第60話 正妃の仮面
俺は、一人になりたかった。
だが、後ろから誰かがついてくる気配がする。
振り返ると、エレノアが俺の後を追ってきていた。
しかも、その目からは涙がぽろぽろと溢れている。
その姿を見て、胸がぎゅっと苦しくなった。
俺は、泣きじゃくるエレノアの涙を拭った。
「どうしたんだ?何でそんなに悲しい顔をする?」
俺は優しく問いかける。
エレノアは言った。
「ヴィオレッタさんは、ひどいです。
殿下というものがありながら。」
「私は彼女を許しません。」
俺はため息をつきながら、エレノアに聞いた。
「エレノア、もしかして私がヴィオレッタ嬢に傷つけられたと思っているのか?」
エレノアは、こくりと頷く。
「だって、殿下、お子ができたというのにうかない顔をしていました。
それにヴィオレッタさんを切なそうに悲しげに見ていらっしゃいまし、
今にも泣き出しそうでしたわ。」
……泣いているのは、俺ではなくエレノアだった。
的外れなことこの上ないが、俺のために怒って、泣いてくれているのは事実らしい。
俺が切なかったのも、悲しかったのも、全部エレノアのせいだというのに。
「エレノア、私は別にヴィオレッタ嬢のことで傷ついてはいない。
ヴィオレッタ嬢にも言った通り、私もヴィオレッタ嬢に対して不誠実だったのだ。
だから、お互い様だ。」
そして、告げた。
「私にそんな顔をさせるのは、君だけだ。」
エレノアは、目を大きく見開いた。
「私のせい?私が何か至らなかったのでしょうか?」
また、見当違いな返答をする。
「そうではない、そうではないが……エレノア、君は私のことをどう思っている?」
俺は率直に聞いた。
エレノアは、きょとんとした顔をする。
「私のことを愛しているか?」
俺は、さらに踏み込む。
エレノアは顔を赤くし、目を逸らした。
そして、こくりと頷く。
「はい、殿下。私は殿下のことをお慕い申しております。」
その、恥じらいながらはにかむエレノアが愛おしくて、
「私も君を愛しているよ。」
そう言って、抱きしめた。
「だから、いやなんだ。
君が俺に他の女性を勧めてくることが、辛い。
君はもしかしたら、私を愛していないのではないかとさえ、感じてしまう。」
俺は正直に言った。
エレノアは言う。
「でも、それは殿下の王族としての責務ですわ。」
また、見当違いなことを言う。
「王族の責務なのか?」
「ええ、繁栄のためには必要ではありませんか?」
どこまでも噛み合わない。
「君は私が他の女性と関係を持っても平気なのか?」
「……。」
エレノアは静かに答えた。
「殿下が私を大切にしてくれているのはわかっています。
だからこそ、私は殿下のために何かしてあげたいと思いますわ。
それが、殿下の完璧な妻であること。それに。」
エレノアはため息をつく。
「女の嫉妬なんて、普通は嫌がるのではありませんか?」
俺は、エレノアを見つめる。
「エレノア、完璧な妻じゃなくていい。
私は君から束縛されたい。」
エレノアは、少し憂いを帯びた目で俺を見る。
「そうは言っても殿下。実際にそうなると殿下は私を疎ましく思いになります。
今でさえ、私は殿下の負担になっており、心苦しいのです。」
俺に抱きついているエレノアが、微かに震えている。
……そうか。
エレノアは、何かに怯えているんだ。
だから、完璧な正妃の仮面を外せない。
ようやく、俺は理解した。
「エレノア、私は君のものだよ。
いつか君がその正妃の仮面を脱ぎ捨ててくれるのを、気長に待つことにする。
私は、どんなエレノアだって、受け止めてみせるから。」
俺は、エレノアに、いつもより長く口付けをした。




