第15話:ワクワクお仕事相談室、オープンです!〜適材適所のお引越しと、夜のドキドキ内緒話〜その2
永禄三年(一五六〇年)八月一〇日
遠江国、相良衛戍地
相良守備隊司令部 地下大会議室
それから一週間たった。
準備が整ったのを見計らい、私は連隊本部の会議室に、各部門の責任者たちを召集した。
結城所長、輜重大隊の間宮俊太郎大尉、相良農場管理班の大田特務少尉。そして、司会進行役として、分厚い資料を抱えた桂木大尉である。
「さて、状況の洗い出しは終わったな」
私が上座から声をかけると、桂木大尉が一礼して会議を始めた。
「はい。各部門からの人員要請と、当調整室による抽出案がまとまりました。大佐殿には、これらに対する最終的なご決裁をお願いいたします。……まずは、最も切実な『胃袋』の問題から。間宮大尉、大田少尉、お願いします」
間宮大尉が立ち上がる。
「現在、軍馬七百十六頭の維持については、転移前の飼料庫の在庫に地下倉庫の圧縮糧秣を加えたもの消費しつつ、附属農園の生産物で補っております。全面的な侵攻を停止している現状、直ちに破綻することはありません。しかし、三年先を考えれば、戦国時代の農業生産性に依存し続けるわけにはいきません。大田少尉の農場管理班を拡張し、持続可能な自給体制を築く必要があります」
「大田少尉、具体案はあるか」
私の問いに、大田少尉は緊張した面持ちで答えた。
「はっ。近隣の三つの村を『先行指導村』に指定し、近代農法による収穫量拡大の実験を行いたいと考えております。ただ農民に命令するだけなら歩兵の巡邏で足りますが、我々が欲しいのは現地で土壌改良と化学肥料の管理ができる人材です」
ここで、桂木大尉が手元の資料をスッと差し出した。
「調整室からの提案です。歩兵第一中隊の佐々木軍曹。彼は農専学校を出て肥料会社に勤めていた経歴があります。彼をリーダーとし、第一中隊から米作経験者十四名を集めた計十五名の『武装農業指導班』を編成し、各村へ派遣します」
「第一中隊から十五名も抜いて、防衛線に穴は空かないか?」
私が問うと、桂木大尉は涼しい顔で答えた。
「第一中隊長とは既に折衝済みです。不足分は、松平元康殿が調達してきた現地の足軽を『連隊付補充兵』として第一中隊に組み込み、残った我が方の古参兵に彼らの調教と指揮を任せることで合意を取り付けております。それに危機が迫った際にも、同じ部隊同士の方が何かと連携が取りやすいかと」
「見事だ。佐々木軍曹の件、承認する」
私が決裁印を押すと、次は結城所長が立ち上がった。
「大佐殿。海軍から接収した焼玉機関の複製ですが、単に金属を削れば済む話ではありません。エンジンの主軸を精密に削り出せる熟練の旋盤工と、鋳型の気泡を防げる鋳物師が必要です。これがなければ、動力船の量産は始まりません」
「こちらについても、候補者の抽出を終えています」
桂木大尉が再び資料を読み上げる。
「歩兵第二中隊の田中伍長。彼は新潟の鐵工所で、実際に焼玉機関の主軸を引いていた職人です。彼を含め、各部隊の金属加工と鋳物の経験者五名を兵器補給廠へ引き抜きます」
「田中伍長か。第二中隊長は渋ったのではないか?」
「ええ、彼は優秀な分隊長ですから。ですが、田中伍長が抜けた後の分隊長には、予備役上がりのベテラン下士官を昇格させる人事で中隊長を納得させました。補給廠での彼らの宿舎や糧食の付け替えも、当室で手配済みです」
「よし。承認する」
桂木大尉の配置調整室が機能したことで、会議は極めてスムーズに進行した。
一斉に人を動かして部隊を混乱させるのではない。現場の要望に対し、最適な「プロ」を一本釣りし、原隊の防衛力低下を防ぐための補填案をセットにして提示する。私は最高指揮官として、それを天秤にかけ、決断を下すだけでよかった。
それは、軍隊という破壊に最適化された組織を、ゆっくりと、しかし確実に「国家」という多機能な生命体へと作り変えていく、精緻極まる外科手術であった。
数日後の夕刻。
第一練兵場の片隅で、数名の兵士が背嚢を背負い、整列していた。
歩兵第二中隊の田中伍長もその一人だった。彼は昨日まで手にしていた九九式短小銃を肩に掛けつつ、足元には私物の工具箱を置いている。
「伍長。本当に行っちまうんですか。寂しくなりますよ」
部下の兵士たちが、名残惜しそうに声をかける。
「ああ。……だが、俺の腕がこの時代で一番役に立つ場所を見つけてもらったんだ。俺は兵隊である前に、新潟の職人だからな。……精一杯、良いエンジンを削り出してくるよ」
田中伍長は、かつての仕事仲間のような晴れやかな顔で、仲間に別れを告げた。
彼のような「特定の技能を持つ個」が、軍という巨大な鋳型から一時的に解き放たれ、本来の居場所へと向かっていく。
私は執務室の窓から、各現場へと散っていく小さな特務チームを見送っていた。
「……結城さん。彼らが植えた種が、いつかこの大地に巨大な歯車を産むことになる。我々は、彼らが存分に腕を振るえるよう、外の敵からこの箱庭を守り抜く番人だ」
「ええ。大佐殿。……彼らもまた、自分たちが新しい国の土台を作っているのだと自覚し始めているはずです」
軍の論理と、個人の職能。その危うい均衡を保ちながら、相良の地で「近代」という名の根が、静かに、そして深く張られようとしていた。
桂木大尉が率いる「特務配置調整室」の機能は、日を追うごとにその真価を発揮していった。
彼らは単に名簿の条件を照らし合わせるだけでなく、抽出される兵士の性格や、中隊長たちの気性までも計算に入れ、極めて滑らかに五千人の人事パズルを解き進めていった。
その恩恵を最も早く、そして劇的な形で受けたのが、静岡陸軍病院・相良分院の地下で秘密裏に稼働している「碧素(ペニシリン)精製工房」であった。
「駄目だ、また割れた! こんな粗悪なガラス管で、どうやって安定した抽出還流をやれと言うんですか!」
地下の実験室で、白衣を着た瀬戸拓海中尉が、頭を抱えて叫んでいた。
碧素の精製には、培養液から有効成分を分離抽出するための複雑なガラス器具、冷却器や分液漏斗、蒸留フラスコが不可欠である。しかし、手持ちの理化学用ガラス器具は破損が相次ぎ、衛戍地内に備蓄されていた板ガラスなどを溶かして工兵に代用品を作らせていたが、素人の細工では加熱した途端にパリンと割れてしまうのだ。
そこへ、分院の裏手に急造された「ガラス工房」から、桂木大尉の配置調整室によって派遣された一人の兵士が木箱を抱えてやってきた。
野砲兵大隊の第二中隊に所属していた、倉田一等兵である。
「瀬戸中尉殿。ご注文の分液漏斗と、冷却器をお持ちしました」
小柄で無口な倉田一等兵は、軍帽を脱ぐと、木箱の中から籾殻に包まれた透明な器具を慎重に取り出し、作業台の上に並べた。
それは、ただのガラス板を溶かして丸めたような不格好な代用品ではなかった。螺旋状の冷却管は魔法のように均一な曲線を描き、フラスコの底は光を透かして美しく輝いている。
「自分、応召される前は、本郷の理化学硝子製作所で帝大の先生向けに実験器具を吹いておりましたので」
倉田は、割れたガラスの破片を前に呆然としている瀬戸中尉に向かって、静かにそう告げた。軍隊ではただ大砲の弾を運ばされ、上官に殴られていた小柄な男が、自らの仕事の成果を提示した瞬間、そこには誰も口出しできない絶対的な「職人」の静かな誇りがあった。
「これは……見事だ。肉厚が完璧に均一だから、熱応力が逃げて割れないんだな」
瀬戸中尉は、倉田が作り上げた透明な蒸留器をランプの光にかざし、感嘆の声を漏らした。
「……倉田一等兵。 ....,,,倉田さん、直ちに各ガラス管の接続部を、ゴム栓ではなく、すべて『共摺りのガラス栓(すり合わせガラス)』に作り替えられるか? ゴムの劣化による雑菌の混入を完全に防ぎたい」
「承知いたしました。すぐに工房に戻り、寸法を合わせて削り出します」
倉田の加入により、碧素の精製ラインは数日のうちに劇的な安定を見せた。彼が吹き上げたガラス器具の数々は、ただの兵士の寄せ集めだったこの軍隊が、いかに高度な技術の蓄積を内に秘めていたかを証明する、美しくも確かな結晶であった。
一方、遠州灘の沿岸では、さらに大規模な「職能の解放」が物理的な形となって現れ始めていた。
海軍が持ち込んだ七隻の船を維持し、修理するための相良の海軍軍港の建設現場である。
「工藤中尉殿。あんた方工兵の、橋を架けたり陣地を爆破したりする腕は確かでしょうが……海と船の相手は、勝手が違いますぜ」
そう言って図面に赤鉛筆で修正を入れていたのは、歩兵第一中隊から特務小隊として引き抜かれてきた松蔵上等兵だった。彼は焼津の造船所で、長年漁船の建造と修理を手がけてきた腕利きの船大工である。
彼を含め、沿岸造船所の経験者や、重機の扱いに長けた鳶職、さらには船舶機関の整備経験を持つ兵士たちが計三十名、第334独立工兵中隊へアタッチ(配属)されていた。
「満潮時の水位計算が甘いです。これじゃあ、大潮の日に斜路の下部が完全に水没して、作業員が足場を失います。斜路の傾斜角も、このカッターの船底のR(曲面)には合ってねえ」
松蔵の指摘に、建設のプロであるはずの工藤中尉も素直に兜を脱いだ。
「なるほど、海の潮目と木造船の重心は、俺たち陸の土木屋の計算式には入ってなかった。……松蔵上等兵、斜路の最終設計は貴様に任せる。俺たちは貴様の指示通りにコンクリートを打ち、レールを敷く」
「承知しました。任せてくだせえ」
近代工学を学んだ工兵のプロと、元船大工の歩兵、そして海軍の乗組員たち。軍服の色も階級も関係ない。そこにあるのは「船を直し、海へ出す」という一つの目的のために結集した、技術者たちの純粋な共同作業だった。
十日後。
新設されたスリップウェイのレールに載せられ、捲揚機の重々しい唸り声とともに、一隻の船が海から陸へと引き上げられた。四十八トンの特設運貨船「第七大黒丸」である。
「上がったぞ! ウィンチ止め!」
松蔵の掛け声とともに、巨大な木造の船体が、完全に陸の上で固定された。
船底には、この一年半の過酷な航海を物語るように、分厚くフジツボや海藻がびっしりとこびりついている。だが、それを囲む海軍の男たちも、陸軍の工兵たちも、一様に晴れやかな顔をしていた。
「さあ、牡蠣落としだ! こいつの息の根が止まる前に、全部削り落として防汚塗料を塗り直すぞ!」
松蔵たち職人と水兵たちが、一斉にスクレーパーを手に船底へ群がる。ガリガリと小気味良い音を立てて、海の汚れが削り落とされていく。
それは、死にかけていた船が再び呼吸を取り戻す音であり、そして、相良の地が本格的な「海洋国家」への第一歩を踏み出した確かな産声であった。
こうした各現場からの報告書に目を通し終える頃には、連隊本部の執務室はすっかり夜の闇に包まれていた。
私は疲れた目をこすり、椅子から立ち上がった。時計の針は午後九時を回っている。
「……乾、少し夜風に当たってくる」
「はっ。お疲れ様であります」
私は連隊本部を出て、夜の衛戍地を一人で歩いた。
向かった先は、谷の最深部。土塁に囲まれ、周囲から完全に隔離されたようにひっそりと佇む「危険棟」である。
あの二日酔いの朝、私がひどく不器用に氷砂糖の缶詰を置いて逃げ帰ってから、およそ二ヶ月が経とうとしていた。あれから何度かこの道を通っている。
静電気を防ぐため、入り口で軍靴を脱ぎ、備え付けの草履に履き替える。
水を張った床の冷たい感触が足袋越しに伝わってくる。薄暗い裸電球の下では、今日も神崎玲子が、一人で黙々と雷酸水銀の充填作業を行っていた。
私が近づく気配に気づき、彼女は静かに手を止めて振り返った。
「大佐殿。……今夜も、お仕事が遅かったのですね」
玲子の声は、相変わらず冷たい湧き水のように透き通っていたが、以前のような人を寄せ付けない極度の緊張感は和らいでいた。
「ああ。連隊の連中の昔の仕事を調べ直して、あちこちの大工仕事や工場に配置転換させていた。お陰で書類の山だ」
私が苦笑しながら壁に寄りかかると、玲子は作業台の隅に置かれていた小さな缶詰の空き箱に目を落とした。あの時、私が置いていった落下傘部隊用の氷砂糖の空き缶だ。彼女はそれを捨てずに、細々とした安全ピンや小物を入れるのに使ってくれていた。
「あのお砂糖、とても美味しくいただきました。……不思議ですね。甘いものを口にすると、本当に頭の疲れが少しだけ溶けていくような気がしました」
彼女は、大理石のような白い頬を微かに緩め、穏やかな微笑みを向けた。
「そうか。それは良かった」
私は、軍衣のポケットを探り、紙に包んだ小さな丸いものを取り出した。
「今日は、君の職場に少しだけ役立ちそうなものを『くすねて』きた」
私が紙包みを解いて彼女の前の作業台に置いたのは、微かに青みを帯びた、透明なガラスのコップだった。
昼間、倉田一等兵が理化学器具を作る合間に、余ったガラス材で吹いてくれたものだ。野戦用の無骨なアルマイトの食器とは違う、滑らかな曲線を持った美しい手仕事の品だった。
「これは……ガラス、ですか?」
玲子は目を丸くした。
「ああ。病院に新しく配属された腕利きの職人が吹いたものだ。……ここは火気厳禁で、金属が擦れる音すら命取りになる職場だろう。君がいつも使っている金属の湯飲みでは、万が一落とした時に火花が散るかもしれん。それに、火薬の匂いも移りやすい」
私は、照れ隠しのようにぶっきらぼうに言った。
「ガラスなら、火花も出ないし匂いもつかない。熱湯を注いでも割れんそうだ。……せめて茶を飲む時くらいは、火薬の匂いのしない、綺麗な器を使ってくれ」
玲子は、両手でそっとそのガラスのコップを包み込むように持ち上げた。
裸電球の光を反射して、青いガラスが彼女の手の中で柔らかく輝いている。彼女はその滑らかな表面を指先でなぞりながら、ふっと小さく息を吐いた。
「……大佐殿は、本当に不器用な方ですね」
玲子は、少しだけ困ったように、しかしひどく優しげな声音で言った。
「こんなに綺麗なものをいただいたら、火薬の泥にまみれた手で触るのがもったいなくなってしまいます」
「構わんさ。汚れたら洗えばいい。……君の手が、この要塞の火力を支えているんだからな」
私が真っ直ぐに彼女の目を見ると、玲子は静かに目を伏せ、ガラスのコップを胸元に抱き寄せるようにした。
「……ありがとうございます。大切に、使わせていただきます」
その横顔には、かつて「無駄死にさせた教え子への贖罪」として、死に場所を探すように危険棟で働いていた頃の昏い影はなかった。彼女もまた、この新しい国を創るための「生きた歯車」として、自分の居場所を見出し始めているのだ。
「夜は冷える。あまり無理はするな」
「大佐殿も、お身体を大切になさってください」
私は彼女に短く頷き、危険棟を後にした。
夜風は相変わらず冷たかったが、私の胸の奥には、あの日以来ゆっくりと溶け出している氷砂糖のような、確かな熱が宿っていた。
軍隊という無機質な組織が解きほぐされ、一人ひとりの人間が持つ技術と心意気が、この中世の泥土に新しい根を張ろうとしている。
欠けた金属の湯飲みが美しいガラスに変わるように、我々の冷たく張り詰めた日々の中にも、人間らしい温かな時間が確実に戻りつつあった。
歴史の神殺しという修羅の道は、まだ始まったばかりだ。
しかし、その道程を共に歩む者たちの足音は、もはや死へ向かう軍靴の響きではなく、未来を創るための確かな槌音へと変わり始めていた。
第15話了
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