第68話 聖女の進言
俺はその日、王太子としての公務で、リリアと共にスラム街の視察に訪れていた。
目的は、リリアの光魔法による浄化。
光魔法には、治癒や殺菌、感染症の抑制といった効果があるとされている。
その儀式に、俺は同行していた。
スラム街は、言葉にしがたい臭気に包まれていた。
思わず鼻をつまみそうになる。
同行しているカイルも、眉をひそめている。
街は不衛生で、活気がない。
大人も子供も痩せ細り、まるで生気を失っているようだった。
栄養失調なのは一目でわかる。
俺は、その光景に衝撃を受けていた。
王太子である俺はもちろん、前世の日本でも、ここまでの光景は見たことがない。
そんな中で、リリアだけは変わらなかった。
気にする様子もなく、淡々と光魔法を発動し、浄化を行っていく。
実は今回の同行は、リリアの強い希望によるものだった。
大臣や重鎮たちは、
「王太子が来る必要はない」
と反対していたが、俺は彼女の意志を汲んだ。
だが、まさか、ここまでとは思っていなかった。
リリアが姿を見せると、人々の表情がわずかに和らぐ。
「聖女様だ……」
「聖女様が来てくださった……」
歓声を上げる者、手を合わせる者もいる。
リリアは、柔らかな笑みでそれに応えた。
一人の子供が、小さな花を差し出す。
「聖女様、これ。いつもありがとう」
「ありがとう」
リリアが受け取ると、子供は嬉しそうに笑った。
「大人気だな、リリア」
俺は素直にそう言った。
王宮で見る彼女とは、まるで別人のようだった。
「殿下」
リリアが、まっすぐに俺を見る。
「ここにいる人たちを、どう思いますか?」
その問いに、俺は即答した。
「……早急に、なんとかしないといけないな」
「なんとか、とは?」
珍しく、噛みつくような口調だった。
俺は少し考え、言葉を選ぶ。
「まずは食料だ。それから衛生環境の整備……」
そう答えると、リリアははっきりとうなずいた。
「殿下は、わかってくださると思っていました」
そして、言い切る。
「この人たちに必要なのは、信仰ではありません。
今日を生きるための食料です」
その声には、迷いがなかった。
「私がどれだけ訴えても、“聖女らしくない”と一蹴されます。
信仰心で導け、愛で救えと。
……無理です」
リリアは静かに続ける。
「信仰や愛では、空腹は満たされません。
光魔法で得られるのは、その場しのぎの安らぎだけ。
根本の解決にはならないんです」
その言葉を、俺は正しいと思った。
だからこそ、俺は頷く。
「そうか……俺に、それを見せたかったんだな」
そして、リリアに向き直る。
「やはりお前は聖女だ。ありがとう、リリア」
「カイル、城に戻れ。炊き出しの準備を急がせろ」
「はっ」
カイルはすぐに動いた。
「根本的な解決にはならないかもしれない。
だが、まずは空腹を満たす」
そう言うと、
リリアは、ゆっくりと微笑んだ。
それは、紛れもなく、聖女の微笑みだった。




