第三章 1-3
僕と美沙樹は連絡先を交換し、それからたまに会うようになった。二人とも恐ろしく金が無かったので、会う時は大抵駅前のレンタルDVDショップに行き、旧作映画のDVDを百円で借りてきて、僕の部屋で一緒に観た。それから二人で狭い台所で料理を作り、食べたりもした。会いはじめて何度目かの時、僕たちは関係を持った。美沙樹は僕に抵抗するわけでもなく、かといって大して興奮もせずに静かに僕を受け入れた。
僕のどこにどう触発されたのか、美沙樹は僕と付き合うようになってしばらくして、アルバイトをはじめた。はじめはコンビ二の店員で、その後居酒屋で働くようになった。
僕の方はというと、小説を創作するための勉強とあまり関係の無い大学の授業にうんざりし、大学にはまるで行かなくなった。三年生になった時、卒業するための単位取得数が全然足りていないことが親にばれ、結局その学期で学校を辞めた。
「なんで学校辞めちゃうの?」
美沙樹は彼女お得意の、あどけない、不思議そうな顔で僕に聞いた。
「小説を書くのに役に立たないからだよ」
「文学部なんでしょ? 小説の勉強してるんじゃないの?」
「小説を書くための勉強じゃなくて、小説の評論の勉強をしてるんだ」
「評論?」
「簡単に言うと高級な読書感想文みたいなもんだよ。あとは小説家そのものを研究したりもする。例えば太宰治が、若い頃鎌倉で心中自殺未遂をしたんだけど、その方法はずっと入水自殺だったとされていた。太宰の作品に、そういう描写があるからね。でもある研究者が、入水自殺じゃなくて服薬自殺だったと証明した。画期的とされる発見でね、学会は大騒ぎになった。そんな研究ばっかりするんだ」
「それで?」
「分からない? ばかばかしくてやってられないよ。そんなことをして研究者になるより、てんでだめな小説でも自分で作品を作ってる人の方が、俺はよっぽど偉いと思う」
美沙樹はその話には何も感想を言わずに、ただ「私たち、中退カップルだね」と言って笑った。
学校を辞めた僕は栃木の実家に戻り、親の意向で伯父のコネのある地元の広告代理店に入社させられた。仕事は営業だった。薄給でただひたすらに忙しく、いつも営業成績に目を光らせて機嫌の悪い上司に怒られてばかりの、愚にもつかない仕事だった。
美沙樹とは遠距離恋愛になったが関係はなくならなかった。僕たちは電車を乗り継いで一ヶ月に一度くらいのペースで会い続けた。僕は仕事のストレスを女で発散させるようになり、それには美沙樹との月一回の逢瀬では足らず、たまに浮気をしたり、風俗に行ったりと、ふらふら遊んでいた。しかし美沙樹と別れようとは一度も思わなかった。
働きだしてから一年半経ち、僕は貯まった金で実家からアパートに引っ越し、美沙樹もそこに呼び、同棲をはじめ、やがて結婚した。しかし小説を書く時間がまるで取れない仕事に絶望し、会社を辞めて、(今ではそれすら辞めてしまったが)アルバイトをはじめ、アルバイトの合間を縫って小説を書くようになった。そうして結婚して三年、会社を辞めて二年後に新人賞を受賞した。
新人賞を受賞して、賞金をもらった夜のことは今でも忘れられない。僕は例のごとく美沙樹に賞金を全て渡し、美沙樹の発案でそれを使って栃木駅近くの居酒屋でべろべろになるまで二人で飲んだ。美沙樹はいつもの通り控えめで、希望に燃えて気焔をあげつづける僕の話を延々と聴いてくれた。カウンター席の左隣で微笑む彼女の、真っ赤になった頬を見ていた時、あの時が人生で一番幸せだったのかも知れないと、僕は思うのである。




