番外編 神代の大迷宮
轟々と燃える火の柱が、目前で躍っていた。
熱風が渦を巻く。割れた地面の縁から火炎の舌が焚き上げ、眼前の岩を焼き溶かし、異臭を辺りに振り撒く。
視界を埋め尽くす、無数の火の粉の乱舞。
踊り狂った猛火の熱が、体力を、精神を、刈り取っていく。
油断をすれば肺に入った熱風で体内から焼かれ、経路を間違えば紅蓮の海で命を落とす。
第一迷宮《紅蓮》。
生物を燃やし尽くすことに特化した、灼熱の魔窟――その第五十九階層へ、中級探索者たちが挑んでいた。
「急げ! 『アイスヴェール』を絶やすな!」
「《フレイムゴーレム》が追いついてくるぞ!」
「くそっ! 薬草が切れた! 誰かハイポーションねえか!?」
「リーダーっ! モルの奴がやっと目を覚ました! 良かった……っ」
「急げ急げぇ! 『アイスヴェール』だけは怠るな! 熱風を弾けなければすぐおっ死んじまうぞ!」
魔術の冷気がなければたちまち灼熱の餌食となる迷宮へ挑む八名の集団。
強大な火炎ゴーレムに追われながら彼らは奥へと駆け抜ける。
真っ赤に焼けた岩柱のそばを突っ切る。途中で果てた探索者の装備を物色しながらひた走り、燃える水の沼を氷結系の魔術で凍らせ一気に渡りゆく。
背後、ウオオオオオオオンッ、と唸りながら猛火を振り撒き、フレイムゴーレムが迫ってくる。
巨大な体が岩盤を破壊する。
焼けた岩柱を蹴散らされ、人間に死を与えんとするべく、強大で獰猛な巨人が激走してくる。
「ちっ、足止めの『アイスチェイン』がもう解けたか。――[傲慢なる火炎の人形に破滅を与えん。振り注げ――『フリーズスピア』]!」
凍てつく巨大な氷槍が、灼熱のゴーレムの脳天めがけ衝突した。
砕けた氷の欠片が周囲の蒸気で一斉に蒸発しゴーレムの瞳に怒りの赤色が芽生える。憤怒の咆哮が洞窟を震わせた。
「ウオオオオッ、オオオオオォォォォンンンッ!」
咆哮と同時に地面に叩きつけられた衝撃で、足元が揺れた。探索者たちは動けない。
跳躍したフレイムゴーレムの豪腕がしんがりの探索者を薙ぎ払い、その近くにいた小柄な女探索者がゴーレムの体当たりで吹き飛ばされ、反撃に兜割りを試みた禿頭の探索者が、猛火の裏拳をくらって遥か後方へ弾け飛んだ。
「ダメだ、強い! 勝てない!」
「なんでこんな所に『特進種』が!? ついてねー!」
「ぼやいてる暇あったら逃げろっ! 怪我人を運ぶの忘れるなっ!」
リーダーと副リーダーが氷魔術、『アイスチェイン』、『フリーズコフィン』、『アイシクルブロウ』、『フリーズハンマー』と立て続けにゴーレムに炸裂させるがほとんど効果がない。
巨体を覆う猛火の鎧が冷気を打ち消し、唸る炎熱の豪腕が周囲の岩柱ごと薙ぎ払う。
火炎に愛され火炎と共に生き、火炎の使徒たる破壊の巨人は、矮小な人間を踏み潰すべく、辺りを衝撃と猛火で薙ぎ払いながら迫る。
「うわああっ!」
「ア、アイスランス! アイスランス! と、止まらない!」
「うろたえるな! 奴の軌道自体は単純だ! 冷静に動きを読め! かわすんだ!」
死と紙一重の奥州の果て、目眩ましに閃光玉を投げつけ集団はどうにか離脱する。
火傷と打撲と激しい恐怖に打ちのめされながらも、八人の探索者たちは紅蓮の舞う只中を突っ切っていった。
「うひょおおお、寒い!」
氷風が生物の熱を奪い去り消耗させる迷宮が広がっていた。
凍てつく氷が連なり、天上に並ぶ無数の氷柱――幻想的な光景が、どこまでも広がっている。
絶えず氷風が奥の間から吹きすさぶ。睫毛は凍り、吐く色は呆れるほどの真っ白だった。
壁も床も何もかもが氷の、まさに極寒の世界。
立ち入る者を凍らさずにはいられない。
第二迷宮《氷河》。
その第六十四層――。
凍てつく冷風の中、進むのはランク銀を中心とした探索者旅団『ローグの緋剣』と呼ばれていた。
「くっそー、もっと上質の装備来てくりゃ良かった」
「そうそう、もっと耐氷の鎧プリーズ。ケチる隊長よくないよー」
「やかましい! これでも予算内ぎりぎりなんだ。文句があるなら迷宮に叫べ!」
パーティの一人が肩をすくめた。
「でもまあ、これでもマシなほう? 最低気温はマイナス百五十度だし? 魔物弱いからオッケーだよ?
「あのなぁ、大体、貴様らがポーカーで負けなければ万全だったのだぞ! この阿呆ども!」
「でもさー、そんなこと言っても英気養わないと迷宮厳しいっすよ」
「そうそう。グチる隊長、カッコ悪い。よくないよー」
「ぬああっ! どいつもこいつも! さっさと探索終わらせて帰るぞ!」
「――前方、気配が十一あります。魔物です」
一人の探索者の発言に、全員が一斉に剣を、鎚を、鞭を、盾を構える。
魔術による結界を構成。
氷風、耐圧、対衝撃に適した薄緑色のドーム光が彼らを包み込む。
「種類は?」
「――《アイスラット》が三、《氷鬼像》が四、《フリーズオーク》が二、《アイスカーバンクル》が二です」
隊長の男が武具を構え号令を上げる。
「よし。ブルートとレギは《アイスラット》を、俺とアーシャは《氷鬼像》を、ミーソンとアメルダとゲインは残りを始末しろ」
「うっす」
「戦は楽しいよー」
「――《アイスカーバンクル》の魔術反射に注意。私が切り込みます」
「行くぞてめえらぁ! 今日も生還して美味い酒をいただくぞ!」
「「「おおおっ」」」
冷気と氷風に包まれて、氷結系魔物たちが姿を表す。
吹きすさぶ冷風の中、探索者たちは剣を、盾を、炎熱系魔術を翻していく。
――数ある迷宮の中でも、異質で攻略に手間取るのは、第六迷宮《水殿》だろう。
何しろ全てが水に覆われ、息を吸える場所などありはしない。
うねる水流、渦巻く水底、呼吸の問題を解決したとしても、悠々と泳ぎ回るのは水中に適した魔物たちだ。
『見つけたぞ、ダイヤローレライだ!』
『逃がすな! 回り込め! 仕留めろ!』
『[紫電の蛇よ、雷鳴の使徒よ、我が手より迸れ――『ヴォルトアロー』!]』
水中で息ができる魔導具『蓮錬咬』を口元で噛み締め、輝光石という光る石の明滅とハンドサインで意志を疎通し、探索者集団が水中魔物を追いかける。
魔術で強化した網で足止めし、水中用クロスボウで一斉迎撃。
反撃に迫る《マーマン》の群れと《ダイヤローレライ》を雷撃魔術が撃ち落とす。
激昂で《ダイヤローレライ》が鋭い尾を振り乱し小さな渦で探索者を弾き飛ばす。
内部が余すことなく水に覆われた《水殿》での制約は多い。
呼吸具は常備しなければならないし、水中では風系の魔術で矢や刃を覆って発射するクロスボウ等遠距離武具の装備も必須、かつ雷撃魔術や、それに感電しないよう耐電魔術を施した装備の着用も当然だった。
どれか一つでも失えば、すなわちそれは死への船出の旅であり、他の迷宮とは勝手の違う環境は、全迷宮の中でもトップクラスの死傷者数を叩き出していた。
『駄目だ。矢が切れた。後退!』
『くそっ、駄目だ、魔力切れる! 逃げ――』
《マーマン》と《ダイヤローレライ》が迫る。
牙を剥き愚かな人間を引き裂かんと躍り来る。
水中では《マーマン》、《ネレウス》、《ルサルカ》、《サハギン》、《ローレライ》、《ホグフィッシュ》ら水中系の魔物が王者だ。
陸上でどれほど勇猛な探索者であっても水中では無力など当たり前。
むしろ他の迷宮を捨ててでも専門性を高め挑む探索者も増えていた。
気まぐれにいつもとは違う迷宮に挑んだ探索者たちの末路は、悲惨なものだった。
『やばい。鎧を引き裂かれた!』
『後退しろ。スプラッシュテイルが来るぞ、ぐあっ!?』
負傷した探索者をかばうため、前に出た盾使いが弾かれ《ダイヤローレライ》、及び取り巻きの《マーマン》が鋭い牙と爪を振りかざし探索者を斬り裂いていく。
耐水圧、耐電の軽鎧が砕けて散る。
『くそっ、やられた、修復は不可能!』
『た、たすけてくれ! 敵が、敵が!』
魔力配分を間違えた集団は脆い。
救援の声もむなしく、軽鎧を砕かれた探索者たちは《ダイヤローレライ》の振動咆哮を至近からまともに受け、耳と口から血を吹き出し、水の底へ沈んでしまった。
周囲の水圧を軽減する魔術の鎧といえど、破壊されては効力を保てない。水深千数百メートルの圧力が、彼の人生という道に終わりをもたらす。
『ちいっ、ソールと、ボエルガがやられた!』
『だから言ったんだ! 気まぐれ起こすとこういうことに!』
『ひとまず転移陣を目指すぞ! 希少種は諦めだ!』
『ミルンダ、援護! 頼んだぞ!』
集団の中で唯一『モンスターテイマー』のクラスを持つ少女が、サハギンの背に乗りダイヤローレライ達に突撃する。
すれ違いざまダガースキルで六閃、閃光玉でスタン、魔物たちに痛手を与えた少女の活躍により、全滅は免れる探索者たち。
しかし――。
安心したのも束の間、奥の苔むした窪みから、巨大な魔物が現れ、巨大な触手を伸ばすのを見て、唖然と息を呑む。
『――や、べえ!』
『か、『階層種』だと!?』
『くそっ、こんなときにっ!』
それは、全長数十メートルがあるかという、巨大な生物。第八十階層の『階層種』――《アクアラージスライム》だ。
その触手はスライム族でも屈指の圧力で締め付けた相手を粉々に砕く。
『と、透明系の魔物! やべえ』
『姿が視えづらい……動きも速……きゃあ!』
『まずいミルンダが触手に捕まった! 誰かデバフしろ、早く!』
『ええい、[魔手から輩の乙女を護り給え――『ダウパーン』]!』
『閃光玉を投げるぞ! くそ、これで何とかなるか!?』
『なけなしの魔力で電撃ぃ! [さえばる雷鳴の主よ、一条の柱よ現われよ――『ヴォルトシュラーク』]!』
弱体化と閃光と風系の魔術を駆使し、応戦する集団。
しかし二体に分裂し四体に分裂し、八体に分裂し、さらに保護色の恩恵をも受けて迫る階層種に、苦戦するのは免れなかった。
地下に広がる巨大な迷宮――。
数千年の時を超え、数多の探索者が挑戦し続けても、未だその全成果を把握しきってはいなかった。
一層につき一時間掛かるのは当たり前、名のある探索者ならば一分程度で一層を踏破することも可能だが、迷宮の『階層』は一つにつき三千以上――時間と精神と装備の摩耗はどうあっても避けられない。
転移陣という帰りの道が用意されているといっても、それは儚いオアシスのようなもの。奥に進むごとに迷宮は牙を向き、強大な魔物が、迷宮の特性が、探索者たちを拒み続ける。
特に、八十階層以降は『悪魔の領域』と呼ばれ――さらには五百階層以降は『大悪魔の領域』――二千階層以降は『魔王の領域』と呼ばれ、それらはそれ以前とは隔絶した難易度を誇る。
それまで、存在した魔物たちが赤子に見えるほどの脅威。
絶対的な強者のみが立ち入れる魔の領域。
まさに悪魔のごとき強さを持つ者のみが踏み入れられる、魔窟の中の魔窟。
人類は――その中の一つも、未だ踏破し得ていなかった。
そしてそれは同時に、世界の秘密も揃いきれていないことを示す。
遥かな過去、神を殺したという【終焉の災厄】がどこから現れ、如何にして滅んだのか。何の目的で、誰が、十一もの迷宮を創り上げたのか。それすら判明していない。
謎と死が支配する、神秘の魔窟。数多の英雄、賢者、聖女、覇者たちが挑み、そして討ち果てていった場所。
それが、神代の地下迷宮と言われる、地下の大迷宮であった。
お読み頂き、ありがとうございます。
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