一章 二節
|私立定家忌術学園、通称定家学園。ここでは、とある素質を持った若者たちが、勉学を学ぶとともに、その素質と向き合って日々を過ごしている。
現在からおよそ百年前、世界の各地に、後に「災いの柱」と呼ばれることになる原因不明の自然現象が発生した。俗に柱と呼ばれるこれは、巨大な石柱として地中から突如出現、あるいは元々あった建造物などが変質を起こすことで生じ、それと分かる禍々しい色をしながら、あたりに有害な瘴気と、超常現象による災害をふり撒き始めた。同時に瘴気に影響を受けて生物が変異を起こし凶暴化した存在、「忌獣」によっての被害も拡大。世界の各地で、人類が足を踏み入れることの出来ない地域が発生、広域化していった。
それからの年月の中、ぽつぽつと、その瘴気に耐性を持つ人間が現れ始める。彼らは単純な身体能力や生命力も常人に比べて高いが、それだけではなく、瘴気の毒性に犯されず、逆に瘴気が持つ毒素とよく似た性質を持つものを生成する器官を心臓に所持していた。
人を脅かすものと同質という忌まわしさを孕みつつも人知を超える力を秘めた「忌力」と呼ばれるこの力を変換、「忌術」として扱い、災厄に適応、対抗することが可能な存在。そんな人間は世界中で今も増加傾向にあり、約一万人に一人がその素質を持っている割合となる。
ある者は超常現象を起こし。ある者は瘴気を中和し。ある者は傷を癒し。ある者は忌獣を服従し……。それまでの常識では説明が出来なかった力をもって、人々に人間が忌まわしき災厄に抵抗しうることを示した彼らは、「忌抗者」と呼ばれるようになる。昨今では、忌抗者は人類という種の自衛のアイコンたるものとして認知され、社会の中に組み込まれている。
弾真や志吹、そして二人が対峙している愛花らが籍を置いているこの定家学園こそが、この忌抗者の素質を持った十五歳から十八歳までの青少年が通う学校であり、日本各地にある忌抗者専用の教育機関のひとつである。
生徒は一般的な高等学校相当の教育受けると同時に、忌術による力を生徒同士で研鑽し合いながら日々を送っている。ここに至るまでの来歴は人それぞれだが、この先忌抗者としての人生を歩む上で、定家学園のような学校に通うことは必須となるプロセスだ。
入学時のランク認定試験と、学校生活の中で、生徒はSからEまでのランクで力と身分を定められ、B以上のランクに足を踏み入れることが出来た生徒には、ランカーという称号が付与される。
弾真は愛花を目の前にしながら、自分と彼女の間にある決定的な差を、己の中で噛み砕こうとしていた。今の自分は、ランカーなど夢のまた夢の最下位、Eランク。愛花はランカー……しかも、全校生徒約千人の学園内で、三人しかいないSランクのトップランカーだ。
「正しいのは君で、間違ってるのは僕。それに、君は強くて、僕は弱い。それはよくわかっているつもりだよ」
「…………そう」
愛花は一瞬息を詰まらせ、まるで溜まったガスを抜くような小さな嘆息の後、改めて弾真を見やった。
「じゃあ、大人しく職員室までついて来てもらえる? その後は、生徒指導室へと直行でしょうね。覚悟はしておいて」
「それぐらいの覚悟、いつだって出来てる。……慣れてるからね」
「それは何よりだわ、なら早速――っ!」
突如、太陽の光を遮る影が、三人の上を通り過ぎて行った。
何か硬質なものが屋上の床を掻く、耳障りな音が響く。
それを立てた存在に、愛花は腰だめに構えたデッキブラシの先端を向ける。ようやく解放された志吹は、「ぷはあっ、いっへえっ、ふそがぁ! ぺっぺっ」と、口元を抑えて転げ回った。
貯水タンクの陰から現れ、影を作ったそれは、限りなく犬に近い体躯をした生命体だった。
全身は灰色の体毛で包まれている。しなやかな四肢が細長い胴体を支え、尻の先からは長い尻尾が生えている。鋭い眼光に精悍な顔つき、それらを凛と引き締めるように、耳はぴんと空に向かって伸びていた。
しかし、犬としての常識が通じるのは、それらの身体構造と、大型犬と呼ばれる犬種ほどの大きさくらい。四肢の付け根や背中といった部分にはさながら兵器の装甲のような部品が張り付き、尻尾は幾つもの小さな刃を鋼線でひとつに繋げたような様相だ。全身に纏う雰囲気も張り詰めていて、犬というより狼に近い印象を受ける。
それは、刃の尾をぎらりと光らせながら二人の間に陣取り、鋭利な牙が覗く大あごを愛花に向けていた。愛花も、左側だけ傷のある濁った赤い両目に、真正面から視線を叩きつける。
そのまま、どちらも動かない。
「ホムラ、大丈夫だよ。彼女は敵じゃない」
弾真が優し気に、その名を呼びながら、手を伸ばす。
灰色の大型犬――ホムラは差し出した弾真の手には触れず、くるりと身体を反転させ、近くに座り込んだ。
「……あなたの忌獣? この犬」
「ああ、ホムラっていうんだ」
「忌抗者に付き従う忌獣……使役獣ってやつね。……感心しないわね、放し飼いなんて」
「きちんと管理したいのはやまやまだけど、あまり言うことを聞かなくて。……っと、ごめん、話の途中だった」
ホムラに伸ばした手を引っ込ませながら、弾真は愛花に向き直る。
その心に、つい先ほどまで感じていた憂鬱は、存在していなかった。
「ねえ、稲穂さん。僕としては、君の言う通り職員室に行って、先生たちの前に突き出されるのは一向に構わない。けど……君はそれで、本当にいいの?」
愛花は、弾真の発言に眉をひそめた。
「どういうこと?」
「さっきも言った通り、慣れてるんだ、僕らは。風紀委員にもマークされてるだけの理由があることは、十分わかってる。何度も捕まっては、生徒指導室に押し込まれて説教を受けた。……仮にこれから稲穂さんの言った通り、先生の前に突き出されても、僕らは大して苦にならないんだよね、正直」
「だから? そんな理由で、言い逃れようとしているわけ?」
「逃げやしないよ。……ただ、それで納得するのかなって思ってさ。風紀委員の君や、水泳の授業を覗かれた女子のみんなが」
「……」
「僕は、自分がやったことの償いをすることに異論はない。……でもどうせなら、みんなにとってもわかりやすくて、意味のある償いにしたらどうかなって思うんだ」
愛花は、弾真の真意を、その目の奥から図ろうとした。
長く赤い髪と眼鏡の奥に見え隠れする両目。それをただ、じっと見る。
しばらく見つめたが、成果らしい成果は得られなかった。しかし、どうやら偽りとかいう名の付く思慮や感情がそこにないらしいことだけは、わかった。
ふと、志吹が顎を押えながら立ち上がる。一度唾を吐いた後、弾真に声をかけた。
「弾真。お前、堂々とやりあう気かよ。その大物と」
「……そう聞こえた?」
「そうとしか聞こえなかったな。しかも、泳いでる所を覗いた女どもの前でって条件付きで、だ」
愛花の静かな目の中で、わずかに光が強くなった。
「あなた……」
「……はは。まあ、そういうこと。僕が稲穂さんの手で、みんなの前で叩きのめされれば、みんな納得するかな……ってね。本心なら、稲穂さんもそれを望んでいるみたいだし」
明らかな嫌悪が、愛花の顔に浮かぶ。
「私と戦って、わざと負けるということ?」
「君はSランクで、僕はEランクだ。普通に戦うだけでも、結果はわかりきってる。……それでも、僕はやるなら本気でやるよ。手を抜くなんてとんでもない」
一度深呼吸をした後、弾真は続けた。
「稲穂愛花さん。僕、重実弾真は、君にランクマッチを申し込みたい。受けてくれるかな」
ランクマッチ。学園内でのランク制度に、もっとも深く関わるものがそれだ。
対戦相手と日時を生徒たちに自主的に決めさせ、同様に指定したフィールド上で行う時間無制限の戦闘行為。勝敗の付き方は至極単純で、どちらかが戦闘不能になるか、降参をするかの二通りのみだ。試合は、名を隠された審判役の教師二名の監視の元に記録され、門外不出の映像データとして保管、評価対象となって査定を受ける。
ここで出た評価の積み重なりが、普段の学校生活の成績と合わせて、個人のランクとして表れる仕組みになっている。評価基準は明かされていない。しかし、ランクを上げるためには高いランクの人間に勝つか、同等ランクの人間との試合に多く勝ちを収めるかが必要であることは、生徒の誰にとっても明白なことだった。反対に、自分より下のランクに負けたり、負け試合を重ねたりすれば、ランクの下降が見えてくる。
合意の元であれば、学園に所属しているどの生徒と試合をしても構わない。ランクを上げるため。自身のランクを死守するため。強者を求めるため。自分の力を誇示するため。様々な理由をもって、定家学園の生徒は日々ランクマッチに臨んでいる。何より、ランカーという地位を得れば学内での立ち位置も良くなる上、卒業後の進路にも困ることは少ない。生徒たちにとっても、教員たちにとっても、普段の授業や定期テストより重要視されている学内活動であると言えた。
「……」
愛花は、沈黙のまま、弾真に目を合わせた。弾真もまた視線を逸らさず、返答を待つ。しかし、愛花はしばらく経っても口を開こうとしなかった。
やがて弾真は、頭の中でいくつも言葉を取捨選択した後……小さく、口にした。
「……。ちょっと意外だったな」
「?」
「トップクラスのランカーも、Eランクの人間との戦いを渋ることがあるんだね」
「っ……」
ぎり、と歯を鳴らし、愛花は手にしていたデッキブラシを傍らに投げ捨てる。
その行動がもはや返答だったが、弾真はあえて、言葉としての答えが愛花から返って来るまで待った。
「受けるわ。時間は明日の放課後。場所は第一闘技場。私の名前で押さえておく。それでいいわね」
「わかった。ありがとう」
「お礼なんていらない」
話はついた。だが愛花の横顔は、まだ何か声にしたいことを溜め込んでいるように、弾真には見えた。
「まだ何かあるの?」
「別に」
弾真の呼びかけから顔を背けるように、踵を返し。
「…………。弱いくせに」
そう言い捨て、愛花は校舎の中へと戻って行った。扉を閉めるとき、飛びきり大きな音を立てるというおまけを付けて。
それを見届けた弾真は、眼鏡を取り外し、目頭を指で軽く揉み解す。
「……ふぅ」
「やれやれ、とんでもないことになったな、弾真。慣れてねえくせに、安っぽい挑発までしやがって」
取り落とした刀を担ぎ上げながら、志吹は肩をすくめる。
「ははっ、やっぱり志吹にはわかったか。ちゃんと挑発になってた?」
「オレのに比べればまだまだだが、ランカーをカチンとさせるにゃ十分だったみたいだぜ。……格下に軽くみられて、ずいぶんと効いたしい。ここでの口喧嘩はお前の勝ちだ」
志吹は笑ったが、一瞬の後にその笑みを消し、顔を強張らせた。
「いいのか? こんな形で」
「……うん。稲穂さんや、プールにいた女子たちが僕に望むものとしては……思いつく限りは一番だ」
「だからって……。……まったく、何でだよ。普通に説教食らって終わりでよかったじゃねえか。……相手はSランクだぞ。このままじゃお前……」
手のひらをかざし、弾真は志吹の言葉を押し留めた。眼鏡をかけてから、ゆっくり目を開く。
「本音を言えば怖くはあるよ。どうしたって昔のことを思い出すしね。……でも、それを差し引いても、これが僕にとって最良の結果だよ」
「あ? どういうことたよ」
「どんな感情よりも、彼女と戦いたいっていう気持ちが強かったから。今を逃せば、こんなチャンスは二度とめぐっては来ないはずだ」
「あいつに勝って、ランクを上げるチャンスが、って意味か?」
「戦うこと自体に意味があるんだ。……ランクマッチを受けてくれる人なんて、長いこといなかったから。……僕にとっては、久々の試合らしい試合だ」
「その相手が、アレか? 無謀だぜ、はっきり言って」
「それでもいい」
目を伏せ、弾真は、中指でそっと、眼鏡の位置を直した。
「僕は、【負け犬】だから」




