勝ほんだへいはちろうただかつが、血走った目で吠えた。


 彼らは相良に降伏した際、一度はすべての武具を接収されていた。しかし、前線出張所の警備や暴徒鎮圧を行う保安要員としての実務を担うにあたり、櫻井大佐から厳格な管理の下で刀や槍の帯刀を特別に許可されていたのである。


 元康は、怒りで肩を震わせる忠勝を横目で見た。その奥では、古参の鳥居元忠や服部半蔵も、いつでも斬り込めるよう刃の柄に手をかけている。三河武士の忠義と蛮勇は、未だ彼らの血の中で熱く煮えたぎっているのだ。元康はその忠誠心を頼もしく思いつつも、同時に、彼らが「すでに終わった時代の遺物」になりつつあるという冷酷な事実を噛み締めていた。


「……控えよ、平八郎。我らに許されているのはあくまで平時の治安維持のみ。このような大軍を相手にする出番など、どこにもないわ」


 元康は静かに首を横に振った。

「それに、奴らの蜂起など、とうの三日前に半蔵の忍び衆が掴み、相良の『無線機』とやらで本営に筒抜けであったのだ。一揆勢は我らの出張所を奇襲したつもりだろうが……実際は、この遮蔽物のない平野に誘い込まれただけよ」


 元康の言葉を裏付けるように、陣幕の隅では相良の通信兵が手回し発電機を回しながら、受話器に向かって短く叫んでいた。


『敵先鋒、予定の火制地帯に進入! 距離一千!』


 その直後だった。元康たちの背後の丘陵地帯から、重々しい地響きと、鼻をつくひまし油の排気臭が雪崩のように押し寄せてきたのは。



「櫻井支隊、独立機動歩兵大隊・第二中隊、現着! これより防衛線を構築する!」


 土煙を切り裂いて現れたのは、九四式六輪自動貨車の車列であった。あらかじめ一揆軍の動向を把握し、彼らをこの平野で完璧に捕捉・殲滅するために待機していた機動歩兵部隊が、時計の針を合わせたかのような正確さで戦場に到達したのだ。第一小隊の歩兵たちが陣幕の周囲になだれ込み、元康たちを自らの背中で護るように幾重にも分厚い「人壁」を作った。


「な……貴様ら、何を!?」

 忠勝が、己の前に立ちはだかり、敵に向けて一斉に九九式短小銃を構える歩兵たちの背中を見て目を丸くする。彼らは自らの手柄を完全に放棄し、ただ元康たちを守る「盾」として機能していた。


(……見事なものだ。彼らはいくさをしているのではない。算盤を回す我々を生かすための、歯車として動いているのだ)


 元康は、自らを護る兵士たちの背中を見つめながら、自分が組み込まれたシステムの底知れぬ合理性に、背筋が凍るような感動すら覚えていた。



「よぉ、元康君。怪我はないな」


 そこへ、装甲車の陰からゆっくりと歩いてきた巨漢の将校が、元康の隣に並び立った。独立機動歩兵大隊長の武田猛たけだたけし少佐である。


「武田少佐殿……御自らのお出ましとは」

「あんたは今や、相良の生命線を握る貴重な『頭脳』であり『金庫番』だ。流れ矢一つ当てるわけにはいかんのでな。俺はあんたの護衛兼こいつらのお目付役だ。……神谷! 指揮は任せるぞ、派手に散らしてやれ!」


「はっ!」


 神谷大尉が軍刀を抜き放ち、前線に命令を飛ばす。

「第二、第三小隊、散開! 十字砲火クロスファイアの射界を構成しろ。重機関銃は両翼の高台へ。正面には『九七式曲射歩兵砲』を並べろ! ……敵は密集陣形だ、面制圧で一網打尽にする!」


 相良の歩兵たちは一切の無駄口を叩かず、瞬く間に土嚢を積み上げ、両翼の高台に九二式重機関銃を据え付けた。正面には、短い筒のような不気味な火砲――九七式曲射歩兵砲(81mm迫撃砲)が六門、大きな仰角をつけて並べられた。対歩兵の野戦において、塹壕や陣形の頭上から死の雨を降らせるための悪魔の兵器である。


「距離、八百!」

 観測兵が叫ぶ。一揆軍は「相良の妖術を打ち破れ!」「南無阿弥陀仏!」と念仏やときの声を上げながら、密集隊形で突撃の足を速めた。火縄銃すらまばらな、槍と刀だけの原始的な狂信の波である。


「……射撃開始《撃テ》」

 神谷大尉の軍刀が振り下ろされた。


次の瞬間、両翼の高台から、九二式重機関銃特有の「ダダダダダッ」という啄木鳥きつつきのような重低音が響き渡った。


 そこからは戦闘ではなく、一方的な『屠殺とさつ』の始まりであった。

 7.7ミリの被甲弾が見えない鋼鉄の鞭となって一揆軍の側面を薙ぎ払う。一発の銃弾が、一人目の頭蓋骨をザクロのように粉砕し、二人目の鎖骨と肺を砕き、三人目の腕をちぎり飛ばしてようやく止まる。


「ひぃっ! 腕が! 俺の腕がぁぁッ!」

 千切れた右腕の断面から血を噴水のように吹き上げてのたうち回る男。腹をえぐられ、自身の腸を泥まみれになりながら腹に詰め込もうとする若者。


「曲射歩兵砲、榴弾りゅうだん! 敵中央の旗本に降らせろ!」

 神谷大尉の命令とともに、正面の迫撃砲陣地から「ポコン、ポコン」という、およそ兵器らしからぬ間の抜けた発射音が連続して鳴り響いた。


数秒の沈黙。


 そして、一揆軍の密集陣形の中央、彼らの頭上の空が「炸裂」した。

 ドズゥンッ! という腹の底を殴るような轟音とともに、放物線を描いて落下してきた81mm榴弾が、敵の頭上や足元で次々と爆発した。直射火器の届かない後方にいた旗本や足軽たちが、上空から降り注ぐ赤熱した鉄の破片のスコールを浴びる。


 兜の天辺を紙のように貫通された武将が、頭部をスイカのように破裂させて即死する。足元で炸裂した爆風により、両脚を膝下から吹き飛ばされた農民兵たちが、血の池となった泥の中で泣き叫ぶ。飛び散った無数の破片が、密集した兵士たちの喉笛や眼球に深々と突き刺さった。


「な、なんだこれは……」


 本多忠勝は、特例で許された槍を取り落とし、ガタガタと震えながらその光景を見つめていた。百戦錬磨の鳥居元忠や服部半蔵でさえ、顔面を蒼白にして言葉を失っている。


「……見よ、平八郎。これが『未来のいくさ』だ。個人の武勇も、命を賭した忠義も、あの空から降る鉄の雨の前では、ただの肉の塊に過ぎん」


 松平元康は、自らを護る歩兵たちの背中越しに、冷徹な目でその虐殺の光景を網膜に焼き付けていた。


 戦闘は、わずか二十分で終了した。


 四千いた一揆軍のうち、三千以上が原型をとどめない肉の絨毯となって野に敷き詰められ、残る者は完全に発狂して逃げ散った。相良側の死傷者は、ただの一人もいない。


 武田少佐は、硝煙の晴れた戦場を双眼鏡で一瞥すると、傍らの元康の肩をポンと叩いた。

「さて、害虫駆除は終わった。……後始末(行政処理)の仕事に戻ってくれ、元康君。あんたの算盤の邪魔をする奴は、俺たちが何度でも吹き飛ばしてやる」


 武田少佐がそう語りかけたのとほぼ同時に、前線の陣地から小隊長や古参下士官たちの甲高い怒号が、血塗られた荒野に響き渡った。


「総員、撃ち方待て! 第一、第二分隊は直ちに薬莢やっきょうの回収にかかれ!」

「土に埋もれた分も残らず拾い集めろ! この真鍮しんちゅうは貴様らの命より高いんだぞ!」


 先程まで無感情に引き金を引いていた兵隊たちが、九九式短小銃を肩に背負い直し、泥と血だまりに這いつくばるようにして、散乱した黄金色の空薬莢を拾い集め始めた。両翼の高台にある重機関銃の陣地でも、弾薬手たちが空になった保弾板と無数の薬莢を、まるで宝物でも扱うかのように木箱へと丁寧に収めている。


「おい、血肉や泥がこびりついた奴は、軽く拭き取ってから袋に入れろ! 薬室や雷管の穴に泥を詰まらせたら、工廠こうしょうで再生できなくなるぞ!」

 星曹長が、血の海を避けるように及び腰になっている若い兵士の尻を蹴り飛ばして指示を飛ばす。


 一歩先には、手足を吹き飛ばされ、内臓をこぼして絶命している武将や農民たちの原型をとどめない死体の山が連なっている。だが、相良の兵士たちにとって最優先されるべき任務は、敵の首を確認して手柄を誇ることでも、死者を弔うことでもなく、足元に散らばる「再利用可能な近代の金属資源」を一つ残らず回収することであった。


 おびただしい血の臭いが立ち込める中、無数の薬莢が麻袋の中でチャリン、チャリンと無機質な金属音を立てる。それは、武功や名誉といった戦国時代の価値観が、近代兵站へいたんの徹底した合理性の前に完全に上書きされたことを示す、何よりも冷酷な作業風景であった。





その夜。

 相良衛戍地、連隊本部の執務室。


「……本日の見付防衛戦における、弾薬の消耗報告です」


 乾中尉が、机の上に報告書を置いた。

「7.7ミリ重機関銃弾、約一万二千発。九九式小銃弾、三千五百発。九七式曲射歩兵砲の八十一粍榴弾、百二十発」


私は、武田少佐が現場から持ち帰ってきた黄金色の空薬莢を一つ指先でつまみ上げ、ため息をついた。

「たった二十分、四千程度の烏合の衆を散らすだけで、これだけの消費か」


「敵の密集度が高かったため、これでも一発あたりの致死率は極めて高効率でした。しかし……」

 隣にいた結城所長が、苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「大佐殿。我々の工作機械で鉄の塊は削れても、高品質な真鍮の薬莢と無煙火薬、そして何より雷管に不可欠な雷酸水銀の大量生産は、現在の資源と設備では絶対に不可能です。再生処理工程をフル稼働させても、月産二万発が限界です」


「分かっている。今はまだ百五十万発の備蓄があるが、国内の平定ごときにこの調子で弾をバラ撒いていれば、いずれ必ずやって来る西洋列強のガレオン艦隊とぶつかる前に、我々は丸腰になる」

 私は空薬莢を机に立てて置いた。


「……兵器の『戦略的運用制限』――火器の段階的使用選別を実施するか」

「運用制限、でありますか」

 乾中尉が尋ねる。


「そうだ。すべての兵器を寿命と戦術的価値で分類し、第一線装備から段階的な除籍と温存を行う。……今すぐ重火器を封印すれば、我々の防衛線そのものが崩壊する」


「だが、兵器廠が複製を進めている青銅製の四斤山砲や村田銃といった明治以前の兵器の量産体制が整い次第、松平元康に教育させた『現時兵』の部隊を編成する。何度か実戦でその新部隊の実証を行い、確実な盾になると判断できた段階で、最終的に重機関銃以上の自動火器および重砲の使用を原則として封印する」


 私は、結城所長と乾中尉を真っ直ぐに見据えた。


「五十年前一〇〇年まえの兵器といっても、この時代から見れば三〇〇年後の未来兵器だがな。近代兵器は、三十年後まで油漬けにして温存だ。それまでの間も、近代弾薬の使用は必要最小限に制限する。……数年のうちに、血を流すのは我々ではなく、現地で徴募した戦国時代の人間たちへと完全に切り替える」





会議を終えた後、私は一人で衛戍地の奥深くへと向かった。

 時計の針は午後十時を回っている。夜風が冷たく、秋の虫の音だけが静かに響いていた。


今日、一五六〇年の九月十日。

 私にとっては、決して忘れることのできない日であった。


気づけば、私は谷の最深部にある「危険棟」の前に立っていた。

 静電気を防ぐために草履に履き替え、湿った空気が漂う土塁の中へ入る。薄暗い裸電球の下では、今夜も神崎玲子が、一人で黙々と雷管への雷酸水銀の充填作業を行っていた。


「……大佐殿。こんな夜更けに、いかがなされましたか」

 私の足音に気づき、神崎さんは静かに作業の手を止めた。彼女の大理石のような白い横顔には、火薬の泥が微かに跳ねている。


「いや……少し、夜風に当たりたくなってな」

 私は壁際に寄りかかり、彼女の作業台に視線を落とした。そこには、先日私が置いていった青いガラスのコップが大切そうに置かれていた。倉田一等兵が吹いたそのコップには、温かい白湯が注がれているようだった。


「そのガラス、役に立っているようだな」

「はい。火薬の匂いも移りませんし、何より……手触りがとても滑らかで、心が落ち着きます。ありがとうございます」

 神崎さんは、両手でガラスのコップを包み込みながら、微かに微笑んだ。それは、私が初めて彼女に氷砂糖を渡した時よりも、ずっと自然で柔らかな微笑みだった。


「……そういえば」

 私は、薄暗い天井の梁を見上げながら、ポツリとこぼした。

「今日は、九月十日だな」


「九月、十日……?」

 神崎さんが小首を傾げる。私は軍衣のポケットを探り、空のままの手を強く握りしめた。


「私の、息子の命日だ」

 私の口から、無意識のうちに言葉がこぼれ落ちた。

「あいつは、南方の海で特攻機に乗って死んだ。……私は、出撃に向かう息子の背中を、笑顔で押してやったんだ。『立派に散ってこい』と」


神崎さんは目を見開き、息を呑んだ。

 私の声は、自分でも驚くほど微かに震えていた。指揮官としての仮面が剥がれ落ち、ただの一人の惨めな父親としての顔がそこにあった。


「当時の私は、お国のために命を捧げることが、軍人として、そして父親として一番正しいことだと、骨の髄から信じて疑わなかった。自分が正しいことをしていると、心から思い込んでいたんだ。……だが、すべては狂っていた。無駄死にだった。私は自分の手で、たった一人の息子を地獄へ送り出したのだ」

 私は顔を覆うように大きな手を当てた。隠しきれない悔恨と自責の念で、全身から力が抜け、肩が痙攣するように震えてしまう。部下の前では決して見せることのできない、一人の人間の取り返しのつかない弱さだった。


神崎さんは何も言わずに立ち上がり、私の隣へと歩み寄ってきた。

「私の教え子たちも……多くが、あの狂った戦争で散っていきました。『お国のために笑って死ね』と、私が信じて教え込んでしまったばかりに」

 彼女の声もまた、痛切な響きを帯びていた。私と彼女は、形は違えど、同じ「自分が正しいと信じて、若者を理不尽な死へと送り出した」という深い業と後悔を背負っている。


「……今日、見付の戦場で、一万五千発の弾丸を消費した。中世の武士や農民を三千人、ただの肉切れに変えるためにな」

 私は顔を覆ったまま、自嘲するように言った。

「私は、息子を死に追いやったあの軍上層部と、一体何が違う? 結局のところ、盤上の駒として人間の命を計算し、最も効率の良い方法で冷徹に切り捨てているだけではないのか……」


その時、不意に、温かなものが私の冷え切った右手に触れた。

 神崎さんの、白く細い指先だった。火薬を扱う彼女の手は、いつも冷たい水で洗われているはずなのに、その瞬間だけは不思議なほど熱を持っていた。


「……大佐殿は、あの愚かな軍部とは違います」

 彼女は、私の手をそっと両手で包み込むように握りしめ、真っ直ぐに私の目を見た。


「あなたは、痛みを……流れた血の重さを、こうして悔やみ、苦しむことができる方です。自分が間違っていたかもしれないと、立ち止まって涙を流すことができる。……三十年後、百年後のこの国に、もう二度と無駄な血が流れないようにするために、最も冷徹で、最も苦しい道を選んでおられる」


彼女の静かで、芯のある声が、私の胸の奥にこびりついていた冷たい氷を、ゆっくりと溶かしていくようだった。


「……買い被りすぎだ。私はただの、不器用な男にすぎん」

「それでも、私は……いえ、我々は、あなたのその不器用な誠実さを信じています」


夜風が、危険棟の土塁を撫でて通り過ぎていく。

 互いの手が触れ合う、ほんのわずかな熱。それは、男女の甘い激情などではなく、同じ地獄の底を歩む者同士が、暗闇の中でただ一つ共有した「人間としての温もり」であった。


「……ありがとう、神崎さん」

 私は短く礼を言い、そっと彼女の手から自分の手を離した。これ以上触れていれば、私の中で長年凍りついていた何かが、完全に決壊してしまいそうだったからだ。


「夜が更けた。冷える前に休むといい」

「はい。大佐殿も、どうか少しでもお心を休めてください」


私は背を向け、危険棟を後にした。

 見上げる戦国の夜空には、息子が散った南方の空と同じ、無数の星が瞬いている。

 だが、今の私の足取りは、昨日までのそれよりも、ほんの少しだけ確かな前を向いていた。


 痛みを抱え、他人の命を秤にかける罪深さを背負ってでも、我々はこの血塗られた時代に、もう誰も理不尽な死を強いられないための土台を築かねばならない。

 息子の命日という静かな夜の底で、私はただ、その果てしのない泥の道を歩み続けるための不器用な覚悟を、静かに拾い直していた。

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