第48話 帰宅したら修羅場の玄関口でした
夕焼け色に染まっていた空が、ゆっくりと群青色へ溶け始める。
住宅街には夕食の匂いが漂い、どこかの家からテレビの音が漏れ聞こえてくる。
そんな、いつもと変わらない帰り道。
神谷家へ続く石畳を歩きながら、俺、神谷蓮は大きく背伸びをした。
「……つ、疲れた……」
肩をぐるりと回す。
今日は別に部活をしたわけでも、運動したわけでもない。
放課後、藤堂茉莉に試験勉強を教えていただけ。
「……気づいたらこんな時間か」
図書室で問題集を開き、一問ずつ説明していたら、時間なんてあっという間だった。
茉莉は理解するまで何度も質問してきて、そのたびに俺も説明の仕方を変えながら教えていた。
気づけば窓の外は夕焼け。
慌てて帰ってきたというわけだ。
「……帰るの、ちょい遅くなったよな……」
そんな独り言をこぼしながら、玄関の鍵に手をかけ――
ガチャ、と扉を引いた瞬間。
「「「……おかえりなさい」」」
「え?」
照明が自動で点灯する。
温かなオレンジ色の光が玄関を包み込む。
俺の全身は、ひゅっと冷える。
玄関のど真ん中。
三つの影が整列してこちらを見つめていた。
桐生里奈。
水瀬恵。
朝霧玲奈。
しかも三人そろって……なぜか“迎撃スタイル”で待ち構えている。
蓮(…………。え?
俺、今日なんかやらかした?)
一瞬、本気で今日一日の記憶を巻き戻す。
里奈は穏やかな笑み。けれど目が笑っていない。
恵は腕組みして眉間に皺でバチギレ寸前。
玲奈は、うるうるした瞳でこちらを見つめ、小動物のように不安そうに立っている。
今にも泣きそう……に見える。
玲奈( ……“泥棒猫”が増えたわね。……ふふ。でも負けない。
あの藤堂って子……後で軽く釘刺しに行こうかしら。
表情は“純情系”で行く、よし蓮くんの隣は譲らない。
とりあえず今日は"心配して待ってた可愛い玲奈"でいこ)
蓮 (これ……明らかに逃げたら刺されるやつでは?)
「れ、蓮くん……!」
玲奈が一歩近づき、指をつんと合わせながら言う。
「帰り、遅かった……よね……?」
「……どこで油売ってたのよ。
普通に考えて遅いでしょ。ええ、遅いでしょ?」
恵が刺々しい声。
「蓮くん。
今日は……何をしていたのか、聞いてもいいかしら?」
里奈はにこりと微笑んだ。
笑顔。なのに圧。
俺、玄関から一歩も動けず。
蓮(詰んだ……?)
ここで誤魔化したら余計に怪しまれる。
嘘なんて論外。
だから俺は腹を括った。
「い、いや、その……。
藤堂と放課後、一緒に試験勉強してただけで」
「「「……!!?」」」
まるで三方向から爆発音が聞こえた。
里奈の指先がピクリと震え、
恵の目がカッと見開かれ、
玲奈は胸の前で手をぎゅっと握って小さく息を呑む。
やばい。
言った瞬間に気づいた。
蓮(やっぱり地雷だったァァァ!!)
もう言ってしまった。
もう遅い。
里奈は一度だけ目を閉じ、小さく息を吐く。
「……そう。勉強、ね」
笑った。
「うん」
「それは……とても良いことだと思うわ」
柔らかな笑顔。
落ち着いた雰囲気。
まるで『私は嫉妬なんてしてませんよ』と言わんばかり。
耳だけ真っ赤だった。
里奈(別に……後輩と勉強したくらい……どうってことないはずなのに。どうして……こんなに胸がざわつくの?)
恵「は、はぁぁぁぁ……!?
なんで藤堂なのよ!? いや別に、別にいいけど!? よくないけど!!」
「どっち……なの?」
俺が呆れ気味に聞くと、
「よくないわよ!!」
即答だった。
(なんであの子と……なんであんな距離で……いや知らないけど!
うわもう最悪……胸がモヤモヤする! してる!!)
恵の顔は、怒り・焦り・嫉妬が全部混ざってて渋滞していた。
「で、でも、あんたの役に立つなら……う、うん……べ、別に……」
急に視線を落とし、頬を赤く染める。
蓮(一周回って可愛い……けど怖い)
「そ、そっか……勉強……一緒に……。
うん、いいこと、だよね……蓮くん、えらい……」
玲奈の声はか細い。
胸の前で手をぎゅっと握り、涙目で俯く。
玲奈(チョロく見えるほど男は油断するのよ。
さて……藤堂さんに軽く“ご挨拶”してこようかしら)
玲奈は胸に手をあて、俯きながら震えていた。
もうこの時点で、俺の精神は瀕死である。
「おかえりなさいませ、蓮様」
音もなく背後から現れる影。
「うわぁっ!?」
俺は思わず肩を跳ねさせ、その場で飛び上がった。
振り返れば、そこには神谷家の専属メイド、美桜が静かに立っている。
いつも通り、皺ひとつないメイド服。
長い黒髪を揺らし、優雅に両手を重ねる姿は、まさに理想のメイドそのものだった。
「皆さま、お揃いで……さぞお待ちかねだったようで」
柔らかく微笑みながら、一礼する。
その裏で、影がスッと揺れた気がした。
里奈も、恵も、玲奈も、一瞬だけ美桜へ視線を向ける。
その場にいた誰もが、言葉では説明できない圧力を感じ取っていた。
美桜はそんな視線を気にも留めず、ゆっくりと蓮へ歩み寄る。
(……藤堂茉莉。
また……“余計な虫”が湧きましたわね)
名前を一人ずつ思い浮かべるたび、静かな嫉妬が胸の奥へ積もっていく。
彼女の瞳だけが、氷のように冷たい。
(ですが、蓮様のお傍に仕えるのは、わたくし。
朝も、昼も、夜も。
一番近くで蓮様を支え、お守りするのは、誰にも譲れません。
たとえ皆様が蓮様へ想いを寄せようとも。
わたくしだけは……決して退くつもりはございません)
「さあ、蓮様。お疲れでしょう。温かいお食事をご用意しております」
にこり、と柔らかく微笑みながら、自然な動作で蓮のすぐ隣へ寄り添う。
誰にも気づかれない距離だけ、他の三人との間へ静かに割って入る。
それだけで十分だった。
それが美桜なりの、小さくも決して譲れない意思表示。
夕暮れの灯りが彼女の横顔を照らす。
その笑顔は、どこまでも美しく穏やか。
けれど、その胸の内では。
誰にも見えない静かな嫉妬が、ゆっくりと、確実に燃え続けていた。
・右隣:里奈(自然にキープ)
・正面:恵(腕組みで威圧)
・左奥:玲奈(心配そうに見守り)
・背後:美桜(護衛のように静かに立つ)
俺は完全に袋のネズミ。
蓮(逃げ場ゼロ……! 生きて帰れる気がしない……!)
「で? 藤堂さんとは具体的にどんな勉強を?」
里奈が穏やかに。
「どのくらい一緒にいたのよ」
恵が刺々しく。
「れ、蓮くん……近かった……?」
玲奈が上目遣いで。
「どっちが誘ったの?」
「藤堂さんとはどこまで進んだの?」
「明日も一緒?」
「昼も?」
止まらない。
質問攻めの雨が降る。
「ちょっ、まっ、落ち着いて!!
順番に話すから、ひとりずつ!!」
「「「順番は私から!!」」」
(※なぜか三人同時)
蓮(やめて……! 家で三者合同会議しないで!)
どうにか質問を一通り答え終えると。
里奈の視線には不安が揺れていて、恵の肩には焦燥感がにじみ、玲奈はぎゅっと胸を押さえながら俯いた。
そして、美桜の目は――
完全に“監視対象追加”の目。
蓮(……なんか今日はすごい疲れた)
けれど胸の奥が、ほんの少しじんわりあったかい。
蓮(……悪い気分、ではないんだよな。不思議だけど)




