第12話:マッドな部下の特製ゼリー!?〜大勢のヤカラが来ても、便利なアイテムでサクッと駆除〜
この作品は「零戦」さまの「戦国日本軍リメイク」および「戦国日本軍」の一部設定をお借りして執筆されています。
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永禄三年(一五六〇年)六月中旬
遠江国・相良の衛戍地
数日前から降り続く梅雨の重い雨が、谷底の泥濘を底なし沼のように変えていた。しかし、そのような天候の憂鬱など意に介する様子もなく、谷の最深部に陣取る製油プラントは、巨大な生き物のように絶え間なく重低音の脈動を響かせている。
木造の連隊本部庁舎、その執務室には、ねっとりとした湿気と相変わらずの重質油の臭いが澱み、卓上に広げられた書類の端が水分を吸ってわずかに波打っていた。
「……というわけで、天竜川以東における国人領主らの武装解除ならびに戸籍整理は、松平の坊主が我々の想定以上に有能に立ち回ってくれています。流血の沙汰に至ったのは数件のみ。大半は塩と砂糖の甘味にあっさりと屈しました」
民間技術陣のトップである結城蔵人所長が、インクの匂いも真新しい戸籍簿と検地帳の束を机に置きながら、淡々とした声で報告を締めくくった。
彼の丸眼鏡の奥の瞳には、かつての同族たちから牙を抜き、一切の感情を排して数字の辻褄を合わせていく松平元康の冷酷な手腕に対する、確かな評価の色が浮かんでいる。
「ご苦労だったな、結城さん。……旧体制の掃除は順調なようだな」
私は執務机に深く腰掛けたまま、軍衣の胸ポケットから紙箱を取り出した。
指先で軽く振ると、カサ、とひどく心許ない乾いた音が鳴る。蓋を開けると、菊の御紋が印字された純白の紙巻き煙草は、わずかに二本を残すのみとなっていた。
いよいよ、昭和の遺産が底を突こうとしている。私はそのうちの一本をゆっくりと引き抜き、燐寸を擦って火を点けた。
紫煙を深く肺に吸い込み、少しだけ眉間を寄せて吐き出す。上質なバージニア葉の香りが、遠く故郷を離れ、戻るべき時代すら喪失した亡霊のような我々の現在地を、残酷なほど鮮明に縁取っていた。
数日前の夜、部下たちと密造の濁酒を痛飲し、特攻で死んだ息子への慟哭を吐き出したことで、私の中の何かが劇的に変わっていた。
極限の異常事態に対する過剰な防衛本能が生み出していた、冷酷無比な「閻魔大王」という分厚い仮面が砕け落ち、軍人としての本来の明瞭な思考を取り戻したと言うべきだろう。
今の私の内に静かに横たわっているのは、燃え盛るような狂気ではない。この中世の列島全体を、一つの巨大な土木事業の「盤上」として見下ろす、絶対零度の大局観であった。
もはや歴史を変えることへの無用な気負いも、祖先殺しの罪悪感もない。我々に逆らい、血を流して燃え落ちていく中世の城や侍たちは、法と合理性に支配された新国家という巨大建築物を建てるための、単なる抜根作業のコストに過ぎない。
「松平が厄介な根をあらかた引き抜いてくれた。そろそろ遠州の平野部に、我々のインフラの杭を打ち込むべき時期だと思うが……技術側としてはどう見る?」
私が地図の余白に視線を落としながら気さくに話を向けると、結城は眼鏡の位置を指先で直し、少しだけ声のトーンを落として答えた。
「大佐殿。早急に巨大な工業都市の青写真を描きたいお気持ちは分かりますが、少しお待ちいただきたい。我々の命綱であるこの相良のプラントにも、絶対的な寿命というものがあります。消耗部品の劣化、配管パッキンの腐食、そして何より油井の産出量の限界。この設備が十年、二十年と、何の手入れもなしに無限に稼働し続けることはあり得ません」
「分かっているさ。我々が持ち込んだ内燃機関も工作機械も、やがては摩耗してただの鉄屑になる。だからこそ、今ある旋盤やフライス盤をマザーマシンとして使い倒し、動かなくなる前に、次代の工作機械をこの中世の土から削り出さねばならんのだろう」
私が静かに応じると、結城は我が意を得たりとばかりに小さく頷いた。
私は彼を、軍の支配下にあるただの軍属としてではなく、新しい国家の骨格を共に設計する対等な技術官僚として扱っていた。無能な軍上層部の精神論を憎む者同士、彼とは奇妙な連帯感のようなものが芽生えつつある。
「ええ、その通りです。そして、動力文明と化学文明の基礎をこの時代に定着させるためには、相良の谷底に引きこもっていては不可能です」
結城は、卓の上に広げた遠江から駿河に至る地図上の太平洋沿岸部を、万年筆の尻で執拗に叩いた。
「鉄鉱石や石炭などの鉱物資源を、大量かつ迅速に運び込むための港湾施設。そして、火薬の原料や農業用肥料に不可欠なカリウムを確保するため、海草や海水を安定して採集・処理する沿岸プラント。我々が踏み出すべき第一歩は、沿岸部の完全掌握と、そこから内陸へ延びる強固な兵站線の構築です。点と線を繋ぎ、面を支配する。すべてはそこから始まります」
「地道だが、兵站と国家開発の鉄則だな。我々軍の作戦行動も、今後は所長の描くインフラ網の拡張に合わせて展開軸を移そう」
執務室の木扉が乱暴に叩かれたのは、まさにその時だった。
通信室から情報将校が足早に入室し、軍靴の泥を散らしながら直立不動の敬礼をした。
「連隊長殿、緊急の報告です。……駿府にて、今川義元の跡を継いだ今川氏真が、父の弔い合戦のために大軍を編成し、こちらへ向けて進軍を開始した模様です」
将校の切迫した声と共に、廊下から吹き込んだ湿った生ぬるい風が、卓上の書類をカサリと揺らした。同席していた参謀の黒田鉄山少佐が、忌々しげに眉をひそめる。
「……昨夜から今朝にかけて、箱根から富士山麓周辺に厚い雷雲が停滞し、航空機による偵察が見合わせられていたはずですが。どこからの情報ですか」
「はっ。前方に展開中の影山曹長の斥候班から、有線電話にて上がってきた目視情報です」
情報将校は手元の野帳を開き、早口で読み上げた。
「敵総兵力、およそ二万二千。長槍隊および弓隊を主力とし、鉄砲組も五百挺ほど確認。旗印は白に二つ引両、今川本隊で間違いありません。全軍、大井川東岸の山間部を極めて細長い縦隊陣形にて行軍中。大軍ゆえに狭い街道での密集度が高く、行軍速度は時速一里(約四キロ)ほどとのことです」
黒田少佐が、手元の計算尺をピシャリと弾いた。
「……愚かですね。田楽狭間での惨劇と、引馬城の消滅を知りながら、あえて大軍を密集させて動かすとは。戦略的には自殺行為ですが、放置すれば我々の沿岸開発予定地に踏み込まれます」
「まあ早々と中世の兵法から抜け出せていれば、それは天才という奴だろう」
私は短くなった煙草を吸い殻入れに押し付けて揉み消し、ゆっくりと立ち上がった。
「せっかく『火遊びは火傷をするぞ』と教えてやったのにな。……だが、好都合だ。ここで彼らを片付ければ、遠江から駿河に至る太平洋沿岸は、文字通り完全に我々の庭になる。従兵、真田主任技師、それに武田少佐、二階堂少佐、堤大尉、郷田少佐、それと航空分隊の如月大尉を至急呼んでくれ」
数分後。
白衣を油と薬品でどす黒く汚した真田志郎と、歩兵、戦車、重砲、野砲の各大隊長たちが、狭い執務室に顔を揃えた。雨で濡れた軍服の匂いと、男たちの体臭が部屋の空気を一段と重くする。
「お呼びですか、大佐殿」
硫酸のガスで喉を潰している真田が、特有の嗄れた声で言った。
「ああ。真田さん、あんたが試作していた特製の急造油脂焼夷弾……例の『一斗缶』の具合はどうだ。九八直協のラックに積めそうか?」
私が気さくに問うと、真田は「ヒヒッ」と喉の奥で気味の悪い音を立てた。
「積めるも何も、本来の十五キロ爆弾の代わりに、ワイヤーと投下器の爪を無理やり噛み合わせてあるだけですよ。直協機の搭載量なら重量的には余裕ですが、一斗缶は幅がありますからね。搭載量は投下器一個おきに各翼三個ずつの合計六個。信管は八一粍迫撃砲の着発信管を流用して、中心の黒色火薬を起爆させます。ただ、四角いブリキ缶の空気抵抗なんか計算してませんから、精密爆撃は無理ですし、機体の速度もかなり落ちますよ」
「精密さは要らん。谷底を這うアリの行列の、頭と尻尾をきっちり塞げればそれでいい」
私は真田の目を真っ直ぐに見据えて言った。
「如月大尉、直協機2機による焼夷弾の支援爆撃と三式指揮連絡機による弾着観測を行う。全力出撃だ。航空隊に急ぎ懸架作業をやらせてくれ。出撃は明日の早朝だ。空を飛ぶ機体と、泥道を歩く連中とでは速度差がありすぎるからな。搭乗員にはしっかり飯を食わせて休ませておけ」
「了解しました。ガソリンと廃油、それにひまし油のアルミニウム石鹸を混ぜた特製のゼリー状油脂です。水をぶっかけた程度じゃ、骨まで燃え尽きるまで消えませんからご期待ください」
如月の言葉に真田は満足げに一礼し、足早に退室していった。
私は残った大隊長たちに向き直り、卓上に広げた作戦図の上に、無造作に木製の駒を置いた。
「敵は二万二千。大井川東岸の谷底を、長大な縦隊を組んで這い進んでいる。移動速度が想定より少し早いが……これより、敵軍の完全殲滅作業の段取りを決める。黒田少佐、説明を」
「はっ」
参謀の黒田少佐が、指揮棒で図面の等高線を指し示した。
「敵の縦列は数キロに及びます。これを一網打尽にするため、明朝の航空攻撃による一斗缶の投下をもって、敵の先頭と最後尾の退路を物理的な火の壁で封鎖します。逃げ場を失い密集した敵群に対し、我々は例の古代道を利用して高所の稜線へ機動し、上方から一方的な火力投射を実施します」
機動重砲大隊の堤敬三大尉と、野砲大隊の郷田厳少佐が、双眸に鋭い光を宿して身を乗り出した。
「大佐殿。面制圧ならば我々砲兵の独壇場です」
分厚い眼鏡を押し上げた堤大尉が、冷たい数学者のような声で言う。
「我々の重砲と、郷田少佐殿の野山砲を用いた面制圧射撃により、谷底を数十メートル四方のマス目に区切り、端から順番に耕すように榴弾の雨を降らせましょう。生きた人間が逃げ惑う余地など、一寸たりとも残しません」
「そうしたいところだが、奴さんらの移動速度が思ったより早くてな。今回は郷田のとこには少し休んでもらい、重砲も移動速度の速い機動十榴(機動九五式十糎榴弾砲)のみを使う」
私がそう告げると、郷田少佐は一瞬不満げに顔を歪めたが、すぐに無言で頷いた。
彼は「大砲は歩兵の盾だ」という強烈な責任感を持つ叩き上げの男だ。大陸の泥濘で何百頭もの軍馬を過労死させ、血の滲む思いで大砲を運んできた彼にとって、安全な後方からトラックで牽引してくる堤のスマートな戦い方は、内心面白くないのだろう。だが、兵站と展開速度を優先するなら、今回は内燃機関に頼るのが正解だった。
次いで、私は戦車大隊の二階堂護少佐を見た。公家華族の傍系出身である彼は、泥臭い執務室の中でも一人だけ優雅な姿勢を保っている。
「二階堂。今回も、緒戦は戦車らしい破城槌としての突撃はさせん。貴様の部隊は、効率的な移動火点として動いてもらう。砲撃の後に、第3中隊のチハ車で歩兵隊と一緒に突っ込んでもらうわけだがな」
「今回も突撃なしかと落胆しかけましたが……なるほど。そういうことですか」
二階堂は作戦図の等高線を見つめ、上品な笑みの裏側に獰猛な殺意を覗かせた。
「三式中戦車に搭載された七十五粍戦車砲なら、見晴らしの利く古代道から谷底を見下ろす形で、完璧な直接照準射撃が可能です。第3中隊の九七式の五十七粍砲も、貫通力こそ劣りますが、歩兵の火力支援には十分すぎるでしょう」
「その通りだ。戦国大名の軍勢は、派手な旗印や馬印で、ご丁寧に指揮官の居場所を教えてくれている。二階堂、貴様らは安全圏から敵の高位武将をピンポイントで狙撃し、指揮系統を潰せ。榴弾の直撃を受けりゃ、名将だろうが何だろうが等しくただの肉塊だ」
「承知いたしました。高所からの猟銃による的撃ち演習、粛々と遂行してまいります」
最後に、私は歩兵大隊の武田猛少佐を見た。大陸を転戦してきた歴戦の猛将である彼は、部下の命を何よりも重んじる、この部隊の「良心」とも言える男だ。
「武田少佐。砲撃が終わったら、貴様の機動歩兵中隊は戦車の第3中隊と共同して谷底へ進出だ。自動貨車と装甲兵車の半数には、工兵の手で排土板が溶接されているな」
「ええ。いつでも泥ごと押し退けられますよ」
武田少佐は、太い腕を組んで深く頷いた。
「砲撃を生き延びた残敵の掃討と、遺体や武具の後片付けだな。機関銃で念入りに消毒しながら、排土板で死体を谷の隅へ寄せて道を開きます。白兵戦は浪漫こそありますが、うちの若い連中をそんな中世のチャンバラに付き合わせる気はありません」
「頼むぞ。我々の圧倒的な火力なら、半日で終わる仕事だ」
私は全将校を見渡し、声のトーンを一段落として冷徹に告げた。
「作戦発起時刻は明後日六月二十日、二時〇〇分。いいか。彼らは敬うべき祖先じゃない。我々の新国家建設を阻む、ただの物理的な障害物だ。……全軍、行動開始。未来に残すべきでない旧時代の残滓を、一気に片付けろ」
「「「はっ!!」」」
軍靴の踵を鳴らす音が執務室に響き渡り、各指揮官たちは己の部署へと散っていった。
数分後には、連隊本部の通信室から各部隊へ向けて、無機質で冷徹な作戦暗号が飛び交い始めた。武士の誇りも、弔い合戦の熱情も、我々の前では単なる処理対象のデータでしかない。
私は一人になった執務室で、窓の外の泥濘に沈む中世の景色を冷ややかに見据えた。
手元の灰皿で、恩賜の煙草から細い煙が立ち昇り、やがてふっつりと途絶えた。
あの煙草が完全に灰になる頃、我々は後戻りのきかない新たな国家建設の土台を、二万二千の屍の上に、否応なく組み上げなければならないのだ。
第12話了




