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第16話:ド派手なプレゼントにお客さんもビックリ!?〜落とし物を拾ったら、今夜は涙を拭いて手を繋ごう〜その1

永禄三年(一五六〇年)九月


 うだるような酷暑が過ぎ去り、遠州の谷底に吹き込む風に微かな秋の冷気が混じり始めた頃。


 相良衛戍地さがらえいじゅちの連隊本部では、桂木大尉の「特務配置調整室」が機能し始めたことで、各プロジェクトの現場から極めて解像度の高い報告書が次々と上がってくるようになっていた。


私は執務室の机に広げられた数々の書類に目を通しながら、副官の乾中尉から定例の進捗報告を受けていた。開け放たれた窓からは、相変わらず油の匂いと、工廠から響く金属音が絶え間なく流れ込んでくる。


「大佐殿、各技術プロジェクトおよび周辺情勢の進捗報告を行います」

 乾中尉は、感情を一切交えない氷のような声で手元の書類を読み上げ始めた。


「まず、病院地下の碧素(へきそ)(ペニシリン)精製プラントですが……手痛い後退がありました。培養液の第二ロット、およそ三週間分の生産工程が全滅しております」


「全滅だと? 倉田一等兵の作ったガラス器具に不備があったのか」


「いえ、ガラスの肉厚や形状など、機器そのものの精度は完璧でした。問題は、各ガラス管を繋ぐ『ゴム栓』の急速な劣化です。そこから微細な雑菌が混入し、青カビの培養槽が丸ごと腐敗しました。……しかし、報告によれば、瀬戸中尉と倉田一等兵が即座に対策を打ち、接続部をすべて職人の手作業による『共摺ともずりのガラス栓』へと作り替えることで、完全な密閉状態を確保。現在は第三ロットの精製を無事に再開しております。歩留まりは悪いですが、工程の安定化に向けて着実に前進していると評価できます」


「よろしい。失敗は構わん。貴重な教訓だ」


私は一つ頷き、次の書類を指差した。


「海軍の船団と、軍港の整備状況はどうなっている」


「元船大工の松蔵上等兵が改修工事の目付役になって進めていた斜路スリップウェイの工事が完了し、順調に稼働しております。ただ、構造上、斜路には一隻の船しか引き上げられず、作業が完了するまでその船が設備を占有し続けることになります。これが最大のボトルネックです」


「同時並行で作業はできんということか」

「はい。現在、特設運貨船『第七大黒丸』の船底整備と機関の抜き取りを行っておりますが、残る四隻の運貨船および元漁船の整備が完了するのは、本年(一五六〇年)の暮れになる見通しです。第23号艇と目白丸については鋼船ですので、今しばらくは船渠での修理は必要なさそうです。今後の渡洋強襲作戦を策定するにあたり、どの船がいつ作戦配置(オンステーション)につけるか、稼働可能な船腹の輪番管理(ローテーション)をより厳密に行う必要があります」

「分かった。桂木大尉と連携し、海軍の秋田艇長に無理のない整備計画を出させろ」


乾は手際よく次の書類を開いた。

「大田少尉の農場管理班が派遣した、農業指導の進捗です。佐々木軍曹率いる班が三つの先行指導村に入り、備蓄していた『硫安りゅうあん(硫酸アンモニウム)』の散布を実施しました。戦国時代の痩せた土地に近代の窒素肥料を投入した結果、秋の麦と大豆の発育は、現地の農民の常識を覆す異常な水準に達しています。村の庄屋たちは、佐々木軍曹たちを本物の豊穣の神と崇めている有り様です」


「……結構だ。ここまでは、我々が持ち込んだ技術による、言わば物理的・化学的侵略の成果だな」

 私は腕を組み、乾を見た。


「問題は、外の世界だ。我々は旧今川、旧織田の領地のほぼ五割がたを実効支配していると言えるが、周りの有象無象と、近隣大名の動向はどうなっている」


「この辺の情報は松平家頼りになりますが、予想通り政治的・軍事的な空白状態が続いております。今川義元、織田信長という両巨頭が消滅したことで、駿河・遠江・三河・尾張の四カ国は、本来であれば国人衆(土豪)たちによる血みどろの覇権争いが起きるはずでした。しかし、我々相良守備隊の圧倒的な『武力』と『経済力』を前に、彼らは身動きが取れずにいます」


「武田や北条は動かんか」


「甲斐の武田信玄は、配下の忍びを多数放ち、我々の実態を探るべく情報収集に徹しています。相模の北条は関東の平定に注力している様子。厄介なのは、三河・尾張でくすぶる一向宗です。旧来の権威が崩壊したことで、彼らの扇動が農民や国人衆の間で急速に広まりつつあります」


「なるほど」

 私は、机の端に置かれた分厚い和紙の帳簿の束を撫でた。

「圧倒的な力を見せつければ、一時的に周囲は静まる。だが、沈黙の裏で必ず不満は蓄積していく。……この分厚い帳簿が、彼らの旧体制の息の根を止めつつあるのだからな。元康の奴は、すっかり『近代官僚』の顔になりおったわ」





同じ頃。遠江と三河の国境近く

見付みつけの宿場町に設けられた「相良見付行政出張所」


 かつて金陀美きんだみの具足に身を包み、数千の三河武士を率いていた松平元康は、今や地味な作業袴さぎょうばかまを身にまとい、机に山積みになった分厚い帳簿と向き合っていた。


「元康様。遠江の掛川衆の領地より逃げ込んできた百姓ども、およそ三十名が、外で待機しておりまする。いかがなされますか」


 元康の腹心である石川数正が、汗を拭いながら伺いを立ててきた。彼の言葉遣いには、かつての主従としての響きが残っているが、その手には刀ではなく、兵士名簿と算盤そろばんが握られている。


「構わん。すべて雇い入れよ。日当は規定通り、相良圓さがらえんにて支払うのだ」

 元康は、筆の先を舐めながら、帳簿から目を離さずに淡々と答えた。


 出張所の前には、泥まみれの農民たちが長蛇の列を作っていた。彼らは皆、かつては地元の国人衆に隷属し、重い年貢と賦役ふえきに喘いでいた者たちだ。それが今、相良の軍港建設や道路整備の現場に日雇いとして集められ、時間を厳守するシフト制の労働に従事している。


「一週間の働き、大儀であった。給金は相良の軍票にて五十圓なり。……受け取られよ」

 元康は、隣に座る元銀行員の特務小隊員が差し出した、透かし入りの和紙の札――相良衛戍地で独自に印刷された不換紙幣を、農民の代表に手渡した。


「は、ははぁっ! ありがてえことでごぜえます……!」

 農民は、その「ただの印刷された紙切れ」を、まるで黄金でも受け取るかのように震える手で押し戴いた。


 無理もない。この出張所の隣には、相良の輜重隊が管理する「相良交換所」が併設されており、この軍票を持っていけば、中世では砂金にも等しい「純白の塩」や「砂糖」、あるいは古着の木綿などと、いつでも固定レートで交換できるのだ。


 相良の圧倒的な物資と生産力が「裏付け(信用)」となり、この地域一帯ではすでに、粗悪な明銭みんせん鐚銭びたせん)よりも、相良の紙幣の方が遥かに高い価値と信用を持って限定的に流通し始めていた。


「……恐ろしいことでござるな」


 石川数正が、交換所で塩を受け取り歓喜する農民たちの姿を見ながら、震える声で呟いた。

「我らはかつて、血を流して領地を奪い合っておりました。それが、あの紙切れ数枚で、百姓どもは喜んで我らの普請ふしんに従うのですから」


「左様。武力より恐ろしいのは、銭と帳簿の力よ」

 元康は、算盤の玉をパチリと弾き、冷徹な目で帳簿に新たな数字を書き込んだ。


 元康は、相良に降伏してからの数ヶ月間で、自分の知る「武士の時代」が完全に終わったことを骨の髄まで理解していた。


 農民たちは、もはや刀を振り回して威張るだけの旧領主の命令など聞かない。相良の普請場で働けば、確実に家族を食わせる塩が手に入るからだ。


 結果として何が起きているか。旧今川・織田領のあちこちで、地元の国人衆たちが、自分たちの田畑を耕す労働力を根こそぎ相良に奪われ、干上がっているのだ。血を一滴も流すことなく、彼らの権力と搾取の基盤は音を立てて崩壊しつつあった。


 かつての誇り高き三河の若武者は、もはやそこにはいない。あるのは、この底知れぬ力を持つ「相良の国家システム」の要となり、その真髄をすべて己の血肉にしてやろうという、冷酷で貪欲な官僚としての凄みであった。


 だが、中世の常識を根底から破壊するこの「算盤による蹂躙」は、当然ながら旧体制の激しい反発を招くことになる。労働力を奪われ、武士としての特権と面子を完全に潰された旧織田・今川領の国人衆たちは、死に物狂いで刀を握り直していた。


「元康様……! 一大事にござる!」

 見付宿の外周を警戒していた元家臣の伝令が、血相を変えて飛び込んできた。


「旧今川の国人衆の残党、および一向宗の門徒らしき一揆勢が結託し、兵を挙げました! その数およそ四千。ここ見付の出張所を目指して、街道を南下中であります!」


 その報告を聞いても、元康の表情は微塵も動かなかった。彼は静かに筆を置き、隣で控えていた既に兵隊の顔に戻っている行政チームのメンバーたちと、自らの腹心を見た。


「数正、帳簿を片付けよ。……古き世の亡霊どもが、自ら死に場所を求めてやって来たようであるな」




この項つづく


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