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第一章 2-2

 小さな老婆が言っているアキさんというのは、やはり僕が地元の街中を散歩している時によくすれ違っていたおばあさんのことだった。


 僕が初めて彼女に会ったのは確か四年前の初夏のことだ。その頃僕は会社を辞めて毎日散歩をする習慣がつき、それでおばあさんと出会ったのである。


 青い空に白い雲がところどころ浮いている良く晴れたその午後、僕は今歩いている小学校前の通りから一本東にある田んぼ道を歩いていた。すると前から、クーリッシュというパック入りアイスを右手に持ったおばあさんが腰をやや曲げてやってきて、すれ違おうとする僕の前で足を止めた。皺くちゃで、シミとホクロが扁平な顔中に散った、相当お歳だろうと思われるおばあさんだった。


 おばあさんは黄色く濁った白眼をした目をこちらへ向けて、ちょっと首をかしげて、


「こんにちは」


と言った。


「こんにちは」


 僕も仕方なく足を止め、挨拶を返した。するとそこからがすごかった。おばあさんは


「いやあ、いい天気だな! 良く晴れて。へへへ。ちょっと暑いけれども……」


と、天気の話から、僕がどこに住んでいるのか、仕事は何をしているのかを有無を言わさず聞き、また、自分はどこに住んでいて、子供や孫が何人いて、高血圧症で医者から歩くように言われていて毎日散歩していること、などなど、こちらが聞きもしないのに延々と話し続けるのである。話題と話題の間に、クーリッシュをひと口すすって、ちゅぽんと音を立てて飲み口を離す。唇の周りに梅干のように皺を寄せながら、口に入れたアイスを咀嚼し、嚥下するや否や、次の話題に移るのである。


 僕は、はあ、はあ、とおばあさんの話に適当に相づちを打ちながら、これはやっかいなのに捕まったぞとうんざりした。僕は小説のアイデアを得るため、なるべく人を観察し、コミュニケーションをとろうと常日頃努めているが、このおばあさんの面倒くささはその許容量を超えていた。自分が話したいことばかりを、相手の気持ちを考えずしゃべってくる。しかも、少しぼけているのか、この短い間に同じような話題を二回も三回も話す。


「お兄さん、ばあちゃんのこといくつに見える? なに、七十五!? へっへへへ、八十二だ! そんなに若く見えたけ?」


 おばあさんが二回目の自分の年齢当てクイズを出し、満足そうにクーリッシュをチュッと吸った瞬間、そのわずかな隙を縫って僕はおばあさんに「じゃあ、これで」と言ってその場を離れたのだった。


 これ以来僕は、散歩をしている時しょっちゅうこのうるさいおばあさんに会うようになった。おばあさんは僕のどこが気に入ったのか、それとも出会う人皆にそうするのか、僕と会うと必ず元気良く挨拶し、足を止め、五分も十分も、時には二十分も話しかけて来る。大抵右手にアイスを持って、話題の切り替わる時にはそれをひと口食べながら。僕はそれにほとほと参りながら、仕方なく毎度毎度話に付き合うのだった。


 今日、僕に話しかけてきた小さな老婆は、このうるさいおばあさんと、よく連れ立って散歩していたのである。散歩友達とでも言えばいいのだろうか。さすがに毎回一緒にいるわけではないが、僕がうるさいおばあさんに出会う二回のうち一回くらいは、二人は一緒に歩いていた。


 小さな老婆はうるさいおばあさんと対照的に大人しい人らしく、うるさいおばあさんが僕と話すのを、足を止めてそばで聞きながら、ニコニコと控えめな笑みを浮かべて黙っているのが常だった。僕はうるさいおばあさんとはずいぶん話したが、小さな老婆とは直接話したことが一度も無かった。もちろん、小さな老婆と一対一ですれ違うこともたまにあったのだが、そんな時彼女は他人行儀な会釈をしてくるだけで、話しかけては来なかった。


 ところで、ここ一年ほど、僕はうるさいおばあさんに会うことが無かった。彼女とよく出会っていた道をいくら歩いても、すれ違わないのである。僕は時々彼女のことを思い出し、ぱったりすれ違わなくなったことを(面倒くさくなくなって半ば喜びながらも)、どうしたのだろうといぶかしんだ。小さな老婆とは相変わらずたまに出会ったが、それも小さな老婆ひとりきりで、あのうるさいおばあさんはおらず、僕たちは会釈を交わしてすれ違うだけだった。


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