五章 四節
「ゥオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!」
観客席からの遠吠えが、闘技場に響き渡った。観客席中の人間が一瞬、弾真と絆の戦いから、その遠吠えのした方へと意識を奪われる。フィールドに立つ絆も、そして弾真も例外ではなかった。
「ホムラ……?」
久しく聞いていなかった、ホムラの鳴き声。弾真の目は、観客席からこちらに向かい、宙を跳ぶホムラの姿を見た。
ホムラは頭から防護壁へと突撃する。透明な防護壁が異物の侵入を拒む。ホムラは構わず、爪をひっかけ、さらには何度も頭を叩き付け、防護壁に穴をあける。鼻先を突っ込んで、強引に穴を広げながら、フィールド内へと侵入。すぐさま修繕された壁を足場にして跳躍、弾真の元へと降り立った。
会場全体がざわめき出す。突破などはまず不可能なはずの防護壁を破り、フィールドに入り込んだ、灰色の使役獣。反則ではないか、試合は中止ではないか、様々な人が異論と疑問を口にするが、特に試合を止めるような動きはなかった。
「……ホムラ」
弾真は、未だ戸惑いを拭いきれないでいた。何故、あんな真似をしてまで、自分の側へと来てくれたのか。今まで試合の助けに入るどころか、言うことを聞くことさえなかったのに。
ホムラは、弾真の顔を見上げる。弾真は右手の銃をホルスターに収め、恐る恐る、そのしなやかな首に手を伸ばしてみた。
針金のように太く刺々しい、しかし緩やかに流れる毛並みの感触が、指先に触れる。その奥にある、熱い体温が伝わってくる。弾真はしばらく感じなかった生命の胎動に充足を覚えながら、ホムラの身体を、二度、三度と撫でた。
手を放すと、ホムラの舌がぺろりと弾真の腕を舐め、付いていた血を拭った。
そして、その目が、弾真にこう伝えていた。
――待っていた、と。
ホムラと言葉を交わす能力は持っていない。テレパシーもない。けれど今だけは、その気持ちを汲み取ることが出来たと、弾真は確信していた。
思えば、ホムラだけは、ずっと近くにいてくれた。
情けなくなった自分を、厳しい目で見ながらも、見捨てることはしなかった。今ならば、過去の日々からその思いを感じ取れる。そして今、しがらみを捨てたことで、再び自分を認めてくれたのだということも。
にやり、と、犬歯を覗かせる笑みを浮かべ、弾真はホムラに呼びかけた。
「行くぞ、ホムラ!」
「バウッ!」
力強い返事を受け、さらに弾真の心が熱く、充実していく。
弾真は、ゆったりとした動作で、絆の方を向いた。
「これで九対二。……さあ、絆」
笑顔を浮かべたまま、静かに言葉を突きつける。
「覆してみせろ」
「……っ、舐めるなよ。お前はそれでも、半人前だっただろう!」
絆の手から、巨大な忌術の光弾が放たれた。
弾真とホムラが立つ場所を中心に、大爆発が起こる。轟音と突風が、フィールド全体を一瞬支配した。
爆発の余波から二つの影が飛び出す。煙を纏う二筋の影は、まったく異なるコースを一直線に飛んで行く。
片方の影は弾真。ゴーレムの中の一体、その胴体に取り付き、頭部の楔を一瞬で破壊。
もう片方の影はホムラ。弾真とは別のゴーレムに飛びつき、鋭い牙で楔を一息に噛み砕く。
ホムラは宙がえりをしながら床へと降り立つ。そこを目掛けて、ゴーレムの刃が振り下ろされた。
連なる刃の形状をしたホムラの尾が収縮、連結し、まっすぐな剣の形になる。それが、ゴーレムの縦斬りを受け止め、いとも簡単に力押しに打ち勝ち、その身体ごと剣を弾き飛ばした。尾の形状が、元の刃を連ねた状態に戻るやいなや、ホムラは身体を横に回転、尾に勢いを乗せて薙ぎ払う。
ゴーレムの、剣を握ったままの拳と、楔の上半分が空中に舞い上がった。ホムラはジャンプして剣を口に咥えると、身体の前半分を曲げて反動をつけ、思い切り振ることで放り投げた。
その刃が、別のゴーレムの胴体に水平に刺さる。
弾真は突き刺さった剣の腹に着地、目の高さにあった楔を撃ち抜き、身体を蹴り飛ばして跳び上がり、さらに他のゴーレムの頭上で反転、楔を狙撃した後着地する。その隣には、ホムラの姿があった。
ゴーレムたちは弾真とホムラを取り囲むのが無益な戦法と判断したようで、横一文字に並んで剣を構え、突撃を開始していた。
弾真は再装填後、銃を前に構える。ホムラは口を大きく開き、その内部から、ジャキンという金属音と共に、物々しい機関砲の砲口を露出させた。
巻き起こったのは、銃弾の嵐。
鉛玉を抱えた灼熱の暴風が、轟音を伴ってゴーレムたちを飲み込む。弾真は連続射撃の後、リロードを挟みながらさらに撃ち続ける。ホムラの口内の砲口は、それを上回る連射速度で弾丸を吐き出す。その発射数の多さは、肩の付け根にある、鎧のようなパーツがスライドして出来た隙間から排出される空薬莢が物語っていた。
楔も何も区別なしに、ゴーレムの身体が砕け、蜂の巣になっていく。その身体は、床に溶けていくよりも、粉微塵になる方が早かった。
「っ……く……こんなはずでは……」
銃口から上がる灰色の煙の向こうで、牙を剥いて笑う弾真とそれに寄り添うホムラの姿を見て、絆は焦りを滲ませた。
あまりにも早すぎる。八体のゴーレムが、あっさりと全滅させられた。付け入る隙すら与えられぬままに、だ。
以前戦った時は、ここまで圧倒的な力はなかった。弾真の動きは明らかに速くなったし、ホムラもそれに完全に着いていっている。攻撃も、一体ゴーレムを倒すごとに鋭さを増していくようだった。
「ちっ……!」
絆は剣を構えつつ、強引に息を吐き出し、整える。そうして自身の中の動揺を踏み潰した。
数の上でも、もう不利。心まで負けていては、奴を上回る実力がくすむ。
(……否。……あの強さだ、弾真はすでに俺を……。……否! それこそ、否!)
首をもたげた不穏な可能性を、絆は頭を振って追いやり、表情を引き締める。
守るために、強くなる。強い人間になる。自らに課した重圧に、眠れない日すら数多くあった。それでも決意を曲げず、研鑽を重ねて来た。弱者を守るために。
そして弾真は弱者のはずなのだ。それを事実と思い込むために、否の一言を何度も反芻する。
一方弾真は、再装填を行った後、ホルスターに《バーク》を収めてから、ブレザーの前を開いて忌染核を露出した。
「ホムラ、お疲れ」
「……ワウッ」
ホムラは砲口を飲み込み、小さく頷いて見せると、忌染核の中に光となって吸い込まれた。絆がゴーレムの本体を忌染核に仕舞っていたように、本来ならば使役獣は主人の忌染核の中で保持されることが常だ。弾真の敗北以来、ホムラはそれを嫌がっていたが、この戦いをきっかけに、許しが出たようだ。
その光景は、絆の心をさらに苛立たせた。平静であることを務めたはずの表情が崩れる。
「弾真っ……お前、俺を甘く見ているのか!? 馬鹿な真似はやめて、本気で来い!」
「ここから先は、僕一人でないと意味がない。ホムラに頼ってばかりの僕なんて、僕自身が嫌なんだ。……一対一で決着をつける。その先にあるのが、僕の望む僕の姿だから」
「……一人で勝つつもりか? 俺に? ……お前一人で?」
「そう言った」
「そうか。そのつもりか。俺に、勝つか。…………甘く見るなと言っただろうがああぉっ!」
忌操術による障壁を展開したまま突進してくる絆に対し、弾真は《バーク》を抜きつつ、同様に突貫した。斬撃を、身体を横に流してかわしつつ、銃口を絆へ突き付ける。
障壁に阻まれるため、絆の身体に触れることは出来ない。しかし構わず、その障壁の上から銃撃を叩き込む。硬質な金属にでも着弾したかのような音を立てて、弾丸が弾かれた。
「無駄だっ!」
被弾の反動すら通さぬ障壁の向こうで、絆が表情を荒げながら叫ぶ。青い炎を纏った剣が振るわれ、弾真の身体を捉えんと何度も迫る。しかしすべての斬撃を、絆の周辺を高速で移動して回避し、ひたすら弾真は射撃を続けた。もちろん、合間に再装填を挟むことも忘れない。
剣が空を切るたびに、着弾の音がフィールドに鳴り響く。空薬莢が床を叩く音が小気味よい音を出す。
しばらくして、《バーク》と《スナール》が連続しての射撃の影響を受けはじめ、バレルを赤熱化させ始めた。融解寸前まで熱せられた鉄の棒の如き状態になっていき、振るわれるたびに、空中に赤い軌跡と陽炎を残す。それらは絆の肌を焼かんとするようにその周囲で円を描いて纏わり付き、絆の剣が残す光を掃い飛ばした。
絆の筋肉、目、表情、あらゆるものを弾真の目が拾い上げ、その行動を先読みする。弾真と絆の動きに、時間差が生じている。
観客席で見守る忌抗者の中で、一定以上の実力を持つものは、その光景が示すものを感じ取っていた。
「……あいつの剣、かすりもしてねえ。だが弾真の方は……」
志吹もその中の一人だった。宮子も頷きながら、それに言葉を重ねる。
「ええ。弾真くんの銃は当たってる。あのバリアみたいなのの上からだけど……一対一の戦いになってから、全弾が命中してるわ。剣で防御もされてない」
「だな。……弾真は切り傷と火傷だらけ。一方相手は無傷、しかもバリアの向こう。だが……」
「表情と動きから見れば明白。この戦い、押しているのは弾真くんの方だわ」
志吹と宮子は、戦いから目を放すことなく、かつ示し合わせることもなく、同時に笑った。
「……」
その一方、会場の片隅、一人その様子を見つめていた愛花だけは、弾真の表情に目を奪われていた。
「……ねえ。あなたは知ってる? 戦いの最中、あなたがどんな顔をしてるのか」
小さく、弾真には聞こえることのない声で、愛花は弾真に語りかける。
弾真は、戦いながら笑みを浮かべている。自分との模擬戦の最中でも、そうしていたように。
その笑顔が、懐かしい。弱みをさらけ出し、自分勝手に気まずくなって距離を置いた、この一週間。愛花は、弾真の笑顔に出会うことを避けた七日間を惜しんだ。
「あなた、笑うのよ。楽しくて、楽しくて仕方がないっていうみたいに。普段のあなたが浮かべる笑顔とは違う。怖くも見えるけれど……でも、曇りも、かげりもない笑顔を浮かべるのよ。……私と、初めて戦った時でさえも、ボロボロになりながら、あなたは笑っていた」
正直、妬けた。戦いを心から楽しむなんて、すでに忘れ去ってしまったことだから。
だが同時に、その笑顔をたびたび目にした弾真との戦いを思い出す。
その時、自分が感じていた感情はどんなものだったか。
失望? 後悔? 退屈?
どれも違う。
楽しかった。心から。
あの笑顔に感化されていた。眼鏡の奥で煌めく眼と、口から覗く犬歯につられていた。
自分の中で生み出せなくなったものを、弾真は戦いを通じ、与えてくれていた。毎日、高みを目指すためだけに汗をかく時間を、待ち遠しく思った。戦いの中で、あの笑顔に出会える時を。自分の内から、笑顔がわき出してくる時を。
今この時も、喉が渇きを潤す水を欲するように、心が弾真を求めている。
「……もっとあなたを知れば……私も、あなたみたいになれる? 自分をどうしようもなく傷つけた人に、正面から立ち向かえる人に。そんな人と、笑顔で戦える人に。……強い人に、なれる?」
問いかける。しかし、心はすでに答えを求めていない。
「その答えを教えて。……ずっと、見ているから」
愛花は決めた。いくら気まずくても、もう目を逸らすのはやめる、と。
強さという言葉の答えを、弾真を見つめるこの眼から、手に入れるために。
きっと、出来るはずだから。楽しさを、彼との戦いから、見出すことが出来たように。




