第三章 1-2
僕と少女は庭の隅に猫を埋めた。スコップが無かったので、庭に転がっていた木の板を使って僕が穴を掘り、少女が猫を抱えて穴に入れた。少女が猫を持ち上げると、下になっていた猫の顔の片側は、つぶれて眼が飛び出していた。僕は思わず顔を背けた。しかし少女はとんじゃくせず、愛おしそうに猫を抱えて穴のそばまで歩き、穴に猫を入れた。
猫の死骸に土をかけ、墓標の代わりに石を置くと、墓のそばにしゃがんでいた少女は僕の方を向き、
「ありがとうございました」
と言い、立ち上がった。
「じゃあ、これで――」
少女が言いかけたのに、とっさに僕は反応した。
「あの、良かったらアパートに寄っていきませんか? ほら、手が土だらけでしょ? 洗って行ってください。それに、なんにもないけど飲み物も出しますから」
少女は一瞬きょとんとした顔をし、それからふふふ、と笑った。
「なんにもないのにどうやって出してくれるんですか? 飲み物」
結局、アパートに寄ってくれることになった。少女は洗面所で手を洗い、六畳の和室に上がってちゃぶ台の前に女すわりで座った。僕は野菜ジュースをコップに注いで出した。本当にそれ以外何も飲み物が無かったのだ。二人、ちゃぶ台を挟んで野菜ジュースを飲んでいると、妙に気まずかった。
僕は気まずさを紛らわすため、少女に名前と齢を聞いた。琴寄美沙樹という名で、十七歳だという。(ぎりぎり犯罪か)あと一歳齢がいっていればなあ、と僕は下卑たことを考えた。
「高校生?」
僕が重ねて聞くと、去年中退したのだという。それでここの近所にある実家で、毎日何をするということもなく過ごしているらしい。(なるほどそれで)平日の昼間から何十分も死んだ猫を眺めている時間があったわけだ、と僕は納得した。要するに、暇を持て余しているのだろう(ただ、いくら暇があるからと言って、死んだ黒猫をずっと眺める心情は、理解しがたかったが)。
しかしパッと見たところでは、高校を中退してニートをしているような不健康な雰囲気を持っていなかった。服装も小ぎれいだし、麦わら帽子をとった顔はやや白すぎるくらいであとは健康的で美しかった。ただ、初対面ということもあるのだろうがやや無口で、ときどき浮かべる愛想笑いには先ほども述べたようにどこか翳があった。
「なんで学校辞めちゃったの? 言いたくないならいいけど」
ナイーブな質問だとは思ったが、本当に気になったのと他に話題が無いのとで、僕は思い切って聞いた。美沙樹はちょっと目線を落として、
「私、頭悪いんです」
と言った。それから一気に口がほぐれて、饒舌に話しだした。
「お父さんもお母さんもけっこう良い大学出てて、お兄ちゃんも小さいころから頭が良くてそれなりの大学に行ってるんですけど、私だけ頭が悪くて。自分では真面目に勉強してたつもりなんですけど、だめなんです。それで高校受験の時安全圏だった偏差値の低い学校を受けて、入ったんですけど、そうしたら周りがちゃらちゃらしてる不良くずれとギャルしかいなくって。すっかり浮いちゃって、友達がなかなかできなくって」
言いながら、野菜ジュースを一口飲んで、ふふ、と笑った。
「いじめられてたわけでもないんですけど、昼休み、一緒にお弁当を食べる子がいなくて、毎日ひとりでお弁当を食べてたんですね。周りはみんなそれぞれグループになってお弁当食べてるんですよ。その昼休みが死ぬほど嫌で、あんまり学校に行かなくなって」
たまに学校に行ってみるとますます教室に居場所が無くなっていて、辞めちゃいました、と言った。
僕はその話を一通り黙って聴いた。実は僕も、高校生の時学校を辞めようか悩んだことがある。
それは大きな怪我をして当時打ち込んでいた部活を続けられなくなった時で、治療のために入院した期間とその後部活ができなくなった絶望のために学校に行かなかった期間を合わせると、二ヶ月ほども学校を休んだ。結局部活の顧問の教師に根気強く説得されてマネージャーとして部に残ることになり、その後の高校生活を全うしたのだが、あの時顧問が親切に説得してくれなければ本当に退学していただろうと思う。
僕は運よく周りにそういう大人が居て、学校を辞めずに済んだ。美沙樹の場合、たまたまそういう人間と出会えなかった。その違いだけなんじゃないか、と僕が彼女の話への感想を述べると、美沙樹は、そうですかねえ、と首をかしげてのんびり答えた。
美沙樹は野菜ジュースの最後の一口を飲み干し、立ち上がった。どこに行くのかと思ったら、部屋の隅にある勉強机に近寄った。机の上には原稿用紙が散らばっている。
「部屋に上がらせてもらった時から、気になってたんです。なにこれ?」
美沙樹は汚い字で埋まった原稿用紙の一枚を手に取り、言った。僕は恥ずかしくなってそれを彼女の手から取り返し、他の用紙も集めて、ざっざっと音立てて揃え、机の引き出しにしまった。引き出しの中には、その十倍くらいの数の原稿用紙が詰まっていた。
「太宰治全集だよ。写してるんだ」
「なんでそんなことしてるんですか? そんなにたくさん」
僕は適当にごまかしてしまおうかとも思ったが、それはさっき僕の質問に真面目に答えてくれた彼女に失礼な気がした。
「小説家になりたいと思ってるからさ、その訓練だよ。上手な人の文章を書き写すといいって、ハウツー本によく書いてあるんだ」
これが初めて他人に将来の夢を打ち明けた時だった。
「小説家? すごい」
美沙樹は大きな両眼をさらに見開いて言った。
「いや、まだ小説家になれたわけじゃないんだから、すごくもなんともないんだけど」
「そうですか? すごいですよ、そんなにたくさん……努力家なんですね」
白い頬に血の気をのぼらして桃色に染め、心から思っているように熱っぽく言う。僕はひどく気恥ずかしく、しかし、一方で他人にそんなにほめられたのは久しぶりで、体が熱を持つくらいにうれしかった。この時なんとなく、それまでぼんやりとしか持っていなかった作家志望の心が、本気に固まったようだった。




