第54話 疑惑の懐妊
「殿下、お耳に入れたいお話がございます」
宰相は血相を変えて現れた。
俺は顔を上げず、書類に目を落としたまま答える。
「どうした」
「陛下が、ある年若いご令嬢にご寵愛を与えられました。そのご令嬢が、陛下のお子を懐妊されたのです」
宰相は頭を抱えている。
「陛下のことだ。驚くことでもあるまい」
俺は淡々と答えた。
国王の病は、相当重いらしい。
「ですが、殿下」
宰相は言葉を続ける。
「実のところ、陛下は第二惻妃様との間に姫君を授かって以降、お子を授かっておりません。
姫君ご誕生の後、大病を患われ、それ以来、お子はできにくいお身体なのです」
「……」
「陛下ご本人はお認めになりません。お相手を変えては励んでおられるものの、この十年、成果はございませんでした」
さらに宰相は声を落とした。
「今回の件、陛下はご寵愛を与えたこと自体は認めておられますが……その記憶が曖昧なのです。
外での出来事ということもあり、何とも不謹慎ではありますが……陛下のお子ではない可能性もございます」
「なるほど。言いたいことは分かった」
俺は書類から目を離さずに言う。
「だが、陛下のなさったことだ。私にどうこうできる話ではないだろう」
「……ですが、殿下」
宰相は俺を見た。
「もし、そのご令嬢の子が陛下の子でなかった場合、どうなるとお考えですか?」
「大罪だな」
俺は淡々と答えた。
「陛下を謀った罪。一族皆殺しもあり得る。
軽く済んでも流刑だろう」
そして付け加える。
「そんな浅はかな真似をしたのなら、自業自得だ」
「……殿下のおっしゃる通りです」
宰相は一度言葉を切り、深くため息をついた。
「ですが、この件、殿下は必ず関わることになります」
俺は、そこで初めて顔を上げた。
「どういう意味だ?」
「そのご令嬢は、クラウディア侯爵家の令嬢。
つまり、エレノア嬢の妹君でございます」
その一言で、俺は、全て理解した。
宰相は続ける。
「エレノア嬢のご家庭の事情はご存じでしょう。
侯爵と正室、イザベラ夫人との間にエレノア嬢。
第三夫人との間にご長男。
そして今回のご令嬢は……侯爵と踊り子との間に生まれた、公爵家の次女、シルヴィア嬢です」
「……」
「その軽率な娘のために、エレノア嬢が危険に晒されることになります」
俺の中で、静かに怒りが膨らんだ。
本来であれば、エレノアの妹である以上、守るべき存在だ。
だが、話を聞く限り、似ても似つかない女らしい。
「ならば」
俺は言い放った。
「その子は、陛下の子として押し通す」
「……殿下」
「何としてもだ。絶対に」
宰相と別れた後、俺は公務を放り出し、エレノアの元へ向かった。
おそらく、エレノアの耳にも届いているはずだ。
エレノアが、どんな顔をしているか。
考えただけで、居ても立ってもいられなかった。
エレノアは中庭で花を愛でていた。
だが、その姿はどこか沈んで見える。
「エレノア」
声をかけると、エレノアは振り返った。
潤んだ瞳が、まっすぐに俺を見つめる。
憂いを帯びたその表情も、美しい。
だが。
やはり、エレノアには笑っていてほしいと俺は思った。




