二章 三節
「まったく、何をどう考えたら、あんな行動に出るというのかしらね」
愛花は、本日二度目となる志吹の治癒術を受けて復活した弾真と共に、学園の校舎、その廊下を並び歩く。
Sランクランカーと一緒に廊下を歩いているのは、赤い髪をした男子生徒。その数歩先には、廊下を歩くたびに、爪先と身体から金属音を立てる大型犬。そしてその斜め前に、ドクロのアクセサリーを光らせ、ポケットに手を突っ込みながら歩む金髪の男子。
言わずもがな、すれ違う人たちの注目を浴びている。さらには、最高ランクの愛花に挑戦した赤髪の男子生徒とその試合結果は、この三日間で大方の人間に知れ渡っていた。
「おい、あれが例の……」
「ああ。【負け犬】、カラーズの重実弾真だ。覗きの罰で、Sランクの稲穂さんにボコボコにされたって噂の。二年一組の女子たちが喜んでたぜ」
「やっぱりか。結構生意気なこと言ったらしいが、顔からはそんな感じしないな」
「だな、髪が邪魔でよく見えねえが、優男って感じだ。……でも、隣にいるのってさ……」
「……だよな、その対戦相手のSランク、稲穂さんだよなあ? 美人だけど、今日もキツい目してるな……」
「よせよ、聞こえるぞ。でも何で一緒にいるんだ? あの二人が」
「さあ……舎弟にでもしたんじゃね? あるいは子分とか。ああ、負け犬から飼い犬にランクアップとか?」
「ははは、まあそれもお似合いだな。ランカーを軽く見た罰ってことだ」
ひそひそと、その無謀さと馬鹿らしさを蔑む声も聞こえてくる。弾真は、くいと眼鏡をかけ直し、前髪で顔を隠しながら、下を向いて歩いた。
一行は、次第に人気のない通路へと進んでいく。
「……はは、面目ない」
校舎の一階から、さらに階段を下り、地下へ。通常授業に使う教室があるわけではないこの区画には、ほとんど物置か空き教室しかなく、人通りもまったくと言っていいほど無い。弾真がきちんと愛花の問いに答えたのは、そんなフロアに入ってからだった。
「あまりに堂々と目を離さないって言うから、見たいのかと思って」
「……あなた、私を何だと思ってるのよ? ……あと、なんで……そ、その、ぱ、パンツまで一緒に脱いでたのよ」
「ああ、やっぱり見た?」
「……見えてなかった」
「でも」
「見えてなかった!」
「……は、はは。だって、ずっと替えてなかったから」
「だからって……普通、あんな堂々と脱ぐ? ちゃんと隠しておきなさいよ、あんな凶悪なもの!」
「……やっぱり、見え――」
「見えてなかった! 何度も言わせない!」
「――わ……わかった、わかりました」
「……はあっ」
愛花は苦々しい表情に支えられた頭を抱える。
「……あなたからは、私が人がズボンを下ろすのを見るのを好む人間に見えてるわけ? そんな人間が風紀委員に推薦されるとでも?」
「いや、ヘンな風に稲穂さんを捉えているわけじゃなくって。……ただ、僕はよく稲穂さんを知らないし……。何よりほら、人って見かけによらないからさ。普通に見える人が、すごい趣味嗜好を持っている、なんてこともあり得るわけで」
「それは普通に見えるだけで普通じゃない人。私は見た目通り普通よ。私の名誉のためにも、少しぐらいあなたは自分の目を信じなさいよね」
「……はは、そうする」
「ふん。……まったく」
ふい、と愛花は弾真から目を逸らす。
「あー、まあ言い争いだか乳繰り合いだかわかんねえものはその辺にしろよ。着いたぞ」
前を歩いていた志吹が、顎でとある教室の扉を指し示す。
「オカルト研究同好会?」
愛花が扉にかけられたプレートの文字を読み上げる。弾真が、その言葉に自身の言葉を連ならせた。
「うん。今は使われてない旧理科実験室を、そのまま部室として使わせてもらってる」
「……何でこんな所に」
通常は部室棟と呼ばれる建物の中に、各部活の部室が割り当てられることとなっている。使われていないと言え、教室を部室として流用されているというケースは、愛花が知る限り前例はなかった。
「うん……? そもそも、オカルト系の部活って、ちゃんと部室が割り当てられてなかった?」
「それは正規の方のオカ研じゃない? ここはほら、オカルト研究同好会」
「研究……同好……?」
「まあ、別に深く考えることでもないよ。あくまで同好会で、正規の部活じゃないから、正式な部室を使わせてもらえないんだ。……他にも理由はあるけど」
「?」
「ともかく、宮子さんはオカルト研究同好会の部長なんだ。で、僕と志吹が部員。三人だけの同好会」
どこか皮肉な笑みを浮かべた後、弾真はすでに入室していた志吹とホムラに続く。愛花もその背を、やや遠慮がちに追った。
部屋の中は薄暗く、物にあふれていた。照明には黒い布がかぶせられており、部屋の明かりを控えめなものにしている。部屋の壁に沿って設置されている戸棚や机などにも同様の布がかけられ、オカルト研究同好会という存在らしい雰囲気を醸し出していた。
部屋の一番奥まった場所に、教室机が二つ横に並べられている。それは礼に倣って黒布をかぶせられていて、おまけに魔法陣と水晶玉があしらわれていた。そこに頬杖をつき、笑みを浮かべながら座っている女子生徒がいた。
柔和な微笑みは、愛花の姿を見た瞬間、ささやかな驚きの表情に取って代わられた。
「いらっしゃーい。あれ? 今日はずいぶんすごい人連れて来たのね、二人とも」
表情が、驚きから興味を孕む笑顔に変わった。ころころと表情を変えるが、そこに嫌味やしつこさがない。愛花はそんな印象を受けた。
「……あなたが……カラーズ、最後の一人?」
「うんっ、二年七組、柘榴宮子です。初めまして」
宮子は机から立ち上がり、少し顔を右に傾けて微笑んだ。朗らかさとたおやかさが同居したような声が、愛花の耳に届く。
決して主張しすぎない、しかし通った鼻筋と、くりっと丸い両目。眉のあたりで揃えられ、六対四の割合で分けられた前髪の隙間から覗くおでこが、少々にくい。
身なりに乱れらしい乱れはなく、立ち上がってからわかったが、スカートの丈もいたって問題ない長さだ。肩甲骨あたりまで伸びるストレートのセミロングの髪も、栗色をしてこそいるが、校則で許された染髪の範囲内だと言えた。
一度は、写真で見たことのある姿。その時抱いた印象と、こうして実際に会った今で、彼女に対する印象は変わらない。宮子を眺め、自分の中の価値観、そして規範とをすり合わせた後、愛花はもう一度問うた。
「……本当に、あなたが柘榴宮子さん?」
「うん、そうだけど。どうして?」
「……他の二人と比べて……普通、というか。いたって品行方正な女子生徒にしか見えなくて……」
「……。あははっ、ありがとっ。そういう風に見えるなら、あたしも頑張ってる甲斐があるわ」
男が見れば、思わず心を傾けてしまいそうな笑顔を宮子は浮かべた。その様子を見て、弾真と志吹も、何故か笑っていた。
「でも、本当。あたしも、カラーズって呼ばれて嫌われてる一人。他の二人ほどじゃないかもだけどね。ねーっ? 弾真くん、志吹くん」
「……ははは……」
「オレ、ノーコメントな」
二人はそれぞれ答え、苦笑いを返す。
「ふふふっ。……あたしも、時々二人みたいに授業をサボってるし、校則違反だってたくさんしてるよ。一年留年もしてるし」
「……え? じゃああなた……」
「うんっ。学年は同じだけど、あなたや弾真くんより、ひとつ年上。志吹くんも留年してるから彼とだけは同い年だけど」
「……何で……?」
「ふふふふっ」
机をぐるっと回って愛花に対し全身を晒し、正面に立つ宮子。白いソックスは、清潔感にまみれていた。
「稲穂愛花さん。本当は、ランカーのあなたには敬意を払うべきだと思うけど……。でも、愛花ちゃんって呼んでいいかな? あんまり人と壁を作りたくないんだ、あたし。そっちも、あたしに対して敬語とかは使わなくっていいから。ね?」
「え? ……え、ええ。いいけど」
「うんっ、ありがとっ。……で、さっそくだけど、愛花ちゃん。あたしも、二人と同じようにカラーズって呼ばれてる理由、本当に知りたい?」
「? ……ええ。……柘榴さんに問題がないなら」
「宮子って、呼び捨てで呼んでいいよ。壁、作りたくないって言ったじゃない」
「……じ、じゃあ。宮子がそれでいいなら」
「誰にも言わないって、約束してくれる?」
「いいわよ」
「ふふ、それじゃ、教えたげる」
いろいろともったいつけたわりには、宮子は本質をあっさりと口にした。
「あたし、淫行を愛してるの」
「…………は?」
愛花の時と思考が、数秒固着した。
「……い、いん……インコ?」
「あははっ、違う違う。い・ん・こ・うっ。淫らな行為って書くアレ。男と女がくんずほぐれつするアレ。……ま、あたしは女の子同士でヤるのも大好きだけどね」
「…………」
いちごが好きなの。とでも言うかのようなテンションで発せられた物凄い一文に、開口したまま、かちんと硬直する愛花。
「あはははっ。愛花ちゃん、純情なんだぁ。固まっちゃってる」
「……普通、純情じゃない人も固まると思うよ。そんなこと言われたら」
「そう? まぁカタくさせるのは得意だもんねーあたし。しょうがないか」
口を挟んだ弾真は、その返答を受けて額に手を当てた。
「ともかく、そういうこと。留年は、不純異性交遊がバレて謹慎くらっちゃって、出席日数も足りなくなったからなの。いろいろ頑張ったから、退学にはならなかったけどね。いろいろ、頑張ったから」
「……」
嫌な予感がしたため、いろいろ頑張ったのを強調することに対しては触れないことにして、愛花はどうにか身体の硬直を解くように努めた。
油が切れた機械のような動きで、横にいる弾真に、視線で訴えかける。何を訴えかけたのかは、愛花本人にもよくわからなかった。
弾真はその視線に気づき、言葉を返す。
「本当だよ、宮子さんの言ってることは。僕と志吹は髪に色がついているからだけど、宮子さんは髪じゃなくて、色欲に染まってるって意味合いで、カラーズの一員なんだ。はは、人は見かけによらないでしょ?」
「ふふ、本当、上手いこと言ったものよねー。誰が言い始めたんだろ? あたしたち三人組のことを、カラーズって」
愛花の視線が宮子に戻り、頭の先から爪先までを行ったり来たりする。
さっき話していたばかりの人に、さっそく出会ってしまった。普通に見えるだけで、普通じゃない人に。
「……で、でも……でも、そんなふうに、全然見えないし……。そういうのが好きな人って、よくわからないけど、もっとこう……」
「愛花ちゃんの言おうとしてることは、何となくわかるよ。でも、たくさんの男の人とヤりたいって考えると、ね。こういう身なりをしてた方がウケも都合もいいの」
「…………」
「まだ信じられない? ……んー、それじゃあ……どうしよっか」
口をずっと閉ざしていた志吹が、親指で戸棚の一角を指す。
「見せてやればいいじゃねえか、お前のコレクションをよ」
「あ、それいいね。愛花ちゃん、あの戸棚の、一番下を開けてみて」
「……え、ええ」
やはり嫌な予感を抱えながら、愛花は指し示された戸棚へ向かった。しゃがみこみ、かけられてる布を手でどかしながら、開ける。
そこにあったのは、ビニールカバーに包まれた大きめの本だ。
「……アルバム?」
「ええ、開いて見て」
指示通り、愛花は取り出し、開いた。
すぐ閉め、棚に押し込んだ。立ち上がり、答える。
「信じるわ」
愛花の顔は、耳の先まで真っ赤に染まっていた。その様子を見て、宮子は頬を緩ませる。
「ふふふふふ、かーわいいっ。……それも、みんなはないしょ。ねっ?」
人差し指を、そっと自身の唇にキスさせる宮子。その動作にすら、愛花は複雑な感情を抱いた。
「な、なんで……あんな。わざわざ、写真に現像までして……」
「後から見返すときに生々しさがあっていいじゃない?」
「な、なま、なま……」
「あ、データの方ももちろんあるけど、観る? 動画もいっぱいあるよ」
「……結構よ」
愛花、たまらず閉口。
宮子のその指は、先ほどの写真の中ではピースをしていた。他の部分は、思い出したくなかった。




