一章 三節
翌日。対峙した二人の上には晴天が広がっていた。
第一闘技場。広大な敷地を持つ学園の中に七ヵ所存在する、ランクマッチの舞台となる闘技場のうちのひとつである。ここ第一闘技場は、学園に三か所のみある野外の闘技場であり、主にランカーである生徒たちに愛用されていた。
闘技場は巨大なすり鉢状をしている。開閉機能のあるドーム状の建造物に囲まれた中には、忌術により生じた透明な防護壁に守られた観客席があり、その中心に三メートルほど窪む形で、戦闘フィールドが半径四十五メートルの円形で確保されている、といった全容だ。防護壁はフィールドそのものに忌術をかけることで生じており、観客席とフィールド間の移動はもちろん、戦闘を秘匿するために、学園がデータを取得するもの以外のあらゆる記録媒体の目をもシャットアウトする性質を持たされている。ランクに関わる以上、試合内容も生徒の個人情報であるためだ。
その秘匿性に反して観客席がある理由は、「見ることもまた鍛錬」という学校側の方針によるものである。定家学園の生徒及び関係者以外の人間の入場は基本的に不可能だが、逆に生徒の試合の観覧は、試合を見て経験を得るのも重要という意味で、学校から推奨されてすらいた。
弾真が試合を申し込んでから一日しか経っていないが、観客席には決して少なくない数の観客がいた。単純に試合を見て糧とするもの、ランカーである愛花の戦いに惹かれたもの。もちろん、弾真に水着姿を見られたことを知った女子生徒たちもいる。
「逃げはしなかったみたいね」
ブレザーにスカート、胸にリボン。制服姿の愛花の目つきは、明らかに昨日の嫌悪を引き継いでいた。胸には金色のバッジが光っている。バッジ自体は着用者がランカーであることを示し、色はSランクという地位を表す仕組みだ。
Aランクの銀色でもなければ、Bランクの銅色でもない、眩いまでの金。それをじっくり見た後、弾真は答える。
「自分で申し込んだんだ。逃げたりはしない」
「そう。……でも、よかったの? あなたの使役獣、観客席にいるわよ。学校に登録を届け出ていれば、試合での使用は許可されるはずよね」
愛花が指さした先に、ホムラと、志吹の姿があった。
「登録は済ませてあるけど、ホムラは戦闘に参加しないから。あれでいいんだ」
「……本気でやるって、昨日のあなたは言っていたけど。使えるものは使うべきでしょう」
「それはもちろん。ただ、昨日も言ったけど、ホムラは僕の言うこと聞かないからさ」
「ふぅん。あまりにも素行がひどくて、互いが互いを見捨ててるってことかしら」
「言うことを聞かなくっても、僕はホムラを相棒だと思ってる。……僕が見捨てられてるっていうところは、合ってるかもしれないけどね」
弾真は一度目を伏せ、眼鏡の位置を直す。
「あと、それ。せめて眼鏡は外したら? 危険よ」
「僕には、外した方が不都合なんだ」
顔を上げて、ゆっくりとあたりを見回す弾真。愛花はそれをみて、小さく舌打ちをした。
「……いろいろと釈然としないけど。でも、今更止めるなんて言っても無駄よ」
「言うつもりはない。少なくとも、僕には」
「そう。……私も同じだわ」
愛花は制服のポケットから、チェーンの付いた光る石を取り出す。「忌染核」と呼ばれるこれは、気力に侵された物体、忌石に忌抗者の血を染み込ませることで浄化、無害化したものだ。学園の生徒に限らず、忌抗者であれば誰もが自身の血を捧げた忌染核を所持しており、戦闘や忌術使用時の補助に使用している。また、浸透した血液の中に含まれるものと同じ忌力に反応して発光する性質を持つため、忌染核は所持者の忌力の充足と不足を可視化するデバイスであるとも言えた。
忌染核を作り出す能力は忌抗者固有のもので、かつ忌力に対抗しうる証として象徴とされているものでもある。そこから忌染核と同様に血を染み込ませた「忌装具」と呼ばれる武具を取り出し、それに自身の忌力を通して戦闘を行うのが常だった。
「忌装、《ブリュンヒルデ》!」
忌染核から青い光が零れ、愛花の眼前に収束、細長い棒を形作っていく。地面に突き刺さる形で伸びる光の棒は、愛花の身長を軽く追い越していた。忌染核をしまい、愛花は光の棒を地面から引き抜く。光がはっきりと武器の形を作ったのと同時に、霧散した。
愛花の手に握られたのは、長い柄の先に、槍の穂先、斧の刃、鎌の切っ先が取りつけられた重量武器、ハルバード。柄は濃い茶色、先端の刃部分は銀色だが、全体にうっすらと青いオーラのようなものを纏っている。
愛花は自身の得物を両手でしっかりと構え、腰を落とす。いつでも戦いを始められる体勢だ。
「さあ、あなたもさっさと」
「……わかってる」
深呼吸をした後、弾真もまた、ブレザーの内側、右の胸当たりにチェーンを使うことで仕込んでいる忌染核を、ブレザーの前を右側だけ開くことで露わにした。
「忌装。……《バーク》、《スナール》!」
赤い光が忌染核から零れ、弾真の腰の左右、足の付け根あたりに収束。武器とそれのケースの形を作った後、弾ける。ブレザーから手を放した後、弾真はそれを一息に引き抜いた。
「銃が二挺。……ガンナーとはね」
愛花は、弾真の両手に握られている物体を注視した。
装填数六発の、ハンマー内蔵型リボルバー式拳銃。それが弾真の持つ忌装具だった。
長く、そして太く作られたバレルに、重厚なシリンダー。弾真の手に丁度良い大きさのグリップが、銃全体がアンバランスな大きさをしているように思わせる。黒く、武骨で、かなり大型の拳銃だ。
「あなた、本当にそれで戦うの?」
「これ以外に忌装具は持っていない」
愛花は、対峙している弾真からにも見える大きさのため息をついた。
「……そう」
「……」
それを見て、弾真は左手の銃をホルスターに戻した。
試合開始の合図は、試合を行う両者が忌装具を装備する作業、「忌装」を行ってから十秒後に鳴るブザー。
弾真と愛花は、対峙したまま、ただその合図を待った。
ランクマッチはルールのある試合であり、忌抗者自身も高い生命力を持つ存在であるが、戦闘行為であることには違いない。傷付きもすれば、流血もする。時には死者も出ることがある時間であるのは、闘技場にいるすべての人間が知っていた。雑談も次第に控えられ、構えたまま向き合う両者の緊張感が、全体に伝播していく。
静かに時が過ぎ行き…………開始のブザーが、闘技場に鳴り響いた。
動いたのは弾真のみ。愛花は構えたまま、身動きひとつしない。
弾真は銃を握る右手をまっすぐに伸ばし、左手を添えて安定させる。しっかりと射撃体勢を取ったのち、引き金を引いた。銃口から発射炎が上がり、強烈な銃声と共に、弾丸がまっすぐ愛花へと飛翔する。
それでも愛花はやはり動かず、手にしたハルバードを軽く上へと振り抜く。
その先端が放たれた弾丸を捉え、弾きながら粉々にする。弾真は続けざまに五発を連射するが、すべてが同じ要領で阻まれた。
一連の動作の間、愛花は移動することはもちろん、表情を動かすことすらしていない。
弾真は銃を持ち替えた後、今度は左手を右手で支えつつ、射撃。しかし、すべてが軽々と振り回されるハルバードに斬り落とされた。
最後の一発を防いだ瞬間、愛花は一息に弾真との距離を詰める。
「!」
弾真は、ブレザーをはためかせながらほとんど反射的に横へと身体を投げ出し、横転する。身体のすぐ横を、斧の刃が通り過ぎていった。
体勢を崩しながらもどうにか立っていた弾真に、次々と攻撃が襲い掛かる。まるで木の棒きれでも振り回しているかのような速度で繰り出されるハルバードの攻撃に、弾真は徐々に後退を余儀なくされていった。
その最中、生まれた一瞬の隙に突き出された刃が、右肩あたりをかすめる。
「くっ……う、ぐふっ!」
それで動揺した瞬間、続けて繰り出された柄での打撃を、弾真はもろにわき腹に受けた。愛花が振り回しているのは棒きれなどではなく、かなりの重量を持った金属の武器であることを知らしめる一撃に、弾真は顔を歪める。
「はっ!」
愛花の気合の声と共に、そのまま全身を押し飛ばされ、弾真は闘技場の壁に激突する。ずるりと地面に落ちた弾真の姿を見て、観客席の各所から声が上がった。
一方で、愛花は攻撃を当てた喜びの、その欠片すらも感じさせない表情をしている。
「いくらあなたが弱くても、これで終わりじゃないわよね」
腰に左手をあて、右手一本でハルバートを抱え持つ愛花。
その視線の先で、弾真はわき腹を抑えながらゆっくりと立ち上がった。眼鏡がきちんとかかっていることを確かめつつ、前を向く。
「げほっ。……流石だ。一瞬腹が消し飛んだかと思ったよ」
「当たり前よ。そんな武器を使う相手には負けない」
愛花は、鋭い眼差しで弾真が手にする二挺の銃を指した。
「見切りやすい、防ぎやすい、威力がない。悪い意味で三拍子揃ってる、それが銃よ。いくらあなたが本気でも、それを疑いたくなるわ」
誇張表現でも何でもない。基礎的な身体能力が高い忌抗者にとって、まっすぐ自分に向かってくる小型の飛翔体など、かわすことも防ぐことも決して難しくはないのだ。また、忌抗者の戦闘は、忌装具を通した忌力ないし忌術の応酬であるとも言える。その点を鑑みると、銃は忌力を蓄えることが出来る部分が小さな弾頭のみのため、単純に攻撃力が低い。それでも身体に当たりさえすればダメージには成り得るが、他の武器や忌術などに比べて致命打にはなりづらい。
これは学園全体どころか、忌力に関わる人間ならば誰もが知っていることだ。それだけでなく、銃に対して後れを取る忌抗者を未熟者と認定し、また銃を使う人間を、努力ないし実力の不足と見なす要素として見られることも多々ある。
「それじゃあ戦うどころか、私に一撃を加えることすら叶わない。武器の弱さを負ける言い訳にでもするつもり?」
「違う。僕にとっては、この《バーク》と《スナール》が一番の忌装具だ。昨日も言ったけど、本気でやるつもりだよ、僕は」
弾真の口から、深く吐き出された呼気。それは単純に息を整えるためとも、諦観を含んだ嘆息とも捉えられるようなものだった。
「君とは違ってね」
「……何ですって?」
ぴくりと眉を動かした愛花に対し、弾真は冷静だった。むしろ、冷めているとも言えた。
「手加減されてることぐらいわかる。……さっきの突進、確かに速かった。けれど僕には初撃をかわすことが出来た。本当に君が本気なら……。本気の一撃を、弾切れの隙に叩き込んで終わらせるつもりだったのなら、とてもかわすことの出来ない攻撃を繰り出すはず。君にはその実力があるはず。もしそうして来たなら今頃、僕は立ち上がれていないだろう。その後のラッシュもそうだ。僕に刃をかすらせるまでに、君は十七回もハルバードを振った。……それだけ攻撃して、たったの一発。その程度でこの学園トップクラスの実力者? 鼻で笑うことも出来ないよ」
「……っ」
「僕が銃を握った瞬間から、本気を出す気なんて失くしてしまったんだろう? 気持ちはわかるけど……。でもその姿勢は、戦いに身を置く人間として、どうなのかな」
「っ……」
ぎり、と奥歯を鳴らす愛花。
「確かに、僕はEランクの【負け犬】だ。……でも、本気を出さない相手に喜んで噛み付くほど堕ちちゃいない」
弾真は両手に銃を持ってから、大きく振りかぶり、左右同時に振り下ろした。拳銃のボディ、その真ん中あたりが折れ曲がり、弾丸を保持する円形のシリンダーが露わになる。同時に、空になった薬莢が十二個排出され、下に落ちた。
続けて、シリンダー部分が赤く発光を始める。弾真は、手首のスナップを利かせて銃を元の状態に戻す。気味のよい金属音が鳴り、光が弾けた途端、左右の銃すべてのシリンダーに銃弾が込められた。
「……そんなに簡単に再装填出来るなら、さっさとするべきだったんじゃないかしら」
「僕固有の忌操術だ。《忌弾生成》。自分の忌力を銃弾として変換、瞬時に作り出せる」
弾真は愛花の恨み言を軽く聞き流した。
忌抗者は、それぞれ「忌操術」と呼ばれる固有の能力を持っている。効果は多岐にわたり、忌抗者の個性がもっともよく表れる部分だ。
弾真はその能力をもってリロードを済ませると、数歩前に進み、二度、三度、軽くジャンプをした。
足の裏で床の感触を靴越しに確かめつつ、構えを取っていく。左足は前に出し、しっかりと地面を踏む。右足を後ろに、バランスを取りつつ踵をわずかに浮かせる。左手は前方、軽く曲げて腰の前あたりで固定。右手は肘に角度をつけて折り、銃のバレルが自身の顎の高さ当たりに来るまで持ち上げる。
愛花は、怪訝な面持ちをさらに強くする。銃を持っているくせに、銃口が敵である自分に向いていない。まるで格闘技でも始めるような構えだ。観客席からも、弾真を嘲笑する声が聞こえた。
「……ふざけているの? 面白くないわよ」
「大真面目だ。……君に本気を出させるためには、まず僕が本気を出さないといけないらしいからね」
「本気でやってるなら、笑えないわ」
「ジョークかどうかは、仕掛けてくればわかる」
「そう。じゃあそうさせてもらうわ」
愛花が左腕を前方にかざす。そこに青い忌力の光が収束し、勢いよく前に放たれた。愛花の手を離れるやいなや、光は変質し、鋭い剣の形をした氷塊となって弾真へと向かう。
弾真は姿勢を崩さぬまま、横へとスライドするように移動した。風になびくブレザーの端にすら触れることなく、背後の壁に氷の剣が突き刺さる。
立て続けに、愛花の手から剣が放たれる。それらすべてを、弾真は特徴的な構えから生み出されるステップによってかわしていく。
「このっ……!」
苛立ちを感じた愛花は、左手により大きく忌力の光を蓄える。そして一息に放った光は、空中で複数に分裂、それぞれが氷の短剣のような形状になり、すべてが異なる軌道を取りながら弾真へと襲い掛かった。
弾真はすべての氷の刃を十分に引き付けてから、ぐっと姿勢を低くし、前方へと身を転がした。一瞬前に弾真がいた場所で、いくつかの氷の短剣が自滅し合い、砕ける。残りはすべて、闘技場の床に刺さった。
弾真の口元に、にやり、と笑みが浮かび上がる。
愛花を正面に捉え直し、少なからず驚愕の表情を見せていた愛花に向かい、抑えきれない声を上げながら、弾真は距離を詰めた。
「ぅおああぁっ!」
「くっ!」
接近の最中で愛花に向けられた二つの銃口が、立て続けに弾丸と火花を吐き出す。とっさに構えたハルバードの柄によってそれは阻まれたが、やや姿勢を崩していた愛花は着弾の衝撃を殺しきれず、ほとんど同じ軌道で飛んできた二発目の弾丸を受けたところで、体勢を崩した。
それでも前を向き、こちらに銃を向けている弾真に手をかざし、忌術で氷の盾を作り出す。その盾は、弾真の拳銃から次々と放たれる弾丸を受け、粉々にはじけ飛んだ。
盾に視界を阻まれた一瞬の間に、愛花が捉える弾真の姿が大きくなった。
すぐ眼前まで近づいて来ている、と理解した瞬間には、愛花は弾真が繰り出した前蹴りを胸に受け、大きく後方へと吹き飛んでいた。
(速い……!)
ハルバードを床に突き付けつつ、愛花はどうにか踏ん張るが、身体のコントロールを失いつつあった。
弾真は両手を左右に広げ、まっすぐに伸ばしたまま、腕を前方でクロスさせるような軌道でその間隔を狭めていく。銃口から伸びる射線のイメージを脳内で固め、それが狙うポイントで交差する瞬間に、二挺の銃の引き金を同時に絞る。
撃ち出された二発の弾丸は、弾真の思い描いた通りの軌道を描き、愛花の腹部へと着弾した。
「っ――――!」
二発の弾丸は、まったく同じ点に、同時に命中。
愛花の顔から、余裕や遠慮、油断を吹き飛ばした。
「――……」
「レベルバイト。僕のもっとも得意とする技だ。……これで、君に一撃与えたよ、稲穂さん」
「……」
弾真の言葉に、愛花は目頭にしわを寄せた。
その身体に、弾丸による傷はない。ただ、制服のへその少し上あたりが熱によって焦げているだけだ。愛花の身体を包む忌力の庇護に、弾丸は大きく威力を削がれてしまっており、まるでダメージになっていない。
しかし、弾真の銃撃は確実に当たっていた。Eランクを相手にして、万が一にも不覚を取るはずがないSランクの忌抗者に。愛花の腹部を襲ったのが銃弾ではなく、十分な忌力を宿した剣の切っ先であれば、勝負が弾真の勝利に傾いていたかも知れない。
しん、と闘技場が静まり返る。ただ、フィールドで対峙している二人の息遣いのみが、音として大気を震わせていた。そこに、ノイズのような外野のざわつきが混ざり始める。




